夏の空は高く澄んで。
太陽は今日も眩しく。
……先ほどから他人の視線が痛いです。





Fate after SS   交差点から空を見よう 〜俺と私の見た風景〜 4−2





 クラスメイト達の嬌声が夏の空に響き渡る。
 夏休み前の最後の水泳の授業ということで、話の分かる女子体育教師は実質今日の授業を自由遊泳としてしまっていた。
 というわけで、各人は思い思いの手段で夏のプールを満喫しているわけだ。
 くっそー、男の時はそんな素敵イベントなんて無かったぞ。性差別だ。そんなことをちらりと考えたけど……ま、良いか。
 この暑い中グラウンドでサッカーやってるむさ苦しい連中の事を脳内から追い出して、俺はプールサイドでまったりと体育座りで過ごしていた。
 いやまぁ、実は立ちたくなかったりするだけなんだけど。
 何故か準備体操の時からこう――他の娘たちの視線がちらちらと俺に注がれているのだ。
 先ほどの更衣室での一件からずっと、どういう訳か俺は微妙な感じで注目の的だった。屈伸の前屈み状態のときとか、腕をぐるぐる回すときとか、ぐっと背筋を伸ばして胸を張るときとか、アキレス腱を伸ばすときのリズムを取ってるときとか。そういう動きがある状態の時に、粘っこいというか好奇心というか驚嘆というか羨望というか嫉妬というか疑問というか、そういった視線が俺に注がれていたのだ。そう、水着越しにたゆんたゆんと自己主張する俺の、その……それなりに我が侭な胸に。
「というか私より大きい娘だって居るだろうに……」
 そんな独り言に、答える声が一つ。
「ま、仕方ないだろ。Aが半年でEまで到達したとなりゃ、他の娘だって興味も持つだろうさ」
「美綴……」
 ぽたぽたと水滴を垂らしながら俺の横にどさりと座ったのは美綴綾子、前弓道部部長。
 鍛えられ、引き締まったスリムな体。だけど出るべき所はしっかりと出ている体のラインが、学校指定の水着のお陰ではっきりと分かる。
「美綴も……結構大きいよな」
「うん? あー、あたしのはほら、胸囲の分も結構あるから。なにせ鍛えてるからね。カップで言うなら衛宮に負けてるよ」
「そんなもんか?」
「そんなものそんなもの」
「ふーん」
 俺は抱えていた膝をぎゅっと引き寄せてその上に顎を乗せた。ぼんやりと目の前で遊んでいる級友達を眺める。
「なんで胸なんか大きくなるんだろ」
 重いし動かし辛いし肩は凝るし変に視線を感じるし凛が危険だし……。
「あんた、それ遠坂に言ってみ?」
「いや、さすがにさっき程度では済まなくなる。命の危険は出来るだけ避けたい」
 俺の台詞にクスクスと美綴が笑った。
「さっきのは傑作だったね。あの遠坂があそこまで狼狽するとは……やっぱあんた面白いわ」
「そりゃどーも」
「……なあ、衛宮」
 やや躊躇うかのような間を取った後、真剣な眼をして美綴は俺と正面から眼を合わせた。
「ん?」
「……まだ引く気にはならないか? 正直、あんたとはきっちり白黒つけたいんだけどね」
 引く……弓か。そういえば遠坂も言ってたっけ。こっちでも美綴が俺と射で決着をつけたがってるって。
「……悪いけど。大体一年時で辞めた奴と部長まで張った奴とじゃ勝負にならないだろ?」
「ハ、何を言うかと思えば。正直あたしは、今の自分でもあの頃のあんたに勝てるとなんか思っちゃいないよ。あんたの射は……どういえば良いのかな、そう、見えてる次元が違う気がする。……本当は、あたしは勝負なんかどうでも良いんだ。ただ、あんたの射をもう一回、今のあたしの目で見たいんだと思う」
「……そっか」
 俺は視線をあげて空を見上げ、空の青と雲の白のまぶしさに眼を細めた。今の俺では美綴の願いは叶えられない。それは俺にじゃなく、本来の私にこそ言うべき言葉だから。
「良かったら二学期にもう一回同じ事を言ってみてくれるか? 今の私だと、多分意味が無いから」
 美綴に視線を戻し、その眼に向かって真摯に答えた。
「……よく分からんが、あんたがそうしてくれって言うのならそうするよ。二学期に。……少しは期待してもいいのかな?」
「ああ、少しくらいなら」
 そうだな。志保がどうするのかは分からないけど、せめて遠坂に伝言くらいは頼んでおこう。
「――あれ、そういえば遠坂は? あたし、あんたと一緒だと思ってたんだけど?」
「ん? そういえば見てないな。泳いでるんじゃ……あ、居た」
 美綴と一緒にぐるりと辺りを見渡した俺は、真反対のプールサイドで立ち話をしている遠坂を発見した。
「うっわ、珍しいといえば珍しい組み合わせだね、氷室とか。さっきの続き……って訳でも無さそうだね」
 そう、遠坂と話をしているのはあの氷室鐘だった。眼鏡じゃない氷室ってすげぇ新鮮だなぁ、とか思いつつ、何故か上機嫌な遠坂に一抹の不安を感じる。
「あたしはちょっと様子見に行ってくるけど、あんたはどうする?」
 やたら意気投合していそうな二人の様子に興味をそそられたか、立ち上がる美綴。
「いや、私はいいや」
 周囲の視線が気になるし。
「ふーん。あんたが他人の視線を気にするなんか珍しいね。悪いものでも食べたのかい?」
