浅尾法灯の金集め

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現代社会には物があふれ、人々の価値観は物によって左右されています。こころではなく物によって幸せをはかるときこころは荒廃して、人は幸せの中にいながら幸せをあじわえなくなります。信仰はこころのオアシス、荒廃したこころに一点の光明をもたらす救いとなります。しかし、見識に導かれた信仰は救いですが、盲目的信仰はアヘンとなります。

宗教はもとでいらずの「金儲け商売」

信者はねぎを背負ったカモ」金づる

信仰の門を叩く者の多くが、「何とかして救われたい。得をしたい」という現世利益を求め、病人は健康を、商売人は繁栄を、政治家は選挙の票を求めてなりふりかまわず教祖に救いを求める。この心の隙間に宗教を金儲けのビジネスにしている「宗教屋」はつけいる。救いが得られるか否かが差しだす「お金の額」で決まるといわれると「この教祖の言葉はおかしい。宗教とは本来金儲けが主体ではないはず」と疑いの目を開かなければならないのに、金を差しして救いを得ようと図る。なんともあわれな姿である。

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「まごころ」も「お礼」も同じだから「お礼」にしなさい

会員は「般若の里」建設のための「まごころ協力」以外に、「お礼」「祝儀」をだしてきました。これは生活のなかで喜ぶべきことがあると、それは浅尾法灯の陰の導きのおかげと聞かされ、それを「お礼」するのが会員の道だと教えられてきたからです。子供が入学した、結婚したと事あるたびに「お礼」「祝儀」を包みました。それは、会員が身近に起こったことを浅尾法灯に報告する泉行(体験談)の手紙の中に多く同封されました。このとき自然の泉本部事務局の藤中豊子は封筒の中からお金を抜き取ると、中に何万円入っていようと1~2万円と封筒に記して事務処理に回しました。記録は1~2万円となり差額はすべて自分の懐にいれました。これは日常的に行われてきたことで、これは事務員の誰もが目撃してきたことです。

十数年以上に渡り電化製品が出版局の名目で購入されてきました。この領収書の束を出版局員や一般会員が見ています。しかし、その電化製品を出版局が注文したことは一度もありません。

すでに100万円のまごころをだしている会員がまごころをもって事務局にくると、「あなたはもう掛け軸をもらっているのだから、お礼にしなさい、お礼の方が法灯先生が喜ばれますよ」といって、領収書を渡さなくてよい「お礼」にかえさせました。

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自然の泉は宗教法人にかかわらず、いまだに一度も会計報告が行われたことがなく、金のすべてが浅尾法灯や藤中らの自由に使われる状況にあり、実際、本部事務局や出版局に勤務していた元従業員の証言により、多大なお金がデタラメに使われてきたことが確認されています。これは会員の多くがすでに気付いていることです。

会員は泉行(体験談)の手紙を浅尾法灯あてに送っていました。その時多くの手紙の中には「お礼」「祝儀」が同封されていました。これは生活のなかで喜ぶべきことがあると、それは浅尾法灯の陰の導きのおかげと聞かされ、それを「お礼」するのが会員の道だと教えられてきたからです。子供が入学した、結婚したと事あるごとの「お礼」「祝儀」を包みました。このとき自然の泉本部事務局の藤中は封筒の中からお金を抜き取ると、中に何万円入っていようと1~2万円と封筒に記して事務処理に回しました。記録は1~2万円となり差額はすべて自分の懐にいれました。これは日常的に行われてきたことで、これは事務員の誰もが目撃してきたことです。お金を抜かれた会員の手紙は出版局にまわされました。この手紙をすべて読んでいたのは平成9年に自然の泉出版局をやめた出版局長の奥田氏でした、浅尾法灯の講演会場に設置してある泉行箱に入れられる手紙も奥田氏だけが読んでいました。奥田氏はこの手紙を読んで会員の悩みや喜びを知り「法灯講話」や新聞紙面の原稿執筆に役立てました。浅尾法灯が会員からの手紙を読むことはありませんでした。ただ、自然の泉の広告塔的会員の場合は親書(浅尾法灯に問題解決のパワーをお願いすること)と同様に手紙は藤中から直接浅尾法灯に手渡されました。広告塔的会員とは自然の泉のチラシやマスコミ取材の時に登場する会員のことで、会社経営者、学者など肩書きがあり地位がある人物、あるいは「大病が治った」という泉行をする会員でした。

