Last Update 5/22/2022

maiko sketch-boy

本日は、「ギャラリー」をご閲覧いただき、ありがとうございます。

このページでは、「わが温品(ぬくしな)」間借りし、編集者が趣味で描いた油彩画や水彩画を紹介します。不定期ですが、入れ替えます。ごゆっくりご閲覧ください。

このホームページは、今後少しずつ内容を充実させたいので、皆様のご指導をお願いします。

What's new !

月/日 記事の内容 ページ名 備考
7/4/2020 「ギャラリー」のページを増設 ギャラリー 新規
11/10/2020 「絵画展1」を「絵画展2」に入れ替え ギャラリー 更新
12/14/2020 「絵画写真の撮り方」を追加 ギャラリー 更新
3/9/2021 「絵画展2」を「絵画展3」に入れ替え ギャラリー 更新
7/1/2021 「絵画展3」を「絵画展4」に入れ替え ギャラリー 更新
5/22/2022 「絵画展4」を「絵画展5」に入れ替えNew ギャラリー 更新

更新履歴や最新記事を記します( なお、画像の入れ替え、文章の加除訂正など小さな変更は、随時行います)。

絵 画 展 5

   

新しく「絵画展5」を掲載しました。ホームページの容量が増加するので、前回掲載していた「絵画展4」を削除しました。今後も不定期ですが、私が描きためてきた油彩画や水彩画を、順次入れ替え紹介します。
 私は絵画教室で指導を受けながら、どこの会派にも所属せず趣味に徹し、好きなように描いてきた絵画です。うまくなりたいという気持ちは忘れず、いつも描いています。
 油彩画や水彩画はキャンバスや水彩紙の表面に凹凸があり、光を乱反射して光ります。デジカメで撮った画像を、Photoshopという画像処理ソフトで色調補正し、元の絵画の色調に近づけています。さらに、ホームページの容量制限のため、画像を大幅に縮小しています。
 したがって、これらの絵画の画像は、実際の絵画より色調が少し変わっています。
 では、ごゆっくりご覧ください。
(画像をクリックすると拡大します)

もの思うアンデスの女性~時空を超えて~
油彩、F100号、2001年(平成13年)作

 二十年ぐらい前、ペルー生まれのオックスフォード大生をホームステーさせて以来、アンデス地方に関心を持つようになり、十年前、ついにアンデス旅行の夢を果たした。 古代にアジアやアフリカの大河のそばで四大文明が栄えた。教科書では古代文明としてあまり紹介しないが、アメリカ大陸でも、優れた文明が中米のメキシコや南米のペルーなどで生まれている。マチュピチュやクスコの精巧な石組みを見ると、驚嘆させられる。
 彼らに蒙古班があることでもわかるように、日本人と同じモンゴロイドである。私たちと顔つきがよく似ていて、親しみを覚える。
 この絵でアンデス文明の悠久の歴史を表現しようとした。五十号や百号の大作では、自分の考えをキャンバスに表現したいと考えている。いわゆる構想画である。気持ちとは裏腹に、手が思うように動かない。  私の気持ちが少しでも伝われば、どんなにうれしいだろうか。

チマチョゴリの二人
油彩、P30号、1996年(平成8年)作
 モデルは幼さが残る女子高校生である。彼女たちは日韓の友好親善のクラブ活動をしていた。韓国の民族楽器を弾いてくれると、厳かな音色がした。
 チマはスカートで、チョゴリは上着を意味する。華奢な上体と豊満な下体が美しいとされたため、チョゴリの丈は短く、チマは長く幅広い。
私が入社後、S火力発電所に配属されたとき、丘のふもとの独身寮に住んでいた。近くに朝鮮人学校があり、チマチョゴリを着た女生徒が寮の前の道を歩いて通学しているのを、よく見かけた。 どこの国でも女性の民族衣装は、色彩豊かで美しい。伝統や文化に根差した衣装だから、彼女たちが輝いて見える。
民族衣装を着た女性は、絵を描く者を魅了してやまない。残念ながら、外国人は民族衣装を持って日本へ来ないので、描く機会がなかなかない。 この絵を取り出して、若いころに見たチマチョゴリを思い出した。

フランスの若い女性1 ~モルガンさん~
油彩、F10号、2011年(平成23年)作

 モルガンさんはドイツに近いストラスブールで生まれ、パリの大学で日本語を学んだインテリ女性である。大学で知り合った広島出身の女性の紹介で広島に来て、広島のとりこになったという。そればかりか最近、広島の男性と結婚したと風の便りで聞いた。  やさしく、控え目な女性であった。子どもの頃父親にいじめられたせいで、寂しそうな目になった、と自分の目を嘆いた。  絵画の中で人物画は一番難しく、仕上がるまで時間がかかる。顔や手足は一番手をかける。 フランスの若い女性の雰囲気を、どうやって出そうかと苦心した。パリの名所「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」を入れた。ロートレックやユトリロなどの画家が好んで描いたレビューバーである。彼女が遠い故郷に思いをはせている様を表現した。

