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紬

〜のこされた魅惑の染織〜

琉球染織展
 

沖縄の染織品は、華やかな王交易時代に諸外国との貿易や文化の交流の中で、
琉球固有の染織品に加えて、様々な影響を受けながら発展しました。

沖縄の島々に自生する芭蕉や苧麻、養蚕による絹、紬、
さらに亜熱帯の気候風土
に恵まれた植物染料の豊かさが、
他の地では見られないほどの多種多様の染織品
を生み出します。
それらは戦争の焼失の中から現在に伝えられています。  

2012年、沖縄が本土に復帰され40周年を機に残された魅惑の染織を
是非ご覧いくださいませ。

  と き  11月24日(木)〜 11月30日()

  ところ  福屋八丁堀本店 七階 美術画廊


久米島紬・・日本最古の紬の原型
植物染料と泥染による日本最古の紬で、平成16年に国指定無形文化財に指定。

 
琉球紅型・・五彩が映える美しい紅型

社事を行う際の服装として、染められたのが起源だとされています。

琉球絣・・・インドで生まれ沖縄で育った絣

琉球絣は沖縄織物の総称で、
現在では沖縄の南風原町で織られている絣を称して
います。

読谷山花織・読谷山花織の技法

直線と曲線を幾何学模様で花のような美しさに立体感を
もたせた沖縄の中でも
異色の織物です。

芭蕉布・・・沖縄の風土が育てた織物
糸芭蕉の皮をはぎ、煮た後一本一本を取り出し結び合わす
忍耐のいる最も古い織物
です。

八重山上布・貢納制度が生んだ美しい上布
八重山上布は、人頭税の実施に伴って確立し、税の締め付けは、
耐え難いものでした。


宮古上布・・400年前に起源をさかのぼる宮古上布

宮古上布は1610年、貢納布となり役人の厳しい監督の下で
織られたといわれてます。


与那国花織(よなぐにはなおり)・・国境の島の織物
格子柄又は
縞柄に花織が組み合わされています。


 などの展示を予定しています。

(都合により、作品がないものもあります。)


自然素材染、手織り紬 米沢の染織紀行


 米沢から最上川を下って長井、白鷹の置賜地方へ・・。

 そこは紬の里。ぜんまい紬、紅花紬、古代布、長井紬、白鷹御召

 など、この地方の風土のなかから生まれたものです。

 米沢の人々によって糸が紡まれ、染色され、織られてきました。

 それぞれの紬には、長い歴史のなかで培われた工程があり、それらが

 独得の風合いを作っています。日本最北にある絣の里とも言われる

 米沢の染織紀行。

白鷹板締絣−小松紀夫

 朝日山系の地下水に恵まれる白鷹では、厳寒期の水が、鮮やかな染め上がりを助け、かつては「寒染め」が主だったとか。糸で挟んで重ねた版木を固定し、さらにずれないようにボルトで締め上げる。蒸気を出して湿気を与え、少しつずつ湯をかけて湿らせる。版木も糸も充分に湿り気を帯びれば、それから丹念に染料をかける作業が続芯まで染料が浸透するまでに約一時間。白鷹が絣の北限、板締絣今では二軒だけに・・。

白鷹織−佐藤新一

草木染や伝統の絣染の技法で織り出される白鷹紬は、素朴な中にも優雅さ     を秘め、軽くて暖かく着くずれしない品と質を備えた紬です。

長井絣紬−長岡正幸

安政年間、長井の高橋仁右衛門が経緯絣を開発し、明治時代に絣紬として出荷したところ大好評を得、長井紬として愛されるようになった。おおらかで素朴な絣模様のふるさとです。

紅花染−新田英行

どの色も、紅花と草木の重ね染めです。紅が必ず入ることで、色どうしがしっくりとなじむ。染料の草木は、上杉鷹山が奨励した“糅物”、つまり梅、栗、胡桃が基本です。

古代布−玉虫正直

和紙を素材に、昔からあった紙布・紙子の織物を織ったもの「和紙綴」、古代上布といわれる「からむし織」は、日本の貴重な文化遺産、米沢地方は、秀峰に囲まれた盆地です。四季折々に採れる山菜の宝庫、雪どけの下から芽をだし、自らの綿衣で露をしのぎつづける「ぜんまい」は、みちのくの人々にとって欠かせぬ冬期間の保存食であると共に、その羊毛にも似た独自な自然と、防水性から古来この綿が珍重されました


より一層多くの方にきものを着ていただきたく、くろかわ紬兎を始めました。
全国の紬や織物、草木で染めた糸を紡ぎ、時間をかけて伝統の織の手法で丹精込めて織り上げられた手織りの紬数々です。
時がめまぐるしく移りかわっても素朴で、ほっこりと心を和ませてくれる縞や格子、絣柄はそれぞれの国で生まれ育くまれてきました。
いつまでも変わることのない織物をお楽しみ下さいませ。

みちのく米沢の織物・・・置賜紬(白鷹御召、白鷹紬、長井紬、米琉)
              古代織物(紙はた織、ぜんまい紬、科布、藤布)紅花染、

雪国の十日町・小千谷・越後の織物・・・小千谷縮、小千谷紬、越後上布
                        塩沢御召(本塩沢)、塩沢紬、十日町紬、
                        十日町御召、片貝木綿

群馬の織物・・・桐生御召、伊勢崎銘仙

長野の織物・・・信州紬(飯田紬、上田紬、伊那紬、山繭紬)

茨城の織物・・・結城紬

美濃の織物・・・郡上紬

能登・霊峰白峰の織物・・・牛首紬、白山紬、能登上布、能州紬

南九州・奄美の織物・・・大島紬、薩摩絣

南の国の織物・・・琉球がすり、久米島紬、芭蕉布、読谷山花織、八重山上布
           首里織(花蔵織、花織、道屯織、ミンサー)
           琉球紅型
  

平成22年2月21日
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
 そこは、越後湯沢豪雪地帯、
 小説「雪国」駒子が駅に迎えに来てくれるかのように、列車は駅につきます。

その少し先に、塩沢・六日市とその一帯を現在、新潟県南魚沼市といいます。
義と仁愛の精神で戦国時代を駆け抜けた名将「直江兼続」のふると越後上田庄とも呼ばれています。戦国の世、無敵といわれた上杉軍の大きな収入源は苧麻
(からむし)の栽培と養蚕その流通を押さえたことによる経済力でした。

上杉景勝とともに上杉謙信の教えを受け、多くの功績を挙げていった。

その後、米沢三十万石の大減封、「上杉鷹山」の時代、
「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬ成けり」
米沢の養蚕から絹織物へと力をそそぎ、
三十万石を実高五十一万にまで引き上げ苦しい財政を立て直します。

十日町織物、米沢織物として現在に様々な織物が伝えられています。

自然素材で染められ、雪国越後・米沢の人たちの手織りの紬、
 つらい冬をのりこえる心の強さが、織物に表れています。
 今年久々の大雪の中、雪国越後と米沢の人たちにお逢いし
 雪どけの水のような澄みきった数々の人や織物に出会ってきました。
 雪国の人たちの心暖まる織物に感動!!


越後 六日町温泉 2月21日朝

 「温泉宿 龍言 」二階の窓より

  豪雪の上田坂戸城址です。

ここに来るのが、夢でした「塩沢」の駅とホームです。