――ゆらり揺れる、夏の陽炎
        想い廻る時の静寂に――





Fate after SS   交差点から空を見よう 〜俺と私の見た風景〜 4−3





「絶好調に弾けてるわね、志保。貴方の楽しそうな姿を見られて、私とっても嬉しいわ」
 プールのフェンスに背を預けて、二人並んでぼんやりと、級友達の戯れを眺めながらの一幕。にこやかに笑みを浮かべながらも、額の青筋がいろいろと裏切っている遠坂がぼそりと呟いた。
「――いや、私のせいじゃないと思うんだけどさ」
仰ぎ見た空は高く、夏の雲は白く。とりあえず陽射しが熱いな。
「……ま、いいわ。それにしても本当に順応してるわね、貴方。意識せずに自分のことを"私"って言ってるなんて」
「――え? あ、あれ? ……俺って、もしかしてさっきからずっと自分のこと"私"って言ってたのか?」
 全然気が付いてなかった。というより、そんなこと考えても居なかった。ただ普通にしていただけ。……いや、はたしてそれは俺の普通だったのだろうか。何か違うような気もする。なにか自分の中で切り替わっているような、そんな感覚。
「――どういうことだろ?」
「? 何が?」
 思わず呟いた俺に、首を傾げる遠坂。帽子に髪を納めているせいか、顔立ちがはっきりと判るのが実に新鮮だ。そう、何時もと違う雰囲気のせいで、直視するのがなんとなく照れくさいくらいに。
「いや、何がと聞かれても困るんだけど。実は俺にもよく分からない。――あ、ところで凛。さっき氷室とか美綴とかと何を話してたんだ?」
 疑問を思考の隅に押しやって、俺はとりあえず気になっていた事を遠坂に尋ねてみた。
「んー。……そうね。夏休みが楽しみだって話よ。本当、楽しみだわ」
 満開の花のように鮮やかな笑み。――ああ、やっぱり。どうやら俺にとってはあまり良い話じゃないようだ。鮮やかな笑みの背後に黒い翼と尻尾を幻視してしまったから。れっどでびるすまいるを見切れるほどにまで色々な経験値を積んでしまっている自分にちょとだけ泣きそうです。
「――貴方には普通じゃない夏休みだろうけど。士郎、折角だから楽しみましょう? やがて帰る貴方にとって良い夏休みになれば、私も嬉しいわ」
 ニヤニヤとした笑みが俺の渋面に苦笑へと変わり……そして次は柔らかく、優しい微笑みに。
 そっか。俺はその微笑みでようやく気が付いた。今この時間は"何時か想い出になる日々"なのだと。俺達の記憶以外には証拠らしい証拠も残らない、泡沫の夢のような時間。それに気が付いたから、俺も遠坂に微笑を返した。
「……ああ、そうだな」
 何時か時が過ぎて、この奇特な日々を思い返して。それでも、『ああ、楽しい日々だったな』とそう言えるなら……。





