本日は、「わが温品」の「自然」をご閲覧いただき、ありがとうございます。
このページでは、温品(ぬくしな)の自然を紹介します。ごゆっくりご覧ください。また、思いつくまま歩き、目にしたものを書き加えます。
このホームページは、今後少しずつ内容を充実させたいので、皆様のご指導をお願いします。
月/日 | 記事の内容 | ページ名 | 備考 |
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6/11/2014 | 「わが温品」を開設 | 自然 | 新規 |
12/17 | 「ぶらぶら街歩き(ウォッチング)」(「雪景色})を追 | 「ぶらぶら街歩き(ウォッチング)」 | 新規 |
1/17/2015 | 「とんど」を追加 | 「ぶらぶら街歩き(ウォッチング)」 | 追加 |
1/30/2015 | 「町内駅伝大会」を追加 | 「ぶらぶら街歩き(ウォッチング)」 | 追加 |
2/19/2015 | 「ぶらぶら街歩き(ウォッチング)」を移設 |
「コーヒーブレーク」 | 移設 |
3/18/2015 | 「梅の名所」を追加 |
「梅の名所」 | 追加 |
工事中(⇒詳細を見る)
温品のシンボルの山を紹介します(⇒詳細を見る)
温品の中央を流れる川を紹介します(⇒詳細を見る)
温品の梅や桜の名所を紹介します(⇒詳細を見る)
温品の街並み紹介します(⇒詳細を見る)
工事中(⇒詳細を見る)
「藝藩通志」には、「区域形勢」の「村里」の項で、温品(ぬくしな)村について、次のように記載している。
東西は981メートル、南北は3,164メートルである。南北を山が塞いでいる。西南の端は平地で、川が流れる。昔この辺りまで海であったという。金碇という地区で、その頃鉄の錨を掘り出したという。この土地の下には今も底なしの泥があり、牛を入れて耕すことができない。また、舟隠という地区があり、昔、舟が出入りいたところである。
温品の南方面からは、気高くそびえ立ち、温品の人々を温かく見守っているかのよう見える。
頂上付近に、ごつごした岩が松の木々の間から垣間見えるように、
山の頂は大きな岩で覆われておいる。この岩に天狗が降り立ったという言い伝えがある。
大岩の南の下に、かっては岩谷寺の堂宇が建ちならび、温品や近隣の市町村からの参拝客でにぎわっていた。その後無住の寺となり、堂宇は火災にあった。現在、焼け跡に雑草が生い茂り、かってのにぎわいをしのばせる物はない。
その後、岩谷寺はふもとの庄始垣内地区に再建されたが、現在は再び無住の寺となっている。
三月の下旬、晴天の日をねらって高尾山に登った。この山に登るのは何十年振りだろうか。岩谷寺境内の入口の石段は、長年の風雪にたえかね崩れかかっていた。境内の入口に立つ石柱のうち、東側のものは無残にも転倒している。
岩谷寺の本堂などの建物の跡は雑草が生え、礎石をおおい隠すほど繁っている。
初春の例祭のとき、境内で火渡りの神事が行われ、参拝客が熱さをものともせず、果敢に炭火の上を歩いていたことを思い出した。往時を知る者にとって、荒れ果てた姿は見るにしのびない。。
さらに、頂上をめざす。左手(西)にまわり、大きな岩の間をすり抜けるように急な坂道をのぼり、巨岩の上に立つ。
三百六十度のパロラマ風景が広がる。西の眼下には、わが温品の街並みが手に取るように、よく見えた。この高尾山(岩谷の山)を校歌で歌う、温品小学校の校舎や校庭も見えた。
南の方角の遠方に、黄金山や似の島、宮島などの島々まで眺めることができる。まさに絶景である。
年寄りに聞いた、天狗岩伝説を思い出した。天狗が、南の黄金山から一飛びで、この岩の上に降り立ったことから、「天狗岩」と呼ばれるようになったという。
岩の上には、天狗の足跡らしきものがある。
登山道
(最も細い尾根、まわりには桜の木がたくさん植樹されていた、3/29/2012撮影)
休憩所の祠
(3/29/2012撮影)
岩谷寺跡への坂道
(滑りそうな道、3/29/2012撮影)
岩谷寺跡への石段
(3/29/2012撮影)
岩谷寺跡入口の石柱
(遠くには天狗岩が見える、3/29/2012撮影)
岩谷寺本堂跡
(3/29/2012撮影)
かってはここにお堂が建っていた
(3/29/2012撮影)
天狗岩への登り道
(3/30/2012撮影)
天狗岩に彫られた観音像
