へたうま見聞録:「W杯徒然(7):カナリアは勝利の女神の髪に触れた」      
      その6:「W杯徒然(7):カナリアは勝利の女神の髪に触れた」
     


 W杯のピッチには勝利の女神がいる。渾身のシュートがゴールポストにはねかえされるのを何度見たことだろう。ほんの数センチ違えば、勝利は彼らのものなのに。その度に選手たちは天を仰ぎ両手で顔を多い立ち尽くす。「女神に嫌われた」。
 そうかと思えば、絶対絶命のピンチから一瞬の隙をついて、あっさりとゴールが決まる。勝利の女神は気まぐれだ。

 最悪のセレソン(ブラジル代表のこと)といわれたブラジルと、開催前は全然期待されていなかったドイツ。時にはふらつきながら、気がつけば決勝の舞台・横浜のピッチに立っていた。
 W杯史上初めての両国の対決が、いきなりの頂上対決とは。

 出場停止があけて「3R」(ロナウド・リバウド・ロナウジーニョ 早口言葉みたい)に戻ったブラジル。司令塔バラックを出場停止で失ったドイツ。
 ドイツは開始早々に先制攻撃を仕掛けるが、なかなかうまく突破できない。司令塔の不在は大きい。
 ブラジルの反撃は、ドイツの守護神カーンがスーパーセーブで防いでいく。雨が降り芝生もぬれて、セーブが難しくなった頃に、リバウド渾身の一撃がカーンを襲う。何とかセーブしたと思った瞬間、痛恨のファンブル。跳ね返りを、走りこんでいたロナウドが見事に決めた。カーンの手は、ボールに届かなかった。
 79分にも、クレベルソンからのパスをリバウドがシュートするのかと思いきや、スルーしてロナウドへ。決定的な2点目が決まる。ドイツに反撃の力は残っていなかった。

 4年前のフランス大会。決勝戦当日に突然のひきつけで体調を崩したロナウド。ブラジルは0−3でフランスに屈辱的な敗北を喫した。その後のロナウドは二度に渡ってヒザの手術を受け、懸命のリハビリでW杯のピッチに戻ってきた。苦しみぬいたロナウドと彼を支えたセレソンに、勝利の女神は微笑んだ。カナリアは、勝利の女神の髪に触れた。

 ブラジルの歓喜の中で、ひとり力なくゴールポストにもたれているカーン。力尽きていた。しばらくして、ずるずるとへたりこんだ。一人また一人とチームメイトがカーンの肩に手を置いていく。カーンの悔しさは、4年後にリベンジできるのだろうか。勝利の女神は憶えていてくれるだろうか。

 W杯は終わり、勝利の女神は、日本を韓国を去っていった。

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 (2002/7/21)

(C) HETAUMA HONPO 2002


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