このページは「南八ヶ岳の縦走」「キレット小屋にて」です。

南八ヶ岳の縦走(1973.1.4~1.10)

八ヶ岳連峰は、長野県から山梨県に連なる南北30Kmの山群であるが、八ヶ岳と呼ばれる山は無い。
南八ヶ岳は夏沢峠より南の連峰で、火山が造ったダイナミックな岩山である。

横岳付近から見た赤岳と権現岳方向

 俺は一人で正月の昭和48年1月4日08:20出雲駅発、舞鶴経由の急行「大社」で名古屋に向かう。
 松江駅で大山から下山してきた、島根大学山岳部の早川氏に偶然に出会い「南八ヶ岳の縦走・・・」と話す。
 名古屋18:32に到着。名古屋発21:55の列車で塩尻駅に、時間調整のため駅の外のベンチで寝る。
1月5日
 塩尻駅発05:32の列車で茅野駅に向かう。
 茅野駅前のバス停が判らず、数少ないバスを乗り過ごし、タクシーで10:30美濃戸口。
 11時、登山者の踏み跡を登って行く。美濃戸山荘で凍った野沢菜漬とお茶が美味しかった。
柳沢の北沢に入る。重い冬山の装具のため何回も休息を取る。
 いつも歩き始めは体調が悪く休憩が多くなってしまう。下山する登山者とすれ違いながら単独行の俺は登って行く。
 北沢の橋を何度も右に左にと渡り、重荷と単独行の重圧に苦しみながら歩く。
赤岳鉱泉の手前で横岳西壁の岩峰大同心を見る。
 赤岳鉱泉の小屋に13:30着く。
 14時鉱泉を出発し、水の流れているジョウゴ沢の丸木橋を渡る。
アイゼンを装着し赤岩の頭へのジグザクの急坂を登りながら今夜のテントサイトを探す。
俺のテントは、小さくて1m✕2m程あれば十分だが、中々見つからない。
夏期ではテントを張れないような傾斜地やブッシュの中でも冬はどこでもテントを張れるのに。
正月休みが終わる頃で、擦れ違う登山者はいない。
 森林限界を越えない2500m付近の小さな平地のような所の雪を踏み固め、16:30にテントを張る。
 テントの中にザックを入れ、山側に刺したピッケルにアイゼンと輪カンを結びつけ、ビニール袋を持って炊事用の雪を集める。
 雪の表面は落ち葉や小枝等が混ざっているので注意しながら集め、水を入れたコッフェルに雪を少しづつ入れてコンロで溶かし雪と水をかき混ぜて水を作る。雪は空気を沢山含んでいるので雪のままだと蒸発してしまうので呼び水が必要になる。
雪が水になるとテルモスやポリタンクに入れていく。今晩と翌日の行動に3リットル位は必要となる。
ザックにシュラフカバーを縫い付けている。その中に半シュラフと羽毛服で寝るが、狭いテントの中にザックの中身を全て出しているので、潜り込むのは一苦労だがザックの中に足を入れると暖かい。

赤岳山荘か美濃戸山荘  美濃戸中岳 大同心、小同心そして赤岳に通ずる西壁
赤岳鉱泉付近から見る大同心 硫黄岳から見る根石岳の樹林帯、天狗岳の双耳峰と蓼科山

1月6日
 早朝、明け方の寒さに早くから目が覚め、テントの内張はキラキラと輝き氷の御殿だ。
俺の吐く息や昨夜の炊事の蒸気が凍り付いている。簡単な食事をすませ、ザックに装備を入れてテントを撤収する。
6時テントサイトを出発、06:30に赤石の頭(2656m)に飛び出す。強風が吹き、雪も吹き飛ばされ石ころだらけで、生物の住める環境ではない。
稜線は吹雪で視界は数十mしかない。夏道は露出している。
山頂近くに壊れた小屋がある。気象観測用の機材倉庫だったと下山後知った。
 7時にケルンが並ぶ広い硫黄岳2760mの頂上に立つ。硫黄岳の頂上北縁は爆裂火口の断崖。
段々と風が弱まり時々視界が戻り、爆裂火口を見る。
いよいよ南八ヶ岳の縦走に入る。硫黄岳から硫黄岳石室への道は、広い高原状を下る。
大ダルミにある硫黄岳石室に8時。石室から横岳への道は広い尾根から岩稜となり、台座ノ頭からの稜線は嫌らしいトラバース。岩稜、岩壁が次々に現れ単独行の俺を苦しめ、パートナーを必要とするような悪場を越えていく。500m以上の下には赤岳鉱泉の山荘が見え、高度感がある。
横岳手前のナイフリッジの東側面をトラバースする。
09:30横岳(2829m)。三叉峰、石尊峰と通過し、鉾岳は右側に回り込んでいく。
日ノ岳などの岩稜を通過し地蔵の頭に着くと、赤岳石室が見え厳しい岩稜が終わった。
11:10赤岳石室を過ぎ、凍った岩礫の斜面は赤岳の登りとなるがジグザグときつく、喘ぎながら登る。堅い雪の斜面はアイゼンがよく効き登りやすい。
12時赤岳2899mの山頂立つ。富士山が見え写真を撮る。

