八ガ岳連峰の縦走  (2014年)
 

 1973.1.4〜1.10 単独で南八ヶ岳を縦走した。
 初めて南八ヶ岳に入山したのが、厳冬期の縦走だった。
 あれから40数年たって、当時の山を見たくて入山した。しかし、持病の膝の調子が悪く、途中で下山した。
 2回目の八ヶ岳は北八ヶ岳から南八の硫黄岳までの縦走で終了した。
 
八ガ岳の概念
 
八ガ岳は、長野県中東部と山梨県北部にまたがっている。
 夏沢峠から北部を北八ガ岳、南を南八ガ岳。北と南では地形の構造や植生、樹相が異なっている。
 八ガ岳は、大小約20個近い噴出口を抱えた諸火山の集合体であり、火山活動は、古八ガ岳期と新八ガ岳期に分けられ、まず古八ガ岳期に、今の北八ガ岳の東列に大規模な火山群を形成し、順次活動を南下させ、南八ガ岳の火山群を造った。
 その後、浸食期間を経て新八ガ岳期に入り、逆に南八ガ岳の火山群の形成から始まり、北八ガ岳の西側主稜に多数の溶岩丘群を形成し活動を終えている。
 北八ガ岳は火山の歴史が古く、風化浸食作用が顕著でなだらかな山が多く、深い針葉樹の森と神秘的な湖などの自然景観を生んだ。
 苔むす針葉樹林が広がり、林や、所々で現れる岩が美しく、その中に神秘的な池が点在している。珍しい縞枯現象も、この山域の特徴だ。
 一方、南八ガ岳は古い火山帯の直上に新しい火山帯が形成された、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳等は新八ガ岳期に骨格が形成され、その後の浸食作用で東・西・北側に比高300mにおよぶ荒々しい峰々を形成した。
 硫黄岳は、八ガ岳火山史の中では最も新期に形成され、爆裂火口が生々しい。湾曲断崖は直径約1km、山頂と噴火口(本沢温泉付近)との比高は550mを超える。
 爆裂の凄まじさは、硫黄岳、天狗岳、稲子岳などの東半分の大崩壊をつくり、松原湖沼群やみどり池を誕生させた。
 南八ガ岳は、主峰赤岳を筆頭に、権現岳、横岳、阿弥陀岳、硫黄岳等の山岳展望は素晴らしい。

HPを読まれる際の注意点
 この紀行文は、筆者の個人的感想等で、標高も国土地理院の地図を参考にしていますが、三角点等の無い地点は、推測標高です
 よって、本文を読まれて登山される方は、他の案内書・地図を熟読され、個人の責任による安全登山をお願い申し上げます。
7月23日(水)
 広島駅14番ホーム20:37発名古屋行きのぞみ96号で京都着22:14。
 京都駅八条口23:04発の夜行バスにて甲府駅南口6:52着に乗車する。座席は1号車1A席

24日(木)
 夜行バスは予定の6:52より若干早く甲府駅に到着し、甲府駅発6:46の列車に乗車した。
 茅野駅7:47着。茅野駅発7:55のバスでロープウェイ山麓駅(1771)8:47と、予定より約2時間早く移動し、9:05発のロープウェイに乗れた。
 山麓駅舎の看板に「山頂駅では水が補充できない」と注意書きがあった。
 山麓駅は霧に包まれ始め、ロープウェイからは、南八ガ岳の峰々や北アルプス、御嶽山、中央や南アルプスの峰々が見えるらしいが、今日は何も見えない。
 7分で山頂駅(2237)。山頂駅は外気温14度、視界100m程である。
 山頂駅広場を出ると縞枯山荘に向かう。
 五辻方面を右にわけて直進し、雨池峠方向に進み、駅舎から10分程で縞枯山荘(2230)に到着した。
 縞枯山荘には、10日前に宿泊予約を入れた。
 縞枯山荘に宿泊の手続きを済ませ、雨具等を小ザックに詰め、北横岳に向かうため9:50山荘を出る。
