Fate/Trigger Point 第三話 UNKNOWN





 2/4





 Yet, those hands will never hold anything.
       故に、生涯に意味はなく。

  So as I pray, unlimited blade works.
         その体は、きっと剣で出来ていた。





 はっきりしゃっきりと意識が覚醒していく。わたしにとっては年に幾度もない奇跡に近いような目覚めのいい朝を迎えたようだ。
 だからだろうか。覚醒と反比例して"何かの記憶"が色あせ、崩れ、砂時計のように心の奥底から流れ落ちていったのは……。
「…………夢でも見ていたのかしら…………」
 思い出せないということは、記憶に留まらない程度の内容だったのだろう。わたしは軽く頭を振って、今日という日を始めることにした。





 学校へと向かう坂を上りながらわたしは、朝のうちに探し出した学校名簿の内容を思い出していた。フルネームは衛宮志保。2年C組。住所はわたしの家からかなり近い。もし彼女が"衛宮切嗣"の関係者だったなら、それこそわたしはいい面の皮だ。我が家の目と鼻の先にもぐりの魔術師の存在を許していたのだから。しかし、保護者欄の藤村大河というのはどういうことだろう。
『これって藤村先生の事よね』
 こんな名前の人間はそうそう居ないだろう。事実、緊急連絡先の電話番号が教員名簿に載っていた藤村先生のものと一致している。
『住所も近くなのよね……』
 藤村大河。わたしの通っている私立穂群原学園の英語教師。よく虎とかタイガーとか呼称されているが妙齢の女性である。なかなかにまっすぐで単純な方なので、魔術師などといったダークゾーンの存在と関わりがあるとは考えにくい……と思ったが、よく考えれば彼女の実家はこの冬木の街を仕切る藤村組だ。黒い領域と関わりがあってもおかしくないのかもしれない。結局、疑問点のみが積み重ねられていく。やはりここは調べてみるしかないだろう。
『で、どこから手を付けるのだね、凛』
「そうね。やっぱり綾子かしら。弓道部部長だし。まずは彼女に話を聞きましょう」
『ふむ。君のことだから物陰からガンドで狙撃でもするのかと思ったが――なかなかどうして、慎重だな』
「そうね。どこかのサーヴァントが昨夜から精彩を欠いてるものですから。慎重にもなるわ」
『……』
 実際、その行動も選択肢には入っている。けどまあ、そういうのは白黒の判別が付かない場合の最終手段にしておきたいものだ。
「けれどどうしたのよ、貴方。なにか心配事でもあるのかしら?」
『いや、そう言うわけではないのだが……いささか他のマスターの動きが鈍いような気がするのでな』
 たしかに、私がアーチャーを召還してから今日で5日目。その間に遭遇したサーヴァントはランサーとセイバーのみ。マスターに至っては誰一人の顔も見ていない。
「んー、気になることはあるわよ。多分、聖杯戦争絡みだと思う。今夜あたり確認してみるつもり」
『ほう、何か気が付いたのかね?』
「ん、新聞とかニュースでやってたんだけどね。新都の方で妙な事件が起きているみたいなのよね。だから夜に確認しにいきましょ。多分黒よ」
『ほう』
「まあ、他のマスターも裏では色々動いているってことでしょ。気を抜かないようにしましょう」
『いい心がけだ、マスター』