   
 硫黄岳の頂上ケルン  硫黄岳の爆裂火口壁
   
硫黄岳から見る赤岳への稜線  赤岳から見る富士山

  2800mの標高は、富士山と北・中央・南の各アルプスとここ南八ヶ岳しかなく、わが国では貴重な高さだ。
頂上では数名の登山者に会ったのが最後で、下山するまでの3日半、人に会っていない。
俺は簡単な行動食をとり、12:30赤岳山頂よりキレット小屋まで大きく下る。
 赤岳からキレット小屋までの道は八ヶ岳では最も険しい登山道である。
阿弥陀岳、中岳の分岐を通過しいよいよ難所の通過だ。
 阿弥陀岳と真教寺尾根分岐、天狗尾根ノ頭の岩場を2度3度と巻いて進み、核心部の標高差350m位斜度50度のルンゼに入る。ルンゼと言っても大岩壁だ。
時折現れるペンキ印を確認し、ピッケルとバイル、アイゼンを駆使して重いザックで下る。
岩場が終り樹林帯の広い尾根になり最低鞍部を通過し、樹林帯に入り小さなコブを通過する時、この辺りにキレット小屋があるはずだと、注意しつつ歩いていると、小屋への小さな標識を発見した。
コブの手前から小屋に行く目印が判らずに通過し、小さな標識を見つけた。
左側に大きく回り(300度)少し下ると14:30キレット小屋に着いた。
  樹林帯の中にある小屋から見上げる天狗尾根は、岩峰群の素晴らしいシルエットとなって青空にそそり立っている。
 小屋の入り口は少し雪に埋もれているが、ガラス窓は外されていたので小屋の中に入り、吹きさらしの小屋の中にテントを張って寝る。

 
キレット小屋から天狗尾根の岩峰群

1月7日
 2440mのキレット小屋の朝は、6時まで寝てしまった。
俺は冬期登山の場合は、寒さのせいもあるが四時頃には起床し、六時には出発するのに、今朝はどうしたことか厳冬期にしては、非常に暖かく寝過ごしてしまった。

