浅尾法灯による奇跡の演出・作り話

わいせつ行為を暴く・自然の泉被害者の会制作


 
いざの時には親書をだしなさい
 
浅尾法灯はあらゆる原稿に「自然の泉は人間勉強の道場であり病気なおしではない、病人は医者へいけ」と書いて宗教ではないとアピールしていますが、一方では「いざの時には親書がある。すぐ親書をだしなさい、親書は24時間法灯にすぐつながります」といっています。会員にとって「親書」が問題が起こった時の救いのよりどころであるのは事実でしょう。浅尾法灯は講演会の最中会員を名指しで立たせ「元気になったな、法灯も我象身代りで苦しんだよ」と声をかけました。すると、ほとんどの会員は感激して涙をながしました。

 
我象身代わりで首筋が化膿
 
浅尾法灯は学生たちの受験シーズンになると決まって「受験の時期になると受験生からの親書が多く入り、その我象身代のために法灯の知恵ぶくろが化膿して首筋に炎症がおこるのです」といって、首筋に貼ったガーゼ、絆創膏を見せるのが毎年の決まりごとでした。正月元旦に講演会場で行われる「新春祝賀式」で「首筋が化膿して膿が出るので、着ている羽織の襟が膿でぬれてくる。うそだと思ったら法灯の羽織をかたずけるお手伝いさんに聞いてみなさい」という場面がありました。あるいは、下関市の会員がふぐの中毒で倒れ、「親書」が本部に申し込まれたことがありました。この時浅尾法灯は、講演会の最中その会員の名前を呼んで立たせて「元気になっただろう、法灯は我象身代りで中毒症状になり、身体がしびれて危うく命を落としそうになったんだよ。ここに来る途中何度も車をとめて吐いたんだよ法灯も苦しんだんよ」といいました。立っていた会員は感激で涙し、会場には拍手の嵐がわきました。
 
我象身代わりでお疲れです12時になりましたらおかけください
 
毎月の第4日曜日には浅尾法灯に直接個人的に相談できる「電話質問」がおこなわれていました。それを受けるには電話で受付の藤中に、あるいは本部事務局の申し込み用紙で電話質問の申し込みをするのですが、このときまごころをしているかどうか確認されました。「まごころ」をしていないものは受け付けられず、たとえしていても金額が少ないと浅尾法灯に大声で怒鳴られてしまいます。
 
受付をすませ3万円払うと受付の番号を渡されます。その番号をもって第4日曜日の午前10時の指定の時間になると会員は浅尾法灯の自宅に質問、悩みをうったえる電話をするのですが、10時には必ず「ガン、小児まひ、中風など難問題が多く法灯先生は我象身代りのため大変お疲れになってなっておられます。12時になりましたらおかけになってください」というメッセージが流れました。そして12時になれば同じ文句で「1時になりましたらおかけください」というテープが流れました。
 
我象身代り(がしょうみがわり)・・・浅尾法灯氏が会員の病気などを身代わりに受け、会員の病気が治るという奇跡。
親書(しんしょ)・・・浅尾法灯に問題解決のパワー親光泉をお願いすること
 

 
 
変わった人の親書が入っているかね
 
本部事務局の藤中富子に直接、あるいは「親書申し込み専用電話」で申し込まれた「親書」は会員の悩み等をハガキ大の用紙に記して本部事務局の2階の法壇横におかれました。「親書申し込み専用電話」に録音された「親書」の申し込みは事務員が聞き取り、ハガキ大の用紙に書き込み法壇横におかれました。このとき藤中は事務員にだれか変わった人の親書が入っているか」とたずねました。変わった人とは自然の泉にとって重要な会員で自然の泉のチラシ等に使っている会員や多額の「まごころ」をして浅尾法灯がこころに留めている会員、あるいは事業家、政治家など自然の泉の看板になっている会員のことです。このような会員が「親書」をだしているときは藤中から浅尾法灯につたえられました。それ以外の‘ただの普通の会員’の「親書」が浅尾法灯に報告されるのを見た者はいません。これは、だれでも知っていることです。
 
