浅尾法灯を告訴・抗議行動まで年譜で説明

わいせつ行為を暴く・自然の泉被害者の会制作

平成22年8月、大看板設置場所の山林の持ち主に浅尾法灯が「高額で買い取るが」と話をもちかけ、山林の所有者に講演会場前の看板の排除を要求させる。これを機に「看板は浅尾法灯の心胆を懲らしめる為に設置したもので、その目的は達成された」との判断に、「お世話になりました」と持ち主からの要請を快諾し看板を撤去したのでした。すると、これを待っていたかのように浅尾法灯の必死の隠ぺい工作が…

そのとき・その人物・その事件を流れで見る

平成9年2月に、青年部員をホモ行為のターゲットにしてきた自然の泉総長・浅尾法灯に失望した自然の泉の編集部員が全員退職し、浅尾法灯とのすべての確執・攻防がはじまりました。今日までの事実を正確に記しましたが、この年表により事件の流れがわかると思います。ここに記してある時間はその時をあらわし、記してある人物の言葉はそのときの人物の言葉をあらわしています。個人のプライバシーに考慮して略号で記した人物もすべて実在し、そのときの事件も真実です。(写真・平成11年10月12日・浅尾法灯への抗議を記した大看板を講演会場前の山林に設置。高さ3m幅5m)

平成5(1993)
 4月

大学を卒業した山口市のF氏が出版局に就職(6月に浅尾法灯のわいせつ行為が原因で退職する)
 6月17日

・浅尾法灯のわいせつ行為に耐えられなくなった自然の泉出版局編集部員A氏、S氏、F氏の3名が出版局を退職する事件がおこる。この時彼らに償い料が支払われる。これを機会に浅尾法灯の性癖は世間の人々に知られるようになり、多くの会員が密かに人に語り伝える状態になる。
 7月

出版局員補充のため大阪の青年部員F氏が自然の泉出版局編集部に就職。
 8月

浅尾法灯のわいせつ行為で退職した3名のうちのA氏が、青年部員が宇部市内で経営する工場に青年部員数10人が集まり「青少年合宿勉強会」の打ち上げの焼肉会をしている所に姿をみせ、退職した理由と浅尾法灯のわいせつ行為を話し、一般の青年部にも広く浅尾法灯の性癖が知られる。
 9月

野村総合研究所に勤務していた東京の青年部員M氏が自然の泉出版局編集部に就職.。
 11月

37年間勤務した宇部セメントを退職して若林氏が自然の泉事務局に就職する。浅尾法灯の付き人になる。

平成6年(1994)
 6月20日

就職の際にかわした雇用契約が守られないうえ、親声をつくれ、講演の原稿をつくれといわれ、勤務に耐えられず若林氏が自然の泉事務局を退職。
 
平成8年(1996)

浅尾法灯の性癖は世間の人々に知られるようになり、この状況を解決したいと青年部員と出版局員編集部員らが毎月の講演会当日に相談をくり返すものの、解決策は見つからず、この間にも浅尾法灯の性癖はエスカレートしていく。
12月
出版局編集長の奥田氏は青年部員から「飲み屋でも、先生のわいせつ行為の数々が話されている。会員も山口県下かなりの人が知っている。編集部の者はそれを知って何もしないのだから同類だといわれている」と聞かされ愕然とする。

平成9年(1997)
 2月11日

・平成5年6月に3人の出版局編集部員が退職した後に、出版局員と青年部員とは「このままでは自然の泉は崩壊してしまう、仕事ができない」と打開策を話し合ってきたが結論がでず。2月11日、宇部市東岐波にあるカラオケボックス「パル」に編集部員と青年部員が集まり、編集部員は青年部員に相談するが結局「編集部員が浅尾法灯に直接問いただす以外にない」と青年部員にいわれる。
2月13日
出版局員は本部事務局にでむき事務局長の藤中、西山に浅尾法灯と両氏のやり方を抗議し、退職することを告げる。
 2月14日

早朝、出版局編集部員全員(5名)が浅尾法灯の自宅にて浅尾法灯に問いただす。「もう先生をかばいだてすることはできません。もう疲れました」といい、編集部員全員は退職を浅尾法灯に告げる。この時浅尾法灯は自分の非を詫び編集部員に償い金を払うことを申しでる。
償い金の金額は平成5年6月に退職した編集部員に支払れた償い料をもとに計算され、浅尾法灯は同意し、証書を作成し著名捺印する。
 3月

