テント生活 食事
昭和40年ごろの俺たち山仲間達との出来事、装具などの思い出を語ってみたい。

     「すき焼き風煮」
 ある年の正月に冬山合宿をした。
 我々の会が、ベースキャンプを設営し、テント数張りで頑張っているのを聞きつけ、色々な会が集まってきた。
 近くに各々テントを設営し、あたかも大きな登山隊の様相を呈してきた。
 今晩の夕食のメニューは、「すき焼き」と計画していたので、各人に少量のアルコールも出すことになった。
 今晩の、コック長は俺がやることになっていたが、リーダーから 全ての会の合同夕食会にするよう指示が出された。
 すき焼きは、肉と野菜を砂糖醤油の割り下で、数回に分けて食べるのだが、とてもじゃないが優雅な夕食にならない。
 それに、肉や野菜が足りない。
 各会に、白菜、ネギ、大根、油揚げ、豆腐、卵、肉(どんな肉でも可、鶏肉、豚肉、牛肉も)砂糖、醤油を供出してもらった。
 大きな鍋に少量の水を張り、野菜、肉等をぶち込んで、ぐつぐつ煮込んで、最後に砂糖と醤油で味付けした。
 ようは、砂糖醤油煮だ。
 色々な、具材(すき焼きに入れない物)でも、入れると、いい具合に味が出る。
 これを砂糖の甘さと、醤油で甘辛く煮るだけだ。
 これが殊の外喜ばれ、すき焼きが一番おいしかったとなった。
 何しろ、俺達の会には、ハイエナが集まる。
 これもリーダーが寛大だからで、俺達は助かった思い出がある。
 この頃、俺は3回目の初恋状態だった。
 この合宿に、ある山岳会に所属している、娘が参加していた。
 俺は写真を撮ろうとしたが、顔を隠され撮影できずに失恋した。
 あの娘は、今も20代の美しさを保っているのだろうか。
 その娘の思い出は、「瀬戸の花嫁」ですが、その文書は若干の脚色があります。

      「すき焼き」
 ある合宿で、遅れて参加したTUNOが、上がってきた。
 彼は、新鮮な野菜と肉を持ち上げてくれた。
 登攀が終了し、テント場に帰ってきた仲間たちは、TUNOの荷揚げの中身を知らない。
 夕刻になり、鳥取のヤシマ・カトウの両氏がザイテングラードを下ってきた。
 両氏は槍ヶ岳から縦走し奥穂から下って来た。
 顔ぶれはそろったので、夕食の準備が始まった。
 TUNOの荷揚げは、すき焼きの材料だった。
 テントの外で、豪華な宴が始まった。
 松江の小汚い連中と出雲のハイエナは、肉が煮えないうちに箸を出す。
 普段でも肉を見るのは、肉屋のショーケースだけだ。
 突然、ホイッスルが鳴ると、箸が鍋から離れる。
 これからが、高貴なお方の食事タイム。
 KURO、市、ヤシマ・カトウ様たちのお出ましである。
 鍋から肉・野菜が無くなると、新たな具材の投入である。
 警笛が吹かれると、ハイエナの食事、高貴な御方と続く。
 周りのテント場の連中は、その香りを十分に楽しんでいる。
 涸沢が静まったのは、我々の食事が終了した時だった。