 

水色の服の人形
油彩、F10号、2002年(平成14年)作

 西洋人形や日本人形などいろんな人形を描いてきた。アンチーク・ドールは貴族などの娘のものだったせいか、端正な顔立ちのものが多い。この人形はアンチークとは少し趣を異にし、庶民か、現代の人形であろう。 日本人形はどちらかというと、表情があまり豊かではない。その点、西洋人形の顔はおもしろく、描くのが楽しい。一目で、いたずらっ子のような表情が気に入った。 実は、私は男であるにもかかわらず、人形を描くのが楽しいことに気づいたのは、最近のことである。 ワンピースとエプロンのひだの質感を表現するのが難しかった。また、背後にピエロやマスクを入れ、水色の人形を引き立てさせた。 人形を仕上げる場合、私は顔を丁寧に描き込む。その人形にできるだけ似せ、また可愛くなるように描いている。 わが家にいろんな絵を飾っているが、人形画が一番多い。

紺色の服の人形
油彩、 F6号、1985-1986年(昭和60-61年)作

 トミタ画材店の五階でM先生に師事していたとき、教室にあった人形を描いた。シャツの襞を表現するのが難しかった。この絵を見ると、私なりに顔や手を試行錯誤しながら描いたことを思い出させてくれる。  教室にはモチーフがあまりなかったため、同じ人形を繰り返し描いた。先生は人形画の描き方の「いろは」を丁寧に教えていただいた。私が人形画を描くのが好きなったのも、先生の影響だろう。 先生はベレー帽をかぶり、すらりと背が高かった。やさしく弟子たちを指導するため、先生の人柄にひかれ、多くの生徒が集まっていた。  両親は亡くなるまで、この絵を寝室の鴨居に飾ってくれていた。稚拙な絵にもかかわらず、大事に扱ってくれた人は他にいない。「息子が描いた絵です」と言って、訪れた人に紹介していた。   もう一度この人形を描いてみたいものである。

チャボと石膏像
油彩、F6号、2010年(平成22)作頃

 白いニワトリが十匹ぐらい、わが家の鳥小屋にいた。昭和三十年頃は、どこの農家でも庭先で飼っていた。夕方、近くの川原で、柔らかい草を刈り取り、小麦や糠、トウモロコシなどを混ぜ、ニワトリに餌をやるのが、子どもの仕事であった。 木箱に餌を入れると、ニワトリがコッコ、コッコと鳴きながら近寄り、おいしそうに食べた。体を撫でてやりたいほどかわいかった。  ある朝、小屋の鉄の網が引きちぎられ、羽根が飛び散っていた。ニワトリがキツネかイタチに盗られたのである。とても悲しかった。ところが現在、わが家のあたりは都市化され、キツネなどの鳴き声がしなくなった。  黒いチャボと対照的な白い石膏像を組み合わせた。チャボの黒い羽根の中に、いろんな色が混ざっているのを発見した。絵を描いていると、普段見逃すような色や形が見えるのが、面白い。

 

靴とハンドバッグ
油彩、F6号、2004年6月(平成16年)作

 モチーフとして、女性の持ち物のハンドバッグや靴を描くのは珍しい。この絵では革の質感を表すことに力を注いだ。皮革特有の光の反射などを観察しながら描き進めた。  これらをよく観ると、持ち主の嗜好や思い入れが感じられ、ほほえましい。 中央の深い赤紫の革靴は、私よりかなり年配の女性の持ち物である。 「おしゃれですね」と声をかけると、「いつもちゃんと見てくれるのは、三戸さんだけよ」と喜ぶ。何歳になっても女性はきれいに装わなければならない、と考えているらしい。だから、それに気づいてもらったことがうれしいのである。 彼女のように絵をたしなむ人は、衣服のセンスがよく、またおしゃれな人が多いようである。  女性たちの気持ちを絵に込めることができただろうか、と心配になった。

磯の香り
油彩、F10号、1999年6月(平成11年)作

 子どもの頃、私は母に連れられて漁師をしていた叔母の家へよく行った。従兄弟たちとは仲がよく、浜辺や作業小屋で遊んだ。小屋には魚箱や浮き、縄などの漁具が雑多に置かれていた。浜辺へ出ると、潮のにおいがただよっていた。雁木には、さまざまな漁船が係留されていた。
農村育ちの私には新鮮な匂いや景色で、別世界へ来たような気分になったものである。
いつも叔父が笑顔で迎えてくれた。潮風で赤く焼けた顔をくずすと、金歯が口元からこぼれる。ある時、伝馬船で沖に出た。叔父が長い櫂をくねくねと前後に操ると、伝馬舟が海面を音もなくスイスイと進んだ。私も真似て櫂を動かしてみたが、櫂が外れたり、舟が蛇行したりした。伝馬舟をこぐにはコツがいるのだった。
この漁具の絵を描きながら、子どもの頃を思い出した。
また、この絵を見ると、潮の香りがただようような気がする。