 凛と二人してプールサイドでのんびりとしているうちに水泳の授業は終了した。
 そう、その時まで俺は気が付かなかったんだ。
 ……着たのなら当然脱がなきゃいけないということを。
 俺がそれに思い当たったのは授業が終わり、更衣室へと向かう段になってからだった。
「衛宮さん、何やってるのかしら? 着替える時間が無くなるわよ?」
 時間を引き延ばそうと、他の娘達が撤収した後、一番最後にできるだけのんびりとシャワーを浴びている俺に、遠坂が優雅に微笑みながら声を掛けてくる。
「……凛、お前、判ってて言ってるだろ?」
「何のことかしら?」
 がっしりと俺の肩を掴む手が実にすべてを物語っている。
「さ、ちゃきちゃき着替えるわよ……ちなみに、綾子って脱いだら凄いわよ?」
「な! お、おま!」
 後半の台詞に思わず狼狽してしまう俺に、意地悪な魔女の追撃が叩き込まれる。
「氷室さんも何気に凄いしね……それともあれかしら。士郎はセイバーみたいな体型の方が好きなの? だったら三枝さんなんかお勧めね。それとも筋肉質でスレンダーな蒔寺さんみたいなのが良いのかしら?」
 面白がってやがります、この虐めっ子は。それとも、さっきの更衣室での借りを更衣室で返す気ですか、こんちくしょー。間違いなく真紅に染まっているであろう俺の顔。
「健全な男の子としては目に焼き付けておきたいでしょう?」
 そこまで言うか、遠坂凛。だがさすがにこれ以上は男の沽券にかかわると言うか彼氏としてどうだろうというか。――よし、照れくさいけど。どうしようもなく恥ずかしいけど、きっちりと伝えてやろう。旅の恥は掻き捨てとも言うけど、あっちの遠坂にはとてもじゃないけど面と向かっては言えないような台詞で。
 俺は肩に置かれた遠坂の手を、そっと掌で握って、俺の前まで持ってきた。
 真剣な顔で遠坂の秀麗な顔を見つめる。へ? と虚を突かれて呆けている遠坂。……ああ、顔面が火照って火照ってどうしようもない。言うのか? 言うのか、俺。 そんなこっ恥ずかしい台詞を、本当に言うのか、衛宮士郎!
「大丈夫だよ、遠坂。俺は遠坂が一番いい。……うん、遠坂の身体は本当に綺麗だと思う」
 そしてそっと、……クソ、本気で暑いぞ、心臓が胸を突き破って飛び出しそうだ……そっと、遠坂の手の甲に、口を、付けた。
 ボフッと音を立てるかの勢いで、遠坂の顔が真っ赤に色付いた。あー、もう、コイツやっぱり可愛いなぁ、ちくしょう。
 お互い真っ赤になって見詰め合う少女二人。見物人が居たらスゴイ見世物だろうなぁ、と心の隅のひどく冷静な部分が分析している。

 ――どうやらスゴイ見世物だったらしい。

 何時から居たのか、遠坂の背後の方、俺の視界の片隅にこっそりと存在している野次馬数人。 
 遠坂に負けないほどに真っ赤な顔をした三枝さん。拳を握り締めて固唾を呑んでいる馬鹿蒔寺と、顔を興奮にやや紅潮させ、眼を爛々と輝かせている氷室。そして意外なことに、こちらも顔を真紅に紅潮させ、口を大きく開いている美綴。お前、意外と初心だったのな。
「……」
 俺の視線に気がついたのか、真紅な表情のまま、遠坂も振り返り……野次馬の姿に硬直した。
「……ああ、まぁ、それほど時間が無いから呼びに来たのだが……校内では程々にした方が良いと思うぞ。後、次の授業をさぼる気なら陸上部の部室の鍵を貸そう。邪魔は入らないはずだ。後片付けだけはしておいてくれ。決して痕跡だけは残さないよう」
 俺と遠坂の視線に、バツが悪そうにやや顔を赤らめて、氷室が早口で捲くし立てた。「……まさか、噂は本当だったとは……」
「と、とおさかさんがえみやさんと……」
「いや、なんつーかさ。……写真に撮っときたかったわ」
「遠坂……やっぱ四月の賭は私の負けでいいわ……まさかオトコじゃなくてオンナを作るとは……」
 好き勝手言ってやがる野次馬ども。――四月の賭けって、やっぱりアレか。三年になるまでどっちが先にオトコを作るかって奴か。あっちでは遠坂が俺を、美綴が実の弟を変装させて連れていったんだっけ。……こっちだとどうなったんだろ?
 まぁ、とりあえずはこの状況を何とかしてみるか。遠坂固まってるし。……無駄だろうけどさ。
「あー、一応言ってみるけど誤解だぞ、誤解。オマエラが期待しているあれやそれやこれやなんかじゃないぞ。うん」
 俺の釈明にそれぞれが良い笑顔で答えてくれます。
「ああ、そうだな。誤解だろう……安心してくれ、口は堅い方だ」
「え、えっと。その……女の子同士だって、あ、愛があれば大丈夫だと思います!」
「ああ、衛宮。うん、分かってる、分かってるから。遠坂と幸せにな」
「でよー、鐘っち。部室の鍵って由紀っちが持ってんだっけ? あそこ防音じゃないぞ?」
「あっはっは。なんなら弓道場の方を貸そうか。衛宮も慣れてる場所だろうし」
 コイツラ信じちゃいない、な。軽く嘆息した俺は、ぷるぷると体を震わせている遠坂に気が付いた。あ、切れる。本日二回目だな。
「そ……」
「そ?」
「そ……、そんな……、そんなわけ……」
 とりあえず俺は耳を塞いでおいた。
「そんなわけないでしょうがぁぁーーーーーーーー!!」
 そして絶叫。……優雅さの欠片も無いぞ、遠坂。