 さすがにそうそう連続で弓道場に顔を出すつもりは無い。わたしは、一限目が終わるのを待ってから、休み時間中に綾子に話しかけることにした。
「美綴さん、ちょっといいかしら?」
「おや、遠坂。何のようだい?」
 休み時間の喧噪のおかげで、わたしたちの会話を聞いている人間は居ないようだ。これを幸いと話を続けることにした。
「C組の衛宮さんについて……知ってることを教えてもらえないかしら?」
「ん、衛宮? 何で?」
「ええ、ちょっと、ね」
「ふーん……ま、いいけど。とは言ってもあたしもあんまり大して知らないわよ。衛宮のことなら間桐――妹の方ね――か藤村先生に聞いた方が早いよ」
「ええ、でもとりあえずは綾子の知ってることだけでも教えてくれる?」
「んー、とは言っても他人のプライバシーだしなぁ……」
 ニヤニヤとした笑みを浮かべる綾子。……仕方がない。
「江戸前屋の大判焼き」
「四つかな?」
「多いわ、三つ」
「ま、その辺りで手をうちますか。で、何が聞きたい? さっき言ったとおり、大したことは知らないよ、あたし」
「そうね……彼女の親の話って聞いたことない?」
「親、ね。亡くなっているそうだよ。で、父親と親交があった関係で藤村先生のところが後見してるって話らしいね」
「……そ、か。……亡くなってるのか。何時亡くなったのかまでは知らないわよね?」
「残念ながら、ね」
 亡くなったのが五年前ならほぼ確定だったと思うのだが。しかし、これで"衛宮志保"が"衛宮切嗣"の娘である可能性がぐんと高くなった。
「衛宮さんって、どんな娘なの?」
「……知り合いじゃないの?」
「知り合いだったら聞かないわ。ちょっと、ね。訳ありで」
「へー。アンタの訳ありか、怖いな。……で、衛宮がどんな奴か、かぁ」
 むーっと眉根を寄せる綾子。
「そうだね。一人で居るのが好きみたいなんだよね。あんまり他人とつるんでいるのを見たことがない。でも良い奴だよ。本当に困ってるときには頼りになる奴だと思う。根は射のときみたいに真っ直ぐなんだろうね」
「弓、そんなに上手いの?」
「ん、そりゃあもう。アレは桁が違いすぎるわ。あの娘さえ在籍していてくれたら、うちの学校には間違いなくインターハイの表彰が一つ増えていたね」
「へー、貴方がそこまで言うなんて凄いわね……」
「ま、あたしが言えるのはそのくらいかな。悪いね」
 軽く肩を竦める綾子。 うーん、綾子から聞ける情報はこのくらいだろうか。……あ、そういえば。
「ところでさ。衛宮さんってどうして弓道部を退部したの?」
 ピシッと綾子の動きが止まった。そして数秒、わたしの瞳を見つめてから軽く嘆息しつつ口を開いてくれた。
「……多分、慎二との確執だろうね。ま、むしろ慎二が突っかかって衛宮が流していたんだけど、いい加減鬱陶しかったのかね。アイツら、同じ中学だったらしいんだけど、中学時代からソリが合わなかったらしいんだよ」
 慎二というのは、間桐慎二のことだろう。現弓道部副部長で間桐桜の兄にあたる。性格は……あえて言うまい。
「でもさ、慎二って付き合ってる奴以外の女の子にはフェミニスト気取ってるじゃない? どうして衛宮さんとは仲が悪いのかしら」
「大方、中学時代にでもこっぴどく振られたんじゃない? あの娘、童顔だけど可愛いし」
「それは……ありそうね」
「だろ。で、これは間桐――桜から聞いた話なんだけどね。衛宮ね、弓道部辞める前日に慎二を殴ったらしい」
「へー、やるじゃない」
「まあ、慎二のバカが桜を殴ったのを見かけたのが発端だったらしいんだけどね。あのちっこい体と大人しそうな顔でなかなか。慎二、肋骨にヒビ入れられたそうだよ」
「ナイスね。どうせなら入院させてしまえば良かったのに」
 オンナノコを、それも自分の妹を殴る奴なんかそのくらいしても飽き足らないくらいだ。
「アンタね……ま、いいか。ちなみにこの話は他言無用ね。アンタのことだから言わなくてもいいと思うけどさ」
「ん、おっけ。十分すぎる収穫よ。ありがと」
「そりゃどうも。大判焼き三つと引き替えなら安いもんさ」
「……二つにまけとかない?」
「ダメ」

 授業中、わたしは機械的に黒板の内容をノートに書き写しながら、ボンヤリと考え込んでいた。
 結局、綾子の話から、衛宮志保が魔術師、もしくは魔術師関係者であるという確証は得られなかった。まあ、それと分かってしまったらそっちの方が問題なのだが。
 綾子以上に彼女と関わり合いがある人間と言えば、間桐桜か藤村大河しかいないらしい。少なくとも衛宮邸に足を踏み入れるほど親しい人間はこの二人だけだと聞いた。
『桜を……他の魔術師の関係者を邸内に招き入れてるのよねー。やっぱり違うのかしら』
 あるいは工房が邸内に無いのかもしれない。もしくは衛宮志保自身は魔術師ではないのかも。もしくは……
 だめだ。かもしれない、という可能性だけが積み重なっていく。
 うん、分かってる。本当はわたしは彼女がマスターじゃないことを願っている。聖杯戦争が始まるにあたって、戦う覚悟も、殺す覚悟も、殺される覚悟もできているつもりだった。けれど、自分と同年代、自分と同世代、自分と同じ日常を過ごしている人間とやり合うことにわたしはまだ躊躇いを感じている。
 なんという無様。なんて甘い感傷。遠坂凛は魔術師だ。もしその時が来たら、この甘さは切り捨てなければいけない。そう、覚悟なんてものは、聖杯戦争に参加したときから……いや、遠坂の魔術師として生きていくと決めたときから出来ていたというのに。まったく、聖杯戦争が始まってからというもの、つくづくわたしは自分の未熟さを痛感させられている。でもこれでいいとも思う。自らの足りないところを知ったなら、そこを補えばいいだけ。足りないところを知ったわたしはまだまだ前に進めるのだから。