間もなくさまざまな流言が流される。「元編集部員の奥田が色きちがいになって、ありもしない話をでっちあげて先生を脅してきた」という話などか流布される。
編集部員が退職すると本部事務局の女性たち2名も退職する。さらに青年部員の多くが自然の泉を脱会すると、いままで噂だと思っていた会員が「本当だったのか」と次々に脱会をする。
退職した元編集部員は会員宅に呼ばれて退職した理由を聞かれる。山口県宇部市阿知須のT氏、山口県小野田市のS氏、山口県宇部市二俣瀬区のM氏、山口県長門市仙崎のN氏、広島市皆実町の石崎氏宅などで説明をする。
自然の泉の温泉施設である「いで湯の森温泉」で親泉隊(会員)の集まりが行われ、この場で「出版局員が自然の泉のものを全部とって逃げた」とある隊員が発言し、別の隊員が「出版局には何もありませんでした」と証言する芝居がおこなわれる。
元編集部員の奥田氏は元自然の泉の会員から「まごころを返してもらいたいが、どうしたらいいだろうか」との相談を受ける。
奥田氏はKRY山口放送山口支局のO氏に相談し、弁護士をたてることを勧められる。
 3月21日

元編集部員全員に浅尾法灯の代理人の平岡弁護士(山口県)から「恐喝罪で告訴するぞ」と内容証明郵便が送りつけられる。
 3月16日

編集部員が退職して動揺した浅尾法灯は3月の講演会ができなくなり、急きょ中止する。この時「中止を知らないで会員が会場にくるかも知れない」と、講演会当日に親泉隊員(会員)が総合本庁(講演会場)に派遣される。そこへ事務局の藤中、西山2名がタクシーででむき、自分の言葉を信じ込みそうな会員だけを集めて「奥田が色きちがいになって、ありもしない話をでっちあげて先生を脅してきた」という。
 3月

下関の女性会員の河野は「元編集部員の奥田やOが新しい宗教をはじめようと仕組んだことで、奥田が色きちがいになってありもしない話をでっちあげた」などと下関の会員に流布する。
山口県宇部市佐山のY氏と宇部市厚南の中野の会員2名は、山口県下の会員の自宅を一軒ずつまわってはこの話を流布してまわる。
 3月27日

元編集部員は平岡弁護士に対して「恐喝した覚えはない。被害者は私たちの方だ」と回答書を送付。
 4月

元事務局員で浅尾法灯付き人の若林氏が元編集部員の奥田氏をたずねて、自然の泉を退職した理由を聞く。
元事務局員の若林氏は下関市の弁護士に相談にいく。
若林伝氏は兄の若林和夫の自宅にでむき、自然の泉を退職したこと、浅尾法灯に騙されたことを玄関から報告するが和夫は顔をださない。このとき、人の人生を踏みにじった浅尾法灯へ対して抗議をおこなうことを告げる。
元事務局員の若林氏は、就職する時に約束した給料の額が守られなかったために損失したお金を返還するよう、浅尾法灯に内容証明郵便を送付する。なお、浅尾法灯からの返答がないためさらに2通の内容証明郵便を送るが、すべて無視される。
元編集部員の奥田氏、O氏、M氏と青年部員の4名で山口市の塚田法律事務所に「まごころ返還請求」の相談にいく。弁護士より県外の弁護士に相談するように指導される。 
 5月9日

弁護士からの再度の「通告書」を放置していると、再び元編集部員の奥田氏とM氏、O氏全に浅尾法灯の代理人である平岡弁護士から「謝罪に来ないと恐喝罪で告訴するぞ」と前回と同じ内容証明郵便が再び送りつけられる。
 5月

元編集部員の奥田氏とM氏が広島のデパート「そごう」の弁護士協会に相談にいく。
広島の弁護士協会から紹介され、元編集部員の奥田氏とM氏が広島市中区鉄砲町の上田・土澤法律事務所をたずねる。
5月18日の講演会において浅尾法灯「声明文」と称して「出版局員の給料をさげたら、腹をたててやめた」などと、つくり話を自然の泉事務局長の神田氏に読ませる。※後神田氏は浅尾法灯と決裂「あなたのような詐欺でうそつきとは仕事はできない」と自然の泉を退職される。
 7月

