ただ一人だけの教室で、眼を落としていた書籍から顔を上げた遠坂凛は、窓の外、緩やかに日没へと向かう陽の陰影の変化に眼を細めた。
 夜になれば、彼女の世界は全く違ったものへと切り替わる。
「もう少し、ね」
「――ああ、そうだな」
 彼女の軽い呟きに答えるのは、姿無き従者の鋼のような迷い無き声。その落ち着いた声色に、遠坂凛は自身の焦りを抑えつける。そしてまた読みかけの文章へと視線を戻した。





 何時もと変わらない衛宮邸の台所で、衛宮志保は夕食の支度をしていた。用意するのは二人分、藤村大河と間桐桜のものだけ。下拵えまで済ませておき、後は部活帰りの桜に任せておく。
 それとは別に彼女は、大量のおにぎりとサンドウィッチの準備を完了させていた。
「場合によっては長丁場になるかもしれないしね。セイバー、サンドウィッチの方はそっちの赤い箱に詰めて貰える? 摘んじゃ駄目だからね」
「え? ……え、ええ。もちろんですとも」
「――口の端、マヨネーズ付いてる」
 準備が出来次第、彼女達は夜の校内へと忍び込む。進入ルート、潜伏場所、偵察ルート、不測時の対応等はすでに打ち合わせ済み。
 夜食を一纏めにして大きめのデイバックに収納し、準備は完了した。
 窓の外は夕日に赤く染まっている。日没が近いのだろう。
「じゃ、バックお願い。行こう、セイバー」





 教会の屋根の上、その象徴たる十字架の上に、手にした槍を杖のように突いた男が一人腰を下ろし、眼下の冬木の街を睥睨していた。
 そのようなところに立っていれば目立ちもするだろうに、教会を訪れた人間は誰一人として彼に注視しない。それはそうだろう。そもそも、今の彼には実体など無いのだから。
 ゆっくりと闇に呑まれ出した紫に染まる街を忌々しげに眺めながら、男は小さく舌打ちした。
「チ、つまんねぇ話だぜ」
 令呪の縛りが男を鬱屈させる。彼のシンプルな願いは、ちっぽけで簡単な命令のせいで叶わない。
 陽が沈めば、彼の任務もまた始まる。