   
 1973年1月6日の天気図  1973年1月7日の天気図  2020年過去の天気図から

 朝食の準備で小屋の外に出ると、厳冬期なのに屋根の雪が解け、雨垂れのごとく水滴が落ち、霧のため天狗尾根の岩峰どころか近くの木々も見えない。
 あわててラジオのスイッチを入れる。朝六時過ぎの天気予報によると
『日本海と太平洋に低気圧があり発達しながら移動している・・・』
これは「二つ玉の低気圧」と言われる悪天候の兆しである。西高東低の冬型の気圧配置で、日本海側や山岳は悪天候となり、関東地方の平野部でも雪になると思う。
ここは2800mの高地にある南八ヶ岳の最奥部の小屋。ここに閉じ込められるより次の小屋に逃げる事ができると、翌日か翌々日には下山出来ると決心し移動する事にした。
 昨日の下ってきた赤岳への急な道は、登っているうちに暴風雪に掴まってしまう。
それよりか権現岳小屋へは標高差の少ない稜線を進み(夏タイムで2時間)移動できる。権現岳に向け出発を決心する。
 朝食はオボスポーツ、チーズ、チョコレートにして、慌てて行動を開始する。
冬山の重装備に身を包み、悪天候が稜線に来ないうちに権現岳小屋に逃げ込む予定である。
 キレット小屋を出発する。行動中暴風雪に包まれると予想し、行動食と地図を胸ポケット、手袋の予備をズボンのポケットに突っ込む。
 毛糸の目出帽、ナイロン製の二重になっているウインドヤッケ、足にはスパッツ、アイゼンの下にワカン、手にはピッケルの完全装備で外に出ると先ほどまでガスていたのに小雪となっている。
小屋を後にしたのは07:30だった。
 行動開始となると緊張する。雪の急斜面を稜線に向かって進む。一歩一歩重荷を背負い深い雪に苦しみながら稜線に出て見ると風が少しある。歩くうちに気温が下がっている感じがする。
キレット小屋を出て、まばらであるが低い樹林帯の中をラッセルしながら進んで行く。
歩きながら周囲の状況を記憶しながら進む。常に後戻りする事を頭に置きながら歩いて行く。
 稜線を進むと、トレースは風に吹き消されている。背の低い樹林帯に入ると風は弱まるが、ここも数分で通過してしまう。樹林帯の中に入った時点でキレット小屋に帰る事を止めた。ザックにはテントが入っている。
 南北に2つの小ピークのツルネまでは風も強くなく早いピッチで進んだ。
旭岳の登りは急登である。風は強さを増してきた。
 旭岳に近づくと岩が出ていて、巻いたり登ったりを繰り返し、大きな岩が目の前に現れ09:00頃旭岳に着いた。
旭岳からは下りが暫く続き、細い稜線で、トレースは完全に消えている。
登りに差し掛かるが、視界は10~20mである。部分的に腿まで潜る尾根上の道を進む。
 稜線の雪は風に吹き飛ばされ、風が段々と強くなってくる。休息は体が入るくらいの穴を見つけ風上にザックを置き身を横たえ数分の休息を取ると、立ち上がり前進する。長く休むと体温が低下してしまう。
 風はブリザード状になり斜面をかけ昇り俺に襲いかかると、何処にか消えていく。 稜線上の風雪は一段と激しさを増し、耐風姿勢だ多くなってくる。一段と強くなってくる風雪の稜線の休憩は縦走路の凸凹を利用して風を避ける。
 立ち止まっていると体温が奪われるのが判るように感じられる。風速は20m以上と思う。背負ったザックがヨットのように風を受けているように感じ、 ピッケルを握る手は、段々冷たくなってくる。
突然大きな岩壁が現れた。今の俺の状態では上れそうにない。
 風雪が強まっている現在の状況では、先ほど見付けた樹林帯まで帰るのに何時間かかるのか、登る方法は無いかと思案していると、岩壁基部の右手に踏み跡が微かに残っていた。
 壁沿いに登れる場所を求めトレースを追って行く。壁は登り易い所がルートである。右に行くと壁に梯子が架かりその上部は風雪の中に消えている。しかしその梯子までの斜面は急で怖いくらいである。
 アイゼンが雪の中の何かに挟まり外せなくなった。
雪を掻き分けて見ると鎖が雪の中に埋もれていて、鎖にアイゼンが挟まっていて、アイゼンを外しやっと梯子に辿り着いた。
傾斜は60度位の61段のハシゴを20Kg位のザックで喘ぎながら登っていく。
 恐怖感はない。なぜなら周囲は見えないため高度感は全然感じられない。長い梯子が終わり壁が終わる。
 地図によると、稜線に上がれば権現岳は直ぐそこにあり、ハシゴから南に数十m下ったところが権現岳小屋である。
 暴風雪に耐えるように重心を低くしながら進むと、風雪の中に道標らしい物を発見する。
「権現岳の稜線だ。右下に小屋がある。助かった。」
 頂上の道標を確認し、小屋を求めて右下に下って行くと、雪の斜面が盛り上がり屋根の一部が少しだけ出ている。小屋には着いたが中に入れるようになっているのか、判らないが走るように下り小屋の前に立った。
 小屋の入り口は一本の棒で閉めてあり、雪を掻き分け、小屋の中に飛び込むと、ザックを背にして呆然と立っていた。助かった。