宗教家である浅尾法灯のやり方が許せない気持ちと、「約束不履行」で、元編集部員の奥田氏とM氏が浅尾法灯を告訴する準備にはいる。
 9月 

元編集部員の奥田氏とM氏は浅尾法灯を山口地方裁判所宇部支部に告訴する。 平成9年裁判  
 9月

「自然の泉被害者の会」が結成され浅尾法灯を告訴する準備に入る。 
「自然の泉被害者の会」の元会員の委任状、陳述書の作成、弁護士による聞き取りがはじまる。

平成10年(1998)
 3月18日

・浅尾法灯が山口地裁宇部支部の法廷の証言台にたつ。
浅尾法灯が証言に立つ日、浅尾法灯は自分の証言を誰にも聞かせまいと、朝からお金で雇ったサクラで傍聴席を埋め尽くして他の誰にも法廷に入れないようにするなど、有りとあらゆる妨害の限りをつくしたのです。しかし、この裁判において広島の原告弁護士の誘導尋問により、ホモ行為を断固否定していた浅尾法灯は、青年会員にホモ行為の「つぐない金」を支払ったことを認めてしまったのです。「アッ」と気づいたものの後のまつり。

浅尾法灯証言台にたつ(平成10年3月18日・平成13年8月13日)ホモ行為に関する証言

平成11年(1999)
 3月21日

・「自然の泉被害者の会」のメンバーが、山口県宇部市二俣瀬区国道2号線の瓜生野交差点にプラカ-ドを手に浅尾法灯に対し示威運動を開始。以来毎月第3日曜日の浅尾法灯の講演会当日これを続ける。
 4月18日 

自然の泉・親泉隊長の瀬尾が瓜生野交差点の示威運動現場にきて「これでは皆に知られてしまう、やめてくれないか」と頼むので「浅尾法灯は嘘の話を壇上で会員にいっています。私たちはどこでその嘘を晴らせばいいのですか。壇上に私たちを呼んでくれてマイクを持たせてくれますか、いつでも乗り込んでいきますよ」と答えるが「それはできない」といわれる。
「それではやめられません、こちらがいっていることが嘘だというのなら、浅尾法灯に警察にぶ告罪で告訴するようにいいなさい、こちらは警察のまえですべてを明らかにできる機会が得られるのなら望むところです」と反論をする。
 5月16日

・瓜生野交差点の示威運動現場の視察にきた、自然の泉本部長の神田氏に奥田氏が「浅尾法灯は、『法灯もキリストや日蓮上人が遭われたと同じ法難に遭っているのです』と馬鹿々々しいことをいっているようですが、警察に名誉毀損罪で告訴すればすぐに静かになることです。名誉毀損罪で告訴するようにいってください。ただし、浅尾法灯も警察に呼ばれてわいせつ行為はあったのかどうかを調べられますが」と伝言をする。
警察が「何ごとですか、通報があったのできましたが」とこられ「道路使用許可をとられたら、よろしい」と指導を受ける。
 6月

平成9年裁判の判決がおりる。
国道2号線の道路使用許可をとる。
 7月

・元事務局員の若林伝氏は、浅尾法灯に対して、自然の泉に就職の際に浅尾法灯とりかわされた雇用契約が守られなかったばかりか人生を踏みにじられた抗議を、街宣車にてはじめる。
7月18日
ちんぴら風若者が、プラカードをもつ婦人たちにビデオカメラを突き付け、身体に20センチに近付けて写すなど嫌がらせをする。このとき警備のために現地にいた警察官を示威運動員とまちがえて、嫌がらせをして警察官より職務質問を受ける。以後、街宣車前に立ちはだかられるなどの数々の妨害を受ける。
判決文の表紙と最後の文だけをコピーして添付した「ご報告」文(平成11年7月26日付)が「明るいニュース」と記した封筒に入れられ、会員に流布される。この中で「出版局の職員が……法灯先生のありもしないスキャンダル話を広めるなどと威迫して(以下省略)恐喝ともいえる不祥事が発生しました」と記す。  平成14年6月配布「明るいニュース」
 8月12日

元自然の泉会員100名以上が「まごころ返還請求」で浅尾法灯を告訴。 平成10年裁判
 10月12日

・青少年の健全育成を掲げた大看板を、自然の泉総合本庁前の山林に設置。
 11月

自然の泉出版局長の末武祥治が看板設置場所の山の持ち主に看板の撤去を要請。無理だとわかると看板が建っている場所を数100万円で購入したいと申し込み、山の持ち主から「そのようなことをすれば地元の人から笑われる」と断られる。

平成12年(2008)

