「大阪までフェルメール見に行くぅ?」
家内に問うたところ
「行く行く♪!」
毎日新聞の日曜特集欄で大々的に取り上げられはじめたころだ。
5点のフェルメール作品が一堂に会することなど、僕が生きているうちにはまずないだろうし、東京ならともかく、大阪なら日帰り圏内なのでそう無理でもない。大阪なら家内が以前から行きたがってた東洋陶磁美術館も有るし、休みを取って平日に行こうかな。
そう話しているうちに、最近美術館通いに目覚めた娘のYuriも
「私も行くぅ!!」
あらら、学校を休ませて行くのもなぁ。
そういって出かけたのは、会期も押し詰まった6月11日であった。日曜日だから混雑は必至、なるべく早い時間にと朝7時前のひかりレールスターに乗って出発。天王寺駅についたら幸運なことに前売り券を売っていた。
雨の中、開場30分前にも関わらず公園前は結構な行列。予想以上の人気だ。開場と同時に美術館までの結構な道のりを歩き、美術館前でまたも行列。結局入館したのは開館を30分ほど過ぎたころだった。
館内はすでに大変な人混み、フェルメールの部屋まで直行しようかとも思ったのだけど、逆行禁止とのことで、お行儀良く見ることにした。デルフトの風景画の部屋でも二重三重の列。フェルメールの部屋にたどり着くと、小さな作品を群衆が七重八重に取り囲んでいる。僕はともかく背の低い家内や娘は後ろからでは見えそうもない。後方から攻めるのは無理と、側方の前列に陣取り辛抱強く列が移動するのを待った。そのうちに段々作品が近づいてき、ついには目の前でじっくり鑑賞することができた。これはYuriの作戦であったのだが見事成功。結果的に一つの作品の前をゆっくり移動することによって、結構長い時間見ていられたことになる。
それでも今回の目玉である青いターバンの少女の前では、後ろから押されて大変だった。小さな子供もたくさんいたので、安全面での配慮がもう少し欲しいところだ。誘導のおにいさんの、がさつな声もずいぶんと耳障り。異様な雰囲気が会場全体を支配していた。画集やWEBで見ていたフェルメールは、どことなく無機質で仮面的な表情の女性を描く画家という印象であったが、実際に目の当たりにすると会場の照明が暗めだったせいか、ほんのりと血が通った表情に感じられた。この時代、主体を浮き立たせるような作品が多い中で、フェルメールは主体と背景とを色彩的に融和させることで、むしろ沈み込ませている。だから作品自体の主張はあまり強く感じられず、鑑賞者は知らず知らず作品の中に引き込まれてしまうのであろう。サイズが小さいのもそういう効果を狙ったのかもしれない。
今回の作品の中で例外であったのは、初期の聖プラクセディス。この作品は本来のフェルメールのスタイルでは無いように思うし、色彩的な魅力もない。別の部屋に展示されていたこともあって、うっかり気づかずに通り過ぎるところであった。
もうひとつは青いターバンの少女。丹念に背景が描き込まれた他の作品と違い、黒く単調な背景に異国の衣装を身につけた少女が浮き立って見える。照明のせいか、修復の結果か、よく見ると背景はきらきらと輝き、青いターバンとの間に強烈な色彩の対比を描き出していた。しかしそれが少しも押しつけがましく感じられないのは、左上方から差し込む柔らかな光の効果であろう。
今回のフェルメールの作品に共通して言えることは、光源が柔らかな間接光で、その差し込む方向がはっきりしていること。結果なだらかなコントラストを表出し、独特の色彩感となっているのではないだろうか。名残惜しくは有ったが、青いターバンの少女の前を離れ次の部屋へ。
そこで一つの作品に引き込まれてしまった。
ピーテル・デ・ホーホの寝室。背後の扉から差し込む夕陽が子供の頬を照らし、足下の影がタイルの床に長く伸びている。左手の窓から回り込む光は部屋全体を柔らかく照らし、隅々まで光を与えている。光の多重効果に息を飲むほどであった。
ふと気が付くと、傍で一人の少女が熱心にのぞき込んでいる。娘のYuriであった。
(おとうさんも同じように感じてたんだ)
無言の親子の会話であった。WEB美術館館長
Summy