 山荘の主人は、雨池峠から三ツ岳を経て北横岳に至る道が楽だろうと教えてくれた。
 雨池山と縞枯山の鞍部(2245)雨池峠に進み、分岐を左に分け入る。
 夜行バスに乗る前に服用した睡眠導入剤の影響で体がだるく、ふらふらした身体で足元が覚束ない。
 15分程のアルバイトで天池山展望台に到着した。霧の為、展望はない。
 なだらかな尾根を雨池山を目指す。 
 雨池山(2325)を10:22に通過する。雨池山と三ツ岳T峰の鞍部から大きな岩が現れ急な登山道となる。
 一登りして振り返ると、雨池が霧の中に見えたため、しばらく休憩したが、視界は良くならない。
 北方向の大岳や南の縞枯山どころか200m先もは見えない。
 シャクナゲの大群落の道を歩き、大きな岩の中を進むと、T峰とU峰の鞍部付近の溶岩の大岩の隙間からクーラーの様な風が出ている。風穴現象だ。
 地元の人に聞くと「あの付近にはそんな話は聞かない」という。
 風が強いため、溶岩の中を通過した空気が冷やされ、冷たい空気が流れたのだろう。
 それとも、霊感で背筋が・・・。
 U峰からV峰(2370)は岩の稜線を進む。岩と岩を大股で、時には飛びながら進む。
 数カ所の鎖場が現われるが、いずれもホールド、スタンスは十分にある。
 大岩のこのルートは高齢者には非常にきつく、エネルギーを消耗する。
 平坦な尾根道になると、坪庭からの道と合流する。
 その分岐から少し歩くと、北横岳ヒュッテ(2400)が見えた。
 ヒュッテにて、軽い食事をと依頼すると、日清のカップヌードルしかないという。
 とりあえずそれをお願いする。ある本にヒュッテのコーヒーが美味しいというので、食後に注文する。
 ヒュッテから樹林帯の道を登り進むと、砂礫の道となり北横岳の南峰(2471)に出た。
 山頂は南峰(2473)(鞍部は2465)と北峰(2480)の2峰からなり、どちらの山頂からも見事な山岳展望が得られるらしいが、今日は霧の中。
 地図では、北峰の西に小さな噴火口があり火口湖があるというが、見ることが出来ない。
 北峰近くのハイマツの中で若者が強風を避ける様に、食事をしていた。
 北横岳ヒュッテ前に帰ると、小屋の前の小道を下り、七つ池を往復する。
 一ノ池は浅く、ワタスゲが風に揺れていた。さらに右手に進むと小さな二ノ池が現れたが、どちらも霧の為対岸を見ることが出来ない。
 ヒュッテに引き返し、三ツ岳分岐に向かう。
 中高年の女性登山者の中に美しい人を見て、つまづいた。俺は
「美人は罪ですね。転んでしまった」  という。
「ありがとう」            と鈴のような声。
 坪庭に向かうため分岐を右に進む。分岐から数m下り、沢の橋を渡り、道は山腹をトラバース気味からジグザグに下って行く。分岐から標高差100mほど下ると、坪庭のコンクリートの道を歩く。
 坪庭は噴火で出来た岩とハイマツが見事である。
 霧が流れる坪庭を進み階段を下ると、縞枯山荘との分岐に降り立った。
 登山届を提出に、ロープウェイ駅舎に向かう。駅舎(2233)で登山届を出し、駅舎の喫茶コーナーで生ビールを頼むと、缶ビールしかないという。
 ビールを飲みながら、愛妻に「本日の登山行動終了、翌日まで電源を切る」とメールする。
 再度山荘への道を歩く。八丁平に入り、縞枯山荘(2230)に帰り着く。
 山荘の主人に案内され、寝床へ。一人の中年(同年齢だから高齢者か?)登山者一人。
 登山者によると、「今日は二人だけですよ」

25日(金)