 小屋の土間にザックを下ろし、アイゼンを外し、ウインドヤッケを脱ぎ捨てて時計を見た。十時過ぎであった。
出発して二時間余りしか行動していないが今日の行動はここまでである。
 入り口の左側に3畳程の個室があり小さな囲炉裏があり、土間の両側に板場があり寝床になる。2階に上がるとシートで覆われた固まりが有り寝具等が入っているのだろう。
小屋の中には短い蝋燭が沢山あり、誰かが置いていったのかデポしたのか米の袋もあり、数日閉じ込められても大丈夫と安心する。
個室には畳が1枚ありここで休むことにした。羽毛服を着て短い蝋燭に点火する。
蝋燭が数本でも締め切った部屋は充分暖かい。下半身を半シュラフに突っ込むと自然と眠くなってくる。
風は一段と激しくなり低気圧が近くなっているように感じる。
今日の天気を確認した。
   06:00起床 キレット小屋 ガス発生 雪解け水が落ちていた。 
   06:30           天気予報で二つ玉の低気圧を知る。
   07:30 出発する。
        ツルネ付近    風が出始める。
   09:00頃 旭岳      風が強まる。
       稜線上    風速は20m以上か?  歩行困難に感じる。 
  10:00 頃       権現小屋に入る。
  14:00         風速は30m以上か?  小屋全体が震える。
  19:00頃        風が突然止まる。低気圧の目の中に入ったと確信する。
 数十分たつと又強風が吹き荒れる、疑似晴天だろう。
  21:00頃        強風が吹き始め一段と強い。
 朝の九時から10時間ほど吹き荒れている。同心円の低気圧なら翌朝の七時頃には無風状態になると思う。
北日本は冬型の天候になるが、八ヶ岳は風も少しは弱くなるだろう。
起床を06:00として、20:00頃眠りに入る。
夜中に何回も小屋がガタガタと音を立てて揺れ、小屋が吹き飛ばされるのではと思うほどだった。
1月8日
 一段と寒い朝を向かえた。 06:00外に出て見ると、風は吹いているが弱くなっている。
視界は50m位はある。もう少し経って出発することにした。
 完全装備で08:00小屋を出発する。視界は先ほどと変化はない。小屋から稜線に戻り、雪の稜線をギボシに向かう。
東ギボシへの稜線を進み、岩壁を巻くように進んで、西ギボシの岩壁のバンドを注意しながら下って、ハイマツ帯に入り、のろし場の小さな台に上がり、ハイマツ帯に入り一安心する。
のろし場からは何百mも直線的に下って行く。カラ松林の中でアイゼンを輪カンジキに替える。
雪の中にトレースを見るようになり、樹林帯の中の登山道らしき跡を探しながら進み、トレースを見付け下って行く。安心しつつ気持ちの良い安心できる下降路。
 カラ松林を進んで行く。輪カンジキで快調に進んで行く。楽しいくらいである。
荷物は3泊4日目であり大分軽くなっている。膝まで潜らない。
 どんどん進んで行くと突然腰まで潜ってしまった。
 ようやく脱出し、進んで行くと、再び腰まで潜るを繰り返していくうちに、胸まで潜って始めてこの平坦地は歩行できないと思い。左手のカラ松林の近くを歩くことにする。引き返せば良いのにどんどん歩いてしまう。
 青年小屋はもう少し先にあると思うが、低い方に向かってどんどん進んでいるうちに右手に小さな沢が見え始める。凹地状の中を進み暫くして沢状の中に入ってしまった。
 青年小屋の手前まで来ていたのに、左手に進んでしまった。
背中にはテントを持っている。何とかなる。大丈夫だ。
2018年に逆縦走した時に、間違えた地点が判明(確認)した。
小屋から200m位の地点で少し開けた地点から「乙女の水場」に向かって下ってしまい、
沢の中を歩いてしまった。
 沢の中は大きな岩があり歩行に難があったが積雪量は少ない。デブリはあっても小さく恐怖心はない。幸いな事に水は流れていない。
 下り始めて滝に出会った。(Fで示す。ここでは上流から下流にむかってF1とした。)F1は30mで下方に向かって左側より沢の中心に下る。下って行くとF2となる、これは10m位で左側から下る。
 F3は20mであり傾斜は緩く下まで見える。F4は15mであるが下るのが困難になってきた。
右側の斜面が壁状になり段々と高くなってきている。
 岩壁は沢から80m位の所に10m程の壁である。良く見ると壁の一部が登れそうな所がある。
 40度の壁を木を手掛かりに登り、先ほど見付けた岩をよじる。
登り切ってみるとF4の下にF5が見え、その下にF6があるのかもしれない。
 台地状の尾根は広く水平に近い状態であった。台地の上を歩いていると、ここがどこであるのか地図を開くと切掛川の西側台地だろうと思った。
南南西に伸びる広い尾根の樹林帯の中にテントを張る。
16時に設営が終わり、食事が終わると疲れで寝込んでしまった。
 用足しに20時頃起きだし外に出てみると一面の光の帯が目に入る。住宅の明りが広がっている。

