子供たちを育てるのが法灯の生き甲斐です
浅尾法灯は会員にも、マスコミにも「法灯には子供がいません、会員の子供が法灯の子供であり子供を育てるのが法灯の生き甲斐です」といってきました。青少年の健全育成をキャッチフレーズに青少年合宿勉強会や毎年歳の暮れにはチャリティー餅つきがおこなわれました。「1000キロの福祉の餅つき」といい、この餅米は会員が「青少年の健全育成をさけんでおられる法灯先生の志しに少しでもこたえなければ」と提供したものでした。
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人目につかないところに捨てる
毎年12月の暮れには研修センターで盛大に餅つきがおこなわれ、この様子はテレビにも取材されました。浅尾法灯は感謝をしらない青少年に感謝のこころを教える「福祉の餅つき」と称して、毎年1000キロの餅がつかれました。1000キロの餅をつくと膨大な量になります。この餅はダンボール箱にいれられて本部に持ち帰りますが、年が明けた1月の本部での心行会にきた会員に配られました。しかし2、30人程の会員に小さな餅を1人が7つ程を渡したのでは大半の餅が残ってしまいます。やがてダンボールの中の餅にはカビがはえ、するとこの餅を人目につかないところに捨てていました。会員からは「まごころの餅米」がとどけられ、これも同様に余ると倉庫にいれられたまま放置されていました。やがて次の餅つきのシーズンがくると事務員により捨てられていました。
餅管理のエピソード
浅尾法灯のワイセツ行為が原因で、平成5年(1993)6月に出版局員が3名辞めたため、急きょ自然の泉に若林氏が就職しました。若林氏の仕事は浅尾法灯の芝居見物に同行することと雑用でした。チャリティー餅つきの後にはこの大量の餅を管理することで、若林氏は「捨てるのはもったいない」とこの餅を大きなポリバケツにいれ水餅にして毎日水を入れ替えていました。しかし、餅を会員に配る訳でもありません。事務局の者は餅には興味はありません。やがて餅には水道水の匂いがつき、若林氏はこの餅を人目につかない山に捨てにいきました。若林氏は浅尾法灯を釈迦、キリストと同じ方だと信じていましたから、大きな驚きでした。
詳しく知りたい方はもと出版局長の奥田氏の陳述書
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