「はぁー、極楽……風呂は命の洗濯だなぁ」
何処かで聞いたような台詞を言いつつ、熱めの湯につかり天井を仰ぎ見る。
……おっぱいって、浮くんだな……初めて知ったよ。
ついでに言うと、今日ほど母屋のトイレが和式であったことに感謝したことはない。見た瞬間、あ、座らなきゃって思ったし。
Fate after SS 交差点から空を見よう 〜俺と私の見た風景〜 1−3
衛宮の家には誰もいなかった。藤ねえも桜も帰宅した後みたいだ。遠坂が連絡を入れておいてくれたらしい。とりあえず風呂を沸かしながら、冷蔵庫の中身をチェック。明日の朝食の予定を立てる。
「取りあえず種類はあるから何とかなるか」
多少食材の差はあるが、冷蔵庫の中身はほぼ同じだった。調味料なども確認。ついでに幾種類かの食材の下準備もしておく。
「いつもとやってること変わらないわねー、貴方も料理できるの?」
台所で動き回っていた俺を、面白そうに観察する遠坂。
「志保は料理が巧かったのか?」
「和食は敵無しだったわね」
「む、なら明日の朝食は和食で行く。楽しみにしておいてくれ」
あまり意味のなさそうな対抗心。敵は比喩表現じゃなく自分自身。気合いが入る。
「それはそれとして、凛。先に風呂入ってていいぞ」
ようやく、凛と呼ぶことに抵抗が無くなってきた。少しくすぐったいがちょっと嬉しい。
「え、貴方はどうするの?」
「ああ、俺は道場で少し体を動かしてくる。まだいまいち馴染んでないっていうか、違和感が強い。せめて普通に動けるくらいにはしておきたい」
重心の違いとリーチの短さは致命的だ。さっきから微妙に目算が狂ってしまっている。皿とかを割る前に何とかしておきたい。
「志保って鍛えまくってた方だけど、それでもそんなに違う物なの?」
「そうだなぁ。まず筋力がかなり低下してる。それに伴って速度とか威力とか持久力とかが落ちてる」
「軽くなってるんだから速度はあがるんじゃないの?」
「それは違う。最高速度は瞬発力に左右される。軽量化による利点は小回りと加速。リーチも短くなってる分なおさら回転数が上がっている感じがする。後は全身の柔軟性も上がってるみたいだ」
「へー……それじゃ、魔力とか魔術回路はどうなの?」
「それは……どうなんだろ?」
目が覚めてから一度も魔術を行使していないし。ふむ。とりあえず手近にあった菜切り包丁を手に取った。
「同調、開始(トレース・オン)」
「ちょ! いきなり!?」
「基本骨子、解明。構成材質、解明。構成材質、補強……」
「全行程、完了(トレース・オフ)」
可能な限り丁寧な手順、細心の注意を払っての強化は、過去行った中でも最高の出来だった。
「魔術回路の起動や魔力の通りはこっちの方がスムーズみたいだ。ただ、その分繊細っぽいな。宝具の投影なんかやると焼き切れそうだ」
「……あのねー、気軽にほいほいと魔術を使わない! 聞いてるんでしょ? 向こうの私に。魔術は隠匿すべきもの、OK?」
「あ、ああ。ごめん。ついいつもの遠坂のつもりでいた」
「……まぁ、いいわ。苦労するのはあっちの私だし。じゃあ、悪いけど先にお風呂頂くわね」
「おう、セイバーにも言っておいてくれ」
遠坂と別れて道場へ。セイバーは居間でテレビを見ている。付き合おうと言ってくれたけど、さすがに今の状況でセイバーとの手合わせは無理があるので断らせてもらった。なにしろ、
「胸の重さに振り回される感じがするなんて言ったら殺されそうだし」
ささやかながら揺れる。ついでに肩も凝る。セイバーとか遠坂くらいならまだよかったのになー、とか思ったけど、さすがにコレを口に出したらヤバイ。口に出した瞬間、奴らは現れるに決まってる。そういうものだ。しかし、このサイズでこれだけの重さなら、桜クラスのサイズなると……どうなるんだろ?