 そう言い残して美綴は俺から離れていった。しかし……確かにこうやってうじうじとしているのも俺らしくは無いな。うーむ。
 とか考えているうちに、美綴が遠坂達と合流した。遠坂に声を掛け、二言三言、言葉を交わ……? 何で三人で俺を見る? 俺と視線が合ったのが分かると、何で三人とも実に良い笑顔を見せる? というか、なんでお前ら握手を交わしてやがるのさ? とはいえ、俺があっちに行ったところであの三人が口を割るとは思えないし。うーん? ……まあ、考えるのは止そう。どうせろくでもないことだろう。君子は危うきに近寄らないのだ。どうせ放っておいても遠坂のことだ、喜び勇んで俺を巻き込みに来るだろうし。
 ええい、と意志を込めて俺は立ち上がった。俺に注がれる視線なんか無い。無いんだったら! そう言い聞かせて自分を騙す。首、手首、足首をくるくると回してずっと座っていた体を軽く解す。一回水泳帽を外してから髪を後ろに撫で付け、帽子の中に全て納める。そのまま水際まで歩いて、ぱしゃぱしゃと手で体に水をかけた。
「あれ?」
 なんか何時もと感触が違う……って、そうか。いつもなら胸とか腹とかに直接掛かる水が、今回はスクール水着にかかってるんだ。何か違和感が激しい。乾いた布地が水を吸い込んでいく感触が肌をくすぐっていく。実際実にこう……窮屈だ。肩とか腰とか腹とか胸とかが。そんなどうしようもない思考に対して、ぎにゃー、とか心の中で叫びつつ、俺は覚悟を決めてプールの中へと。そう、入ってしまえば視線なんて気にならないし。
 男子用のトランクス型とは違うローレグ形状の違和感に何とも言えない感情を抱きながら俺は恐る恐る片足からプールへと……。
「へにゃ?」
 すっと、右手が誰かの手と組まれた。
「いにゃ?」
 さらに左手も。
「え? え? ええ? えええええええぇぇ!」
 ぐいっと水面に向けて両手が引っ張られる。というか左右の手を組んだ奴らが同時にプールへと飛び込んだせいで、ぐんぐんと俺の視界に水面が近づいて来て……、
 ドプン、と籠もったような音とともに、俺は水中に居た。ああ、水の中だから音が籠もったんだなぁ、などと益体のないことを考えつつも、俺は全身を走るくすぐったさに身を捩った。水着に溜まった空気が水面へと俺の体を伝って登っていく独特の感触。それが普段より広範囲でぞわぞわと広がっていく。その何とも形容しがたい皮膚感覚に俺は思わず噴き出してしまった。
 声はらしい声は無く、ただゴボッと空気が吐き出される音が耳に響く。口の中に広がる水、水、水。どことなく薬品の味……空気無いし!
 両腕の拘束はすでにない。俺は大慌てで水面から顔を出した。
「グハッ、ゲホ、ゲホ……ハァ、ハァ」
 く、空気、在る。とりあえず呼吸。というか何事?
「はい、そこ! 蒔寺さん、三枝さん、衛宮さん。危ないことはしない!」
「はーい、すいませんっしたー!」
「ご、ごめんなさい!」
 咳き込みながら空気を求めて呼吸を繰り返す俺の耳に聞こえた教師の声とそれに答えた声で、おおよその事態は掴めた。
「犯人はお前か蒔寺!」
「な、なんであたしだけなんだよ。主犯は由紀っちだぞ。あたしは泣く泣くそれに従っただけさ!」
「偽証は心証を悪くするぞ。つーか三枝がそんなコト考えるか!」
「あ、あの、衛宮さん、ごめんなさい」
 俺の剣幕におろおろとしながら謝罪を口にする三枝嬢。いえいえ、あなたが悪いんじゃありませんよ。悪いのはそそのかした主犯です。
「げー、ひいきだ衛宮。本当に由紀っちが言いだしたんだぞー」
「あ、あの、その、私が衛宮さんなんか元気ないねって言ったから」
「あー、つまりそしたらそこの馬鹿がこの悪戯を考え出しました、と」
 う、うん、と頷き、なんとも微妙にばつの悪そうな顔ですまなさそうにする三枝さん。
「うん、そっか。気を使ってくれてありがとう、三枝さん」
 俺はにっこりと微笑んで三枝さんの頭をその水泳帽ごと軽く撫で撫でした。ほにゃっと眼を細めて笑う三枝さん。ああ、小動物をかいぐりするのって癒されるなぁ。
「で、やっぱりお前が主犯じゃないか。この馬鹿蒔寺!」
「な、なんで由紀っちと扱いが違うんだよ!」
 そりゃお前、大型野生動物にゃ調教が必要だからだろうが。
「とりあえず落ち着け、衛宮。楓が迷惑を掛けたようだな」
 ぎゃんぎゃんと言い合う俺達を冷静な声が仲介した。
「お、鐘っち」
「む、氷室か」
「楓にはあとで良く言い聞かせておくからその辺にしておいたらどうだろう。周りにも迷惑だと思うが」
「遠坂との話は終わったのか?」
 俺の疑問に、氷室はニヤリという言葉がぴったりな笑みを浮かべた。
「ああ、終わった。うん、夏が楽しみなことだな」
 何故かぽんぽんと俺の肩を叩く。いや、なんでさ?
「で、衛宮。その遠坂嬢が呼んでいるのだが?」
 すっと氷室の親指がプールサイドに向けられた。そこには何故か額に手を当てて頭痛をこらえるかのような遠坂が。俺の視線に気が付き、良い感じの笑顔で手招きしてきた。
 ……額の青筋がとっても怖いんですけど。





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