5師団の武装走競技会
198X年6月

 数個師団を束ねる方面隊が、年度(4月~3月)の訓練・検査・監査等を何時どのように行うかを示すのが「業務運営計画」という。短く言うときは「業計」。
 「隊計(隊務運営計画)」は師団以下の部隊が次年度の計画を作成し各部隊、隊員等に示す。
 1月下旬に隊計の1次指示が出ると、色々なすり合わせ、予算や燃料等を見積、長期演習・訓練対する要望等を上級部隊に要望・要求し、隊計2次指示に反映して貰う。
 1月下旬の隊計1次指示で武装走競技会が行われるが、時期や細部が不明だったが、隊計2次指示で6月下旬が競技会と実施されることが分かった。
 3月中旬に隊計の2次指示が各部隊に示された。5師団の隊計の中に各部隊対抗の武装走競技会を6月下旬に実施するとあり、断郊競技方式であった。
 武装走とは、個人が作業服に半長靴、鉄帽、小銃と背のう、水筒などの装備を身に付けて走る。
 断郊競技とは、数名の隊員がチームを作り、走り全員がゴールしたタイムがそのチームのタイムとなる団体戦である。参加部隊の大小もあるので部隊の平均タイムで順位が決まる。
 組(5~6名)、分隊(10名以下)、班(12名位)、小隊(30名位)と色々であり、指揮官(中隊長、隊長、大隊長等)が走る形式もある。
 例えば、走力の無い幹部(小隊長クラス)が隊員と走る場合は、走力が劣った幹部は悲惨な状況になる。普段、指揮官として振舞っているが、個人の体力となると下位の隊員が引っ張って走ることになる。
 装着・携行する装備や距離や実施場所は、各部隊(方面隊、師団、連隊等)によって各々違う。
 武装走で走る中で、射撃を組み合わせる場合もある。激動後の射撃は体力を消耗し、息が心臓が激しく動き、沈着冷静な通常の射撃と違い、命中率は極端に落ちる。
 走行タイムと、命中数のペナルティタイムが加算され、走力重視の部隊もあれば、双方を考慮してチーム編成をする部隊もある。
スキーで走る断郊競技会もある。
 アキオ(ソリの一種)に装備品を積載して走る。装備品は迫撃砲や重機関銃を運搬する。その際迫撃砲の重量と同じ土のう等を運搬する断郊競技。小銃射撃を組み合わせる断郊競技会もある。
 競技会となると、部隊の栄光のため俄然熱が入る。
 断郊競技会とは別の、武装走もあり個人の成績を集計し、合計のタイム(平均タイム)で部隊の成績とする競技方式もある。

 その年の、5師団の武装走は6名が一組で、全員がゴールしたタイムを集計して部隊の表彰となる。
 所属隊員の6割が出場しなければならない。
 実施会場は帯広駐屯地周辺だが、帯広は積雪が少ないが、運動場などは30cm以上の霜柱ができるため、4月下旬までは運動場に入ることが禁止されていた。もし立ち入ると突然落とし穴のようになり、グランドが凸凹になる。放置しておけば、自然に地面が落ち着き半年前の綺麗な運動場となる。
 3月中は駐屯地に隣接した訓練場(演習場)で、走るスキーの訓練が行われていて、我々司令部勤務者も毎日スキー訓練をしていた。毎日最低6キロ。私は12キロから18キロは走っていた。
 部隊スキー指導官を受験したい為、走るスキーと曲げ(斜面滑走)の技術を追求していた。
 走るスキーが早い者は持続走(長距離走)も早い。だから、グランドを走れない時期もスキーで走力をつける。駐屯地の外周道路は沢山の砂利が入っていて、霜柱もなく普通に走れた。
 毎日走っていたが、武装走の為の特別な訓練は1か月前まで実施しなかった。
 司令部勤務で走力は中クラスと判断され、そのグループに入った。
 コースが決まり、組みごとの集団走りとなったが、走路の一部が自衛隊の敷地外があり、総合的な訓練はできなかった。