 今日は天気がよさそうだ。縞枯山と三ツ岳から横岳の稜線に朝日が当たり、山荘の草原にも降りてきた。
 縞枯山荘で水をもらい出発する。
 昨日の道を引き返し、雨池峠(2245)の分岐を右に進み、石ガレの路面が少しよくない針葉樹の林の中を登り、150mほど標高を稼ぐと、縞枯山(2403)に着いた。
 山頂は林の中。道は左に曲がり平坦な尾根を歩いていると、今日初めて女登山者(顔を隠した)と出会った。
 女は地図を差しだし
「今、どこですか」
「縞枯山と展望台中間の道標がそこにあった。直ぐ先が展望台だろ。」
「今、どこですか」「・・・」
 「縞枯山の展望台はそこでした。で、今どこですか、それだけわかれば・・」
「今、どこですか」俺は「・・・」
「今、どこですか」女は納得のいかない様子だった。
 女と別れて1分も経たない所に展望台の道標があった。
 ザックを降ろし展望台(2387)に登った。
 巨岩の重なりあったところで、行く手の眺めはなかなかのものだ。
 円錐形の茶臼山の姿が美しい。天狗岳は確認できたが、硫黄岳や赤岳等の南八ガ岳は雲の中だった。
 麦草峠を大型車が走っている。
 縞枯山展望台から標高差80m程下って鞍部(2308)に降りた。
 五辻方面の分岐は、広い鞍部で100mほど平坦地が続き、茶臼山に登り返す。
 茶臼山山頂(2384)は展望はなく、道標にしたがい、右手の林の中の道を少し進んだ所に展望台があった。
 展望台は赤い火山特有の岩頭だった。
 縞枯山、横岳、蓼科山、ロープウェイ山麓駅や茅野の町そして南八ガ岳の西岳、権現岳、阿弥陀岳、赤岳、手前の天狗の双耳峰が望めた。
 赤岳の右手には、南アルプスの駒ヶ岳、千丈岳、北岳の連山が望めた。
 分岐までもどり、頂上台地を進むと、今度は150mほど下降すると中小場(2232)に着く。
 下ってきた茶臼山には縞枯模様が見える。また天狗岳方面も見れた。
 北八ガ岳山系は、樹林帯の中を歩き、突然現れる露岩の展望地では、緑の山々が美しく疲れた身体を癒してくれる。天狗岳を遠くに望めて至福のひと時。
 森の中の穏やかな道を下り、大石峠の道標(2155)を通過して平坦な道を歩くと、車の走行音がすると、茶水池に出た。小さな茶水池は番茶の濃いい色だ。
 池を一周すると、国道299号線の麦草峠(2120)を横断し、麦草ヒュッテ(2127)の駐車場に入った。
 40分遅れで行動している。
 ヒュッテ前のベンチにザックを降ろすと、中高年の男達からシャッターの依頼があった。
 数カット切ると男たちが出発していった。
(後で、相前後して行動するようになった男達で「群馬の愉快な6人衆」略して「群馬の愉快衆」)
 予定していた軽い食事をヒュッテで頂くことにした。山菜そばを食し、最高級のアイスを頂いた。古い本には「おいしい水が流れているので・・・」とあるので、場所を聞くと、
「飲用に適していない・・1リットル50円で水をあげます」との言葉に飛びつく。
 麦草峠は、昔、馬越峠とよばれその位置はおおよそ2kmほど西にあったという。
 ヒュッテで長居をした。予定の1時間遅れで腰を上げた。「群馬の愉快衆」からは40分遅れだ。
 ヒュッテ(2127)駐車場の東側から草原の登山道に入る。
 右上に東屋がありその手前を登って行くと、鹿の侵入防止の「鹿止め網」を開閉して登山道を登って行く。
 針葉樹の斜面を登り、丸山北峰(2212)を越えると緩やかに下り、広い鞍部(2195)がありさらに急登で、足元が悪くなる。
 疲れた頃、友人から携帯電話に着信があった。
