木と紙で作られた開放的な空間。
 それは彼女の生きた文化圏とはかけ離れた世界。ここは彼女の国から見ればまさしく地の果て。
『随分と遠くまで来てしまいましたね……』
 そんな追憶に沈みながら、ゆっくりと家の中を見て回る。
 彼女――セイバーの主は、ちょっと前に出掛けてしまっていた。セイバーは護衛に付こうとしたが、シホにその必要が無いことを説明され、いざという時は令呪で呼び出す事を条件に、セイバーはそれを受け入れた。あのマスターは抜け目なく、聡い。そうそう危険な目にも合わないだろう。
 拠点の確認としてではなく、ただ興味を以て家の中を見て回り、そして彼女はその場所に戻って来ていた。
 この家で最も広い空間。木で出来た床と壁、壁に掛けられた模擬刀。
 衛宮邸の端に位置する小さな道場。その静謐な空間は彼女にとって好ましく、そして居心地の良い場所だった。
 そっと、壁に掛けられた模擬刀に指を這わせ、そのすべすべとした表面をなぞった。
「なるほど、板を組み合わせて中を中空にしてあるのですか。これなら軽いので子供でも扱えますね」
 セイバーは壁から竹刀を手に取り、ひゅん、と一振りする。
 そのまま竹刀を青眼に構え、そっとセイバーは目を閉じた。
 彼女が聖杯を破壊した後に起こった出来事。彼女自身は聖杯の寄る辺を失いそのまま送還されたが、現場に残ったキリツグは自分が引き起こした惨事に直面するしかなかったのだろう。彼の願いが何だったのか、今となっては分からない。だが、だが確かに、彼はシホの言うとおり、全身全霊を賭けて聖杯を手に入れようとしていた。だからこそ彼女は彼に従い、前回の聖杯戦争を駆け抜けたのだから。
『――もしかして、彼が裏切ったのではなく、聖杯が彼を裏切ったのだとしたら――』
 シホの言葉が呪詛のように、彼女の心に罅を入れる。確かに、それなら納得出来る。あれほどまでに手段を選ぶことなく聖杯を手に入れようとしていたキリツグが、最後の最後に全てを裏切った理由としては。だが、もしそうだったのなら前回の、そして今回の召喚にも意味が無い。無くなってしまう。
『――まだ聖杯が良くないモノだと決まった訳じゃない――』
 全く以て呪いめいている。セイバーにはシホの台詞に一片の嘘も感じられなかった。彼女は何処までも真摯にセイバーに向き合っていた。だからこそ惑う。何が正しくて何が間違っているのか、何が正しくて何が間違っていたのか。
『――火災ですべてを失ったその子供は切嗣に引き取られ、衛宮の姓を貰ったの、それが私。だから私は聖杯があの火災をもう一度引き起こすというのなら止めなければいけない――』
 その時の彼女の瞳。静謐に平坦に深淵なまでの無機質さ。
『――うん。無い。衛宮志保には、聖杯に願うべき願いなんて、何も無い――』
 願わない、と言った彼女。しかしそれは、願いが無い、と言うことではなくて、
『私にはそれしか無い』
 願うことすら放棄したという事ではないのだろうか。
 セイバーはゆっくりと眼を開いた。迷いを湛えていた瞳が意志の光に満ちていく。
「フッ!」
 一瞬の呼気の後、彼女は竹刀を打ち下ろした姿で残心していた。それは神速。剣の英霊の名に相応しき一閃。その一閃を以て彼女は自身の迷いを断ち切った。
『勝ちに行くよ、セイバー』
 その声を、その笑みを、その手の温もりを信じたのだから。そう、この身は彼女の剣になると誓ったのだから。そして彼女は自身の主の帰りを待つことにした。





「ほれよ」
 四畳半の狭い空間。向かいに座る巌の如き圧迫感を持った老人が、志保に向かって茶碗を差し出した。中には翡翠色の液体が入っている。
「……じいさん、私、茶道なんか昔一回教わっただけだぞ」
 そんな志保の台詞に破顔する老人。その笑みは獰猛な動物めいている。
「お嬢、おめぇにそんなもん期待してねぇよ。年寄りの楽しみにくらい付き合いやがれ。それによ、こういうのは雰囲気を楽しむもんだろうがよ?」