 三者の邂逅まで、後僅か。










 10年前、遠坂凛の父親は彼女の前から去り、そして帰ってくることは無かった。
 10年前、遠坂凛の父親が立っていた舞台に、そして今、彼女は立っている。
 聖杯戦争。遠坂家が管理する冬木の街で数十年に一度行われる大規模な儀式魔術。七人の魔術師と七騎のサーヴァントによる文字通りの"戦争"。
 それが、10年前に彼女の父が参加し、帰ってこなかった舞台。彼女が今立っている舞台。
『そう、わたしは今、戦争中なんだ』
 遠坂凛は、そう自身に言い聞かせる事で、腹の底に渦巻き、煮えくり返っている怒りを抑えつけていた。此処は戦場、冷静さを欠かせる訳にはいかない。
 夜の屋上。時刻はすでに八時を回っている。すでに宵闇に染った眼下は、星のような街の灯で彩られていた。
「――――これで七つ目か。とりあえずここが起点みたいね」
 灯りの消えた夜の校舎を巡り、学校に張られた結界の要を潰しながら、遠坂凛は此処に辿り着いていた。
 眼の前には七画で描かれた刻印。魔術的な視界でもってはじめて見える禍々しい赤紫色の呪印。
「……まいったな。これはわたしの手には負えない」
 彼女の技量を持ってすらこの結界は技術のレベルが違いすぎていた。一時的に刻印から魔力を消し去ることはできても、彼女には刻印そのものを消すことはできそうにない。この刻印の術者が再び魔力を通せば、それだけでこの結界は復活してしまう。
「――――――――――」
 姿を見せていない彼女の従者も無言だった。
 屋上でこの魔術刻印を見てから、お互い一言も言葉を交わしていない。
 この結界の効果が、主従を沈黙させていた。言うなればソレは"内臓器官"。ひとたび発動すれば中に居る人間を消化し、吸収する魂喰らい。しかも最悪な事に、この結界は対戦相手である魔術師やサーヴァントを標的としていないということだ。自身の体に魔力を通す魔術師にはこの結界は効果を持たない。つまりこの結界の標的は――。
 凛は深呼吸をして思考をクールダウンさせた。
 肉体を消化し、根こそぎ魂を取り出す結界。それは良い。良くは無いが今は置いておく。今問題とすべきは取り出した魂をどうするのか、だ。魔術師にとって、魂なんて扱いに困るものを収集したところでどれ程の意味も無い。ということは――――。
「アーチャー、貴方たちってそういうモノ?」
 凛は彼女の従者に尋ねた。アーチャー、弓の騎士。それが彼女のサーヴァント。
「……ご推察の通りだ。我々は基本的に霊体だと言っただろう。故に食事は第二(精神)、第三(魂)要素となる。君達が肉を栄養とするように、サーヴァントは精神と魂を栄養とする。栄養をとったところで、基本的な能力は変わらないが、取り入れれば取り入れるほどタフになる――――つまり魔力の貯蔵量があがっていく、というわけだ」
「――――マスターから供給される魔力だけじゃ足りないってコト?」
「足りなくはないが、多いに越した事はない。実力が劣る場合、弱点を物資で補うのが戦争だろう。周囲の人間からエネルギーを奪うのはマスターとしては基本的な戦略だ。そう言った意味で言えば、この結界は効率がいい」
 淡々と、ただ事実を説明する声。そこにはいかなる感情も含まれていない。そしてその内容。つまりこの結界はサーヴァントのためのモノ。無差別に人を殺してサーヴァントを強化するための仕掛け。標的は、何の関係もないはずの一般人。
「……それ、癇に触るわ。二度と口にしないでアーチャー」
 はっきりと揺るがない意志を込めた遠坂凛の台詞。強い精神を込めたその瞳。
「同感だ。私も真似をするつもりはない」
 そう、それでこそ"遠坂凛"だ、と自身の主を誇りに思いながら、力強い同意を返す弓の英霊。その答えに凛は微かに唇を綻ばせた。自身の従者が信頼に足るモノである喜びに。
「……さて、それじゃあ消そうか。無駄だろうけど、とりあえず邪魔をするくらいにはなる」
 凛の左腕に光が宿る。それは証。遠坂の家が代々受け継いできた魔術刻印。それを起動して、彼女は結界の刻印に貯まっている魔力を消し飛ばそうとした。

