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浅尾法灯は「福祉の理想郷・般若の里」を建設すると「まごころ」と称する浄財を会員にださせました。これは老後の別荘と称して「何の不安もない老後が送れる施設」と説明しました。ところが真実は講演会で会員によびかけた言葉とはかけ離れたものでした。
会員は「お礼」や「祝儀」をだしました。ところが本部事務局ではお金を抜き取ると、中に何万円入っていようと1~2万円と記して事務処理に回し個人が懐に入れました。また電化製品は出版局の名目で購入され事務局長の懐に入れられました。もちろん電化製品を出版局が注文したことは一度もありませんでした。
浅尾法灯は講演会場を2ケ所にわけ、10万円だした者を第1会場に、ださない者は第2会場にいかせました。第2会場では「たった10万円もだせんのか、このくずが」と罵声を浴びせられる人間勉強とはほど遠い信じられない光景でした。
「全国を講演でまわり、夜は執筆と寝る間もない日々です」これが浅尾法灯の講演での決まり文句でした。ところが講演どころか、忙しいのはゲイパーめぐりと芝居見物の日々で、すべてがでたらめでした。
浅尾法灯は出版物をだすたびに「仏教哲学をなにひとつ勉強したこともない私が不思議に古代インド哲学が書けるのです。これには私自身が驚いた」と不思議を豪語しました。しかし、これは出版社のライターに書いてもらったもので、親声は「親様からの声」というが、これも編集部員がつくったものでした。
浅尾法灯は受験シーズンになると「受験生の身代のために法灯の知恵ぶくろが化膿して首筋に炎症がおこる」といって、首筋に貼ったガーゼ、絆創膏を見せるのが毎年の決まりごとでした。しかし、これは首の凝りをとるための吸い出し膏のあとで、ふぐ毒にあたった者を身代わりして苦しんだというのも真っ赤なうそでした。
100万円「まごころ」するともらえる「光自在」の掛け軸を、浅尾法灯は「1000万円の価値がある。嫁入り道具はこれ一本でよい、この掛け軸を掲げていると、大難が小難に、小難が無難に、問題が解決する」といっていました。しかし、原価は1万円、しかも印刷されたしろものでした。
「法灯先生のあまりに質素な生活を知り、感動しました」このような「会員の声」が掲載される「自然の泉誌・雑感」のページは浅尾法灯を偉大な人物に思わせるための「ねつ造」のページでした。浅尾法灯自身から話のネタをもらい、編集部員が素晴らしい感激のドラマに仕上げていました。
自然の泉・般若の里にある「いで湯の森温泉」は、浅尾法灯自ら「空海上人は日本各地で温泉を見つけられているが、同様に法灯も空海上人のように温泉を見つけたのです」と会員に豪語しました。「般若の里を開く前の原野の時、山を見て、ここは温泉がでると予言をした」といいましたが、真実は違いました。
年の瀬に行われる「青少年合宿勉強会」、そこで行われる餅つきを「法灯には子供がいません、会員の子供が法灯の子供であり子供を育てるのが法灯の生き甲斐です」といい、青少年の健全育成を目指した「福祉の餅つき」だといいました。しかし、裏では「感謝のこころを育てる」場とはほど遠いものでした。
時実新子(ときざねしんこ・平成19年3月逝去)先生は文筆家で、川柳の第一人者として知られていました。自然の泉誌にエッセイの連載をお願いしていましたが、「現代の与謝野晶子」と称されて有名になると、「川柳では食えんかったのです。それを法灯がここまで育てたのです」と講演会で豪語しました。
「家庭をもてば家庭に心が傾いてしまう、人類救済に全力を傾けているので、法灯は結婚はしない、光友が法灯の奥さんであり彼女だ」というのが講演会での決まり文句でした。さらには「今日の講演会での電気代だけでも30万円だぞ」とか「便所の汲み取り代だけでも膨大な金額だぞ」と、大金がかかるといいましたが。
浅尾法灯は旅館に宿泊の際たくさんの品物を土産として持参し、職員などにおくりつけました。そして暗に特別待遇を要求し宿泊側が対応できなくなると「あれをやった、これをやった」といいはじめ、挙げ句が「やったものを返せ」「わしを誰と思うか」と怒鳴りつけました。
「法の華・三法行」をつくり信者から莫大な金を集め「詐欺罪」で逮捕された福永法源。現在は刑務所で刑に服していますが、福永輝明は学生時代自然の泉の初代学生部長として活躍し、社会人になってからは横浜に「自然の泉横浜会館」を建設するなど、浅尾法灯の片腕として自然の泉の広告塔として知られた人物です。彼の人生はどこで狂ったのでしょうか。