「ここは温泉がでる」と予告したとうりに温泉がでたのです
日本各地に「弘法大師空海上人が見つけられた」という温泉がありますが、浅尾法灯も自分から「空海上人は日本各地で温泉を見つけられていますが、法灯も空海上人のように温泉を見つけたのです」と会員にいっていました。さらに、「般若の里を開く前の原野の時、山を見て、ここは温泉がでますよと予言したのです。それは、柿木先生が証言しておられます」と会員にいいました。
親光泉が入っているのです目が治ります
温泉ができた当初の頃は浅尾法灯は控えめに、いで湯の森温泉の効能を身体にいいと宣伝するものの、「とはいっても薬ではないから、飲んだら治るというものではない」と常識的なことをいっていました。しかし、時がたつにつれ浅尾法灯の、「いで湯の森温泉は他の温泉とはちがうのです」と宣伝がエスカレートし、ついには「いで湯の森温泉には、法灯が特別に親光泉を入れているのです。だから、目を洗えば目が治る、飲めば病気が治るのです」といい、講演中に「頭に塗ったら髪の毛が生えたというが、生えてきた者はいるか」と手を上げさせるなど、デモンストレーションも頻繁に行われました。そして、いで湯の森温泉の水を持ち帰り飲用する会員のために、水汲み場が設置されました。
弘法大師の再来か
般若の里建設の時、近くに「寺世持温泉」があることからこの近くに温泉の泉脈がはしっていることは地元の人たちからもいわれていました。そこで専門の地質調査を依頼し泉脈がありそうなところを何ケ所かボーリングをしましたところ、2ケ所から冷泉がでてきました。1ケ所は現在豊生苑が建っているところで、もう1ケ所が現在の源泉です。そして、自然の泉紙でも特集を組むなどしてアピールをし、いで湯の森温泉の宣伝や素晴らしさを宣伝するためにパンフッレトを作成しました。この時「うっそうとした山を見て法灯先生が突然、ここは温泉がでますよといわれ、私は一瞬、何をいいだされたのかと先生の言葉を疑いました。また先生の大言が始まったぐらいにしか思いませんでしたが、温泉がでたのには驚きました。弘法大師が日本各地で温泉を見つけられたという伝説がありますが、思わず、そのことを法灯先生にだぶらせたのです」といった記事をパンフレットやチラシに柿木先生の言葉で編集部員が書き、柿木先生に「このようにだしますから了解してください」とお願いにいきました。
「飲む」「洗う」の言葉は使用禁止
浅尾法灯は講演会のなかで「目を洗って目が治った光友(会員)がいる、飲んで病気が治った人がいる。不思議なものです。親さまがされることは常識でははかれないのです」といで湯の森温泉の水には不思議な力がある。浅尾法灯の親光泉が入っているのだといいました。ですから、いで湯の森温泉にきた会員は帰りには、持参した容器に湧き水を入れて持ち帰っていました。自然の泉の編集部員は「いで湯の森温泉がいかに素晴らしいものかを新聞に書け」といわれて、泉行という体験談のなかで「入浴したら病気が治った」という体験談をだしました。ところが、「入浴してからだの調子がよくなった」という会員がいると会って詳しく聞くと「入浴して帰ったら体調がいいので入浴のせいと思っていたが、やがてまた悪くなった」という話が続出し、紙面の体験談は創作することにしました。「入浴で胃の調子がよくなった」「長年の水虫がうそのように」「虫さされのはれが一瞬に」「目のゴワゴワがきれいにとれたのです」等さまざまな体験談を作成しました。電話帳をめくって最初に名字を探し、次をめくって氏名がつくられました。体験談で絶対に使ってはいけない言葉がありました。それは「飲む」とか「洗う」という言葉は使えませんでした。たとえ「胃が治った」「目が爽やかになった」という体験談でも「水を飲んで胃の調子がよくなった」とか「目を洗って目がよくなった」とは絶対に書かないようにいわれていました。なぜなら、飲用としての許可が保健所からおりていなかったからです。浅尾法灯はこの許可をなんとか手に入れようと竹中工務店に何度も「なんとかしろ」といいましたが、水質検査で飲用の許可がおりないのですから、どうしょうもありません。ただ、会員が勝手に「飲んだら治る」「目を洗ったら目が治る」と思い込むのは勝手です。この体験談のコーナーは編集部員が全員退職してからはなくなっています。
温泉ばなしエピソード
般若の里建設のために柿木先生、地元の協力者の人たちとともに現地の下見がおこなわれていた時のことです、山の中に赤い水が湧きでているようなところがあり、それを見るなり浅尾法灯は「これは温泉ですよ、この温泉はいい、この水で入浴するようにしよう」といいだし、竹中工務店が段取りをおこないました。山からの水を運ぶための車が購入され、浅尾法灯の自宅にある出版局よこにその水を貯えるタンクがつくられました。さらに強力なポンプ2機がとりつけられ浅尾法灯の自宅にある岩風呂に送るようにしました。工事が完了し赤い水が浅尾法灯の自宅の岩風呂に入れられ、浅尾法灯はこの水に入浴していました。ところが、間もなくしてこの水は温泉ではなく、ただの雨の溜まり水で、鉄分が多い土壌のために赤く変色していることがわかったのでした。さっそく、水運びはやめられ、タンクは放置されました。現在も出版局裏、焼却炉横には使われなかった予備のポンプとともにその残骸が残っています。