「……似合わないね……どうせならお酒の方がイメージに合う」
「ケッ、減らず口を叩きやがる。誰に似たんだか。それによ、お嬢。仮にも孫の教え子に酒を勧める訳にもいくめぇよ。大体おめぇさん、飲めねぇだろ?」
「身近に口の減らない大人しかいなかったもんでね」
 志保は茶碗を膝の前まで引っ張った。
「お手前頂戴致します」
 流れるように一礼。そのまま志保は左手に茶碗を乗せ、右手を添える。そのまま右手で二度回して、茶碗に口を付ける。
 三口で呑みきり、指先を走らせ茶碗の縁を清める。
「何て言うか……作法通りって言えば作法通りなんだが……風情がねぇなぁ、お嬢」
「結構なお点前で。……放っておいてよ、大きなお世話」
 茶碗をぞんざいに返して毒づく志保。そんな志保を眺めてニヤリと嗤う老人、その名を藤村雷画、冬木の街を縄張りとする任侠集団、藤村組の組長である。一応、志保の後見人でもある。
「で、お嬢が家に来るたぁ、どうした? ついに家の養子になって組を継ぐ気になったのか?」
「止めてよ。組へのスカウトなら切嗣だけで良いでしょう? 大体、藤ねえが跡継げば良いじゃん」
「そうは言うがなぁ……」
 雷画は一息吐くと苦笑いを浮かべた。
「我が孫ながら、アレに跡を継がせようと思ったらよっぽど出来た婿を探さにゃなるまいよ。その点お嬢、おめぇなら肝の座り方も尋常じゃねぇし頭も回る、小器用に立ち回れるだろうし、うちの若い衆も一目置いてるしよ。おめぇさんが継いでくれりゃ丸く収まると思うんだがなぁ」
「私には……無理だよ」
 吐息のような声で志保は答えた。
「そう、か」
「――ねぇ、じいさん」
 話を切り替えて、まるで世間話でもするかのような軽い口調で志保は続ける。
「近々、裏側のさらに闇の方でまた騒がしくなると思うんだけど」
「……お嬢、おめぇさん、何を……」
「一応じいさんはこの街の顔の一人だから、知っておいた方が良いと思うんだ」
 雷画の視線が志保のそれと絡み合う。唐突な台詞に揺らいだ眼と、それを冷徹に観察している眼が交差する。
「チ、俺を試しやがったな、志保」
 雷画は視線を志保から外す。
「志保よぅ、おめぇ、何知ってやがる?」
「まぁ、色々と。じいさんが何をどのくらい知っているのか分からないから回りくどい言い方をするけど、10年前のお祭りの再現らしいよ」
 志保の冗談めいた台詞に苦く笑う雷画。
「ククク。志保、おめぇが何を知ってるのか分かんねぇからぼかして言うけどよ、この街をシマにするってのはよ、色々ある訳よ」
「ふーん、色々ね」
「おう、色々よ。例えば教会の似非神父とか坂の上の方にすんでる奴らとかよ。まぁ、俺達とは一応"住み分け"てんだけど場合によっては色々と、な……」
 静寂が茶室の中を支配する。二杯目のお茶を点てながら、雷画はギロリ、と志保に眼を走らせる。殺気すら漂うその視線を前に、貼り付けたような微笑を浮かべたままの志保。
 すっと差し出された茶碗を、今度は無言で志保は飲み干した。
「10年前、切嗣のヤロウが何をしてきたのか、俺は聞かねぇ。俺が知ってんのは、アイツがお嬢、おめぇをあの火災から拾ってきたってことだけだ。あれからアイツが死ぬまでの間、本当にアイツはおめぇさんを可愛がっていた。いささか過保護だった気もするがな」
 雷画と志保は眼を合わせ、苦笑した。
「フェミニストが娘なんか持つものじゃないよね」
「おう、まったくよ。まぁ、俺にとってもよ、志保、おめぇさんはもう一人の孫娘だと思ってる。…………だがよ。俺は、俺達はこの街をシマにしてんだ。だからよ、志保。もし、また10年前みてぇな惨事が起きるって言うんならよ、藤村組は動くぜ。たとえおめぇさんが相手でも引かねぇ」
 物理的な圧迫感すら感じさせるほどの圧力、齢を重ねてなお現役を貫く老人の本気を前に、志保は軽く肩をすくめた。
