毛利元就から十三世・小田左衛門太夫政秋に宛てた書状である。表造意人(敵意を持つ人)つまり津田常陸介(毛利元就に滅ぼされた武田氏の一族)を討果せとの元就の要請を受け、それに応じて鎮圧したため、使者まで派遣して謝意を表わそうという非常に丁寧な感状が与えられた。毛利氏と小田氏はこの当時同格であったと思われる。このとき元就の居城高田郡吉田より派遣されたのが坂新兵衛、桂兵部であり、鎮圧後感状を届けたのが毛利の重臣児玉三郎右衛門であったことが記録に残っている。このとき御刀一腰(大小)も拝領しているが、小刀の方は現在も中河内家にある。
感状原本も中河内家に伝わったと思われるが、嘉永年間に流出したため、この文は『芸備郡中士筋者書出』による。この文書は広島藩が元禄四年頃、「士筋者」として来歴を持つ領民に命じて、その由緒と文書類の写しを差し出させ、編纂したものである。