「会いに行こうか」
「今、長野県で山登り中」
「元気かと思って・・登山して居る位だから、元気か・・・」
 数分の会話で元気が出てきた。
 軽くなった足で登り上げた丸山(2329)は展望のない森の中だ。
 丸山は端正な円錐形の火山だ。
 ここまで歩いてきた、北八ヶ岳の山頂は美しい円錐形が多く、頂上まで針葉樹の林で、瑞々しい青苔で覆われている。
 丸山山頂の小さな丸山神社に手を合わせると、主稜線を下ると白駒峠の道標から直ぐに高見石小屋(2300)に到着した。
 小屋のベランダの下には、沢山の割木が保管されている。
 岩の上にザックを降ろし、ベランダに上がってみると、「群馬の愉快衆」が賑やかに歓談中だった。
 俺は小屋に入ると「ノンアルコール・ビール」を注文する。
 喉が渇いているのと、登山中だからビールは不真面目だろうから。
 ビールもどきを飲み干すと、冷たいカルピスを頂いて、ベランダから木陰の岩の上に移り休憩する。
 虫よけシールを数枚シャツや防止に着ける。
 「群馬の愉快衆」は出発し、親子家族登山隊も出発した。予定の1時間遅れで俺も腰を上げた。
 小屋前の道標に従い、中山に向かう。高見石小屋を背に、いったん西に数十m進むと、南に向かう。
 ぬかるみの鞍部(2249)の平坦路から、登り坂になり沢の様な道を登って行く。
 中山から先生に先導された生徒が下ってきた。
「生徒80人です」
 学校教育の一環であり協力するが、生徒からは「ありがとう」の言葉は無い。
「こんにちは」もない。喚きながら下る一行が目の前を過ぎるのをひたすら待つ。
 一行の中に先生らしき人物も数人見えるが、その人も声掛けが一度もなかった。
 そうか生徒に求める俺が悪かった。引率者がこういう人だから、生徒に求める俺が悪かった。
 中山に登りながら、休憩は「立ち休憩10回」「立ち休憩20回」で進んでいく。
 「10回」とは、深呼吸10回である。ザックは降ろさない。ゆっくりと高度を稼ぐ。
 「群馬の愉快衆」に追いつき、追い越されながら登って行くと、岩の庭園が広がる中山展望台(2460)。
 「群馬の愉快衆」とは中山の展望台で一緒になる。少し離れたところでザックを降ろし休憩に入る。
 上着を脱いで岩の上に広げて乾燥させる。
 ここもすばらしい展望が得られた。
 蓼科山から日本アルプス連山を眺めることが出来た。
 縞枯山から遠く望めた天狗岳の双耳峰が迫って望める。
 10数分立った時「愉快衆」の「ツアー○○の一行20数名が迫っている」と、会話が聞こえた。
 俺は、直ぐに出発の体制に入る。これから下りになる。下りに弱い俺に、○○の一行は迷惑するだろう。
 中山の展望台から中山(2496)を越えると、数分のところで、東天狗のビューポイントに着いた。
 切れ落ちた崖の頭で、東天狗の数カットシャッターを切り、下りに入ると、「群馬の愉快衆」に追いつかれた。
 道を譲って、俺も下るが、直ぐに引き離された。
 左ひざ半月板を除去し、半年前から水を抜いてもらっているため、不自由な膝をかばいながらの登山となった。
 下るときは、右ひざを十分に曲げ、左足を真っ直ぐに下ろす。曲げない。曲げると激痛が走る。
 登るときは、右足で高度を稼ぐ。左足は、10センチほどで右は30センチ位といった具合だ。
 主稜にもどって、やがて左側が切れ落ちる崖の上に出て、急降下がはじまると、中山峠(2410)はすぐ下だ。
 スタイルの良い若くて綺麗な女性が一人空身で登ってきた。
