浅尾法灯の詐欺的手段

わいせつ行為を暴く・自然の泉被害者の会制作




会員のために夜も寝る間もない


浅尾法灯は「人類総感謝の世界づくりのために全国を講演・感泉に回っています」といい、講演中に「わしの話を居眠りしながら聞いているやつがいるが、法灯は会員の幸せのために夜も寝る間がないんだ。全国を感泉、講演で回り、あいだで原稿も書かんといかん、居眠りをする間もない、法灯の苦しみがわかるか」と大声でどなりあげて罵声を浴びせていました。会員の誰もが「法灯先生は私たち光友(会員)のために夜も眠らずに尽くしておられる。なんとしても先生のご苦労に報いなければ」と、「まごころ」にお金をだし「お礼」をだしたのでした。







泊まり込みで飲みや巡り・月の大半は芝居見物


出版局員は原稿を書く合間には、浅尾法灯のゲイバーめぐりに同行することが仕事と義務付けられていました。浅尾法灯はこれが法灯の活力源だ、それに協力することが人類救済に協力することだ」といいました。大阪、東京、京都、小倉、別府とホテルや旅館に泊まり込んで、ゲイバーに通うのです。夕暮れになるとでかけて夜があける頃に宿に帰ってきました。東京は東新宿、ここは福永氏(福永法源・現在詐欺で服役中)の案内で行くことが常でした。大阪は新歌舞伎座の裏でした。行きつけの「赤い靴(真実であることを証明するために一軒だけ店名を記します)」など数件をはしごするのが毎度のことでした。小倉は現小倉ホテル前の道路を越えた正面にあり、浅尾法灯は講演会が終わると出版局員と青年部員に「今から小倉に行く」と号令をかけて車でくりだしました。これには常に青年部の中から浅尾法灯が選んだ何人かが同行していました。


ある日マスコミから「サンケイ出版で先生をお見かけし、私は先生を存じていますが、その先生を大阪のゲイバーで見かけ不審に思って調べさせていただき、先生がその世界の方だとわかりました。しかし、あなたは青少年の健全育成をかかげておられます。その方がゲイバー通いはいかがなものかと思います」と忠告されたことがありました。この時、この事実をなんとか隠そうと、もしもばれた時のために用意をしておかなくてはと、宇部市内でテントを製作する青年部員を自宅に呼び、彼の泉行(体験談)を急きょ自然の泉の街宣用チラシ等に入れました。彼の泉行は「法灯先生は乞食をしてみるのも経験になるといわれ、青年部員を育てるために時にはゲイバーにも連れていくほど、若者の育成に心血を注がれています」といった内容でした。


マスコミからの忠告があって以来、芝居見物にきりかえましたがホテルに泊まりこんでの芝居見物三昧の毎日でした。東京は十条にある芝居小屋、広島は市内の清水劇場、福山のヘルス共和国z、福岡は住吉演舞場(廃館)、春日健康センター、小倉はバーパス小倉、さらに岡山、大分、山口と月の大半は芝居見物の生活でした。確かに芝居見物は悪いことではありません、誰でもしていることです。しかし、会員には「全国講演、感泉、執筆の毎日で寝る間がない」と会員を怒鳴りあげていた言葉とはあまりにもかけはなれた生活です。しかも、旅館、ホテルに出版局員や青年部員を同行して宿泊したさい、指圧をさせたうえワイセツ行為を繰り返していました。青年部員の多くが、この事実に悩み、浅尾法灯をキリスト、釈迦の生まれかわりと信じる親や兄弟のことを考えると口にだせず、誰もが胸に秘めてきました。ですから、自然の泉出版局員が全員退職するとともに青年部の多くが自然の泉を脱会したのです。


  広島での場合

ホテルをでると広島から新幹線で福山にいき昼の芝居見物。新幹線で広島に帰ると広島で夜の芝居見物をしてホテルに帰る。この繰り返しを二日ほどすると、出版局編集部員が交代していれかわり、ふたたび同じことを繰り返す。