・浅尾法灯の講演会場である総合本庁前で街宣車による抗議行動をはじめる。 抗議行動
 2月29日
浅尾法灯に対して「わいせつ行為は犯罪である」と叫ぶ抗議行動に対し、浅尾法灯がそれに「反論」する準備書面を裁判所に提出。 浅尾法灯が提出した「反論」・準備書面
 
平成12年

平成13年(2009)
 1月7日

・元事務局員の若林氏が街宣車を運転中、宇部警察署より「自然の泉出版局長の末武祥治(宇部市末広町)から街宣車ではねられて怪我をしたとの届けでがあった」といわれ、警察署で取り調べを受ける。若林氏には全く身に覚えがないことで、末武が「はねられた」といって若林氏を陥れようと人身事故をでっちあげたことはあきらか、すぐに現場検証をしてもらう。ただちに末武を器物損壊罪とぶ告罪で告訴する手続きする。 人身事故をでっちあげ
 1月19

自然の泉総合本庁前の山林に立てている大看板が「二俣瀬地区の風紀を乱す、撤去しないと看板撤去の署名運動をおこす」と看板設置に協力してくれた山林所有者に地元より圧力がかかる。調査をすると、自然の泉の老人ホーム施設の関係の麻生が、地元二俣瀬の会員と「看板撤去に協力して欲しい」と地元の環境委員のところにいき、「看板を撤去しないと著名運動をおこす」と、山林所有者に圧力をかけるように頼んだことが判明。
 3月23日

・shizennoizumi.comのドメイン権利を取得する。日本語「自然の泉」.comの権利も取得する。
 4月1日

自然の泉本部前で街宣車による抗議行動をおこなう。毎月職員による妨害がつづく。
 4月

「自然の泉」機関誌4月号「雑感」のページに会員の原稿が掲載される。文中「法灯先生はいわれのない中傷を受け、迫害にあわれています」といった言葉が連載される。これは、平成14年9月号まで毎月のように続けられる。 「雑感」で隠ぺい工作 法難試練と説明
 5月20日

自然の泉・総合本庁前の大看板を「自然の泉・ホームページ」アドレスのお知らせに変更。
 6月9日

・「自然の泉・ホームページ」を開局する。後作りかえのために平成21年閉鎖。22年11月開局。
 8月10日

・浅尾法灯が山口地裁に陳述書(8月10日記述)を提出。 浅尾法灯陳述書・でたらめを提出
 8月25日

・山口地裁に提出された浅尾法灯の陳述書に、元編集部員の奥田氏に罪をなすりつけるデタラメが書かれおり、奥田氏は浅尾法灯の自宅にハンドスピーカーを持って抗議に出向く。宇部警察署には浅尾法灯の陳述書を見せて「このような嘘を書かれて黙ってはおれませんから」と抗議を行う説明に行く。
 8月28日
・浅尾法灯が山口地裁の法廷の証言台にたつ。 浅尾法灯証言
 10月2日

6月25日付けの自然の泉機関誌「自然の泉」雑感のページに、会員である若林和夫が原稿を掲載し、文中「でたらめの作り事で、法灯先生を誹謗、中傷が目にあまるがこれは裁判に負けたいやがらせ」と記し、浅尾法灯に抗議をする弟の若林伝氏を暗に非難する。若林和夫の雑感原稿を読んだ元編集部員の奥田氏は、兄弟が分かりあえるようになって欲しいとの願いを込めて和夫に手紙を送付する。
 10月3日

浅尾法灯側の会員5名の陳述書が山口地裁に提出されたが、松嶋、陣川の両名には元編集部員の奥田氏の名前を記した上で奥田氏にはまったく憶えのない陳述が述べられた箇所があり、これに抗議して奥田氏は、松嶋と陣川に「私の名前を記して書かれた、その根拠をお知らせ下さい」と返答を求める文面を送付する。
 10月9日

・被告側証人である斉藤泰嘉氏(現・筑波大学教授)が証言台にたつ。 斉藤泰嘉氏証言
 10月15日

陣川清治に対し元編集部員の奥田氏は、内容証明郵便を送付して「私の名前を記して、陳述書を書いておられるが私にはまったく思い当たりません。私の名前を書かれたからにはそれなりの根拠があるものと思いますのでその根拠をお知らせください」と返答をもとめる。 陣川清治ねつ造