「なんだよ。消しちまうのか、もったいねえ」

 主従の他には、誰も居ないはずの屋上に響く揶揄するかのような男の声。
「――――!」
 振り返った彼女の視線の先、やや離れた位置にある給水塔の上。そこに蒼い色を纏った男が立っていた。引き締まった体つきの、野性的な精気を放つその存在。
 その視線は涼やか。感情の起伏のない静穏さ。ただ自然体で立ったまま。それでも、遠坂凛は思考ではなく直感で理解した。コイツは、この男は私の相棒と同じモノだと。
「……サーヴァント……」
「ほう、すんなり判るとはな。ということはお嬢ちゃんは俺の敵ってコトでいいのかな?」
 その言葉に凛の背にゾクリとした戦慄が走った。それはまるで挨拶でもするかのような平穏なまでの戦闘予告。
 ここは拙い。この場所では拙い。
 凛の頭がめまぐるしく回転する。相手が何なのかは分からないが、彼女の相棒は"アーチャー"。弓の英霊だ。それが文字通りの"弓兵"ならば、屋上という限定空間での戦闘は不利になる。戦場は広い場所が良い。
「へぇ、その若さで大したものだ。戦況を見通す眼はあるってことか……まったく、もったいねぇ。もう何年か生きてりゃいい女になっただろうに……惜しいもんだぜ」
 男の腕が上がる。次の瞬間、その腕には紅い槍が現れた。
『ランサー!?』
 瞬時の判断で凛は体を真横に飛ばした。さっきまで居た空間を切り払った何かを感じながら、その左手の魔術刻印を起動する。目的は体の軽量化と重力制御。彼女はその勢いのまま、迷うことなくフェンスを飛び越えて、夜空へと身を躍らせる。
「アーチャー、着地任せた!」
 相手の獲物は槍だった。だとすれば"槍の騎士"である可能性が高い。速度に優れたランサーのサーヴァントならすぐに追いつかれるだろう、けど。
 凛は着地と同時にダッシュした。目的地はすぐだ。学校内で最も広い場所。即ち校庭へ。全力での疾走は実を結び、彼女は其処へ辿り着いた。
 足を止め、くるりと振り向く。
「追いかけっこは終わりかい、お嬢ちゃん」
 悠然と、追ってきた気配すら見せず、最初から其処に立っていたかのように自然体で佇む蒼き戦士。その手に握られた紅き……槍。
「ええ、追いかけっこは終わりよ」
 一歩、ただ一歩だけ凛は後ろへ下がる。そして彼女と入れ替わるかのように、何も無い空間から染み出るかのように、彼女の従者が実体化する。
 褐色の肌、白い髪。広い背中は鋼を連想させるがように鍛え上げられている。そして、その身を包む紅い外套。アーチャー、弓の騎士。それが彼女のサーヴァント。その手には一本の短剣が握られていた。
「――――へぇ」
 ニヤリと嬉しそうに口元をゆがめる男。
「……いいねぇ、そうでなきゃ面白くない」
  ブン、と音を立てて、その手に持たれた深紅の槍が一振りされた。
「……ランサーのサーヴァント、でいいのかしら」
「如何にも。そういうアンタのサーヴァントはセイバー……って感じじゃねえな。何者だ、テメエ」
 彼女の問いに、気軽に答える蒼い戦士――ランサー。しかし、そのランサーの疑問に、ただ沈黙をもって答える紅き騎士。
 ――違う。
 唐突に、遠坂凛は思い当たった。彼は待っているのだ。彼女の言葉を、命令を、宣言を。そう、戦争開始を告げる鬨の声を。
「アーチャー」
 その巌のような背に彼女は語りかけた。
「手助けはしないわ。貴方の力、ここで見せて」
「――――ク」
 それは笑みだったのか、返答だったのか。その声と同時に、アーチャーは疾風のようにランサーへと駆ける。
 そして、夜の静寂を破り捨て、両者の武器がぶつかり合う耳障りな金属音が鳴り響いた。










 校舎裏、木々の影になる位置の塀を乗り越えて校内に侵入した衛宮志保とセイバーは、そこから一番近い昇降口の鍵を開けて校舎内へと入る。もちろん鍵などは持っていないが、こと機械錠であるなら、志保にとって大抵の鍵はピック一本で解錠可能だった。
「それじゃここで待機してて。音と気配、後ラインでの連絡に注意、ね」
 一階階段の下、倉庫として使用している小部屋、志保はそこをセイバーの潜伏先として設定していた。置いてある棚や机などは昼のうちに動かしておいて上手い具合に潜伏スペースを確保してある。椅子には家から持参したクッションを取り付け、机の上にはクロスを掛ける徹底ぶりだ。机の上には夜食もセッティングを完了していた。
「とりあえず、一階を回ってくる。何か気が付いたらラインで伝えて」
「……はい、気を付けて」
 不承不承ではあるが、セイバーは志保に答えを返す。戦地において、自分はただ待機しているだけという状況にセイバーは最初から難色を示していた。それでも、偵察の必要性を志保に訴えられ、そしてセイバー自身が近場に待機していることでとりあえずは納得したのだった。決して、夜食の存在に説得された訳では無い。
「うん、分かってる。目的は戦闘じゃないし、何かあったらとっとと此処に逃げてくるから。その時はお願い」
「ええ、必ず」
 力強く頷くセイバーに軽く手を挙げると、志保は滑るような足取りで扉から滑り出た。光沢の無い黒の上下、その上に着ている濃いグレーのコートが、その姿を完全に闇に溶かし込む。
 窓側から離れ、教室側すれすれをゆるゆると歩きながら、志保は物音に気を配る。呼吸は浅く、気配は薄く。
 比較的冬でも暖かい冬木ではあるが、今夜は随分と冷え込んでいる。澄んだ空気が志保の思考をクリアにする。
 闇の中、透かし見た腕時計は八時を過ぎた処だった。
『さて、遠坂凛が日中からずっと校舎に残っているのなら、そろそろ屋上に辿り着いた頃かな。もしくは先に屋上から周囲を確認して校舎内か。もしそうだったら校舎内で鉢合わせもあるが……その時は忘れ物でもしたことにしようかね』
 慌てずに、空気を乱さないように。焦ることは無い、気を張ることも無い、重要なのは発見されないこと、戦わないこと、生き延びること。戦うのは勝てるときだけで良い。
 ふと、志保は窓の外に見える空に目をやった。風が強い。上空の雲の流れが速い。けど、月は隠れている。お陰で闇に紛れやすい。
『月、出なきゃ良いけど』
 歩みは止めず。迷いも無く。そのまま進めば校庭が視界に入る、そういう位置に彼女は居た。
 そして、彼女の耳に、微かな物音が届けられる。
『物音? ……これは外からか?』
 志保は一瞬だけ迷った。回り込んで外へ出るか、そのまま進んで室内から校庭を視界に入れるか。
『――無理する事はないね。中からで十分』
 そして志保はほんの少しだけ歩みを早めた。校舎の中を、校庭の見える場所へと。