 

サザンカ
油彩、F6号、1999年(平成11年)作

 夕方、ワンちゃんと散歩していると、庭に咲いているサザンカやツバキを目し、花の少ない時期に心を和ませてくれる。わが家でも門扉のそばに赤いサザンカを一本植えている。  三十八歳のとき油絵を描き始めて、花の形や色、葉などを丁寧に見るようになった。花弁どうしの重なり具合や並び方、葉の形などにそれぞれ特徴がある。それらがきっちり描かれていなければ、その花らしく見えない。  この作品は、私としては珍しく平面処理の技法を試みた。花弁の質感を表すため、ペインティング・ナイフでさっと描いた。背景は青で冬の感じを表した。O先生のアトリエにあった木彫りのハトを描き加え、画面の下部を引き締めた。 サザンカはオシベが開き、ばらばらと散る。ツバキはオシベが筒状で、まとまって散る。サザンカはツバキの一種であり、両者の違いを画面に表すのは難しい。この絵はサザンカに見えるだろうか。

 

金魚草
油彩、F10号、1994-1995年(平成6-7年)作

 宇部の絵画教室の仲間に花屋さんがいて、毎回バケツに二杯、どっさり花を持参してくれた。他に適当なモチーフがないので、花ばかり描いていた。 現在の作品とずいぶん違い、この油絵の色調は暗い。廃校になった校舎の大部屋で、照明は高い天井に下がっていて、部屋がやや暗かったせいであろうか。この時期の作品は同じ調子である。  花の特徴をうまく描き表さなければならない。それまで花に関心のなかったけれども、油絵を描き始めて、その美しさに気づいた。金魚の群れのように咲き誇る花弁を大まかなタッチで描いた。  この絵を見ていると、M先生を思い出す。元小学校の校長で地元の名士だったせいか、生徒が多かった。わが細君は先生のモデルを二回もつとめ、先生の女性画の個展が終わると、その油絵を二枚いただいた。今でも部屋に飾っている宝物である。

バラ
油彩、SM号、不明

 花の女王と呼ばれるように、バラほど美しく、気品に満ちた花はない。  バラはヨーロッパで品種改良が進み、いろんな色が作り出され、四季を通じて咲くようになった。わが国はバラの自生地として知られ、品種改良の時、日本原産のバラが大いに貢献している。 バラを描くのは難しい。バラのはずが、ツバキになってしまったこともある。どうしたらうまく描けるだろうか、思案した末、庭に栽培し、観察することにした。 最盛期には三十本くらい植えていた。私は根が横着なものだから、手入れを怠り、よく枯らしたものだ。現在、十本が細々と花を咲かせている。 バラの絵を描くとき、中学時代の恩師Y先生を思い出す。バラの愛好家で、玄関の前の庭にたくさん植えておられた。先生のお気に入りは、剣弁のきれいなバラだった。私がバラ好きなのも先生の影響だろう。

冬の大山南壁山麓~鬼女台より~ 油彩、F10号、2000年(平成12年)作

 初めて冬の大山を訪れ、鬼女(きめん)台に立った時、墨絵のような雄大な雪景色に息を飲んだ。幾重にも重なる山襞がどこまでも広がり、素晴らしいパノラマ風景であった。広島では見たこともなく、子どものように感動を覚えた。 一時間余り、雪の中にイーゼルを立て、キャンバスに向かった。描き終わったとき、足が冷えてジンジンしていた。ひざまで雪にうずもれて描いていたのである。バスに戻り、ポットの熱いお茶をすすって一息ついた。 夜、ホテルでH先生に、「構図がよい」と褒めていただいた。構図が重要であると考えていたので、お世辞であったとしてもうれしかった。  子どもの頃、広島でも雪がかなり降り、学校で雪合戦したり、雪だるまを作って遊んだりした。青竹を火であぶってソリを作り、川土手の斜面で、スキーヤーの真似事をしたこともある。雪を見ると童心にかえる。 いつか、雪のない季節にここに立ち、スケッチしてみたいと思う。

 