 俺の前でカメラを取り出し、登ってくる仲間を写しだした。
 左にみどり池方面、右に黒百合平への道を分け、直進する。
 ハイマツの道から岩原を経て、急斜面の岩場を越えると中山峠の分岐に出る。
 左に進むと本沢温泉へ。右手に折れ曲がり木道を下り黒百合平に着くと目の前に黒百合ヒュッテ(2400)が現れた。
 黒石平は東西に長い草原で、小屋の前はキャンプ場になっている。
 ヒュッテに入ると、宿泊の手続きをすると、
「ザックは1階に、寝床への案内は16:30」と指示された。30分程ビールタイムが出来た。
「ウエルカム・ドリンクは無いの」  と、聞くと、従業員の顔は
「冗談でしょ」の顔に変化した。
 ビールを飲みながら、ザックの仕分けをして、枕元に置く「水、ランプ、時計」等を携行袋に入れなおす。
 時間となったので、ロビーに入ると、数十名の人であふれている。
 俺は、3階(屋根裏部屋)となった。
 3階への階段は手すりが無く這って出入りしなければできない極悪階段だ。
 寝室は普通に寝て30名位に10名程と、少し余裕が持てそうだ。寝床は窓側となった。
 食事の時間まで「ビールタイム」に切り替える。
 ペットボトルに詰めた「焼酎35度」を持って急な階段を下り、カウンターで生ビールを頼む。
 暮れゆく、ヒュッテの前でグビグビと煽る。すると、中年登山者が
「こちらで一緒に飲みませんか。今日一日一緒に登ったし、寝床も隣同士」
 と、言われて、思い出した。
 「群馬の愉快な6人衆」さんだ。
 俺は、「飲みませんか」に弱い。
 「群馬の愉快衆」は、私より少し若い人たちで、何時も6人で登っているらしい。
 ウイスキーを(大量に)持ち上げ、水に氷につまみにと・・・。豪華だ。
 群馬の山、中国・四国の山、青春時代の登山と大いに盛り上がった。
 「群馬の愉快衆」は、明日の行動について確認し合った。
 明日は、東天狗に3名のアタック隊を出し、3名はヒュッテでサポートに回る。
サポート隊の任務は
 「体力に合わせた適量の飲酒」
 「ヒュッテの食糧を奪わない(食い尽くさない)」
 「可愛い娘を口説かない」
 「アタック隊の行動を支援しない」
 それに
 「無事に温泉に下るだけの体力を残しておくこと」だ。
 どうも、アタック隊に迷惑をかけないで「良い子」にしていることらしい。
「群馬の愉快衆」の名誉の為に一言
 サポート隊の任務は、すべて筆者の想像です。ただ東天狗に行かないで待っていただけです。

26日(土)
 寝苦しい一晩が明けた。
 3階の屋根裏部屋は、1・2階の熱気が上がり、非常に暑くて寝苦しいが、1階に降りて寝た人によると、快適でぐっすり寝れたそうだ。
 アタック隊は「溶岩台地に上がり、スリバチ池を回り込んで東天狗山頂に登り、下りを中山峠への稜線」とルートを選定した。
 俺は、アタック隊の経路確保のため先行した。
 アタック隊の行動(歩行速度)に、迷惑を掛けないように前進することとした。
 「群馬の愉快衆」と、お別れして、南側の小高い岩原帯を目指す。
 高度を稼ぐと、ヒュッテの全容、中山の頂が見えてきた。
 岩原帯(2433)に登り着くと、目の前に、蓼科、剣・立山、五竜、鹿島槍、水晶、鷲羽、薬師、黒部五郎、槍・穂高・焼岳、乗鞍、御嶽、中央アルプス、南アルプスと深田久弥の百名山が20数座見られる。
 アタック隊と一緒に眺める。
 俺の脚は遅々として進まない。アタック隊と距離が出来る。
 この溶岩台地、岩原帯は、天狗の北西から流れた溶岩が、約40mの崖をつくって止まり、出現したもので、溶岩流は外側の縁が高く、内側はへこんで窪地をつくり、低いところは水が貯まり、擂鉢池となった。