(神聖なる天狗岩に、こんあ汚い仏像を彫ったのは誰だろうか、3/29/2012撮影)
天狗岩と天狗の足跡
(南の方角に、広島市街地が見える)
(3/29/2012撮影)
温品川は、呉娑々宇山のふもと、馬木地区の大原の奥の谷を源流とし、広島市東区上温品や温品のやや東寄りを流れる。南部の間所地区で中山川を合わせ、安芸郡府中町に入る。マツダの本社工場の西側、南区大州で猿猴川に合流し、海田湾(広島湾)に注ぐ。
温品川は流れが急で、豊渇水の偏差が大きいため、大雨が降ると、たびたび水害を生じていていた。
大正15年(1930年)に、未曾有の雨でこの川が氾濫し、多大な災害をもたらした。清水谷神社参道の八幡橋の西詰めにある水害碑が、その状況を今に伝えてくれる。
温品川は、古来、降雨が少ない季節に水量が減るので、田畑の灌漑用以外に利用されなかった。
公式には府中大川というが、温品地区では温品川(ぬくしながわ)とも呼び、親しまれている。温品小学校の校歌に登場するので、紹介する:
「温品川のせせらぎは 学びの窓に ほど近し 岩に流れくだけては われらの心 清かれと さざめく波は 歌うなり」
最近は、川畔の土手をウォーキングやジョギング、犬の散歩する人たちでにぎわう。川面で、シラサギと二匹のカモが遊泳し、私たちの目を和ませてくれる。温品の人たちの憩いの場となっている。
土手を散歩していると、川の草むらにネズミを見つけ、その大きさに驚かされることがある。南米産のヌートリアという大きなネズミである。ペットとして飼っていた人が、手にあまり川に捨てたらしい。付近の田畑に出没し、野菜を喰い荒らし、問題となっている。
温品川は、ペットボトルやプラスチック等のゴミが散乱し、景観や生物の生息環境が悪
化している。私たちが何気なく捨てたゴミは、雨天のとき水かさがますと、下流へ流れる。そして広島湾へ流れ出ると、湾内に堆積したり、湾外の海岸に漂着したり、外洋へ出て漂流したりするものもある。
ペットボトルやプラスチック等のゴミは、海洋生物等に悪影響をあたえるので、世界的な問題となっている。
温品学区公衆衛生推進協議会、ぬくしな桜の会、温品ホタル祭り実行委員会などのみなさんが、温品川のの浄化活動を行い、環境にやさしい町づくりを進めている。
上温品第四公園の桜並木
(4/1/2014撮影)
上温品第四公園の温品川ぞいに、桜並木が、公園を包み込むように周囲に植えられている。
園内のベンチで、近所の仲良しさんだろうか、3人の女性たちが、お弁当を食べながら、桜をめでていた。
「東風(こち)吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主(あるじ)無しとて春を忘るな」(拾遺和歌集)
春の東風が吹いたら、花を咲かせて香りを送ってておくれ、梅の花のよ。私がいなくても、春に花を咲かせるのを忘れるな。(「大鏡」などでは、「春を忘るな」が「春な忘れそ」となっている)
梅の花といえば、菅原道真が大宰府で望郷の思いをこめ、詠んだこの歌を思い出す。 彼を祀る大宰府天満宮(福岡)や北野天満宮(京都)が、梅の花の名所として知られている。
天神様とは関係ないが、温品の梅の名所を、紹介する。
小出地区の梅林
(3/10/2015撮影)
老人ホーム温品荘の西で、白梅がたくさん花を咲かせており、温品荘のお年寄りたちの目を楽しませていることだろう。
枝が短く剪定されており、空に突き上げるような樹形となっている。
温品の町並み(高尾山より1)
(3/29/2012撮影)
温品の町並み(高尾山より2)
(3/29/2012撮影)
温品の街並み(高尾山より3)
(3/29/2012撮影)
温品の街並み(高尾山より4)
(3/292012撮影)
温品の街並み(高尾山より5)
(3/29/2012撮影)
高尾山と麓の街並み
(3/19/2012撮影)
温品中心部をのぞむ
(9/19/2012撮影)
温品の街並み
(2/27/2012撮影)
JR社宅をのぞむ
(2/27/2012撮影)
フォレオより高尾山をのぞむ
(5/27/2020撮影)
温品在住の東山忍さんが、実際に歩きながら、距離を測定し、作成したウォーキング・マップである。
最北端の温品橋から、最南端の新鶴江橋まで、温品川の両岸は、ウォーキングする人でにぎあう。
このマップは温品公民館にあるので、参考にしてください。