 演習場を走り、各人の走力を見たり装具の装着等を検討した。
 競技日の数か月前から隊員は訓練(練習)に励み、本番ではその成果を遺憾なく発揮するために許される範囲内で色々と工夫する。
 例えば、手で背中を押す。細紐で遅れる隊員を引っ張る。
 装具の装着。銃などの金属部分が身体に擦れない様に携行する。
 小銃には金属の凸凹があり背中を擦るため、作業服の内側にスポンジや座布団を入れる者。銃の機能をそぐわない様にゴムを巻く者もいたが、私は特別なことはしなかった。
 水筒の装着位置を身体の横にするか、後ろにするか、水筒の口を上または下にするか等であるが、私は水筒を左腰に付けて走った。体の上下運動の中で水筒は殆ど動かなかった。
 演習場を走り、各人の走力を見たり装具の装着等を検討した。
 競技会への練習は、当初個人の練習から始まり、各人の体力(走力)に応じて、任務・目標が示された。。
 組み分けでは、走力のそろった者を集めてグループ(組)を作る。その中にリーダーを作り、ペースメーカとして優れた者。走力はないが体力のある者がいる。年齢的な問題もある。
 大体の組の状況も判明した。私の任務はただ走ればいいとなっていた。
 競技会当日、天候は晴れ、無風状態であった。
 各組は次々に出発し、遂に私たちの組の時間となった。
 当初は、各組とも自制しペースを掴もうとし、各部隊のチームも同じようだった。
 コースは駐屯地から演習場に出て、3キロ程走り再び駐屯地内に入る前に、一人の体調がすこぶる悪く、顔を見ると脂汗状態になっている。比較的状態の良い私が、彼の小銃を持ち、銃2丁で走っていたが、ペースが合わない。
 私はリーダー役の隊員に
「俺のペースで先行する。途中で追いつかれたら、誰かに銃を・・・」と言って、少しずつ速度を上げた。
 競技会規約では水筒と一部の装具は離してはいけないが、小銃はゴールの300m前の関門からは各人が保持することになっていた。
 不思議なことに、小銃を預かった時から俺の調子は俄然と良くなり、他の部隊(組)追い越していった。俺の組は、彼と同一の行動をとっていた。
 駐屯地に戻り、北門を出て、一般道になった。出発して5キロ地点で下り(高差20m)となり、1500m程直線を走り、小学校の東角を曲がると、駐屯地までの心臓破りの坂(距離400m。高差25m)にかかったが、俺は快調に走っている。クライマーハイの状態だ。
 しかし、頂点までの50mもない地点で調子が悪くなって来て、ふらふらに近い状態になったが走り切り、再び駐屯地に入り、応援する者、見学する者で、絶え間ない声援とで俄然調子が戻ってきた。
 毎日勤務の関係で書類を持参する事務所前では、小銃2丁持って走っている姿を見て一段と応援の声が・・・。ここから少し下り坂になってきた。
 速度を落とさないとゴールまで300m。このままでは失格になる。
 速度を落としたが、仲間が来ない。関門前で足ふみをしていたら、声がして私の組が追い付いてきた。彼に小銃を渡し関門を通過した。
 ゴールまで100mを一段となって走り切った。ゴールして小銃の機能点検、水筒の満杯状態、装備品の欠如等を点検され、全員合格だった。
 小銃の彼は、普段は俺よりも若くタイムが良かったが、今日は何故か力が発揮できなかった。
 当日具合の悪かった彼は、部隊スキー指導官を一緒に受けて、彼は一発合格であった。
 競技会の翌日、応援してくれた事務所に行くと、ヒーローのような扱いだった。
 スキーで十勝や富良野等のスキー場を滑りまくった、紺野氏の職場だった。
 武装走が終わった週末、俺は部隊の仲間と芦別岳に登った。
 競技会の訓練の成果か、すこぶる快調に登山ができた。訓練(トレーニング)は裏切らなかった