どこの宗教も信者にとって教団の教祖は偉大な存在です。信者にとって教祖の言葉は自分が生きる指針であり、その言葉あればこそ自分の生き方があります。幼い頃から親に連れられて教祖のもとに足を運び、教祖の言葉に触れていた子供にとって教祖は神仏にもひとしい存在となり教祖の言葉に逆らえないマインドコントロールされた状態となります。ここから、自分に逆らえない信者の心理を利用して信者に性犯罪を強要する教祖があらわれてくるのです
自然の泉の総長である浅尾法灯もこの事例にもれず、浅尾法灯を人生の師と信じてきた青少年に教祖という強い立場を利用してホモ行為を強要してきました。これは純粋に浅尾法灯を信じてきた者への裏切り行為です。

会員のために夜も寝る間もない


浅尾法灯は講演会の最中、会員にむけて「私の講演を居眠りしながら聞いているやつがいる。私は全国感泉、執筆、さらには会員に親光泉をおくり夜も寝る間もないのだ。法灯の苦しみがわかるか」と怒鳴りあげていました。浅尾法灯のこの言葉に会員の誰もが感激し「法灯先生は私たち光友のために日夜苦労しておられる」と信じ、親鸞聖人の生まれ変わりのように思ったのでした


青少年を育てるのが法灯の生き甲斐です


浅尾法灯はまた「法灯には子供がいません。結婚をしていないのだからいたらおかしい」と会場を笑わせてから「皆さん方の子供さんが法灯の子供であり、法灯の弟、妹です。法灯に皆さんの子供さんを預けてくだい、立派に育ててみせます。現に実業家や芸術家、医師に育っているでしょう」と呼びかけました。親はわが子を「合宿勉強会」に参加させました。

特別に育ててやる
 
浅尾法灯は講演会以外の日は月の大半は芝居見物にいっていました。以前はゲイバーめぐりに遊びまわることが浅尾氏のストレス解消でした。青年部員や出版局員が浅尾法灯に同行し、浅尾法灯は青年部員や出版局員には「これが法灯の活力源だ、それに協力することが人類救済に協力することになるのだ」といいました。出版局員はこの浅尾法灯のゲイバーめぐりや芝居見物に同行することが仕事として強要されました。
 
大阪の場合は梅田の新阪急ホテルが宿泊の基地になり、夕方になると新歌舞伎裏にでかけていき、朝帰る生活をおくりました。東京では東和技研を経営し横浜光友会館を作った福永氏(法の華を設立し現在詐欺罪で実刑に服している)が浅尾法灯をつれて東京新宿のゲイバーにでかけ、自然の泉出版局編集長の奥田氏や青年部員もこれに同行しました。奥田氏は宿泊先の旅館で原稿を書き、防府市の斉藤印刷に郵送したりしました。出版局員は宿泊先で浅尾法灯の指圧マッサージをさせられました。浅尾法灯が山口県宇部市に帰宅したときには、出版局員や青年部員が夜浅尾法灯の自宅に宿泊することが強要されました。この時浅尾法灯に指圧マサージをしなければなりませんでした。浅尾法灯とは自宅2階の同室で寝なければならず、その時に浅尾法灯の性癖のターゲットにされました。(平成5年6月に出版局員3名が浅尾法灯のワイセツ行為に、自然の泉を退職する事件がおこり、それ以来、浅尾法灯の自宅敷地内には赤外線の防犯システムがはりめぐらされ出版局員の宿泊は少なくなりました)
 ワイセツ行為QA参照
 
 
浅尾法灯の自宅には「先生が特別に育ててやる」との言葉に、宇部市外からも夜宿泊にくる会員もいました。宿泊先のホテルで、浅尾法灯の自宅でマッサージからさらにエスカレートした行為がおこなわれました。
 
ある青年部員は指圧の治療院を親子で開き、親子が熱心な会員でした。彼は浅尾法灯の自宅に指圧の治療によばれていましたが、ワイセツ行為をせまられ、これを断固拒絶し、以来浅尾法灯の自宅にはいきませんでした。この時、浅尾法灯は彼に「このことは母親にはいうな」と口止めをしました。彼は浅尾法灯を釈迦の生まれかわりのように信じる母親には真実は告げられず自分の胸に秘していましたが、出版局員が全員退職し脱会するとともに真実を母親に話しました。驚いた母親はすぐに自然の泉を脱会しました。
 
青少年合宿勉強会を手伝っていた青年部員はすべてを知っていました。しかし、誰も浅尾法灯を「キリストの生まれかわり、現代の親鸞聖人」と信じている親や兄弟には真実はいえませんでした。たとえ話したとしても親でさえ信じてもらえるか分かりません。さらには浅尾法灯や本部事務局の幹部たちから「気狂いのいうことを信じてはいけません」とつぶされることは分かっていました。誰もが自分だけの胸におさめて耐えるしかありませんでした。彼らは自分の子供を「合宿勉強会」に参加させる気にはなりませんでした。そのため多くの父兄から「合宿のお手伝いをする者が自分の子供を参加させないとは何ごとですか」と批判を受けていました。彼らと出版局員は顔をあわせる度に「このままではいけない何とかしなければ」と話しあったのでした。しかし解決策はみつかりませんでした。
 
平成5年(1993)6月に元出版局長の奥田氏は部下の編集部員から「もう耐えられないから、やめます」との相談をうけました。この時3名の編集部員が出版局をやめました。(個人のプライバシーがありますので詳しくは裁判所に提出された奥田氏の陳述書を参照してください)その後に出版局員が補充されましたが、平成9年(1997)2月には出版局員が全員退職したとともに「青少年合宿勉強会」を手伝ってきた青年部員の多くも脱会しました。   平成9年裁判  平成9年裁判QA

自然の泉出版局員が退職し多くの会員が脱会すると、浅尾法灯は、自分がしてきた青年部員や編集部員へのホモ行為強要を隠ぺいするために会員へ向けて「ありもしない作り話をされて、迫害にあっています」と、自分が被害者のごとく流布しはじめました。この宗教家として許せない行為に「自然の泉被害者の会」は、国道でのプラカードや、街宣車によるスピーカで、浅尾法灯に反省を求める示威運動を展開しました。浅尾法灯はこの抗議行動に、会員へは被害者のごとく流布し、平成10年9月にもと自然の泉会員が浅尾法灯を告訴した裁判でホモ行為強要の抗議に対しての、下記の「準備書磨」を提出しました。

 


「わいせつ行為は犯罪である」との抗議行動に対する尾法灯の反論


平成10年(1998)9月にもと自然の泉会員は浅尾法灯を告訴しました。告訴の主旨は「まごころ」としてお金を会員にださせた行為は詐欺ではないのかというものでしたが、この裁判で浅尾法灯の人物を述べるうえで、浅尾法灯による青年部員や編集部員へのホモ行為強要が原告側より提出されました。これに抗して、平成12年2月29日、浅尾法灯が裁判所に提出した原告による「ワイセツ行為の抗議運動」への反論 として「ホモはアメリカでは市民権を得ている。加えてすでに十数年まえのことで…時効である」と述べました。
 
浅尾法灯反論
平成10年3月18日平成13年8月28日・ホモ行為および償い料支払いに関する浅尾法灯証

浅尾法灯自宅で開かれていた人間勉強


浅尾法灯から特別に選ばれた会員が浅尾法灯の自宅に呼ばれ、特別な人間勉強が行われていたといいます。多くの会員がこの事実を知っていますが、なぜか世間には秘されています。