 怒れる赤い悪魔をなだめすかしながら、とりあえず俺達は大急ぎで着替えることにした。
 更衣室にはもう、他の娘達は誰も居ない。
「でさ、衛宮。結局アンタの正確なサイズって幾つなんだい?」
 ごそごそとその形の良い胸に飾りの無いシンプルな白い布を当てながら、美綴が尋ねてきた。いや、注視してたわけじゃないぞ。こう、話しかけられて向いた先がそういう光景だっただけで、決して横目でちらちら眺めたり、各人の下着をチェックなんかしてない。……してないんだったら。
「……知らない。計ったこと無いし」
 直視すると間違いなく赤面する。だから俺は目の前の棚を観察しながら、自分の下着をがっしがっしと着込みながら答えを返す。
「いや、知らないって、ブラ買うときに――ってスポーツブラか。でもアンタのサイズだと支えきれ……るか、その大胸筋なら」
 アンタも鍛えてるしねー、と笑いながら美綴が肩を竦める。
「大体、他のブラなんか持ってないぞ。こんな感じのばっかりだ」
「ふむ、だがスポーツブラ一辺倒では形が崩れように」
 氷室の声が話に割り込む。白地に藤色のラインが入った、シンプルで格好良いタイプのソレは氷室に似合っていた。アレ良いなぁ、何処で買ったんだろ。
「で、遠坂。実際衛宮のサイズって幾つなんだよー?」
 黒とイエローのツートン。スポーティーなソレはスレンダーな蒔寺にぴったりだろう。だが、その色彩は頂けない。というか、お前は藤ねえか?
「私が知るわけ無いでしょう……」
 拗ねた遠坂が吐き捨てる。白のレース。シンプルだけど高級感有るその光沢。うん、エロ可愛いなぁ。
「えー、普段、その眼と手と躰で計測している感じで良いんだぜ?」
「私は志保の胸を観たり揉んだり撫でたり舐めたりなんかしてないわよ!」
 蒔寺の台詞に、フン、と顔を背けて吐き捨てる遠坂。蒔寺もあんまりからかうなよー、後が怖いぞー。
「ま、蒔ちゃん……そういうのはそっとしておいてあげるものだよ?」
 恋愛は個人の自由だし、とほにゃっと笑う三枝さん。白の量販品。レース多め。ああ、でも可愛いなぁ、癒されるなぁ。って、貴女のその台詞は有る意味トドメです。
「とはいえ遠坂嬢。正確なサイズが分からないと………………だぞ?」
 む、いきなり氷室女史の声が小さくなった。遠坂に囁くようなその後半は俺にはまったく聞こえない。

「でもさ、どうせなら衛宮を………………じゃないか?」
「おお、それおもしれー。それ乗った!」
「でも衛宮さん、折角格好良いスタイルなんだし…………じゃないかな?」
「そうね、で…………だし、…………」
「…………だから、…………!」
「いや、それ………………だ…………、……」
「…………、…………!」
「…………ベルジェ? …………駄目だって!」

「……?」
 あー、なんだオマエラ、その素敵な笑みは。嫌な感じの疎外感に、どうせろくな事じゃ有るまい、と俺は関わらないようにさっさと着替えてしまう。さすがに女の子同士の会話に参加するのはちょっとキツイ。ましてや、下着だけで話し込んでる中になんか入れる筈もない。とりあえず、このくらくらする匂いの充満する更衣室からさっさと脱出してしまうとしよう。
 テキパキと着替え終えた俺は、とりあえず一声掛けてから先に行こうと、会議中の連中に視線を戻――そうとして、ぽん、と美綴に肩を叩かれた。お、どうやら怪しげな会議は終了したらしい。
「と言うわけで衛宮――」
 爽やかな笑みが漢らしい美綴。白い歯が素敵だぞ。……聞きたくないなぁ、何を言うのか分かんないけどさ。どうせとんでもないことだろうし。
「明日の放課後、アンタの下着、買いに行くから」
 ――――やっぱり。





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