私、戦後翌年の1946年5月生まれ。学術上「団塊の世代」とは1947年生まれから49年までを言うらしく、正確には46年生まれは「プレ団塊の世代」と分類されるらしい。
私の在籍した「マツダ梶vでは1968年・1969年(つまり45年・46年生まれ中心)入社が極端に多かった。マツダでは68・69入社がまさに「団塊」であった。と言う事で、自分たちを「団塊の世代」の中核であると自覚している。
戦後の歴史
1945年8月6日広島に原爆投下
8月9日長崎に原爆投下
8月15日終戦
1946年5月24日 中国瀋陽市(当時の奉天)にて生まれる。
11月3日 日本国憲法公布
1947年5月3日 日本国憲法施行
と言うように我々は「新憲法」と共に生まれ育った…と言う自負があり、「団塊の世代」とは「新憲法」と共に生まれた「新憲法世代」と思っている。
5月3日は「日本国憲法記念日」であり、最近の憲法改正の動きが話題と扱われている。
「団塊の世代」つまり「新憲法世代」の一員として言わせて貰うなら、その時の政治家の思いつきでそう簡単に世界に誇る「憲法」を改正して欲しくない。絶対に「改正はダメ」と言う事ではなくしっかり議論した上で、「世論」がまとまれば…と言う条件がつく。
@ 自民党の改正案を見る限り、政治家自体「憲法」の基本意義から十分に理解できていない事が解る。
つまり、「国民の責務」と言う事細かい条文が追加されているが、「憲法」とは「国民」に対する「世界」に対する「国家」の約束事であり、例えば「家庭を守る責務」などと憲法に入れるべき次元の話ではない。
まず、「憲法」の役割・意義から明確にしておかないとその時代の「権力」の都合で勝手に改正される「存在」となりかねない。
A今回の憲法改正の動機は、なんと言っても「9条」の存在と「自衛隊」の存在の矛盾を解決したい…と言う事が中心である。この点もしっかり国民の理解と「平和」に対する自覚を時間を掛けて議論すべきと思う。
「自衛軍」ならOKなのか?どこの国の軍隊も建前は「防衛軍」「自衛軍」である。「侵略軍」「遠征軍」などと名乗る軍隊など世界中に存在しない。
イラク戦争ですらアメリカにとっては「米国内」を「テロから自衛」するための戦争…である。「自衛のため」の武力行使(戦争)をどこまで枠をキチンとはめられるか?現実性があるのか?太平洋戦争であれ、米英の経済封鎖に対する自衛戦争という大義ではなかったか?
ミサイル、核兵器に対して専守防衛が可能なのか?「軍」を明確に公認する事で、「中国」「韓国」アジア諸国に今以上過敏な警戒感を与えないか?
等々議論すべき課題はキリがない。我らが誇りの「日本国憲法」を変えるなら納得性のある筋道を示して貰いたいものだ。
団塊の世代
シリーズ
(1)
「新憲法の世代」