 昼休み。わたしは購買で購入した野菜サンドとパックの紅茶を手に屋上へと足を運んだ。目的は昨日と同じく学校に張られた結界の起点のチェックだ。少しでも起動の妨害が出来るならそれでいい。ついでにひょっとしたら今日も――――

 昨日と同じように、彼女はそこに立っていた。フェンスのそばで冬木の街を見下ろして。屋上へのドアが開いたのに気が付いたはずなのに、今日はこちらを見ようともせず、ただ眼下の風景を眺めている。こうして斜め後ろから眺めると、結構小柄だ。わたしより拳二つ分ほど小さいくらいだろう。体つきも細くて、少女と言うよりは少年体型に近い。この体で慎二をぶん殴ったというのだろうか。ちょっとばかり以外だ。
「こんにちは、衛宮さん。何が見えるのかしら」
 わたしはある程度の間合いまで彼女に近づきながら声をかけた。アーチャーは霊体のままわたしの横に控えている。
「街が見えるよ。……遠坂さん、だっけ? 美綴の友達の」
 わたしの声に反応して顔だけをこちらに向け、彼女――衛宮志保は答えを返した。淡い微笑みを浮かべている。
「遠坂さんも物好きだね。二日連続で屋上に来るなんて。こんな冬に屋上でご飯食べてるのって私だけだと思ってた」
「む……そういう貴方こそどうしてこんな時期に屋上へ?」
「私は大抵ココで昼にしているよ。なにせここなら落ち着いて食べられる」
「教室だと落ち着いて食べられないの?」
 わたしの疑問に衛宮さんは苦笑して答えた。
「どういうわけか、私が弁当だと周りの娘たちが摘みたがるんだよね……なんでだろ?」
 これは違うかな、と感じた。話していて彼女はあまりにも普通だった。わたしのように日常を擬態しておらず、どこまでも自然体。わたしに対してまったく隔意無く接している。
「けれど意外だった。遠坂さんって話しやすかったんだね。もっと話しにくい人かと思ってた」
「あら、そうですか。わたしは別に普段通りですけど?」
「へー、普段からそんな話し方なんだ。私なら肩凝っちゃうなあ……ところでさ、サンドイッチ食べないの? 時間無くなっちゃうんじゃない?」
「ええ、そうね。そうだった。お話に夢中で忘れてました」
 いけないいけない。時は金なり。なぜか横でアーチャーが呆れている気配がするが気のせいだろう。さっさと食事と用事を済ませますか。
「邪魔しちゃ悪いし私はそろそろ下にいくね」
「ああ、そうだ。衛宮さん、一つ聞きたいんだけど……ご家族に衛宮切嗣さんって方はいらっしゃるかしら? わたしの父の知り合いかもしれないんだけど」
 ピタリ、と出入り口の方に向かっていた衛宮さんの足が止まった。
「切嗣は私の義理の父さんだよ。……残念だけど五年前に死んじゃったけど」
「……義理……」
 わたしの呟きが聞こえたのだろうか。彼女の微笑みが少しだけ寂しげに歪んだように見えた。
「うん、私、10年前の火災で孤児になっちゃったからね。その時に助けてくれた父さんが私を引き取ってくれたんだ」
「……ごめんなさい。知らなかったとはいえ嫌なこと聞いちゃったわね」
「ん、別に嫌な事じゃないよ。私は父さんに助けられて、父さんに引き取ってもらえて幸せだったから」
 その童顔を彩るのは微笑ではなく満面の笑み。
「だから父さんは私の誇りだったんだ」