平成14年(2002)
 3月25日

元編集部員の奥田氏が宇部警察署にでかけた時、免許書の更新で警察署をおとづれていた陣川清治と出会い、奥田氏は警察署の中で陣川清治と大喧嘩。
 
 6月 

自然の泉の会員に「お知らせ・明るいニュース」と記した封筒にいれた「法灯先生 全面完全勝訴」と記した文が郵送される。この中で「法灯先生のありもしないスキャンダル話を広めるなどと威圧して(以下省略)」と記するなど、浅尾法灯のワイセツ行為はでたらめであると会員に報告しての隠ぺい工作。 でたらめを配布
 6月16日

浅尾法灯は講演会中に午前中3回、午後3回
「皆さん、警察はあいつらになめられているのです。これを放置しているのは警察の責任です。警察に宇部の市民から批判が集中しています。なんであんなウソをほうっておくのかという声が市民からあがっています。宇部警察署は無能なのだと抗議がさっとうしています。とうとう、宇部の市民が立ち上がったのです。すると、やっと宇部警察署が重い腰をあげました。取り締まりますと約束をしてくれました。皆さん、警察が動きますから安心して下さい。警察から気狂いのやることにかかわってはいけません、相手にするな無視しなさいと強い要望がありましたので皆さんはかかわってはいけません。警察に任せて下さい。
あいつらは裁判にまけた腹いせでありもしない作り話しをいっているのです。こちらが告訴をするのを待っているのです。人間勉強をかかげている自然の泉が告訴をするとイメージダウンです。あいつらはそこをねらっているのです。だから法灯は告訴をしないのです」と会員に報告をする。
宇部警察署にて浅尾氏の言動について確認をしたところ市民から批判が集中している。市民からあがった。無能なのだと抗議がさっとうした。宇部の市民が立ち上がった。すると、宇部警察署が取り締まりを約束した。警察が動きます。無視しなさいと強い要望があった。警察に任せて下さい等の、事実は一切ありません」との説明をうける。
 8月18日

浅尾法灯は講演会中に「皆さん、宇部警察に宇部の市民から批判が集中しています。宇部警察署は無能なのだと抗議がさっとうしています。しかし、皆さん警察も無能ではありません、彼等にもプライドがありますよ、とうとう、やっと宇部警察署が重い腰をあげました。もうしばらくの辛抱です、もう少しすれば静かになります。皆さん、警察が動きますから安心して下さい」と会員に報告をする。
宇部警察署にて浅尾氏の言動について確認をしたところ「浅尾法灯がいっている事実は一切ありません」との説明をうける。
 9月4日

8月25日付けの自然の泉機関誌「自然の泉」雑感のページに、会員である若林和夫がありもしないことを書いて元出版局員の奥田氏に罪をなすりつけていることに抗議して、奥田氏は若林和夫に「いったい、どのような根拠で書かれたのか、その根拠を提示してください」と、内容証明郵便を配送。 若林和夫ねつ造
 9月15日

・街宣車による抗議行動のテープの言葉を会員に聞かせまいと講演会場正面の階段を閉鎖する。さらに、あくる16日から講演会場の駐車場をとりまく一帯に高さ2メートルから5メートルにもなる塀をめぐらす工事にかかる。街宣車のスピーカーの音を会員に聞かせまいと、会場周囲に音楽を流すスピーカーをとりつけた柱が何十本も林立する。 隠ぺい工作
 10月20日

・講演会場駐車場の周辺をシートでおおい隠すものの、街宣車の音を消すことができず、21日より会場の建物を二重サッシで囲う工事をはじめる。
 10月末

自然の泉に抗議をおこなっている街宣車等の、音響設備を設置した通信設備の会社(宇部市恩田町)に自然の泉事務局本部長の西村昭男(山口県防府市牟礼・元テーラー西村)が現れ「あいつらに協力すると仕事をやらんぞ、仕事ができんようにするぞ」と会社社長をおどす。
 12月

元編集部員の奥田氏は若林和宅に街宣車で抗議をする。すると、若林和夫はカメラを持ちだして「文句をいうな、写真を警察に持っていくぞ」と奥田氏をおどす。
総合本庁の建物のまわりを二重サッシで囲い、正面を全面シートでおおい二重サッシにする。

平成15年(2003)
 3月

元編集部員の奥田氏は若林和夫を山口地方裁判所に告訴する。

平成16年(2004)
 1月18日

浅尾法灯は講演会で、「親鸞も日蓮も迫害にあわれました、世の聖職者は皆迫害にあっているのです。日蓮上人が受けられた迫害に比べれば、法灯(浅尾法灯のこと)が受けている迫害は小さいものです」と、浅尾法灯による青年部員や編集部員へのホモ行為の強要を非難する声を「迫害」と会員にいう。
 8月15日