 火山によって出現した地形構造を観察し、地球の息吹を感じ・偲ぶのも楽しい。(今日は、池の水は干上がっていた)
 展望よい、大岩で休む。登山ナビで、ここから数十mで稜線の分岐に出ると判った。
 分岐の道標は、数名の中高年登山者が群れている。「私は今年で○○歳」と競い合っている。
 稜線を進み登って行くと、「群馬の愉快な6人衆」のアタック隊が登頂を終えて下ってきた。
 お互いの成功の「エール」を交換し、お別れする。
 岩峰の右に回り込み進んで行く。東天狗の山頂が見え、天狗の爆裂火口壁の縁をひと登りで東天狗山頂(2645)に立った。多くの登山者が憩でいた。
 振り返ると中山は穏やかな丘状台地を広げている。
 稲子岳の東側断崖、にゅうの岩頭が小さく見える、しらびそ小屋方向の崩壊斜面が深い森の中で望める。
 行く手には根石岳があり、その奥に硫黄岳が、赤岳、阿弥陀岳を背後にどっしりと座っている。
 鈴鹿高校のスキー登山部の一行が登ってきた。
 若いって素晴らしい。大きなザックに、はじける笑顔。確かな歩みと、鍛えられた筋肉、皮膚の色、挨拶も気持ちいい。俺の50年前を見ているようだ。
 東天狗(2645)から根石岳や硫黄岳方向に向かうには、山頂から西天狗を背にすると、正面の尾根が主稜線である。
 山頂直下にあるクサリ場を過ぎると、痩せ尾根を進み桟橋で下り岩尾根から岩礫の急坂を下る。
 広々とした砂礫帯の鞍部(2545)に本沢温泉に下る道標がある。
 白砂新道を左に見て進む。根石岳へは西南方向に進み根石岳(2603)に立つ。
 根石岳から振り返ると、西天狗はハイマツが豊かで、緑色に覆われ「青天狗」、東天狗は溶岩が山肌を覆い「赤天狗」とよばれているらしい。
 根石山荘が右斜面に見える。
 砂礫の中を下り、開けた鞍部(2555)を進み、根石岳山荘(2550)に立ち寄った。
 小屋への道の両側にコマクサのお花畑が広がっている。
 休館と新館の間に美味しい水が流れている。八ガ岳連峰主稜線では珍しい水場である。美味しくいただいた。
 根石山荘からコマクサ群落を見ながら砂礫の鞍部を引き返し、樹林帯の中を箕冠山(2593)に登り、その山頂付近で丁字路に分岐する。
 山荘からの道を真っ直ぐに行けば、オーレン小屋に直線的に下る道と、左に直角に折れて夏沢峠へと下る道がある。
 夏沢峠への道を進む。起伏の無い主稜線の尾根道を歩くと、白いシャクナゲを見かけた。
 その近くの土の上に動物の足音を見た。
 樹間越しに東天狗と根石岳を見ながら進むと、左手の本沢温泉側は断崖となった。
 針葉樹の主稜に進む。夏沢峠に進む道はダケカンバの林の中を進むと、平坦な道から鬱蒼としたシラビソやコメツガの森の中を行く。
 夏沢峠(2435)からは硫黄岳が大きく見え左側に爆裂壁が見えた。
 道は山びこ荘(2440)、ヒュッテ夏沢(2440)の間を通る。
 ヒュッテ夏沢に入り、「昼飯が出来ない」と聞くと、隣の山びこ荘で、お昼が出来るという。
 山びこ荘で、カレーを注文し、登山靴を脱ぐ。窓に小鳥が見える。
 小屋の人に聞くと「うそ」と教えてくれた。
 食事を終えるとザックを担ぎ、硫黄岳に向かうため分岐の標識を確認する。
 左に分けると本沢温泉へ下る。右にオーレン小屋に穏やかに下る道。
 夏沢峠は、古来、諏訪側と佐久側を結ぶ重要な往還道らしい。
 硫黄岳には、夏沢峠から樹林帯の中を、細かくジグザグを切りながら登って行く。