「ハ、やっぱりテメエはアーチャーかよ」
 噛み合わさる槍と短剣、一瞬だけの膠着。刹那交わされた視線の中、遠坂凛の台詞を聞いていたランサーが吼える。
 打つ、突く、払う、薙ぐ。
 長柄の長所を生かした連撃は止まるところを知らず。
 けれどそれらの攻撃を片手に持った短剣でいなすアーチャー。
 受け、流し、捌き、避け。
 撃ち合わされる武器は高速のリズムで金属音を刻んでいる。そのテンポは際限なく上がり続けている。
 凛は、その文字通りの人知を超えた戦いに目を奪われていた。曇天の下、わずかな月明かりでおこなわれるまさしく神技の応酬。人の域では到達しえない英雄達の演武。
 長柄の武器を相手に、短剣一本で対峙するアーチャーは徐々に押されている。
 援護を――――、そう思っても、その戦いに魅入られてしまった凛は身動き出来なかった。
『これがサーヴァント……これが聖杯戦争……』
 この時、初めて彼女は自身が立つ戦場をはっきりと認識した。知識としてではなく、状況としてではなく、その身が感じている現実として、遠坂凛の聖杯戦争は今、始まったのだった。
 彼女が見慣れているはずの学校のグラウンドは、夜の帳に包まれた今、まるっきり別の世界とすり替わっていた。すなわち、日常が非日常へと。
 一際高い剣戟の音に、凛の意識が目の前の戦闘へと引き戻された。ランサーの一閃を捌ききれず、アーチャーの短剣がその手から弾き飛ばされていた。
「――――間抜け」
 槍の英霊がそんな隙を見逃すはずもない。次の瞬間に奔る三連撃。それは武器を失ったアーチャーに防げる攻撃ではないはずだった。
 しかしその攻撃は、どこからともなく再びアーチャーの手に現れた短剣によって弾かれる。
 それは先ほど弾き飛ばされたものと全く同じ中華風の短剣。しかしながら今度は二本。両手にそれぞれ握られているのは黒と白の一対。
「チィ、二刀使いか……! ハ、弓兵風情が剣士の真似事とはな――――!」
 さらに加速するランサーの槍。その瀑布のような連撃を二刀を持って受け流すアーチャー。まるで良くできた楽器のごとく響く剣戟、ぶつかり合う鋼に飛び散る火花、閃光のように煌めく剣閃。
  戦況はアーチャーが押していた。ランサーの攻撃はアーチャーの武器を弾き飛ばす。しかし次の瞬間には再び現れる双剣がランサーを追いつめていく。自らの不利を悟ったのか、ランサーが一瞬の隙に間合いを外す。
「……二十七。それだけ弾き飛ばしてもまだ有るとはな」
 二十七。それはランサーが弾き飛ばしたアーチャーの剣の数。飛ばされてもなお、手品のようにアーチャーのその手には次の得物が握られていた。
「どうしたランサー。様子見とは君らしくないな。先ほどの勢いは何処にいった」
「……チィ、狸が。減らず口を叩きやがるか……いいぜ、訊いてやるよ。テメエ、何処の英雄だ。二刀使いの弓兵なぞ聞いた事がない」
 ランサーの疑問。それは凛の疑問でもあった。召喚時のミスのせいか自身の正体すら記憶していない謎の英霊。槍使いとして戦ったランサーを、アーチャーは弓兵としてではなく、剣使いとして凌いで見せたのだから。
「そういう君は判りやすいな。槍兵には最速の英雄が選ばれると言うが、君はその中でも選りすぐりだ。これほどの槍手は世界に三人といまい。加えて、獣の如き敏捷さと言えば恐らく一人」
「―――ほう。よく言ったアーチャー」
 アーチャーの言葉に、空気が変わった。いや、違う。変わったのはランサーから発せられる空気だ。鬼気迫るその気配は凛に物理的な圧力さえ感じさせた。
 つい、とランサーの腕が動く。穂先が沈む。右手は弓を引き絞るかのように体の後方に下がり、溜められる。
「―――ならば食らうか、我が必殺の一撃を」
「止めはしない。いずれ越えねばならぬ敵だ」
 ランサーの体が沈む。たわめられる肉体が弾ける瞬間を待ち望む。
 その姿に、凛の理性が警鐘をならす。知識が危険を知らせる。本能が死を感じている。あれはランサーの"宝具"だ。英霊が持つ、その英霊を象徴する幻想の"カタチ"、英霊を真に英霊たらしめる神秘。その真の能力を凛には知るすべは無い。しかし、それを起動させてはいけないことだけは解る。
 空間の密度が上がっていく。渦巻く殺気は止まるところを知らず。しかし凛にそれを止めるすべは無い。もはや指一本すら動かせない。動かすことが出来なかった。どのような行動でも、ランサーの引き金は引かれてしまう――――。
 しかし、その緊張はランサー自身によって破られた。彼の耳が捉えた物音。それが戦闘を停止させる。