浅尾法灯は講演会で、「あいつらのいってることはまったくのでたらめ、濡れ衣です、キリストもこのような迫害にあわれました、このような法難にあうのは我衆身代り(浅尾氏が会員の病気や災難、問題を身代わりに受けること)の爆発によるものです」と、「迫害」の説明を会員にいう。
 9月19日

浅尾法灯は講演会で、「裁判の様子を話してやろう、法灯(浅尾法灯自身)ははじめから裁判長の方に背を向けて傍聴席のあいつらを堂々と見てやったら、弁護士が『先生裁判長の方を見ないと1点減点ですよ』といったから、ようやく裁判長を見てやった。裁判に勝とうが法灯にはまったく感心がないから裁判長なんか無視して、これには裁判長もびっくりしておった」と、「裁判」の様子の自慢話を会員にいう。(会員から拍手があがる)
 10月17日

浅尾法灯の編集部員へのホモ行為の強要を非難する抗議の声を聞いて、浅尾法灯は講演会で、「あいつらがいっていることは、あいつらが裁判所に書いて出した陳述書に比べればましなものです。裁判所に出した陳述書には読むに耐えない、えげつない、すごい事が書いてあったのですよ」と会員に説明。
裁判所に提出する陳述書に、読むに耐えないえげつないことを書けるはずもなく、そのような文を弁護士が出すはずもない。

平成17年(2005)
 3月20日

ホモ行為強要を非難する抗議の声を聞く会員にむけて、浅尾法灯は講演会で、「光友(信者)はなぜ法灯が警察に告訴しないのか不思議に思うかも知れないが、告訴すると親光泉(病気を治すというパワー)がでなくなるからです」と説明。
浅尾法灯は以前警察から「あなたが正しいなら、なぜ告訴しないのか」と聞かれたことがあり、この時宗教家は告訴しないのです」と答えている。浅尾法灯「おまえが正しいなら、ありもしないことをいわれて迷惑していると告訴すりゃいいじゃないか」という私たちの抗議の返答に窮して、でた言葉である。
さらに、「日蓮上人は数々の迫害に遭われたが、まさに法灯(浅尾法灯のこと)が同じ迫害に遭っているのです。世の聖職者はこのような迫害にあっているのです」
 6月19日

青年部員へのホモ行為は作り話、でっちあげだというために、以下の話を信者に説明。
まったく自然の泉に関係のない会社の人物と会話をしたさいに、私がワイセツ行為をやったと聞いたがと質問を受けたので、5年も徹底的に調べて裁判に勝訴したのですと答えると、彼は『5年も調べたのだから先生は間違いなく潔白だ、間違いない』といったのです」
浅尾法灯のホモ行為と「まごころ返還請求」の裁判と何の関係があるのか、分からないが、要はホモはでたらめと信者に信じ込ませたい言葉と思える。
 7月17日

浅尾法灯は講演会で、「あいつらがいっていることは、あいつらが裁判所に書いてだした陳述書に比べればましなものです。裁判所にだした陳述書には読むに耐えない、えげつない、すごい事が書いてあったのですよ」と信者に説明。「裁判で法灯を丸裸にして徹底的にしらべたのです。何もなかったのです。無実が証明されたのです」というテープを延々とかけ続ける。
「奇跡のおきない宗教は本物ではない、自然の泉では奇跡がおこる」と力説。
 7月25日

自然の泉事務局長の藤中富子が死去する。
7月27日
藤中富子の葬儀がおこなわれる。葬儀に参列した信者に浅尾法灯は「自然の泉はお化けの集団ではない。寿命はしかたがない。この世は作りごとの世界、来世にこそ真実がある」と説明。
 8月21日

「法灯は会員の皆さんの我象身代りで身体がボロボロです。その法灯の苦しみを知った会員の間で『先生に迷惑をかけてはいけない、私たち会員が自然の泉を支えなければという声が各支部から広がっています」と力説。
 9月18日

・宇部市亀浦にある浅尾法灯自宅の塀の道路と講演会会場(総合本庁)入り口道路に看板が設置。 隠ぺい工作
「法灯が生きているだけでも有り難いと思わにゃーいけん。キリストは十字架にかけられた。親鸞上人は島流しにされた。それを思えば 法灯が受けている試練は小さいもの。キリストが遭われた苦しさに比べれば、小さいもの、法灯の命があるだけでも有り難いと喜ばなゃーいけん」と会員に説明。
  10月