1973年1月8日の天気図

1月9日
 6時起床し8時テントを片付け、ワカンを着けてカラ松林の高原の中を下って行く。
9:30頃林道に出た。
後日、地図を見ると不動清水か盃流しの辺りの林道に降り立つたのだろう。
 林道を右に左にと下りながら歩くが現在地が判らない。林道を進んでいると仕事をしている人に出会った。
麓への最短の道を聞いて、林道を下って行くと12時横断道に出た。
富士見高原の別荘地に入ったが人の姿は見えない。広い道をまっすぐに下り集落に出た乙事の集落の、大きな家の老女にタクシーを呼んでもらえないかと頼んだ。
富士見駅発15:13の列車で松本駅を経由して、10日出雲に無事帰った。
この年の正月休暇で南アルプス甲斐駒ヶ岳の北にある、鋸岳に入る計画であったが、1月4日~1月12日の休暇申請をしたが認められず、1月10日まで許可された。職場の規則的には9日までの6日間であったが、1日だけ延長してくれたが、日程的に鋸岳は無理と判断して、南八ヶ岳に変更した。 
山陰の片田舎では、南八ヶ岳の資料はなく、5万分の1の地図だけであり、無謀な部類であったろう。

このページは、1973年1月9日~10日の列車の中で記入し、このホームページに表したが、2018年9月に逆縦走して、地形等やその当時の頃を思い出して、改定したものです。
当初発行したものより正確な文書になったのではないのかな?


           南八ヶ岳権現岳小屋にて(48.1.7)
 厳冬期の2899m峰の頂きに一人で立った。
 当初計画していた北アルプス甲斐駒が岳の鋸岳はできなかった。
最近一緒に登っていた植〇氏が、職場の全国的な「山の会」の一員として、2年続けて鹿島槍ヶ岳に登山していた。冬の北アルプスに登っている。俺は「ひがみ」を感じていた。
 仲間達は、冬期は大山で終っている。
この冬の俺は、たった一人の山行で始めての山に挑む事になった。
元谷の仲間達に俺と一緒に冬の北アルプスに挑んで貰いたかったが・・・。
俺が火付け役として何とかならないものか。
 夏の岩登りのほかは、大山の登山で終始している。他の山々を知らない(俺を含めて)彼等は今のままでは「井戸の中の蛙」で終ってしまうと思う。
 いつも大山の屏風岩の下で酒を飲んでいては、ヨーロッパアルプスやヒマラヤに行けやしない。
大山は確かにいい山ではあるが、広い世界の山々に比べればセラックみたいなものだ。
カラコルムのセラックは、人間が越えられないくらい大きい。
前進しようとする意欲がないのなら、もう少し大山の北壁の下では静かにしてもらいたい。
 雪上訓練は、何のための訓練か。本気で登ろうとする人がそれをやるのは判るが、酒を飲んで一年中寝ている者が訓練するのは自慰行為と同じではないのか。
 今回の山行で俺が倒れたとしても、前向きに生きている証左だ。
登山の訓練を続けている人は、どうか大山から出て少しでも大きな目標に向かって欲しい。一緒にやりたいものだ。
 俺でもたった一人で知らない山をやっている。緊張するし、この緊張感がたまらない。
違った山もいいものだ。
後記 : 仲間の内でもいろいろな事情で長期の休暇等が確保できない人もいた。
      権現岳小屋では気が高揚していて、書いた文である。

       冬季の登山について
 雪山の魅力は、誰も歩いていない雪原、雪稜に自分の歩いた跡が残る。振り返り見た時感動が沸く。
 スキーヤが、新雪に描くシュプールと同じ感覚だ。
 新雪の中に自分の足跡をつける事が出来るのは、登山者の山登りの最高の喜びであり、まして単独登山では・・・。自分の力で、自分の意志で、切り開くことは未踏峰に登った感動・・・それに近い感動がダイレクトにあるものです。
 そんな感動を存分に味わったのが、南八ヶ岳の厳冬期単独縦走です。
 厳冬期の単独縦走から50年ぶりに登った、単独の八ヶ岳全縦走。
南八ヶ岳に入り、この稜線を、この斜面を歩いたんだと思うと感動した。