帳簿の収支がデタラメであわず昭和63年頃、宇部の税務署が入るとの連絡に、それまで書き替えていた帳簿、交通費関係の書類、会員の会費納入の記録、領収書など税務署に見られてはまずいもの一切を焼却炉で焼きました。この焼却には事務員総出で3日間かかりました。この時、幹部である、藤中豊子、西山シズエ、田村かつ子の3人は月刊誌、週刊誌など本の売り上げ金をおさめた図書口座の利子、2800万円を銀行の知恵をかりて3兄弟で山分けをし自分の懐にいれました。この事実は山口地裁に提出されたもと会計事務員の陳述書で、明確に事実であることが証明されています。古い事務員はみんな知っていることです。 

領収書の山

出版局員が本部事務局の藤中豊子と雑談をしていたとき藤中が開けた足元の戸棚から、領収書の山が崩れて落ちて広がりました。その領収書はすべて出版局が購入した家電製品の領収書でした。出版局員は驚きました、出版局にこたつや冷蔵庫は必要ありませんし、そのような家電製品を頼んだこともありません。この領収書の山をやはり偶然にみた会員がいました、しかし、これは公然と行われてきたことで、事務員の誰もが知っていたことでした。

藤中は特定の会員の名前と電話番号を記した「リスト帳」をつくっていました。この手帳には本部事務局に会員が来る際に何を持参してくるかが分かるようになっていました。たとえば、宇部市二俣瀬の会員に「どうしているのかね、法灯先生が元気にやっているだろうかと心配されていたよ。たまには顔を見せに来んかね」と電話で声をかければ、その会員は「ありがたい、先生は私のことを気にかけておられる」と喜び、米を土産に本部事務局をおとずれるのです。漬け物のときは柳井の会員でした。この手帳のことは事務局に勤務する事務員は知っていました、しかし、それを他人に話すことはありませんでした。

朝からなにも食べてない

平成8年のことです。朝はやく事務局の藤中豊子を訪ねて80歳位の女性がこられました。女性は必死で「昨日も今朝も漬け物しか食べていない、お金を返して欲しい、あれがないと親子生きていけない」と訴えました。老女は病気の娘さんとの2人暮らしで、老いた身で娘さんの看護をしてこられ精神的に疲れていた時、会員から「100万円出せば病気が治る」としつこく勧められ、ついには、わらをも掴む思いでなけなしの200万円(2人分)をだしたのでした。しかも浅尾法灯の著書を80万円も買わされました。このことを娘に話したところ「あのお金がなくてどうして明日から生きていくのか」といわれて、老人は朝になるとともに事務局に駆け込んできたのでした。しかし藤中は「絶対に返されん、一人に返したら皆に返さなければならなくなる。まごころをしたということは無理ではなかったのだ」といって、老人を追い返しました。その老人はあくる日も事務局にきました。そして、「親子が死ななければいけない」と泣いて藤中氏にすがりました。しかし、藤中は老人を追い返しました。この様子は事務局員の皆が見ていました。そして、事務局員の何人かが「浅尾法灯はワイセツ行為をするし、ここは人間勉強をするところではない」と退職しました。

この老人は宇部市内のタクシーの運転手に「浅尾法灯の自宅がある亀浦の海に飛び込んで死にたい」と相談しました。(裁判所には実名で、陳述書として提出してあります)

浅尾法灯が壇上で呼びかけた「まごころ」協力と現実の「般若の里」はあまりに大きな隔たりがありました。浅尾法灯の青年部員へのホモ行為強要による編集部員の退職、青年部員の脱会を機に、自然の泉を脱会した会員から「まごころ協力を呼びかけて約束したことはでたらめで、これは詐欺ではないのか」と浅尾法灯への非難がたちあがり、平成10年裁判の告訴へとつながりました。
この裁判で浅尾法灯は証言台にたち、「まごころ」協力を呼びかけたことへの証言を原告弁護士から求められました。

山口地裁での浅尾法灯証言

原告弁護士の「原告の皆さんはまごころ以外にお礼も出してきた。かなりのお礼や祝儀も包んだといっておられますが本当ですか」の問いにこたえて
浅尾法灯まごころを呼び掛けてお礼はなくなりました。建物が建ったときは「祝儀」を受け付けませんといっています。「お礼」は受け付けませんと書いています。建物が建ったとき「お礼」や「祝儀」を受け取ることはありません。
原告弁護士の「まったくお礼はない、というのですか」の問いにこたえて
浅尾法灯中には持ってくる会員もいますが、まあ、皆さんが持ってくる「お礼」は千円か二千円でしょう。