上記説明の浅尾法灯自宅の塀に設置された看板の左横に、新たに看板が追加設置される。文面は講演会場入り口設置看板と同じ文面。

平成18年(2006)
 1月29日

自然の泉顧問弁護士平岡雅紘氏死去
 2月

宇部市亀浦にある浅尾法灯自宅の塀の看板居に新たに別の看板が加わる。
 3月

宇部市亀浦にある浅尾法灯自宅の塀の道路にあるお宮前に同じ看板が加わる。
 6月

浅尾法灯の編集部員へのホモ行為の強要を非難する抗議の声を聞いて、浅尾法灯は講演会で、「天理教の中山ミキは時の警察に捕らえられて留置場にいれられたが、自分が受けている非難は中山ミキが受けた法難と同じである」と信者に説明をする。
 8月

浅尾法灯は講演会で「試練によって人間が磨かれる、法灯は非難、中傷を受けて磨かれる、法灯を磨いてくれるあいつら(抗議をしている被害者)に感謝している。講演会に来る時抗議するあいつらがいる山に手をあわす」と信者に説明。
 10月

自然の泉紙・10月15日号(新聞)に「釈迦、キリスト、親鸞、日蓮などの先覚者、また天理教開祖中山ミキなどが法難、試練にあっているが、世の聖職者はみないわれなき誹謗中傷と迫害の中で道を説かれた…」と聖職者はみな迫害に遭うものと記載。だから法灯(自分のこと)も同じような迫害に遭ってると書き、ホモ行為を非難される抗議を聖職者が遭う迫害であると説明。
またまごころ返還の裁判の話を持ちだして、ホモの話はでたらめでっちあげといい「誹謗中傷をされても警察に訴えない理由」を説明している。 15日号新聞記事。 法難・試練と説明
参議院議院の林芳正氏が講演会に急きょ東京より出席して、信者に「この度新総理大臣になった安倍総理より法灯先生を守ってくれと頼まれてきました」と講演する。

平成20年(2008)
9月20日 安倍晋三の夫人である安倍昭恵氏講演会場にくる。
12月 河村健夫氏 餅つきにくる。

平成21年(2009)

4月18日 浅尾法灯内縁の妻西山シズエ死去。
8月16日 浅尾法灯の講演会に安倍晋三夫人、安倍昭恵氏くる。衆議院議員の高村氏くる。
9月2日 
講演会で「裁判のとき河村建夫が『先生大丈夫ですか』といってきた。『わたしのところにも怪文書がきました』といってきたが、この時『先生の顔をみて怪文書がでたらめだとわかります』といったが、官房長官をする物はさすが違う」と河村建夫氏の話をする。

平成22年(2010)
6月20日
8月
・大看板設置場所の山林の持ち主に浅尾法灯(浅尾法灯から依頼をうけたアスワン山荘理事長の麻生)が「高額で買い取るが」と話をもちかけ、土地の借用契約更新の隙間をねらって持ち主を説得して、山林の所有者に講演会場前の看板の排除を要求させる。
 
山林の持ち主からの「看板排除」の相談に「排除する必要はない、すでに看板を建てているこちらに権利がある。契約は関係ないこちらの権利を主張できる」との意見もあったが、浅尾法灯の非人道的なホモ行為強要を非難する私たちが権利をたてに、山林の所有者に嫌がらせをするのもどうか、浅尾法灯がいまさら何をしようが、いままでやってきたホモ行為強要ををやってないことにはできない。そろそろ看板を排除しインターネットにより社会に訴える時期がきているのではないか、「渡りに船の、ただで看板を排除できるいい機会ではないか」との結論から看板を排除する。 柱を撤去して再び隠ぺい
9月19日
浅尾法灯の講演会に県議会議員の岡村清二氏くる。

平成23年(2011)
5月15日 浅尾法灯の講演会に県議会議員の岡村清二氏くる。
※ 岡村清二氏は単身でヨットによる太平洋横断で知られた人物。この体験を生かして地元では「青少年のこころと体を健全に育成しよう」と青少年をヨットで教育するなど、また私塾を開いて青少年の教育を掲げて県議会議員になった人物です。ところがこの岡本氏が浅尾法灯の青少年へのホモ行為強要に抗議する山からの大音響の中を平然と講演会に通ってきていました。浅尾法灯の「キリスト、釈迦が遭われたと同じ法難、試練に遭っているのです」という、言い訳を狂ったとしか思えない信者の中で平然として聞いているのです。
 