 衛宮さんが去った屋上でわたしは一人、野菜サンドを平らげ、パックの紅茶を飲み干した。
「まいったわね。義理じゃ血は繋がっていない、か」
 魔術の素養、特に魔術回路の数は遺伝によるものが大きい。義理だと魔術師の家系に代々伝わっていく魔術刻印も継承されないだろうし。どうりで彼女から魔術の臭いが感じられなかった訳だ。
「衛宮切嗣の線は切れたっぽいわね」
『彼女が嘘を付いている可能性は? いや、それはない、か。そう言うタイプでは無いだろうな』
「ずいぶんと素直ね、アンタ。皮肉は無しなの?」
『ふむ。期待に添えられないようで残念だ。ああ、時に凛、とても重要な話があるのだが』
 台詞とともに実体化するアーチャー。
「ちょっと、大丈夫なの」
「なに、死角に動けば問題あるまい。で、とても重要な話なのだが聞くかね?」
「ええ、聞くわ」
 わたしはアーチャーとともに給水塔の影へと移動した。
「で?」
「ああ、それなのだが」腕を組んだまま器用に肩を竦めるアーチャー。「私の真名を思い出した」
「ふーん。……ってマジ? そう言うことは早く言いなさい!」
 八方手探りな今の状況を考えるとその話は朗報だ。こちらの戦力をきっちりと計算できるようになるのは大きい。
「で、アンタは何処の何て英雄だったの?」
「……ああ、そこに問題があるのだが、冷静に聞いてくれ。残念だが、私は真名を飽かすことが出来ないようだ」
 わたしの期待を込めた問いはふざけた答えで返された。ピシリ、とわたしの頭のどこかが切れかけた音が響いた、気がした。
「待て、待て! 落ち着け凛! 令呪を使おうとせず私の話を聞きたまえ!」
「ッ〜! ……ええ、分かったわ、聞こうじゃない。言っておくけど、つまらない内容だったら令呪を使ってでも聞かせて貰うわよ」
 キれそうな頭を必死でクールダウンさせつつわたしはアーチャーを睨み付けた。
「やれやれ、君は優秀な魔術師だが冷静さに欠けてないか? 戦場でのそれは命取りだ、気をつけたまえ……。で、だ。私が真名を明かすことが出来ないと判断した理由は二つある」
 給水塔を支えている柱にもたれかかって宙を仰ぎ、息を吐くアーチャー。そしてわたしに向き直ったその眼は、今まで見たなかで一番に真剣だった。その眼を見て、思わずわたしは姿勢を正してしまった。
「まず一つ目だが……私は今この時より時間軸にして未来の英霊だ。つまりこの時間においては私は"確定された存在"では無い。なんらかの手段によってその存在を揺るがせることが出来ないとは言い切れないだろう? すでに座に存在しているために、その存在そのものが無くなる事はないだろうが、何も起こらないという保証はないわけだ。もちろん、何の影響も起こらないかもしれないが、だからといってその可能性に賭けてみるかね?」
「未来のって……そりゃ可能性としてはあるだろうけど……」
「次に二つ目だが、実はこっちの方が問題としては大きいのだが……実のところ私は、この世界の英霊ではないようだ」
「……は? えっと、意味がよく分からないんだけど……」
 いや、本当によく分からない。この世界の英霊じゃないって言われてもそれじゃ……この世界? つまりこの世界じゃ無い世界ってことで、ということは……。
「ふむ、思い当たったようだな。どういう訳か知らんが、今のこの"私"は、本来この世界において呼び出される"私"ではないということだ。まったく、どういう失敗をすればこんな召還ができるのだ? さすがは宝石翁の系譜と感心するべきなのか、それともやっぱり遠坂の一族かとあきれかえるべきなのか……」
「わ、悪かったわね。わたしだってちょっとビックリよ。でもまぁ、了解したわ。時系列と第二魔法が交錯しているような召還じゃ下手すると抑止が動く可能性もあるものね。確かに真名は聞かない方が良いみたい」
 ま、今まで通りと思えば問題はない、か。それでも、
「せめて宝具くらいは教えてくれる?」
 このくらいは聞いておきたい。宝具の特性によっては戦闘スタイルを組み替えなきゃならないし。
「ふむ、それなんだが。実のところ、私の宝具はこれと言った形のあるものではないのだよ。ただ柔軟性が高く、ほとんどの相手に対しては互角以上に持って行けるものだ。欠点としては起動までにいささか時間がかかると言うことか」
「うーん、使いどころが難しそうね」
「ああ、だが起動に必要な魔力はそれほど多くはない。極端な話、私自身の魔力でも起動可能なほどだ」
「ふーん」
 ……? "私自身の魔力"?
「って、アーチャー、貴方って魔術師だったの?」
「あのな、凛。サーヴァントは魔力によって織られた霊体だ。その身が魔力を帯びているのは当然だろう?」
「あ、そうか」 
「とはいえ実際のところ正解だ。私は生前、魔術師だった」
「へー、じゃあさ、キャスターとして召還される可能性もあったんだ?」
「いや、残念ながら魔術師としての私はあまり優秀じゃなくてね。よく師匠に怒られていたものだ。実際、私が当てはまるクラスはアーチャーだけだろう」
 なぜか私にむかってニヤニヤとした笑みを浮かべつつアーチャー。
「ああ、そういえば。ここ一番で失敗するところなどは私の師匠とそっくりだよ、君は」
 わたしはヒクリと顔が引きつるのを無視した。コイツはわたしをからかって遊んでいるだけなんだから。
「で、アーチャー? 白兵戦でランサーと張れるくらいなのに?」
「もちろん遠距離戦も可能だとも。だからといって好きこのんで手の内を晒す必要もあるまい」
「それはそうね」
 切り札というものは後出しにするものだし。

「それはそうと凛。彼女はどうするつもりだ?」
「彼女って衛宮さん? ……とりあえず保留。今夜あたり、時間があったら彼女の家を見てみましょう。貴方なら霊体になって調査できるでしょう?」





二話へ  四話へ

前へ戻る