特別待遇を求める浅尾法灯

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現代社会には物があふれ、人々の価値観は物によって左右されています。こころではなく物によって幸せをはかるときこころは荒廃して、人は幸せの中にいながら幸せをあじわえなくなります。信仰はこころのオアシス、荒廃したこころに一点の光明をもたらす救いとなります。しかし、見識に導かれた信仰は救いですが、盲目的信仰はアヘンとなります。

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70万光友の頂点に立つお方が

浅尾法灯は会員には、質素で謙虚で、頭の低い人物だと思わせるようにしていました。そのため自然の泉機関誌の「雑感」のページには70万会員(後に75万になる)の頂点にたつ浅尾総長が‘「にもかかわらず、いかに庶民的で質素なお方か’ !」を強調するエピソードが書かれました。もちろん「雑感」は浅尾法灯を偉大で釈迦、キリストのような方、親鸞上人の生まれ変わりとまで会員に思わせるためのページでした。会員は浅尾法灯をお釈迦さまのように、崇高で気高い方だと信じました。  s6.gif 「雑感」のページ

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わしを誰と思うか

浅尾法灯は出張と称して月の大半を芝居見物(芝居見物のまえはゲイバーめぐり)にいっていました。東京から九州の博多まで各地のホテルに泊まり込み、芝居見物三昧の毎日、あるいは出版局員が書いた原稿に目をとおすためにわざわざ原稿を持参して温泉にでかけておりました。そこでは特別待遇を要求して、ついには宿側が対処できなくなると「いままでどれだけ品物をやったと思うか」と、宿泊時に持参した土産や、盆暮れの中元歳暮の贈り物の恩をかさにきせて因縁をつけたのでした。すると、その宿には宿泊できなくなり、転々と宿をかわり、その対処は同行している出版局員がさせられました。

例をあげますと、徳山の湯野温泉にある「小松湯」に宿泊していたとき、宿の部屋にあるテレビに有料のコインボックスがついているからといって、その部屋に自分でテレビを買って持ち込み、山口県宇部市でテント、シートを作製する会社を経営する自然の泉会員を呼びつけてテレビのカバーを作らせ、宿を引き払うときにはそのカバーでテレビをおおい、鍵をかけて帰っていました。これにはさすがの「小松湯」の経営者(現在は代わっている)があきれはてて、ついには「来ていただかなくて結構です」と宿泊を断られました。

tj.jpgtj2.jpg  湯野温泉郷

浅尾法灯は旅館にたくさんの品物を土産として持参し、職員などにおくりました。そして暗に特別待遇を要求し宿泊側が対応できなくなると「やったものを返せ」と怒鳴りつけました。出版局員はその対応におわれまた別の宿を探す繰り返しが続きました。山口県萩市の「萩本陣」徳山の湯野温泉の「小松湯」大分県別府市の「ゆのはな荘(現・ふれあいハートピア明礬)」さらには福岡では博多駅前の「日航ホテル」「全日空ホテル」があります。
大分県別府市明礬温泉にある「ゆのはな荘(現・ふれあいハートピア明礬)」では、宿泊の老人たちから「でていけ、でていかないと大分の福祉事務所に訴える」といって、だされたこともあります。

浅尾法灯は喫茶店、博多駅地下街、別府駅近鉄レストラン、小倉駅の構内、大分デパートでも店員の態度に少しでも不手際があるとすぐに「教育してやる」と店員を叱りつけ、ついには「店長をだせ、責任者をだせ」と騒ぎが大きくなるとその対応を出版局員がさせられました。福岡の「日航ホテル」「全日空ホテル」ではホテル責任者に「始末書を書け」とせまり、責任者がそれに従うと今度はその始末書を焼かせるなど、すべてのトラブルの処理は出版局員がさせられました。大分県大分市のときわデパートで大声をあげて怒鳴り散らすことは毎月のことで、あまりのトラブルにフロア-長が浅尾法灯がデパートをでるまで片時もそばを離れませんでした。

宿泊のホテルに入ると出版局員は浅尾法灯の指圧をさせられました。

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大分県別府市にある「ゆのはな荘」右 中(浅尾法灯が宿泊していた当時の建物)現在は建てかわり「ふれあいハートピア明晩」右となっています。なお現在のハートピア明礬と浅尾法灯とはなんら関わりありません。