5月18日付けの地方紙「宇部日報」に自然の泉の講演会場がある地元二俣瀬の男性が、ショッピングセンターで万引きをして宇部警察署に逮捕された記事が掲載されました。
※ 警察に逮捕されたこの人物は自然の泉の熱心な会員で、自然の泉の奉仕団体である「親泉隊」の隊員でもあり。奥さん共々会員の手本として自然の泉の新聞や月刊誌にたびたび紹介され、浅尾法灯も会員の手本として公演中に紹介するほどの人物であります。

浅尾法灯緊急入院・緊急手術

23年(2011)6月12日の東京会館での講演会は、浅尾法灯の山口大学医学部付属病院に緊急入院のため中止されました。以来今日まで講演会は行われず代役として編集長の真鍋亮太郎が浅尾法灯の素晴らしさを熱弁しているという
 

平成23年6月より浅尾法灯・講演会に出席できず
むかし勉強会で使用していた録音テープをひたすらくり返して流し聞かせる講演会
この講演会に政治家が応援演説
 
浅尾法灯病気のため山大付属病院に緊急入院・緊急手術・平成23年6月以降講演できず
それでも信者は奇跡を信じてすがりつく異様な世界

 
浅尾法灯は講演会で「奇跡の起きない宗教は本物ではない、自然の泉では奇跡が起きる。ガンなんか一瞬で治る」と豪語しました。その浅尾法灯が緊急入院・緊急手術とは、なんとも摩訶不思議な話である。
浅尾法灯はまったく講演会に出席できない状態であるが、その間病名も公表されず毎月の講演会では本部会員の「法灯先生はだいぶん回復されましたが医師の指示にしたがい、静養をしておられます」と知らされ続けているとのこと、浅尾法灯が病気になった理由として「法灯先生は会員の皆さんの病気を治すために、自ら皆さんの身代わりになったためにこのような病気になられました」と説明がおこなわれているがまさしく気違い信者相手の信仰宗教の都合のよい説明といえる。

※浅尾法灯は平成23年6月以降講演ができないことになるが、これは会員へ現状を知らせる録音メッセージも吹き込めない、みんなに姿も見せられない状態ということか。山口医科大学附属病院に緊急入院したとの報告がおこなわれたが、現在、宇部・山陽小野田市のショッピングモールで杖をついてリハビリの散歩を行う姿が目撃されている。信者は「法灯先生は講演にでられませんが皆さん安心して下さい。法灯先生がでられなくとも自然の泉では奇跡が次々と起こっています」の言葉を信じて、ひたすら「奇跡」を期待して静養中という浅尾法灯にすがりつき救いを求めている。街頭では講演会のチラシを配っているが、なんともあわれな話である。これが常識を圧する狂気の世界。‼
 
平成24年(2012)10月、この度内閣総理大臣になった安倍晋三氏の奥さんである安倍照恵氏がこのテープだけの講演会に訪れ「みなさん頑張ってください」とエールを送り、信者は喜びの声をあげたという。
 
※この照恵氏、浅尾法灯が倒れる以前、被害者の会のメンバーが「浅尾法灯による青少年へのホモ行為の強要・わいせつ行為」に抗議して浅尾法灯の講演会当日、会場正面の山の上からの8本のスピーカーで「浅尾法灯よ、壇上で人間勉強を説きながら青少年にホモ行為をしやがって、恥ずかしくはないか。それでもおまえは宗教家か」耳が壊れんばかりの大音響で抗議する中を講演会におとずれて「みなさん頑張ってください」と信者を励ましている。青少年へのホモ行為強要は女性が一番蔑視するはずべきこと、ところがその抗議の中を女性である明恵氏は堂々と訪れて浅尾法灯にエールを送っているのだから驚きである。政治家は金と票になるところには何処にでもいく」というが、なるほどと思うばかりある。なお浅尾法灯への抗議のなかを衆議院議員の河村健夫氏も幾度となく平然とおとずれて「みなさん出る杭は打たれるものです」と挨拶をし、あるい参議院議員の林氏は「小泉総理より法灯先生を守って下さいといわれてまいりました」といっているから。政治家に大切なものは正義ではなく「票と金になるか」であろう。そのような政治家が青少年を健全育成・福祉をするというであるから、驚き桃の木山椒の木である。
(上・講演会場正面に立つ高さ3メートルの大看板 下・講演会場会場に向けて大音量で浅尾法灯のホモ行為の抗議を鳴らす8本のスピーカー群)