趣味のスキーと自衛隊のスキーについて

 私がスキーを始めたのは、昭和44年1月22日(水)〜23日であった。
 大山桝水原の西側に2号天幕(自衛隊)を転調し、積雪地の訓練が実施された。
 生まれて始めてであり、1泊二日の訓練が終わったときの実力は、プルーク・ボーゲンがやっとできる程度の初心者であった。
 私は始めてスキーを履き、スキーの先生として教えてくれたのが植であった。
 彼は北海道での経験があり走るスキー(ノルディク)をやっていたが、回転もかなりの腕前であり基本技術を初心者の我々に判りやすく教えてくれた。
 夜、仲間達が酒を飲んでいるときも、植を引っ張り出しては蛍の光のように雪の薄明かりを頼りに滑り転んだ。
 同期入隊の松井と二人で指導を受けた。滑りながら松井と私は次のスキーをねだった。

 23日(木)13:00頃 高松宮殿下一行が、13:00頃桝水原を通過された。
 その時の殿下一行は、大山寺から横手道を歩かれ、桝水原スキー場の上〜大山環状道路の三角点887.8m〜桝水原スキー場の我々の所を通過され、我々は整列しお迎えした。

 職場に帰り、休憩時間等を利用して、
植・松井の三人のスキー合宿を計画した。
 有給休暇をいただき、厚生科にて夏用のテント、寝袋、鍋釜食器を借用し、スキーを先輩から借用し、出雲市内のスパーで食料を購入した。
  米を購入しようとしたとき、「米穀通帳」の提出を求められたが、会社の寮に入っていたため持っていなかった。
 購入できないと計画は挫折する。
 だが、数キロであり店の主人は、快く売ってくれた。
 昭和44年(1969)2月8日(土)〜12日(水)である。
 植と松井の3人で伯耆大山の中の原スキー場の近くに夏山用のテントを張って五日間滑った。
 テントを張ってスキーを始める1週間前に、職場の者十数名が大山の桝水原スキー場に厚生活動としてスキーをやった。  大山寺に到着したときの3人の装備は、バス停からキャンプ場まで一度では持ち上げられない量であり、2回の往復でやっとテント場に揚げることが出来た。
 テントを張り終わり、食事の準備に掛かったが、始めての雪中キャンプの設営に時間だけが過ぎ、テントに潜り込み、夜食を食べ終わったときは、寝るときだった。
 夏山用のテントでも寒さは感じなかった。
 なぜなら朝起きて直ぐにスキー、夕方日が暮れてなお周辺の旅館等の明かりを利用して滑りまくったため、スキーの疲れで寒さなど感じなかったと思う。
 朝食はラーメンを食べ、昼食と夕食はスキー場の食堂で食べ、夜食はラーメンであり、苦労して購入した米はテントの中で残っていった。
  計画では、昼食も自炊の予定が、滑るために手を抜き、また作る時間が無く、食堂に行ったものだから財布の中はどんどん減っていく。
 帰りのバス代、列車代を計算するとそんなに残っていない。
 風呂は近くの旅館に一回だけ入りに行った。
 お金がないから、お米を持っていき、現物交換方式による入浴をお願いすると、亭主は快く応じてくれた。 そのお店は、現在のだいせんホワイトリゾートアクセスリフト を降りた一番近いお店。現在の「中の原ぎんれい」です。
 終わりになってくると、スキーの腕前も上手くなってきた。
 そこで、やっと滑れる女性に目が向いてくる。
 九州から来た若い女性を見つけると、優しく教えてあげる。
 これがスキーを始めた時の思い出である。
 昭和44年冬の事であるが、その当時から上達はしていない。 
 その当時、スキーの服装はみんなみすぼらしく、どんな服装でも楽しめたが、昨今の華美さには驚きである。
 服装・用具共に全員が上級者の様な品物を揃えている。
 滑る楽しみはファションもあるが、沢山滑り楽しんで上達するためには、いま一度考えた金銭使用をして楽しんでもらいたい。
  スキーの上達は、転ぶことである。
 転ぶことを怖がらずに積極的に滑ることであり、三千回転ぶと上手になると言うが、転んでも上達しなかったのは私が悪かっただけである。

スキーでの金銭状況

 食料関係  お米 170  ラーメン  263
みそ汁の素  80  つまみ  200  甘納豆  30
 卵  98  干しブドウ  75  野菜  143
 マーガリン  22  ソーセージ  243  パンの耳  179
 ウイスキー  500  メチルアルコール  200  ローソク  35
 塩ッペ  69  チャーハン  25  マヨネーズ  66
 チーズ  160  ジャム  34  ココア  200

 食料関係は、3人で2,792円  1人当たり 1,000円
 交通費(片道) 国鉄 230円  バス代 200円  手荷物 100円 往復 1,060円
 その他 1人当たり 3,500円位
 ブタンガス(ガスコンロ用) 360円
 豆炭  缶めし(演習の残り物)

 スキーの先生である、帯広の佐藤氏、紺野氏や前出の植氏には感謝しています。


「部隊スキー指導官」
 帯広でのスキーの思い出は、第5師団で実施された「昭和56年度部隊スキー指導官養成訓練」に参加し、最終日に「部隊スキー指導官」の検定を受けた。
 結果は「技能未熟で不合格」であった。
 部隊スキー指導官とは、積雪寒冷地における作戦、戦闘において行動する隊員を訓練する指導員の資格である。
 積雪地では、スキー技術が戦闘の結果を左右する。作戦に参加するものは一定の技量が必要である。
 それは、不整地の山岳、原野を軽快に行動し敵の弱点に浸出し、敵を攻撃する。
 その技量は、当時の思い出で記述すると