 樹林帯を出る前に一度休む。爆裂火口がせまり、大きなケルンが現れる。
 斜度はきつくなり爆裂火口を左手に見ながら登ると、太陽に照らされ、汗を流し、息を切らせながら進むと山頂の台地に出た。
 ケルンから少し離れた所にザックを降ろし、40年ぶりの赤岳、横岳、阿弥陀岳を眺める。
 大同心が横岳にへばりついている。
 小さな小屋が崩れそうに残っている。旧ロボット雨量計跡だ。40年前のあの時もこんな感じだった。
 赤岩ノ頭が赤く見える。
 あの時は、早朝でしかも雪の稜線で、赤岩と確認できなかった。
 硫黄岳山頂からの展望は、北側の夏沢峠を隔てて、天狗岳から続く北八ガ岳や蓼科山。
 南側には南八ガ岳の主峰赤岳、横岳、阿弥陀岳である。
 あの40年前の記憶等は、雪山のため記録が正確でなく、風雪が収まった時などに急いで記録したため正確かどうか
 40年前は、「赤岩ノ頭(あたま)を通過し、壁状の部分をトラバースして、頂上台地のケルンを過ぎて、爆裂火口。箕冠山・天狗をカメラに収めて石室に向かった。」
 硫黄岳石室とは現在の硫黄岳山荘で、赤岳石室は現在の赤岳展望荘と、それぞれ改名している。
 硫黄岳山頂(2760)は広大な平坦地で、霧が発生すると迷いやすい。
 三角点(2741)のある山頂は北東方向にあり立ち入り禁止となっている。
 登山道は大きなケルンが各コースを導いてくれる。山頂の南側〜東側にはコマクサの大群落である。
 休憩したら山頂の南側から大ダルミへと下ると、左側に硫黄岳山荘(旧石室)が現れる。
 山荘の周辺はコマクサの群落である。硫黄岳山荘の前には駒草神社がある。
 硫黄岳山荘(2650)は硫黄岳南側の鞍部、大ダルミの東側に西風を避ける様に建っている。

27日(日)
 4:15起床し、枕元の懐中電灯と水や時計の小物入れを持つと、1階に降りた。
 山小屋では、早朝のビニール袋のガサガサ音が他の就寝者に迷惑を与えている。
 1階に降りてみて、外は風が出ていて霧が流れている。雨の感じはしない。
 顔を洗いゆっくりと準備をしていく。一度山荘の外に出て、稜線に出てみた。
 茅野市側の斜面から霧がすごい勢いで流れている
 4:45からの朝食1回戦のゴングは鳴った。
 食事を開始して直ぐに、○○ツーリングのガイドから説明があった。
「本日の天候は、時々稜線で青空が見える。風は15m、時々20m位で、豆台風の練習位です。出発は5:30、お昼は行者小屋」
「質問、ストックはどうしますか」
「雨具は」   「行動食は」
  回答は
「ストックは1本」 「雨具は上は着用、下は不用」 「行動食は適宜採って下さい」と、
「行動食は持っていないわ」  「出発は」  「・・・」
 聞いていて面白い。
 5:15にスパッツ以外を付けて、山荘を後にした。
 稜線に出ると石ザレの斜面を登り、砂礫の斜面に出る。
 西からの風がすごい。身体が持って行かれそうになる。
 できるだけ東側を歩き、登山道とお花畑の境界沿いに進んで行く。横岳を目指す。
 岩陰で一呼吸、二呼吸して飛び出す。身体が浮き上がる。こんな登山をしていて楽しいわけが無い。
 このまま稜線を突き進んでも景色もカメラも楽しめない。
 小屋から400m程進んだ時点で、引き返すことに決した。
 先ほど追い越した、若者の姿が見れない。引き返したのかな。
 そう思っていると、○○ツーリングの一行が登ってきた。小柄な女性は男の人が補助に付、背中を押し、ザックを抑えと協力している。
