自然の泉への抗議行動

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現代社会には物があふれ、人々の価値観は物によって左右されています。こころではなく物によって幸せをはかるときこころは荒廃して、人は幸せの中にいながら幸せをあじわえなくなります。信仰はこころのオアシス、荒廃したこころに一点の光明をもたらす救いとなります。しかし、見識に導かれた信仰は救いですが、盲目的信仰はアヘンとなります。

抗議行動にたちあがった理由

浅尾法灯は「会員のための福祉の理想郷・般若の里」建設をかかげ、会員のための老人ホームと病院を建てるために「まごころ」協力を叫びはじめました。自然の泉の新聞やパンフッレトには「いずみ病院」記して、「親が子を、子が親を捨てる時代ですぞ、歳をとったとき子供をあてにできません。だからこそ光友が安心して老後がおくれる施設を作るのです。まごころした者はこの施設に無条件に利用できる、生命保険よりも確かな安心です」とまでいいました。

「まごころ」協力の金額により、「法灯の間参加カード」にA・B・C・Dのランクがつけられ、3万円支払ってうける電話による個人質問では、いきなり「おまえはいったいいくらまごころをしているか、法灯の間カードは何券か」と聞き、100万円以上だした者がもらえるA券でないと「ばかたれが、100万円もだせんのか」と怒鳴られ、ガチャンと電話をきられました。
浅尾法灯の講演会は「10万円をだせ」からはじまり、100万円だしていない会員へは「たったの10万円もだせんのか、東京の乞食でも10万円は持っているぞ、ようもたったそれだけのまごころで恥ずかしくもなくここに来たのう」と大声で怒鳴り上げたのでした。
「まごころ」をださせるための言葉は、人間勉強とはあまりにかけ離れたもので、病院や老人ホームは確かに完成しましたが、浅尾法灯が壇上で説明していた「会員のための老後の別荘」とはあまりにも掛けはなれたものでした。
しかも、裁判の証言台では、弁護士の「あなたは10万円をだせと、いいましたか」と聞かれると、「そんなことをいったら人がきませんよ」とすべてがでたらめな証言をするありさまでした。
さらには「青少年を育てるのが法灯の生き甲斐です」と、マスコミにはあたかも健全育成をかかげた聖人のごとくアピールし、裏では浅尾法灯を人生の師と信じ仰ぐ青年部員や編集部員をホモのターゲットにしてきました。さらに、このわいせつ行為に耐えられず編集部員が退職して真実があきらかになると、「ホモの話はでたらめ、編集部員が金を脅しとろうと仕組んだこと」と、まるで自分が被害者のごとく会員をつかって流布しはじまたのです。
やがてはキリストは弟子に、親鸞聖人は我が子に、日蓮上人は時の権力者に裏切られ迫害をうけられました。いhc.jpgままさに法灯がそうなのです」と、脱会した元会員がでたらめをいって浅尾法灯にありもしない濡れ衣をきせたのだといいはじめるありさまです。裁判の証言台で認めているにもかかわらず、です。
このあきれ果てた浅尾法灯を私たちは許すことはできません。

浅尾法灯に反省を求め、現会員の目を開き、世間の皆さんには盲目的にすがりつく宗教には落とし穴がある真実を知って教訓にしていただきたいと思い立ち、平成11年3月より浅尾法灯に対し抗議行動を開始しました。浅尾法灯が講演会に出向くさいにとおる道路である、山口県宇部市二俣瀬区の国道2号線に立ち、横断幕、プラカードを手に持ち、浅尾法灯をはじめ自然の泉会員や通行中の市民に「青少年をわいせつ行為から守ろう」と抗議運動を呼びかけました。