 窓の向こうに広がるグラウンド。
 見慣れたはずの風景。
 その中央で武器を振り回して殺し合っている存在が居なければ、だが。
 窓から離れ、教室側の壁に背を預けた衛宮志保は、予定通りにサーヴァント同士の戦闘を観戦出来る僥倖に唇を微かに歪めた。
 遠目に映るのは、槍を振り回す蒼い男と、それを短剣でいなす赤い男。そして彼の背後方向に立つ少女。
『なるほど、ではあちらが遠坂凛のサーヴァント、か』
 蒼い方はおそらくランサー。では遠坂の方はどうだろう。
 志保の脳裏に七騎のサーヴァントが過ぎる。

 剣の騎士、セイバー。
 槍の騎士、ランサー。
 弓の騎士、アーチャー。
 騎乗兵、ライダー。
 狂戦士、バーサーカー。
 魔術師、キャスター。
 暗殺者、アサシン。

 セイバーは除外。ランサーも除外。アサシンも除外した。志保の知識ではアサシンに選ばれるのは群体としての英霊である"山の老人"のうちの一人のはずだった。かの赤い英霊はそんな感じには見えない。
『となるとアーチャーかライダー、バーサーカー、キャスターなんだけど。接近戦でランサーと戦えてる時点でアーチャーとキャスターの可能性は薄い、のかな? いや……』 
 自身の考察を志保は自ら否定した。古来の伝承を見ても、弓を使う英雄が剣を使えないという話は無い。弓が上手い英雄は、剣を扱ってもやはり英雄であったことが多い。また、魔術を扱うものが魔術しか扱えない訳でも無い。クラス名での先入観の危険性を志保は考慮に入れ、軽はずみな判断を保留した。
『まぁ、観察する機会が手に入ったことだし。さて、遠坂凛。君たちの実力を見せて貰おうか』
 そして志保は、遠目でもしっかり見えるよう、自身の視力を魔力で強化し、