桜の大木
油彩、F10号、2010年(平成22年)作

 夕方、愛犬と散歩に出掛けるとき、途中で見かける桜の木である。畑の真ん中で大きく腕を広げるように悠然と立っている。年輪を重ね、樹肌が荒々しくひび割れて風格を感じる。いつか、満開の時期にこの大木を描きたいと狙っていた。 三月中旬、南側の道端にイーゼルを据え、まずつぼみのとき枝や幹を描いた。四月の初め、満開になったのを見計らって花びらを描き加えた。文字通り、私は「花咲かじいさん」になったのだ。 ソメイヨシノは花弁が5枚あり、葉が出る前に花が開く。咲き始めは淡紅色だが、満開になると白色に近づく。 桜の花弁は小さくて描きにくい。「木を見て森を見ず」ではないが、「花弁を見て木を見ず」となってはいけない。平面的になりがちなので、立体を意識しながら仕上げた。 桜は何度見ても飽きないものですね。


春を待つ薬師寺遠望
油彩、F10号、2010年(平成22年)作

 四月から東塔が解体修理のため、今後十年は薬師寺の全貌は見られないという。三月末、出不精にもかかわらず、私は重い腰をあげて出掛け、西の大池からキャンバスにスケッチした。昨年の暮れから今年初めにかけ、体調がイマイチだったので、薬師如来(医王如来ともいい、医薬兼備の仏様)に健康を祈願しながら、絵筆をとった。  神々しい東塔や西塔が池に映り、逆さ富士のようで、素晴らしかった。 帰りに奈良在住の中学時代の旧友N君と再会し、大阪の繁華街で一杯飲んだ。彼は高校を卒業後、住友銀行に就職していたが、四十歳ごろ、脱サラし、今では社員25人の中小企業の社長になっている。 中学の頃、私が見惚れるほど、彼は器用に水彩画を描いていた。現在は残念ながら仕事が忙しくて、絵を描く暇がないらしい。仕事を辞めたら、日本画を描きたいと言っていた。きっと素晴らしい絵を描くに違いない。 スケッチに行ったお陰で、二十年ぶりに旧交を温めることができた。


絵を描く楽しみ

私と絵画
sketch-coffee-time  私は40歳前に、中国新聞文化センターの絵画教室に入り、油彩画を描き始めました。会社勤めしていており、絵を描くことにより、気分転換やストレス発散したかった。それから余暇に細々と絵画を描いてきました。
絵画教室で仲間と切磋琢磨しながら絵を学んでいると、彼らとの交流はいわゆる「異業種交流」であり、楽しみでありました。
 定年退職後は「毎日が余暇」となり時間的な余裕ができたので、水彩画にも取り組み始めました。いざ水彩画を描いてみると、奥が深く、また手軽にスケッチできるので、その魅力に取りつかれました。
 現在は、水彩画を描くことを楽しみながら、過ごしています。

 絵画写真の撮り方New
cameraman  油彩画を描き始めるようになると、出来上がった絵を写真に撮るようになりました。年賀はがきなどに絵をプリントし、とかく儀礼的になりがちな年賀状を少し趣きのあるものにしたいからです。
 ところが、油彩画や水彩画をカメラで撮ると、写真の絵が少し白っぽくなり、色彩は色褪せてます。キャンバスや水彩紙の表面の凹凸で、光が乱反射して白くなるため、本来の色を再現できません。
 太陽の日差しの加減でも、絵の色合いが微妙に異なります。晴れのときは色鮮やかですが、曇りの日は青味がかり暗くなります。蛍光灯の明かりで撮る場合は青っぽく、白熱灯では赤っぽくなります。
 日光をキャンバスや水彩紙に直接当てると、紙面で乱反射が強すぎて、どんな絵なのか分からなくなります。太陽などの光線がキャンバスや水彩紙の斜めから射すように変えると、光線の反対側に画面の凹凸の影が現れます。
 上野の東京都立美術館で、日展の図録を作成する撮影現場を偶然見かけたことがあります。油彩画を取り囲むように小さな電球が内向きに角度を変え、枠にたくさん取り付けられ、キャンバスをくまなく照らしていました。柔らかい光をいろんな角度から照らし、キャンバスの表面の凹凸による乱反射や影を防ぐ工夫であると思います。
 この照明装置をヒントに、写真の撮り方を工夫してみました。 晴れた日に屋外でキャンバスや水彩紙を逆光に置き、写真を撮ると、画面に柔らかい光が当たる(乱反射が少なく)ため、乱反射が少なく、色のバランスもいいことが分かりました。
 現在は、キャンバスや水彩紙を椅子に乗せ、背後にベニヤ板を置き(日光がカメラのレンズに入るのを防ぐ)、逆光で撮っています。手振れを防ぐため、カメラはレンズにフードをつけて三脚に乗せ、タイマー録画します。
 撮った写真はパソコンで、フォトショップという画質補正アプリで画像処理しています。

 

 



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