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もと自然の泉・出版局長 奥田氏の場合

平成9年2月14日、出版局員全員(5名)が浅尾法灯にあきれ果てて退職しました。
このとき、浅尾法灯は自分の非を詫び出版局員に償い金を払うことを申しでました。
償い金の金額は平成5年6月に退職した出版局員に支払れた償い料をもとに、計算し浅尾法灯は同意し、念書を作成して著名捺印しました。
ところが、浅尾法灯は「償い料」を支払うのが惜しくなり、しかも自分がやってきた編集部員や青年部員へのホモ行為の強要をなんとが隠そうと、もと出版局長の奥田氏が浅尾法灯からお金を脅し取ろうとして、でっちあげたでたらめにしようと考えたのです。
やがて、自然の泉の会員が各地で「出版局の奥田がありもしないことをでっちあげて編集部員を先導して浅尾法灯先生を恐喝した」とか「奥田が新しい宗教を始めるために、ありもしないでたらめで法灯先生を恐喝した」とか「奥田が自分の女を浅尾法灯にさしむけて恐喝した」とか、あらゆるでたらめの話が会員にばらまかれました。
このような浅尾法灯のやり方に奥田氏やもと編集部員が激怒し、浅尾法灯を告訴しました。
ところが、裁判では浅尾法灯は証言台にたち、原告として浅尾法灯の真横にいる奥田氏の前で、奥田氏が浅尾法灯を恐喝した時の様子を手振り身振りで、芝居を熱演したのでした。
浅尾法灯はなにが何でも編集部員や青年部員にしてきたホモ行為の強要を編集部員のつくったでっちあげにしようと策略し、とくに浅尾法灯に忠実で何ら反発もせずに従ってきた奥田氏ならなすり付けても歯向かってこない、大丈夫と、奥田氏がでっちあげたことにしたのでした。
忠実に浅尾法灯につくしてきた者に、自分がやってきたホモ行為の強要を隠す為に罪をなすり付ける浅尾法灯のやり方に激怒したのがもと出版局長の奥田氏であり、「絶対に許せない、かならず真実を白日の下に明らかにしてやる」と抗議行動をはじめたのでした。

もと浅尾法灯付き人 若林伝氏の場合

平成5年に浅尾法灯のわいせつ行為が原因で出版局員3名が退職すると、浅尾法灯に同行する人間がいなくなってしまいました。浅尾法灯は講演会で、「出版物の執筆に全国の公演にと飛び回り法灯は夜も眠る間がないのだ」と、全国を人類救済のために寝食を忘れて飛び回っているのだといいました。しかし、実際は東京と山口の月2回の講演会以外は芝居見物に明け暮れ、そのため浅尾法灯に同行して、宿泊の手続きをしたりホテルでの世話をする付き人が必要で、ホモ行為の強要で編集部員3名がやめてしまい、付き人を捜すことになりました。
そこで目をつけたのが若林伝氏でした、若林氏は自然の泉一筋の熱心な会員で、浅尾法灯の要請を断ることはできません。丁度、長年努めた宇部セメントで定年を迎え、あと5年はそれまでの条件のままで続けて勤続できる状況でした。
若林氏は「自分は金属加工の現場一筋の人間でねっからの職人です。背広を着るような仕事はできません」と何度も断ったものの、浅尾法灯から「人類救済の手伝いをして欲しい、難しい仕事ではない、法灯が出張したとき同行してくれればいいのだ」と強く願われました。この時浅尾法灯は転職の条件として「現在宇部セメントでもらっている給料より2、3万円多くだす。ボーナスは同額だす」と示され、浅尾法灯の熱意に若林氏は自然の泉への転職を決意したのです。
ところが、支給された給料は約束の金額より3、4万円も少なく、ボーナスは半分以下でした。驚いた若林氏は「約束と違う」と浅尾法灯や事務局長の藤中に問いただすと「定年を迎えた者が、給料を多く貰おうというその根性が腐っちょる」という驚くべき言葉でした。さらに、浅尾法灯の「親声をつくれ」「講演のネタを捜してこい」「とろとろするな田舎もんが」とば倒され、宿では浅尾法灯を指圧するさいには局部付近までさせられ、ついに退職を決意したのでした。
若林氏が退職したいと浅尾法灯に告げると、浅尾法灯は講演会の最中、裏方で大声で怒鳴り上げたのでした。そして、若林氏に「わしが買うてやった背広を返せ」と怒鳴ったのです。
退職した若林氏は間もなく自然の泉出版局員全員が退職したことを知り、自分が平成5年のワイセツ行為で退職した編集部員の代わりに引きぬかれたこと、局部付近の指圧は浅尾法灯の性癖の一つだったことなど、すべてが詐欺的行為だとわかったのでした。
若林氏は浅尾法灯に対して、約束をやぶった損害を返済するよう内容証明郵便を2回も送付しましたが浅尾法灯はこれを無視しました。気の毒に思った奥田氏は若林氏を広島の弁護士のもとに連れていき、何とか救ってあげられないかと相談しましたが弁護士は「浅尾法灯との約束が口約束であり、この約束を浅尾法灯が認めるとは思えない。告訴してもおそらく浅尾、藤中、西山の両氏は『約束した覚えはない、証拠をだせ』と、いうと考えられる」と答え、泣き寝入りするしかない状況をつたえたのでした。(若林氏の陳述書は裁判所に提出されています)    s6.gif 詳しくは

