大塚武 日本山岳会北海道支部長の登攀歴
1935年(昭和10年)12月~5月

大塚武支部長の思い出  望月達夫氏
 望月達夫は、昭和11年12月27日の夜、白峰北岳釣尾根の2000m地点のテントで、大塚武、日江井正巳の両名と望月の三名。
 二人共まだ予科2年生で、望月が学部2年、その三人で小谷部全助氏らの北岳バットレスのサポートをした。
 翌28日望月ら3名は北岳へ登るので、3人でテルモス2本は準備するのに、ラジウスが不調で火力が弱く、望月は2人を早く寝かせて一人徹夜をして湯を沸かした。
 12月28日は無風快晴、気温最低零下13度、午前4時半にテントを発ち、12時50分に北岳の頂上に立ったが、森林帯のラッセルは不眠だった望月氏を助け二人が頑張った。

大塚支部長の山行
 大正6年11月9日  静岡県静岡市 生
昭和10年4月  東京商大(現・一橋大学)予科に入るとすぐ山岳部に入部
昭和10年の冬  乗鞍岳スキー合宿
昭和 11年  
     4月  八ヶ岳
     5月  富士山と甲斐駒ヶ岳
     7月  穂高涸沢合宿
     8月  単独で赤石岳悪沢岳方面を一週間縦走
     9月  北岳バットレス第5尾根と白峰三山縦走
    10月  甲斐駒から鋸岳
    11月  富士山
    12月  北岳 望月氏の回想参照
 昭和12年  
    3月  甲斐駒摩利支天南稜
   夏は剣沢合宿から槍ヶ岳へ縦走
     8月  山田亮三と聖沢遡行後、赤石岳~塩見岳~偏幅岳
   10月  小谷部、森川真三郎、日江井、大塚氏は奥又白入り、前穂高四峰明大ル―トと東壁
   12月  松高ルンゼで雪崩に遭い、奇跡的に全員が助かったが、日江井氏が負傷
 昭和13年  
    3月  八ヶ岳は予科最後の山。赤岳直登や横岳西壁小同心の右側を登った。
    5月  鹿島槍東尾根
    7月  穂高滝谷第二尾根、北山稜、第三尾根
    9月  単独で奥又白へ入り北尾根三峰奥又側リッジ
   10月  瓢箪池から明神東稜、北尾根四峰壁
   12月  北穂高の幕営から滝谷を目ざしたが悪天候のため果たせず。
昭和 14年  
   3月  岳川から西種高
   6月  前穂高東壁
   7月  滝谷第四尾根
   9月  北岳バットレス第二、第三、第四尾根
   10月  冬の滝谷にそなえて第四尾根
  12月23~24日  厳冬期の滝谷第四尾根を山田亮三と登攀(冬季初登)
  12月25日  滝谷第五尾根
  12月26日  第二尾根北山稜
 昭和15年  山岳部の代表委員
 昭和16年4月  卒業、日本銀行
    4月  卒業 日本銀行に
    4月  日本山岳会に入会(会員№191)
   戦後の混乱期に一時会籍を離れた
 昭和39~42年  日本銀行 札幌支店長
 昭和45年1月  日本山岳会に復活
   札幌支店在勤時に油絵を始め、坂本直行とも知り会いになり、山やスキーにもよく出かけた。
 昭和45年11月    北洋相互銀行に移って暫らく後に、日本山岳会の北海道支部長に推された。

私の北海道生活での大塚支部長との思い出は
  昭和54年8月  トムラウシ山
  昭和55年7月  夕張岳
  昭和56年8月  カムイエクウチカウシ山
  昭和57年7月  二ペソツ山 等の山々です。
   
 大塚支部長と私  トムラウシ山 山頂で  支部長と井手賁夫北大名誉教授  羽衣の滝 滝見台

 大塚支部長のような登山経歴をもった方でも、神威岳で最期を遂げられた。
 支部長の遭難が伝えられるや、北の山岳関係者をはじめ、実に多方面の方々から捜索などで到底現わし得ないご支援を賜わったと、お聞きしました。
 地名等は昭和10年代頃の記録等からですので、ご容赦ください。


大塚 武氏(1917年1月9日~1983年8月30日)
 日本の銀行家。日本銀行事務管理部長等を経て、北洋相互銀行取締役社長、北海道経営者協会会長。
 北洋相互銀行取締役会長在任中、神威岳で遭難。
 静岡県静岡市出身。
 1941年  東京商科大学山岳部に所属(現・一橋大学)を卒業と同年に日本銀行に入行
 1953年  通商産業省に出向する。日本銀行に
 1961年  外国為替局次長
 1962年  新潟支店長
 1964年  札幌支店長
 1967年  日本銀行事務管理部長
 1970年~ 北洋相互銀行専務取締役
 1971年   取締役社長に就任。
 1981年  北洋相互銀行取締役会長
   北海道経営者協会会長、日本経営者団体連盟常務理事、経済団体連合会評議員、北海道経済連合会常任理事、北海道雇用促進協会会長等
   日本山岳会北海道支部長も務める。
 1983年  神威岳で遭難、9月4日午後に十勝川沢にて発見
         9月8日札幌霊堂で銀行葬が行われた。


 大塚武氏 日高・神威岳における遭難 (昭和58年8月)