「じいさん、それは私に対する侮辱だ。私が、あの火災の現場に居合わせた私が、あの火災で全てを失くした私が、またあんなことを起こそうとしているって思ってる?」
「……信じて、いいんだな」
「いいよ。私はね、あんな事を再び起こそうとする人間が居るなら、どんな手段を取ってでも止めるつもり」
 長々と溜息をついた雷画。茶室にあった重苦しさが霧散する。
「で? 俺に何をさせてぇんだ? 俺は何をすりゃぁいい? 目的が有って来たんだろ?」
 雷画の台詞に、志保は少しだけ考え込んだ。
「……そうだね、業者を紹介して欲しい。揃えて欲しいものが有る。出来るだけ足がつかない所がいい」
「水臭ぇな、要るもんリストにして持ってきな、うちのルートを使って最速で揃えてやらぁ」
 右手で拳を握り、人差し指だけを伸ばし曲げして見せながら雷画が答える。その手の動きににっこりと嬉しそうに笑う志保。
「じいさん達は動かないで。じいさんから私まで辿られると厄介だし、じいさん達に何とかなるような連中じゃない。まぁ、力借りるときは電話する」
「……分かった。だがよ、車とか医者とか要るときゃ言いな。ヤサとかネタとかその辺りでも良いぜ」
「ん、分かった。あ、そだ。後……」
 ふとを思いついた志保は、雷画に尋ねた。
「じいさん、古備前かなんか持ってなかったっけ? それとも相模?」
「おう、古備前って聞いてるぜ。もっともありゃ無銘だが。持ってくか? だがありゃ、おめぇさんにゃ重いだろ?」
「いや、見るだけでいいんだ。見せてもらっていいかな?」







 深夜――衛宮邸の土蔵で、志保は椅子に座って机に向かい、カチャカチャと音を立てて金属片を弄くっていた。
 グリスを使い、布で磨き、小さなブラシで払い、金属同士を組み合わせる。
「……入ってきたら、セイバー?」
 手は止めず、静かに志保は土蔵の入り口に向かって声をかけた。
「……失礼します。お風呂、先に頂きました、シホ。ところでタイガとサクラは?」
 風呂上がりで頬を桜色に染めたセイバーが、作業中の志保に気を使ってか、遠慮がちに土蔵に入ってきた。
「ああ、二人なら家に帰ったよ。まぁ、別にここに住んでいる訳じゃないし」
「そうですか」
 担任兼保護者である藤村大河及び志保の一学年後輩にあたる間桐桜と、セイバーとの遭遇は至って平穏に終わった。事前に志保が切嗣の知り合いが泊まるという旨をきっちり伝えていたということもあるが、藤村大河がセイバーの食べっぷりにいたく共感してしまったのも理由の一つだろう。ちなみに藤村大河はその名の示す通り、藤村組組長の孫娘でもある。
「良い人たちですね。本当にこの家と貴女を大切に思っているように感じられました」
「藤ねえはまぁ、私が切嗣に拾われてからずっと世話になってるからね。桜は、昔所属していた弓道部の後輩。色々あって家に手伝いに来てくれてる」
「弓道? シホは弓を使うのですか?」
「いや、もう辞めた。ちょっと揉めてね。……もともとやる気はあんまり無かったし」
 志保は軽く肩を竦めた。
「……ところでここはシホの工房なのですか?」
「うん、そうだね。まぁ、魔術師としての工房、というよりは純粋に工作用の工房と言っていいと思うけどね」
 セイバーは興味深げに土蔵の中を見渡した。彼女を召還した魔方陣はすでに消され、端に寄せられていた棚なども本来あったであろう場所に戻されている。
「工房というからには作品があるのでは無いのですか?」
 きょろきょろと見渡したセイバーだが、志保が作ったと思われる物がまったく無いのに気がついて尋ねた。
「ん、仕舞ってある。結構拙いものも在るからね」
 志保の右手が動き、セイバーが見ていた棚の下の辺りを指差す。しかし、志保が指差していたと思われる一番下の段には何も置かれていなかった。
「?」
「下の段のさらに下の所、隠しで引き出しになってるから」
「ああ、なるほど。……開けても?」
「どうぞ」