首筋に貼る吸いだし膏の跡
 
出版局員は浅尾法灯が食事後に飲む薬を段取りよく用意しなければならず、また、浅尾法灯を指圧し、入浴をすませた浅尾法灯の首筋に薬を貼らなければいけませんでした。
 
これは大阪の製薬会社の吸いだしの薬で、黒と白の2種類の膏薬がありました。黒は吸いだし薬で白は黒の吸いだし薬でただれた皮膚を治すものでした。出版局員は浅尾法灯が入浴をすませると首筋に初めは黒の薬を貼らされました。あくる日にはその薬を貼った皮膚には大きな水膨れができており、破れるとただれました。こんどは白い薬を貼ってただれを治すのです。この繰り返しをこの会社が膏薬の製造を中止するまで何年もさせられました。この吸いだし膏は首筋以外、背中まで貼ることもありました。身体の凝ったところに貼るといいといわれていました。
 
日頃は、浅尾法灯の首筋にはいつもこの膏薬の絆創膏が貼ってありました。しかし、会員の前にでるときにははずすようにしました。しかし、何年も貼り続けてきたのですから浅尾法灯の首筋には皮膚がただれた跡が残っていました。浅尾法灯は学生たちの受験シーズンになると決まって「受験生からの親書が多く入り、その我象身代のために法灯の知恵ぶくろがはれて首筋が化膿するのです」といって、首筋にあるこの吸いだし膏の跡を見せていました。会員は「先生は私たちのために身体を犠牲にしておられる」と感激して「まごころ協力」「お礼」にお金をだしました。しかし、宇部祭りの準備で車のやぐらを作っていたとき、様子を見に来た浅尾法灯の首筋を後ろから真近に見て、首筋の跡が規則正しく並んでいることに不審をいだいた会員がいました。この会員はのちに自然の泉をやめられました。
 
腰の悪い者は手をあげよ
 
浅尾法灯が大分県別府市の「ゆのはな荘」(現、ふれあいハートピア明礬)で原稿の校正のため毎月宿泊にでかけている時でした。ある朝、浅尾法灯は洗顔のためにかがんだところ腰がグキとなって動けなくなりました。ギックリ腰です。これでは自然の泉機関誌や新聞の校正ができません。出版局の編集部員は困りましたがどうしょうもありません。色々手をつくしますが浅尾法灯の腰は治りません。仕方なく浅尾法灯は伏せた状態で校正をすませました。校正を終えると出版局員は原稿を持参して山口県に帰り、浅尾法灯と同行者が残りますが、この時、浅尾法灯を福岡あたりの治療院に連れていこうと、山口県から宇部第一病院の救急車を呼んでもらいました。運転者は藤中の次男の博氏(故人)です。しかし、結局浅尾法灯はこの車には乗らず、この救急車に乗って編集部員が帰りました。やがて浅尾法灯はなんとか歩けるように回復して山口県に帰ってきました。その月の講演会の日です。浅尾法灯は会員にむけて「この中に腰の悪いものはいるか、手をあげてみろ」といいました。何人かか手をあげた様子をみて「我象身代りで法灯の腰が悪いのです、会員に腰の悪い者がいるのではと思ったがやっぱりか」といったのです。
 
浅尾法灯がふぐ中毒になった会員を我象身代りして苦しみ「会場に来る途中で何回も車をとめて、吐いた」といった頃、浅尾法灯の車は出版局長の奥田氏が運転していました。しかし、浅尾法灯が車をとめて吐いたことなど一度もありませんし、奥田氏をはじめ出版局員や青年部員の一人としてこのような光景を見た者はいませでした。
 
医師の甥はいう「検査の結果、絶対にガンではない」
 
山口県山陽小野田市在住のF氏は、胃の調子が悪くなったことがありさっそく本部事務局の「親書専用電話」「親書」を申し込みました。F氏は古くからの熱心な会員で、浅尾法灯が講演会で「いざの時には法灯がいる。法灯の後ろには親さまがいる。何かあったらすぐに親書をだしなさい」という言葉に親書をだしたのでした。これは会員が日常的に行っていることで、病気に限らず問題がおこれば「親書」をだすのが常識でした。F氏は「親書」をだすとともに甥が医師でしたから検査をしてもらいましたが「別に異常なし」といわれ、安心をしていたところ、その月の浅尾法灯の講演会に出席したところ講演会の最中に突然名前を呼ばれ「立ちなさいと」と浅尾法灯からいわれました。浅尾法灯はF氏を立たせると「元気になったな、お前はガンだったのだよ、危なかったな先生も苦しんだがよかったな」といったのでした。F氏は驚きました、甥からはガンの話は聞いていません。かといって浅尾法灯の言葉に会場には拍手がわき上がり周囲の知人からは「Fさんよっかたね」の声がかかる状態の中では「法灯先生ありがとうございました」というしかありませんでした。F氏は帰宅するとすぐに甥の医師のもとを訪れ「あんたは私に検査結果を隠しているのではないですか」と詰め寄ったところ、甥は「絶対に間違いではない、ガンなどではなくただの不調だったのだ」とこたえました。以来F氏は浅尾法灯の言葉に不審を抱くようになりました。やがてF氏の住む山陽小野田市の会員の間からも浅尾法灯のワイセツ行為の話が広がって来るようになった矢先、出版局員が全員やめたと聞きF氏も自然の泉を脱会されたのでした。(F氏の陳述書は実名で裁判所に提出されています)
 