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平成11年
3月21日  「自然の泉被害者の会」のメンバーが、毎月第3日曜日に開かれる浅尾法灯の講演会当日山口県宇部市二俣瀬区国道2号線の瓜生野交差点にプラカ-ドを手にし、浅尾法灯に対し示威運動を開始しました。

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浅尾法灯の講演会が開かれる毎月の第3日曜日に、浅尾法灯の車両が通過する時間帯にあわせて抗議の旗やプラカードをもって国道2号線にたった。

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国道2号線の瓜生野交差点・示威運動現場前を通過する浅尾法灯の乗ったキャンペーンカー(当時)

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毎月第1日曜日に行われる本部事務局での浅尾法灯のテープでの講演会に街宣車で抗議。街宣車が通過する度に自然の泉職員たちがカメラやビデオを手に街宣車に近寄り、ときには道路にでて街宣者の前に立ちはだかって撮影する妨害がおこなわれた。 写真は平成13年7月1日

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平成11年
7月18日  元事務局員の若林伝氏は、浅尾法灯に対して、自然の泉に就職の際に浅尾法灯とりかわされた雇用契約が守られなかったばかりか人生を踏みにじられた抗議を、街宣車にてはじめる。

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ホームページのアドレスを広報して走る街宣車

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青少年を性被害から守る為には、親自身の目を開くことを街宣して走る

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新幹線小郡駅(現・新山口)前を通過中

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平成11年
10月12日  青少年の健全育成を掲げた大看板を、自然の泉総合本庁前の山林に設置。

11月  自然の泉出版局長の末武祥治が看板設置場所の山の持ち主に看板の撤去を要請。無理だとわかると看板が建っている場所を数百万円で購入したいと申し込み、山の持ち主から「そのようなことをすれば地元の人から笑われる」と断られる。

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浅尾法灯の講演会場である「総合本庁正面の山林にたつ抗議の大看板。看板の大きさは高さ3メートル幅5メートルもある。

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会場正面に設置された大看板を見ながら、会員は講演会場に入る。やがて浅尾法灯は周囲の駐車場をシートで囲ってしまう。

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講演会場正面の山にスピーカーを設置して浅尾法灯への抗議の声が大音響で流される。スピーカー正面の木々の向こうの建物は講演会場である。

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平成5年
  6月17日 浅尾法灯のわいせつ行為に耐えられなくなった自然の泉出版局編集部員A氏、S氏、F氏の3名が出版局を退職する事件がおこる。この時彼らに償い料が支払われる。これを機会に浅尾法灯の性癖は世間の人々に知られるようになり、多くの会員が密かに人に語り伝える状態になる。

  11月 37年間勤務した宇部セメントを退職して若林氏が浅尾法灯のわいせつ行為で退職した編集部員の代わりに事務局に就職する。

平成6年
  6月20日  就職の際にかわした雇用契約が守られないうえ、親声をつくれ、講演の原稿をつくれといわれ、勤務に耐えられず若林氏が自然の泉事務局を退職。

平成8年
  12月17日 出版局編集長の奥田氏は青年部員から「飲み屋でも、先生のワイセツ行為の数々が話されている。会員も山口県下かなりの人が知っている。編集部の者はそれを知って何もしないのだから同類だといわれている」と聞かされ愕然とする。

平成9年
  2月14日 編集部員全員は退職を浅尾法灯に告げる。この時浅尾法灯は自分の非を詫び編集部員に償い金を払うことを申しでる。
償い金の金額は平成5年6月に退職した編集部員に支払れた償い料をもとに計算され、浅尾法灯は同意し、証書を作成し著名捺印する。

  3月 さまざまな流言「元編集部員の奥田が色きちがいになって、ありもしない話をでっちあげて先生を脅してきた」という話などか流布される。

自然の泉の温泉施設である「いで湯の森温泉」で会員の集まりが行われ、この場で「出版局員が自然の泉のものを全部とって逃げた」とある会員が発言し、別の隊員が「出版局には何もありませんでした」と証言する芝居がおこなわれる。

