鶴羽根神社は明治維新まで椎木八幡宮と称し、頼政と深い関係がある。 平安の昔、海路厳島神社御幸に供奉した頼政が、参詣の途次投錨した二葉山麓を見上げると、全山椎木が生い茂っていた。かねてより「四位」止まりを託ち、
と自嘲していた頼政は、「椎」は身をつまされる木。ここに一社を建てることにしたという。「三位」への密かな期待を込めたものと思われる。 その願いは生前には叶わなかったが、頼政没後、菖蒲前によって創建された。