 それでは失礼して、と言いながら、セイバーはその棚の床すれすれの部分を調べる。一見すると鋲で打ちつけられているように見える飾り板が引き出せる事に気がつき、それを引っ張り出す。
「……これは……」
 引き出しの中には布が敷かれ、さらに発泡スチロールで間仕切りされていた。そこに並べられている様々な大きさの金属の板。
「……ナイフ、ですか」
 ブレードのみのもの、木製の柄がつけられた物、柄と刃が一体になったもの、小さいもの、大型のもの、美しく彫金されたもの、無骨に鈍く光るもの……。
「そう。一応魔術の修行も兼ねているんだけどね」
 手にした金属を机の上に戻して、志保はセイバーに向き合った。
「調度良いか。君の戦力については昼に話したけど、私については全然だったよね」
 志保は脇に置いたポットからマグカップにお茶を入れるとセイバーに差し出した。続けて自分の分も入れる。
「私がかなり特殊な魔術師だって事は言ったよね。切嗣に無理を言って魔術を教わりはしたけど、私は元々魔術師の家柄じゃないからね。素養という点においては代々魔術を研鑽し続けてきた家系なんかとは比べものにならない。魔力も全然多くないし、魔術回路も在るには在るけど本数としてはさほどでもない。魔術刻印は言うまでもないね。切嗣と血が繋がっていない私は、その家の魔術の集大成である刻印を受け継ぐことは出来なかった」
 志保は一息つき、手にしたお茶で喉を湿らせた。セイバーは黙って志保の話に耳を傾けている。
「私の魔術はどうやらかなりの割合で属性に縛られているみたいなんだ。基礎の基礎を除けば、まともに使えるのは二種類のみ。強化と投影だけ。強化っていうのは対象に魔力を通して存在意義を高めるもの。投影はモノの複製を魔力で編んで物質化するもの。ただしどちらも基本的に属性に関するものにしか使えないみたい」
「なるほど。で、その属性とは?」
 興味津々に質問するセイバー。それに対し、
「んー、よく分からないんだよね。切嗣は"刃"なんじゃないかって言ってたんだけど。うーん、何かしっくり来ないんだよね」
 と、歯切れの悪い答えを返す志保。
「実際、刃物に対する強化は比較的上手くいくんだ。元々のモノに魔力が籠もってさえいなければ、刃物に対する強化は確実に成功する。問題は投影の方なんだけどね」
 すっと手をセイバーに向ける。
「投影、開始(トレース・オン)」
 呟きと同時にその手には短く、細いナイフが現れる。
「こんな感じ」
 くるり、と刃先を返し、グリップをセイバーに向けて手の中のナイフを渡す。
「これは、そこに仕舞われていたもののうちの一つですか?」
 手のナイフをしげしげと眺めるセイバー。
「そう。私が作ったヤツのうちの一本。投影するにはオリジナルを深く知らなければいけないの。基本骨子や構成材質のみならず、作られた背景、過ぎ去った年月、使用状況、そう言ったものを知れば知るほど安定する。逆にそう言ったところで齟齬がでれば幻想は現実に破れ、破綻してしまう。現物を見て、自分で解析すればある程度までは投影可能だけど、限界はある。ならば自分で作ったものならどうなのかって考えてね。結果は見ての通り。自分以上にそのナイフに関して知っている人間は居ないってくらいのモノだからね。投影精度は現物に限りなく近いと思うよ」
「成る程。ではもしシホが剣を作ったなら、その剣を自在に投影出来ると言うことなのですね」
 それは素晴らしい、と頷いているセイバーに苦笑する志保。
「いや、別に作らなくても剣の現物を見ることが出来て、さらにそれを解析することが出来たら、ある程度は投影出来る。けど何らかの神秘が付加されているなら、今の私にはちょっと厳しいかな。なにせその神秘を理解出来るかどうか、さらに再現できるかどうかに自信がない。それに魔力と魔術回路が持たないよ」
「ふーむ、残念です……」