元編集部員の奥田氏は元自然の泉の会員から「まごころを返してもらいたいが、どうしたらいいだろうか」との相談を受ける。

奥田氏はKRY山口放送山口支局のO氏に相談し、弁護士をたてることを勧められる。

  3月21 元編集部員全員に浅尾氏の弁護士から「恐喝罪で告訴するぞ」と内容証明郵便が送りつけられる。弁護士に対して「恐喝した覚えはない」と回答書を送付。

  3月16 浅尾法灯は3月の講演会ができなくなり、急きょ中止する。この時「中止を知らないで会員が会場にくるかも知れない」と、講演会当日に会員が講演会場に派遣される。そこへ事務局の藤中、西山両氏がタクシーででむき「奥田が色きちがいになって、ありもしない話をでっちあげて先生を脅してきた」という。

  3月 下関の会員の河野は「元編集部員の奥田やOが新しい宗教をはじめようと仕組んだことで、奥田が色きちがいになってありもしない話をでっちあげた」などと下関の会員に流布する。

山口県宇部市佐山のYと宇部市厚南の中野の会員2名は、山口県下の会員の自宅を一軒ずつまわってはこの話を流布してまわる。

  4月 元事務局員の若林氏が元編集部員の奥田氏をたずねて、自然の泉を退職した理由を聞く。若林氏は下関市の弁護士に相談にいく。

元事務局員の若林氏は、就職する時に約束した給料の額が守られなかったために損失したお金を返還するよう、浅尾法灯に内容証明郵便を送付するがすべて無視される。

元編集部員の奥田氏、O氏、M氏と青年部員の4名で山口市の塚田法律事務所に「まごころ返還請求」の相談にいく。弁護士より県外の弁護士に相談するように指導される。

  5月9日 再び元編集部員の奥田氏とM氏、O氏全に浅尾法灯の弁護士から「恐喝罪で告訴するぞ」と前回と同じ内容証明郵便が送りつけられる。

  5月 元編集部員の奥田氏とM氏が広島の弁護士協会に相談にいき、広島の弁護士協会から紹介され、元編集部員の奥田氏とM氏が広島市中区鉄砲町の法律事務所をたずねる。

  5月18日の講演会において浅尾法灯は「声明文」と称して「出版局員の給料をさげたら、腹をたててやめた」などと、つくり話を自然の泉事務局長の神田氏に読ませる。

  9月 元編集部員の奥田氏とM氏は浅尾法灯を山口地方裁判所宇部支部に告訴する。

平成10年
  3月18日 浅尾法灯氏が山口地裁宇部支部の法廷の証言台にたつ。

平成11年
  3月21日  「自然の泉被害者の会」のメンバーが、山口県宇部市二俣瀬区国道2号線の瓜生野交差点にプラカ-ドを手に浅尾法灯に対し示威運動を開始。以来毎月第3日曜日の浅尾氏の講演会当日これを続ける。

  6月 平成9年裁判の判決がおりる

  7月18日  元事務局員の若林伝氏は、浅尾法灯に対して、自然の泉に就職の際に浅尾法灯とりかわされた雇用契約が守られなかったばかりか人生を踏みにじられた抗議を、街宣車にてはじめる。

7月 判決文の表紙と最後の文だけをコピーして添付した「ご報告」文(平成11年7月26日付)が「明るいニュース」と記した封筒に入れられ、会員に流布される。この中で「出版局の職員が……法灯先生のありもしないスキャンダル話を広めるなどと威迫して(以下省略)恐喝ともいえる不祥事が発生しました」と記す。

8月12日  元自然の泉会員100名以上が「まごころ返還請求」で浅尾氏を告訴。

  10月12日  青少年の健全育成を掲げた大看板を、自然の泉総合本庁前の山林に設置。

平成12年
浅尾法灯の講演会場である総合本庁(講演会場)前で街宣車による抗議行動をはじめる。

平成13年
  1月7日  元事務局員の若林氏が街宣車を運転中、宇部警察署より「自然の泉出版局長の末武祥治(宇部市末広町)から街宣車ではねられて怪我をしたとの届けでがあった」といわれ、警察署で取り調べを受ける。若林氏には全く身に覚えがないことで、すぐに現場検証をしてもらう。ただちに末武氏を器物損壊罪とぶ告罪で告訴する手続きする。

  4月 「自然の泉」誌4月号「雑感」のページに会員の原稿が掲載される。文中「法灯先生はいわれのない中傷を受け、迫害にあわれています」といった言葉が連載される。これは、以後毎月のように続けられる。

  8月28日 浅尾法灯氏が山口地裁の法廷の証言台にたつ。

  10月9日 被告側証人である斉藤泰嘉氏が証言台にたつ。

平成14年
  6月 自然の泉の会員に「お知らせ・明るいニュース」と記した封筒にいれた「法灯先生 全面完全勝訴」と記した文が郵送される。この中で「法灯先生のありもしないスキャンダル話を広めるなどと威圧して(以下省略)」と記するなど、浅尾法灯のわいせつ行為はでたらめであると会員に報告しての隠ぺい工作がおこなわれる。

  9月15日 街宣車による抗議行動のテープの言葉を会員に聞かせまいと総合本庁正面の階段を閉鎖する。さらに、街宣車のスピーカーの音を会員に聞かせまいと、会場周囲に音楽を流すスピーカーをとりつけた柱が何十本も林立する.

