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江戸小紋

  江戸小紋師  藍田正雄

   八歳の頃に父春吉(三代目)の許で指導を受け、中学卒業後、

   父の友人であった東京大井町の工房に修行に出ました。

   十七歳の頃には職人として認められるようになりました。

   その後、埼玉や東京の工房で修行を行い、昭和四十一年に高崎に

   帰り、父と一緒に仕事を行うようになり、昭和五十二年、工房を

   現在の群馬に移られました。

   日本伝統工芸染織展において文化庁長官賞や日本経済新聞社賞を、

   伝統工芸新作展では朝日新聞社を受賞するなど、江戸小紋染めの

   技術は高く評価されています。

   また、後継者の養成にも力を注がれています。

   平成 十年、天皇皇后両陛下に日本絹の里で江戸小紋の実演

   平成十一年、群馬県指定重要無形文化財保持者の認定。

   平成十四年、群馬県功労賞表彰。

平成十九年、伊勢型紙保存会育成保護十年、江戸小紋育成保護。

   平成二十年、伝統文化ポーラ賞を受賞。

                               高崎市文化省を受賞。

                               他・多数の活躍をされています。


  江戸小紋染の技法

  

   藍田正雄さんは、縞柄の染めを得意とされ、毛のように細かい無数

の縦縞がつながる「毛万筋」の名手といわれています。

   また「板引き杢」という杢目の流麗な模様や「江戸小紋深山染め」

   というぼかしの効果により幻想的な空間を表現する染色の技術も

   取得されています。

   板引き杢は、涼風に揺れる二枚の簾が重なると非常に美しい

   モアレが生じることからヒントを得て藍田さんが創案された

   技法です。藍田さんの板引き杢の独自性は、糊を付けたまま

   型板の上で二度伏せて染める点で、その技法を生かして表現

する洗練されたデザイン感覚にあるといえます。

深山染めは、大正八年頃に流行した染色法で、傘地を染めた

技法です。その技法を江戸小紋に取り入れたのが「江戸小紋

深山染め」です。染料を霧状にして落すとぼかし染として、

藍田正雄さんによって復元されたものです。

 

  江戸小紋、これだけは知っておきたい。

  江戸小紋染め始めのタイトルの部分、江戸小紋と染め抜かれている横に

  『秘蔵極型』Rと染め抜かれているのは、「藍田正雄」さんだけが

  使用できる意匠登録です。
  きわめつけ細かな小紋柄のことを意味してます。
  この事で、藍田正雄さんの江戸小紋の柄の細かさが、
  理解していただけます。
  江戸小紋をご覧になるときはこの染め抜きを目印にして
ください。
  最近、偽りの商品も沢山出回っています、ご注意くださいませ。

 *お願い・・小紋師 藍田正雄以外の名前で『秘蔵極型』と
        江戸小紋染め始めのタイトルの部分に染めた商品が
        ございましたら、ご連絡下さいませ。


  藍田正雄の江戸小紋  極小美の世界


  平成22年1月30日(土)−3月22日(月・祝)

                      高崎市タワー美術館



  平成22年2月20日

   群馬県高崎市、高崎市タワー美術館に行きました。

   2008年度高崎市文化賞受賞記念として、
  「藍田正雄の江戸小紋 極小美の世界」開催されました。

   遠目には無地のように見えるほど細かい文様で
   埋め尽くされた江戸小紋。

   江戸時代に武士の裃に用いられ発達し、型紙を使って糊で型付けし、
   染上げたものです。
   単純な文様を鮮やかに染め出すには、職人の熟練した技術が必要です。
   群馬県指定無形文化財保持者で高崎市工房を構える藍田さんは、
   江戸小紋の技法を受け継ぐ職人のひとりです。

   難しいとされる「縞」の名手として知られ、これまでに文化庁長官賞や

   朝日新聞社賞などを受賞し、2008年には伝統文化賞を受賞
   するなど、その確かな技を評価されています。

   伝統を受け継ぎながら独自の制作を続ける一方では、
   江戸時代の伊勢型紙による文様の再現や、海外での小紋染めの実演、
   そして後継者の育成と、活躍されています。
   今回の展覧会は、藍田正雄さんの代表作から新作まで紹介され、
   得意とする「縞」をはじめ、復元した「深山染」や
   考案された
「板引き杢」など、熟練された“手の技”を
   見ることができました。

  当日は、藍田正雄さんの記念講演会が行われ、
   定員を超える沢山の人でした。

  藍田正雄さんの職人魂そして職人だからこその話、
  心暖まる記念講演でした。


  江戸小紋
  
   
精緻な手仕事

   江戸小紋の歴史は古く、室町時代末期にすでに小紋染技術は
   発現していたと考えられています。
   そして、江戸時代の武士の裃に用いられたことが大きく影響し、
   様々な小紋柄が誕生しました。
   型紙を彫り、布に染め上げる、すべてが手作業の伝統技術。

 

  何事も顕にせず、さり気なく秘めてこそ粋であるとした
   日本人の心意気は、江戸小紋のきものに今も息づいています。

   極めて細かい柄を型紙に彫る人、またそれを寸分の違いなく染める人、

  最高の手技が出会って初めてこの美しい型染が出来上がります。

  伝統の手仕事と讃えられる数々のきものの技法の中でも格別の熟練を

  要するともいわれています。
   きもの着る人の感性や好みを素直に映し出す着こなしの楽しみ、
   深さもまた格別の着物です。

  無地染めに見えるほど細かい柄から、遊び心や小粋さを楽しむ柄まで、

   江戸小紋の柄はたくさんあります。

  武士の裃に始まったといわれる小紋染。
   技術を競い、意匠を競ったその緻密な美しさは、
   やがて庶民の手に渡り、人気を得るようになりました。

  そのなかから生まれた新しい意匠の数々は、機知に富み、
   風趣にあふれた江戸庶民の感覚を残しています。

  最初の一枚・小紋三役

  初めて選ぶ一枚には、江戸小紋のなかでも古典柄と呼ばれて、

  行儀、通し、鮫の三種類の柄を、
   「江戸小紋三役」または「錐小紋三役」と呼ばれ
   別格の扱いとしてきました。

  「単純な柄ほど、むずかしい。ごまかしがきかない。
            まっ正直に最初から最期まで意地を通さなければ」
    と職人は言います。

   単純な柄の最たるものは(縞柄)で
   『養老、毛万に島津(鮫)が無けりゃ、わしもなりたや、型つけに』
    という言葉があったほど、
   (縞)は型付師泣かせのしごとなのです。
    その型の送りの方が1ミリ狂っても縞にならず、
    気がぬけない仕事なのです。

    型彫師においても鋭い小刀で引き彫りをするのですが、
    一瞬の呼吸の乱れも許されない気迫のいる仕事です。
    また、『島津が無けりゃ』と言われる
   (鮫)や(通し)(行儀)などは、[錐彫り]という技法で
    極物は3cm四方に900〜1000最高で1200の錐の穴で
    彫っています。