 山荘に帰り着き、ザックを降ろし雨具を脱いでいると、他の登山者が山荘の人に、天候を聞いていると、
「本日は、晴れ、昼から雷雨」 と答えている。オイオイ、今の天気をなんとする。
 また、山荘の中に天候に関する表示がないではないか。
 そうか、登山者の状況判断に任せているいるのか。ワイルドだろー。
 スマホで「レーダーナウキャスト」で、天気図を検索すると、北海道に低気圧、日本海に寒冷前線。
 太平洋の高気圧等が競り合っている。
 今日の行動は、中止だ。風が無くなるまで山荘で待機とする。
 時々稜線まで出て、風の様子を見ていると、阿弥陀岳方面にヘリの飛行音が聞こえる。
 しかも5・6回、引き返しては上がってくる。荷揚げをする天気ではない。アクシデントが発生したようだ。
 高齢の登山者から
「一緒に行きませんか、大人数は心強いから・・・」
「申し訳ない、他人と同一行動はとりません。人を助ける力が無い」 と断る。俺って変な奴だ。
 天気図は、次のとおりだ。

 天候が良くなった。しかし、昨日も感じたが、膝の調子が良くない。
 下山を決意する。本来なら、赤岳を走破し権現小屋にて一泊し青年小屋、編笠山を経て小淵沢に下山する計画だが、下りはコースタイムの倍以上かかり到底満足いける登山が出来そうにない。
 山荘から、赤岩ノ頭から赤岳鉱泉に下り、八ヶ岳山荘の美濃戸口に下山しよう。
 ロボット雨量計後から少し進んだ地点から左下に下る道に入る。
 トラバース気味に下り、稜線の冬季用の道と右側の斜面を道を、右側に取り、100m程進んで、オーレン小屋への道を右に見て進む。
 少し下った地点で赤岩ノ頭は、赤いザレた地点で、峰の松目への分岐を左に下る。
 樹林帯に入り、数回ジグザクに下る。2550m地点で40数年前の幕営地点を見た。
 間違いがない。赤岳鉱泉から樹林帯で登って来て、左に直角に曲がり十数mも進まない地点で、道のすぐそばに数mの平たい地点である。
 緯度: 35度59分37.8秒経度: 138度21分51.58秒十進表記: 35.993832,138.364327標高: 2540.4m
 2段の小さな平たい地面は2・3名の冬テンが2張は張れそうだ。
 下ってきてこの地点だと確信し、下って行きながら、他の地点ではと探すが、それらしい地点は無かった。
 赤岩ノ頭から400m下ってきた積雪や雪崩の為きれいな林を歩くと、水量の多いいジョウゴ沢の橋を渡る。
 水量が多いい。あの時は小さな沢で小さな橋だったようだが、中々の沢でないか。
 平坦になった登山道を進むと、赤岳鉱泉の小屋に出た。
 小屋はベランダが整備され、大勢いの登山者が休んでいる。
 ベランダを右に回り草地の中を歩き、分岐を右に進み沢を渡る。右岸左岸と数回渡り下る。
 堰堤の上の道を進み山道から自動車道になると山小屋のゴミステーションを通過する。
 平坦な道や下り坂になると膝が痛い。登りになると少しは歩ける。
 登り坂が無いかと思うが、下山するのに登りが多くない。
 ついにまともに歩けない。林道から右手の登山道に入り、最後の山道を下り、再度林道を歩くと、赤岳山荘に着いた。
 山荘でそばを頂き、久方の牛乳を飲んだ。
 ここから下は、一般車両の乗り入れが可能であるが、タクシーは入れない。ただひたすら車道を歩く。
 美濃戸口の八ヶ岳山荘に到着した。
 駐車所にいたタクシーの運転手に、無線で配車を依頼すると、30分程掛かるという。
 山荘の中に入り生ビールを注文し、今回の登山を終了した。
 甲府駅から身延線で静岡駅、新幹線にて広島に向かった。