こうすればありがたくなる
 
第4日曜日の午前10時の指定の時間になると会員は浅尾法灯の自宅に質問、悩みをうったえる電話をするのですが、必ず10時には「ガン、小児まひ、中風など難問題が多く法灯先生は我象身代りのため大変お疲れになってなっておられます。12時になりましたらおかけになってください」というメッセージが流れました。そして12時になれば同じ文句で「一時になりましたらおかけください」というテープが流されました。この時に流されるテープは2本用意されていました。10時用と12時用でこのテープは藤中の妹の西山(浅尾法灯内縁の妻・故人)が吹き込みました。この日浅尾法灯は朝風呂(浅尾氏が毎日おこなっている習慣)にはいり、西山がこのメッセージテープを電話にセットします。10時には一斉に会員からの電話が鳴りますがこの時このテープが対応していました。さらに、12時近くになると「1時になりましたらおかけください」というメッセージテープにいれかえました。この間浅尾法灯はビールを飲みながら(以前は食事代わりにビールを飲んでいました)時間をつぶしていました。この時、出版局の編集部員が時間つぶしの話相手にさせられました。とくに編集長の奥田氏が浅尾法灯の相手をしました。
鳴り続ける電話を聞きながら、浅尾法灯は奥田氏に「こうやって引き延ばすとありがたくなるのだ、これが知恵だよ」といいました。これは話し相手にさせられた編集部員の誰もが知っていることです。
 
浅尾法灯の電話質問の回答は驚くものでした。浅尾法灯は電話をとるなり会員に「お前はいったいなんぼまごころをしているか」とたずね、少ないと「ばかたれ、たったそれだけで病気が治るか」と怒鳴り上げて電話をきりました。あるいは「法灯の間参加カードは何券か」とたずね、10万円のD券や30万円のC券だと「ばかたれ、A券もできんのか」と怒鳴りあげて電話をきりました。あるいは「光自在の掛け軸はあるか」とも聞きました。
 
山口県宇部市川上在住のM氏は会社の退職後のトラブルで浅尾法灯の「電話質問」を受けました。浅尾法灯はいきなり「退職金が多い少ないとグダグダいうな、くそばばあ」といって、さらに「お礼はなんぼするのか」と聞いたそうです。M氏が「3万円」と答えるやいなや電話をガチャンと切りました。
 
多くの会員がわずか数十秒の「ばかたれ、まごころをせい」のひとことで電話をきられました。これが3万円の「電話質問」でした。
 
平成11年(1999)元会員の福永法源が詐欺罪で取り調べをうけると、マスコミが一斉に報道をしはじめました。この時期、浅尾氏は30年以上続けてきた電話質問をやめています。その理由を「光友の皆さんが電話質問をあまり必要としなくなりました。皆さんが育ってくれて法灯もうれしい」と説明しました。

「親光泉」て何なの
 
浅尾法灯「人類救済の方便として親さまから授けられた、法灯にも分からないのです」といっている「親光泉」とは何でしょう。

詐欺的行為QAページにヒント
 
ヒント  野口晴哉(のぐちはるちか)氏は全国を指導講習して回っておられますが、香川県で指導の教室を開催したのちに山口県宇部市で指導の教室をひらいています。
 
人の心がよめたり、過去が分かるなどの「不思議さ」で超人、あるいは聖人と周囲からいわれている人が世の中には多くいます、そのような人の多くは、その「不思議さ」を売りものにして信者を集め生活をしています。しかし、「不思議さ」にはきちんとした理由があります。しかし、皆さんの生活がありますので理由は表記しません。その仕組みを知りたい方は、霊感、霊能力の書籍等を読まれるようおすすめします。