テント生活 食事
昭和40年ごろの俺たち山仲間達との出来事、装具などの思い出を語ってみたい。

     雷鳥が3羽消えた
 剣の合宿の後、釘で作った手裏剣を練習していた者が二人いた。
 KUROとKOFUである。
   KUROは、会社の機械で、登山道具を試作していた。
      ボルト   溶接して真面目に作ったもの。
             カラビナの通す所を針金で作ったもの
             ボルト(ナットの相方)で作成し、ピッチが岩に食い込む
      エイト環  懸垂下降や、確保時に使用
      ジュラルミンの確保器 ザイルの滑りが悪く、強度は不明     
   等、 信頼のおけない物を多数作成
      しかし、これによる死傷者は出ていない。
      (マスコミに手を回した、隠蔽工作のお蔭かーー)
   KOFUは、取引先の親父を騙し、「アイスバイル」や「アイスメス」等を作らせていた。
      いわゆる、下請会社に圧をかける、下請いじめであった。
      「下請業法」はこの後制定された。
      アイスバイルは、山陰の日本刀の材料を使用して作成した、
     業物であるが、俺にはくれなかった。恨んでいる。
 忍者の里に修行に行く金がないから、大山寺の宿坊にも泊まらず、元谷小屋(1泊50円を掃除代でチャラ)を根城にして、金門の行者の岩場や、若い娘の居る「キャラボク」に入りびたり、修行すること数日。
 数年間の訓練の成果か、めきめきと実力を着け、向かうところ敵なし。
 「敵」でなく「的」なしの腕前。
 的があっても当たらず、的を必要としない、エコの先駆者。
 腕前を上げた二人は、穂高において実力を発揮する。
 二人の腕前は名人級で、左に投げると右側の雷鳥に当たった。
 雷鳥は安心して歩いていた。
 向こう側に投げると思ったからだ。
 ところが、名人達は離す位置が判らない。
 100発に3発くらいは前に飛び、残りは反対に飛ぶ。
 だから安心していた雷鳥は、命を落とし、狙われた雷鳥は全て助かった。
 その肉が、すき焼きの鍋に入っていたと、長野県警の涸沢救助隊は、某信州新聞と国営放送のNHKに話していた。
 某信州新聞の翌年のニュース  「涸沢の雷鳥が絶滅した。」