気を取り直して、軽く柔軟。体をほぐしてから竹刀を手に取った。
セイバーの動きを思い浮かべながら一閃一閃丁寧に素振りを繰り返す。基本的な打ち込みから徐々に連続した動きへ。最初のうちは泳いでいた竹刀の先がだんだんと思った通りに動くようになってきた。だいぶん動きが馴染んできたようだ。
それならば、と呼吸を整えつつ一旦停止。目を瞑って頭を切り換える。
――思い浮かべるのは赤い弓兵。あいつの動きを一刀を以て再現。ただし、現状だと筋力、リーチが圧倒的に足りない。――足りないなら補え。重心の移動を効果的に使え、移動力をそのまま威力に変えろ、遠心力を速度に上乗せしろ。
目を見開いた。
仮想敵は最強の相手、何度も手を合わせてそれでも届かない、剣の英霊。
床を踏み込む。
相手は上段、受ければ力負けするので体を左に滑らせつつ竹刀を横方向に全力で抜き打つ。しかし、これはフェイク。抜き打った勢いのまま前進しつつ体を縮め、独楽の様に一回転させ掬い上げるような逆袈裟、振りかぶった状態から体をひねりつつ、今度は勢いよく打ち下ろ……そうとして、そこで足を滑らせた。見事なまでの尻餅。
「……っ痛ー、やっぱり体重が無くなった分、踏ん張りが効かないか。それに一刀だと隙も大きくなるな」
そのままごろりと寝転がった。火照った体に道場の床が心地いい。
「たいしたものです、剣技はシホの遙か上を行っていますね」
「セイバーか、いつから?」
いつの間にか、道場の入り口にセイバーが立っていた。
「動きが変わる少し前からです。最初の動きは私のですね。……次のはアーチャーですか?」
「ああ、とはいっても一刀で、さらにこの体に合わせてアレンジをしてみたんだけど……やっぱり無理があった」
「そうですね。あの動きでなら一刀は無理がありすぎです。どうしても剣に振り回されて隙が出来る。もっと短い剣を使うべきだ。ただ、着眼点は良かったと思います。速度、威力とも普段のシホを凌駕している。とても本来の体の主ではないとは思えない」
「志保もセイバーと手合わせを?」
「ええ。私と剣を合わせるか、リンと素手で立ち合うかしています」
「へー、って、セイバー、風呂上がりか……」
「ええ、それで呼びに来たのでした。お風呂は空いています」
「う、分かった……」
後回しにしていた予定もここまで。さて、覚悟を決めますか。ああ、嫌だなぁ。現実を突きつけられるのは。
着替えを持って風呂場へ向かう。下着はスポーティーなものを選択。というか大半がこの手の下着だった。これでかなり救われた気がする。普通のブラとかばっかりだった日には着方を遠坂に教えてもらわなきゃならないところだった。ブラの付け方なんて知らないし。
「志保ー、一人で入れるかしらー」
居間でにやにやと笑ってる遠坂に溜息で返事を返してから脱衣場へ。大きめの姿見が今日は恨めしい。深呼吸を一つ。そして俺は、できるだけ視線を合わせないようにして服を脱いだ。――最後の一枚を脱いだとき、不覚にも泣きたくなったのは誰にも内緒だ。在るべきものが無いのが、こんなにも不安になるものだったとは……。
そして今、湯船の中に居る。体を洗った時点ですでに開き直った。在るものは在る、無いものは無い。
『しかし……柔らかいんだよな』
全体的に肉とかがふにっとしている。二の腕とか太ももの感触なんかは男とは全然違う。
『ああ、でも、遠坂のよりは固いか』
この体もかなり鍛えているのだろう。遠坂より筋肉が多い。
『でも、なぁ……』
視線を真下にずらす。ついつい目をやってしまうソレ。
『遠坂より大きいんだよな……』
ふにょん、ふにょん。指で突くとお湯の中でぷにぷにと揺れる。
『……止めよ』
このまま触り続けるのはよろしくない気がする。好きこのんで遠坂にネタを提供することもないだろう。
「上がろう、そしてさっさと寝てしまおう……余計なことを考えないように」
うん、それが一番精神衛生上よさそうだ。
さっさと着替えてから居間へ戻ると、遠坂とセイバーに捕まった。
「ま、男の子には無理よね」
まだ大量に水分を含んだ髪をタオルで挟み込むように拭いてくれる。セイバーより少し長いんだよな、これ。そして丁寧にブラッシング。
「良い? 毛先から順にね。 いきなり頭の天辺からブラシを入れないように。丁寧に、優しくね。朝の身嗜みもあるから早めに起きた方が良いわよ」
「それにしては凛は結構遅いよな。少なくともあっちの凛は寝起き悪いぞ」
「う……私は良いのよ、慣れてるから! 貴方はオンナノコ初心者なんだから時間がかかるでしょう?」
「いや、そう言われても、何をすれば良いか分からない」
「……洗顔、ブラッシング、ナチュラルメイク……は、しなくて良いか、どうせ志保もしてなかったし」
「ふーん」
「髪は女の命っていうけど、女の魔術師には髪に魔力を貯める人が多いわ。志保もそれで伸ばすことにしたんだしね」
「……」
「まぁ、志保もね。顔立ちは良いのにお洒落とかには頓着しないから。楽と言えば楽なはずよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………志保?」
「……」
髪を通っていく遠坂の手が優しすぎたから。今夜、遠坂が居てくれて良かったと思う。だからありがとう。正直、明日からどうなるのか不安だけど。今日だけは安心して眠りに落ちよう。
「――寝ちゃったみたい。まぁ、仕方ないわね。普通じゃない波乱の一日だったし」
「私が運びましょう。リンは布団を」
「分かったわ、お願い」
「では失礼して」
「……」
「……」
「いいわよ」
「ええ、では」
「……」
「……ではおやすみなさい、シホ」
「……お休み、志保」