 ――そして彼女は、自身の致死毒とも言えるような存在を、見てしまう。

「……ぁ」
 赤き英霊。彼は一振りの短剣をもって槍の騎士と渡り合う。
     ――何?
 短剣では長柄の武器には分が悪い。いささかに押され気味のようだ。いや、この場合、槍の騎士の実力もあるのだろうか。
     ――何だ、アレは?
 赤き英霊の方が押されている。このままでは押し切られるのも時間の問題だろう。
     ――呼吸が出来ない。息が苦しい。気分が悪い。吐きそう。だけど目が離せない。

 志保は、衛宮志保は、強化された視界にあの赤い外套が入った瞬間から、彼から目が離せなくなっていた。
 背筋に何かが這い登ってくる感覚。足に力が入らない感覚。なぜだか酷く――汗をかいている。
     ――アレを見ては、いけない。アレは衛宮志保を否定する。
     ――何を馬鹿なことを。アレは英霊。衛宮志保とは関係が無い。
     ――違う。アレは矛盾した存在。だが霊的に格段にレベルが違うが故に、だから世界は衛宮志保の存在を、矛盾として、

 「ぁ。……ぁ、ぐっ」
 志保は漏れそうになる苦鳴を噛み殺した。眼を、閉じなければ。ぐらぐらとした意識でそう判断するも、体はその制御を離れていた。切れ切れの思考が彼女自身に理解できない内容をめまぐるしく提示する。

 槍の騎士の打ち返しが、赤き外套の戦士の手から短剣を弾き飛ばす。徒手空拳の彼では、次の攻撃は凌げない。
 しかし、その手には、手品のように同じ短剣が現れる。しかも今度は二刀。陰陽の色をそれぞれ持つその二振り。
      ――手品? とんでもない。アレは■■だ。私には解る。解ってしまう。何故解る? それはおかしい。いや、おかしくない。だって、私は――

 彼の二刀を見た瞬間、志保の中の何かが壊れた。脳に直接刃を叩き込まれたかのような激痛。脊髄に反って全身に回る痛みは灼熱の寒さを以て全身を焼き尽くし凍らせる。
 シャツの胸の部分を握りしめた志保の左手は力の入りすぎで白を通り越し青く、掌に食い込んだ爪が皮膚を破り染み出でた血は拳を滴る。
 止まった呼吸を再開させようにも呼吸の仕方が解らない。ぱくぱくと開閉する口から唾液がこぼれ落ちる。彼から眼を話せないまま見開いた瞳は閉じることを知らず、彼女の中を荒れ狂う苦痛にただ涙を溢れされる。口の中に広がる酸味。胃液が逆流してきている。
 あの赤き英霊は、自身の剣が弾き飛ばされるたび、同じ短剣を■■する。そのたびに、志保の存在は追いつめられていく。見てはいけない。見なければいい。
      ――でも。そう、でも眼を逸らすことなんて出来ない。アレはだって、私には決して手に入らない理想の果てなのだから。

 だから気のせいなのだろう。彼が立っているのが校庭なんかじゃなくて。見渡す限りの■の丘。赤い荒野に見えたのは。

「――あ」
 気が付くと志保の目の前には床があった。一瞬前までの自分の異常が嘘のようだった。どうやら立っていられなくなって膝から崩れ落ちたようだ。全身の力が抜け落ちている。バケツで水でもかぶったように汗まみれ。まるで土下座をしているかのような姿のまま、志保はほっと溜息をついた。どうもまだ動きにくい。足腰に力が入らず、どういう訳か、歯が上手く噛み合わさらず、かちかちと鳴っていた。熱でもあるかのような悪寒が気持ち悪い。それでも、今はこうしている場合ではないはず。
 そして、とりあえず立とうとした志保の耳に届いた誰何。彼女が崩れ落ちた音が呼び込んだ事態。   










「――――――誰だ…………!!!!」





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