おだどんさん(小田太郎右衛門景康)

 

“交流の広場”に2014年3月、I・Oさん(広島市在住)から長いメールがありました。実家の大竹市に「小田神社」があり、その祭神小田太郎右衛門景康という自分たちの先祖であること、毛利の家臣であった景康が主君の国替えで萩に向かう途中大竹村を通ったこと、村の佇まいがあまりに貧しかったのでなんとかしたいと村に留まり、苦心して海苔養殖を始めた、といった内容でした。景康はその後隣村との境界争いに巻き込まれて命を落としますが、村人は村を豊かにしてくれた景康の恩を忘れず、後に小祠を建てて祭ったのが神社の前身ということでした。

さっそく系図で確認したところ、13世・小田左衛門太夫政秋の三男に景康の名前があり、時代も合っています。関ヶ原の敗戦によって武士を止めることになり、思い思いの場所に分散することになった史実とも符合します。まるで小説にでもでてきそうな内容だったのでHPに載せたいと思いつつ、1年ほど経った2015年4月、今度はH・Oさん(山口市在住)からメールがありました。大竹の実家の系図を見て先祖のことが気になり、このHPを見つけたということでした。さらに、景康の命日にあたる5月5日の春の例大祭にぜひ来てほしいという話になりました。当日、地元の名士、小田氏の関係者など十数名でしめやかに行われました。社殿は小さいながらも心が行き届いており、氏子の熱気が強く感じられるものでした。