 その様子を見ながら志保は自身の思考に埋没する。セイバーの手の中、今だ確固として存在するナイフ。一時的に幻想結んだだけの鏡像が、何時までもその存在を消し去ることの無い異常。等価交換の原理から外れ、世界に反逆する存在。それに気がついた切嗣は、それでも最後までその答えを志保には明かさなかった。本来有り得ない魔術。『決して他の魔術師には明かしてはならない』。今だ耳に残るその口癖。
 空いた手で、机の上の金属をもて遊びながら、志保は答えの出ない問いに心を浸す。
「……シホ、どうしたのです?」
「ん、ああ。せめて後10年欲しかったかな、って思った。もうちょっと魔力に余裕があったら。もうちょっと魔力回路を鍛えられたら。もうちょっと金銭的、社会的、時間的余裕があったら。もうちょっとこんな子供体型じゃなくてちゃんと体が出来上がっていたら。そんな取り留めのないことをね。いっそ私が男の子だったら、もっと上手く出来たかもしれない。けどまぁ詮無き話だよね」
「それは……」
 それはセイバーも同じだったのだろう。女性の身でありながら王として戦い続けた彼女。何かを答えようとしたセイバーを志保は言葉で遮った。
「ん、ごめん。意味のない愚痴だった。忘れて」
「――ええ。…………ところで先ほどから何をされているのですか? その手の物は刃物には見えませんが?」
「んー。これはね」
 机の上に広げられていた複数の金属片を、志保は一気に組み上げ始めた。
「こういう物」
 手の中に現れる黒い小さな金属塊。
「それは……拳銃ですか。切嗣が使っていた物よりかなり小さいですが」
「うん。さっき知り合いのところから貰ってきた。サーヴァントには意味が無いだろうけど、マスター相手なら役に立つ。実際、私は自分が作った物以外の投影は結構キツイんだ。魔術回路の負荷が酷い。全く、鍛える時間が無かったのが悔やまれるよ」
 切り札は出来うる限り用意する。切嗣の教えはろくでもない戦闘手段が大半だった。しかしそれが今はとても役に立っている。魔術師として三流以下の志保が他の魔術師相手に魔術で勝つのは不可能だろう。ならば勝てる土俵で戦う。魔術で勝てないなら魔術以外で勝つ。それだけのことに過ぎない。過程は不要、結果が出ればそれで良い。
「さて、もう日が変ってしまってるね。今日はそろそろ休もうか」
「は? はぁ。しかしシホ。聖杯戦争の方は……」
 困惑するセイバーににっこりと微笑みかける志保。
「うん、電話するには良い時間だしね。嫌がらせには丁度良い。大丈夫、今日は動かないけど、そろそろ他が勝手に動き出すさ」




「夜分失礼します。衛宮という者ですが……」
『―――――――』
「ええ、そうです。衛宮切嗣の……娘です」
『―――――――』
「それはどうも、ご丁寧に。それでですね。明日の夜にでも、そちらに伺わせて頂こうと思うのですが」
『――』
「ええ、そうです。登録をしに、です。なにぶん切嗣が居ないものですから説明も伺いたいですし。構いませんか?」
『―――――』
「それはどうも。それではお会いできるのを楽しみにしています、言峰神父」























 深夜、一人の男が古びた洋館の屋根の上に佇んでいた。白い髪に褐色の肌。鋼のように鍛え上げたその身を包む赤い外套を冬の夜風がはためかせる。
 その鋭い視線はまっすぐに、和風の家が建ち並ぶ地区に向けられている。彼の立つ家からは影になって見えない、一軒の武家屋敷に。

「フ、フフフ」
 厳しい顔つきだった男の顔が、奇妙に歪む。それは――愉悦。狂気すら含んだ、隠しきれないほどの、歓喜。歪んだ唇が形作るソレは笑みのよう。ただし、見る人が居たなら恐怖を感じるようなソレを笑いと言ってもいいのなら。
「ああ、ようやく――ようやく私の、オレの願いが叶う。待っていろ"正義の味方"」
 ただ一人陰鬱に嗤う彼を、雲の合間から顔を覗かせた夜空の月だけが知っていた。





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