 
 ゼッケン2番が私 中央が教官 左に糠平湖の水面が写る

試験の課目
 20kgのザックを担ぎ、小銃、水筒等の装具を装着し、一定時間内に6qを走り抜く技量・体力が要求される。
 小銃などの装備品を持たない場合は、その重量を担がなければならない。
 その20sのザックを担いで急斜面を滑り下る。試験後に、ザックの重さを計測される。
 不整地直滑降(デコボコの地形を数百メートルを真っすぐ滑降)
 ジャンプ(10m程滑り降りて、高さ1m以上のコブを飛び、その先の急斜面を滑り下る(飛距離5m位)。
 受験生に少年ジャンプ団出身者がいて、10m以上飛んだ。
 総合滑走(不整地に近い地形で、3種類以上の技で滑る。(ジャンプ、直滑降、パラレル、連続小回り等を織り込んで・・・)滑走距離は500m位
 ノルディックの技術。(パスカング、1歩滑走、2歩滑走、推進滑走、スケーティング)
 新雪の中を滑り下る。(訓練場の積雪の関係で突然実施された。) 等があった。
訓練地
 上士幌町糠平温泉にある、陸上自衛隊糠平訓練宿舎に宿泊し、糠平スキー場にて訓練した。
 宿舎は、国鉄士幌線糠平駅の近くにあった。食事、入浴等は帯広駐屯地から管理要員が派遣され訓練三昧であった。
 毎朝、8時前に氷点下20度位の中を、スキー場まで歩いて行く。12時ごろ訓練宿舎に帰り昼食、午後もスキー訓練に行くが、夕方は早く訓練が終了する。
 理由は、北海道の夕暮れは早いからだ。

 
 検定受験中の私 ボケているが

自衛隊のスキーと民間のスキー
 私たちがスキー訓練をしていると、へっぴり腰で滑っているのを見て笑っている。
 トレーン(連なって滑り、スキー板2本までの間隔で滑る)や、ピラミッド(三角に隊形を作り、一番前が右と言えば右に曲がり隊形を崩さない)をやっていると、その後方に連なって滑ろうとする。
 停止して直ぐに、斜面を駆け上ると唖然としている。
 私たちのスキーは、滑るときはスキーの上に重心を置くように勤める。連続小回りやターンをするときは、遠心力を利用しそれに耐えるようにしているのであるが…。
 滑り降りると、走るように斜面を駆け上がる。とてもじゃないが民間のスキーでは出来ない行動である。
 バックカントリースキーで斜面を滑っているが、滑り下るのは容易でも、自衛隊員のスキーみたいに、下ったり斜面を走って登り、直ぐに下ったりと動けない。
 ある時、休憩中にスキーを貸してくださいと言った人がいた。
「無理ですよ、滑れませんよ…」と言ったが、
「大丈夫です…スキー指導員ですから・・・」と、どうしても納得しない。
 スキー靴とスキーを貸してあげたが、緩斜面も滑れない。
 まずスキーと靴を固定するビンディングがない。踵が浮き上がり、靴は柔らかい皮でグニャグニャ曲がってします
 そんなスキーでも、新雪やコブ斜面をガンガン下りていく。、

 
 糠平スキー場  教官のデモンストレーション

帯広駐屯地でのスキー訓練
 7年間の北海道勤務(第5師団)で、6年間司令部勤務した。
 司令部勤務者でも冬季は、毎日スキー訓練を実施することが求められた。
 昼食が終わると、スキーにワックスを塗って、屋外に出す。このワックス調整は非常に大事である。
 外気温と雪の温度でワックスが違う。
 斜面を滑るスキーでなく、走るスキーだ。
 ワックスを間違えると、走れなくなる。スキーで雪面を抑え(蹴って)前進(前に滑らせる)する。この時、雪面を蹴るときワックスを間違えていると、雪面を蹴ることができないと、前に進むことが出来ない。
 この時のワックスは、滑り止め(グリップ)のワックスを塗ることになる。大体スキーの中央部に薄く塗り(走る距離とも関係するが)。
 先端部と後方はスキーが滑るように違うワックスを塗る。
 ワックスは雪の温度が重要で、低温用、中温、暖かい雪用等で、5〜6種類のワックスを自分用に購入していた。
 ワックスを塗布し、コルクで均等に伸ばし、外気温にさらす。その後現地で雪の上に置いて、ワックスに着く雪を見て調整する。
 慣れてくると一発で決まるが、慣れるまではノートに記入し、研鑽していく。しかし、熟練者になってもワックスノートは常に記載していて、グループの者にも簡単には教えない。
 私が塗っていると、未経験者は聞いてくる。
「今日は何がいいですか…」
「グリーンを塗ったよ…」と教えても、厚塗りか薄塗とでは効き方が違う。
 コルクで均一に伸ばす事を怠ると、利きが違ってくる。また、グリーンを下に塗って上にブルーを塗ってと組み合わせる場合のある。
 何キロ走るかでも違う。最初のワックスが効いてきても、後半でガタガタになってしまう。酷いときは滑走面に雪が付着し団子状の雪がつき、下駄を履いている状態になったら走ることが出来ない。
 最低でも6q(検定の距離)は走る。私はその当時12〜18qは走っていた。時間にして6q22分くらい。18q走るときは、1時間10分位であった。
 スキーが終わり、事務所(部隊)に帰ると直ぐにワックスを除去する。その当時の自衛隊スキーは板のスキーで、古いワックスは除去しないといけない。使用後の整備である。

 自衛隊のスキーの思い出は色々とあるが、少しずつ記載していきます
 何時になるか、体力と根性とタイピングによりますが・・・。

  
大山北壁と中の原(左)、豪円山(手前)スキー場      (5月)