  10月末 自然の泉に抗議をおこなっている街宣車等の、音響設備を設置した通信設備の会社に自然の泉事務局本部長の西村昭男(山口県防府市牟礼・元テーラー西村)が現れ「あいつらに協力すると仕事をやらんぞ、仕事ができんようにするぞ」と会社社長をおどす。

総合本庁の建物のまわりを二重サッシで囲い、正面を全面シートでおおい二重サッシにする。

平成16年
  1月18日 浅尾法灯は講演会で、「親鸞も日蓮も迫害にあわれました、世の聖職者は皆迫害にあっているのです」と、浅尾法灯による青少年へのホモ行為の強要を非難する抗議を「迫害」と会員に説明をはじめる。

  8月15日 浅尾法灯は「あいつらのいってることはまったくのでたらめ、濡れ衣です、キリストもこのような迫害にあわれました、このような法難にあうのは我衆身代り(浅尾法灯が会員の病気や災難、問題を身代わりに受けること)の爆発によるものです」と、「迫害」の説明を会員にいう。

  9月19日 「裁判の様子を話してやろう、法灯(自分のこと自)ははじめから裁判長の方に背を向けて傍聴席のあいつらを堂々と見てやったら、弁護士が『先生裁判長の方を見ないと1点減点ですよ』といったから、ようやく裁判長を見てやった。裁判に勝とうが法灯にはまったく感心がないから裁判長なんか無視して、これには裁判長もびっくりしておった」

  10月17日 「あいつらがいっていることは、あいつらが裁判所に書いてだした陳述書に比べればましなものです。裁判所にだした陳述書には読むに耐えない、えげつない、すごい事が書いてあったのですよ」

平成17年
  3月20日 「光友(信者)はなぜ法灯が警察に告訴しないのか不思議に思うかも知れないが、告訴すると親光泉(病気を治すというパワー)がでなくなるからです」

は以前警察から「あなたが正しいなら、なぜ告訴しないのか」と聞かれて「宗教家は告訴しないのです」と答えています。
さらに、「日蓮上人は数々の迫害に遭われたが、まさに法灯(自分のこと)が同じ迫害に遭っているのです。世の聖職者はこのような迫害にあっているのです」

  7月17日 講演会では「裁判で法灯を丸裸にして徹底的にしらべたのです。何もなかったのです。無実が証明されたのです」というテープを延々とかけ続ける。

  9月18日 宇部市亀浦にある浅尾法灯自宅の塀の道路と講演会場入り口道路に看板が設置。

「法灯が生きているだけでも有り難いと思わにゃーいけん。キリストは十字架にかけられた。親鸞上人は島流しにされた。それを思えば 法灯が受けている試練は小さいもの。キリストが遭われた苦しさに比べれば、小さいもの、法灯の命があるだけでも有り難いと喜ばなゃーいけん」と会員に説明。

平成18年
  6月 「天理教の中山ミキは時の警察に捕らえられて留置場にいれられたが、自分が受けている非難は中山ミキが受けた法難と同じである」と会員に説明をする。

  8月 「試練によって人間が磨かれる、法灯は非難、中傷を受けて磨かれる、法灯を磨いてくれるあいつら(抗議をしている被害者)に感謝している。講演会に来る時抗議するあいつらがいる山に手をあわす」

  10月 自然の泉機関紙・10月15日号(新聞)に「釈迦、キリスト、親鸞、日蓮などの先覚者、また天理教開祖中山ミキなどが法難、試練にあっているが、世の聖職者はみないわれなき誹謗中傷と迫害の中で道を説かれた…」と聖職者はみな迫害に遭うもの、だから法灯(自分のこと)も同じような迫害に遭ってると書き、ホモ行為を非難される抗議を聖職者が遭う迫害であると説明。
またまごころ返還の裁判の話を持ちだして、ホモの話はでたらめでっちあげといい「誹謗中傷をされても警察に訴えない理由」を説明しています。