十勝平野からの山

十勝(芽室)の剣山(1204.4m)

  日高山脈の比較的平野に突き出た山の一つが芽室岳から尾根伝いにあるのが剣山である。
 日高山脈は北海道の背骨にあたる褶曲山脈で、中生代末から新生代後半(約1300万年以前)にかけて隆起し、その生成は日高山脈造山運動といってヒマラヤやアルプスが生成したと同じ生い立ちをもち、変成岩や深成岩等の古い地質構造が中軸となっているといわれる。また。1万年から数十万年前の氷河時代のある時期には、日高山脈上にも氷河あり、その跡は現在でも多数のカールとして残存し、登山者の絶好の憩いの場を与えてくれている。
 日高の山はアプローチが長く日程のかさむのが特徴だが、最近は林道が整備され比較的比較的短い日数で核心部に入れるが、依然として人里は遠く奥深い山であることは変わりがない。
 そこで、単独で、少数で登山できる山に足が向く。

 北海道の山では、頂上が完全な花こう岩というのは珍しいそうである。
 芽室の嵐山スキー場で眺める剣山は、日高山脈の高峰に圧倒されているが、山は険しくそそり立ちその存在はキリリと締まって見える。本当に見た目にも良い山である。
 姿が四国の剣山に似ているのが名前の由来になっているという。
 芽室岳の東に久山(きゅうさん)岳、剣山と日高の落とし子たちが尾根を同じくしている。剣山はその中にあって、芽室岳よりも随分早くから宗教登山なされていたと思われるそうだ。帯広周辺の岳人は、暇があれば剣詣でを行っている。山をやらない人でも一度はここに登っているという。
 剣山はまさに十勝の憩いの山と言われている。それなりの魅力は十分にある。頂稜の間に岩峰があったりし、鎖が固定されているなど変化にとんだ登山が、スケールが小さくとも楽しめる。
 頂上までせり上がった60m程の東壁があり、意外と手堅く昭和40年代の後半まで登られていなかったと聞いた。
 芽室岳と剣山の間に、久山岳があり日本百名山を著者深田久弥の九山(きゅうさん)山房という書斎と呼び名が同じと憧れる登山者が登っていると最近知った。
 帯広の町から車で40分。芽室町旭山の小さな集落から眼の前にそびえ立つ剣山に向かって、道は4Km程牧場の中を走って剣山神社まで登っていく。
 神社には神社の付帯設備の小屋か避難小屋というか、十数名が宿泊できる剣山小屋がある。
 信仰の山は北海道では珍しい。
 剣山神社は、徳島県剣神社から分霊をいただき昭和2年に創建された。
 登山道は、小樽新聞社の菅田光民氏らが、大正6年から2年間をかけ開いたといわれている。
 信仰登山が盛んに行なわれていた頃は、本山にならって、女人禁制だったそうだ。
 最近では毎年6月には春の例大祭で、登山などが盛大に行なわれている。また山開きの際に火渡りの儀式が行われているらしい。
 7月に登った時は虻の大群が私の周辺を飛び回り恐怖を感じた。車の中で準備をすると数百m走って登り、虻の大群から逃げた。
 下りも虻の姿が見えると走り車に飛び込んだ。
 下山して旭山集落で聞いた話では、乳牛が虻に刺されて狂い死ぬ事があるという。
 水場は神社の横にあるが、時期によっては準備せずにして入山して、虻に刺されてみるのも面白いであろう。虻の刺された痛みは、蜂よりも痛いくらいであり、その集団の威力たるやSMの人たちに教えてやりたいくらいだ。

 旭山の集落から真っ直ぐに伸びる、牧場の道を4kmほど進むと、鳥居があり神社の駐車場に車を止める。剣山には以前登った時はアブがいなかったが、今回は車の周りを大きなアブが飛び回っている。
 車の中で登山靴を履き、持ち物の確認しザックに収納し、上着のボタンを留め、虫よけの蚊帳を帽子の上に被りドアを開けるとともに走り出す。
 一気に登山道を進み、アブの姿が見えなくなって走るのをやめた。
 神社の横から登山は始まり、牧柵のそばを柏の林を登っていく。登山道は黒土で滑りやすい。牧柵を横切るところでは牛の逃亡を防ぐ装置がある。登山道沿いには、地蔵さんが沢山並んでいる。ミズナラの林の中の道は穏やかな傾斜である。
 見通しの聞かない道を1時間30分ほど滑りやすい道を登っていくと突然大きな岩が現れ十勝方面が良く見えるピークがP4である。ここからは、尾根に変化が現れ楽しくなってきた。岩をくぐったり登ったり、小さなお地蔵さんが岩の間にあった。
  花こう岩が現れ、鎖場を過ぎると頂上である。P4から頂上までは1時間ほどであった。
鎖が固定されていたが、以前は岩の割れ目や岩棚をつかい、恐竜の背をまたぐようにして登ったところであり、今のそうして楽しみながら登っている人がいるらしい。
鎖には大正14年の刻印があるそうだが、私は見ていない。
頂上には鉄製の剣が天に向かって立てられている。頂上の広さは五・六人で座ると満員になる狭さである。東側は60mの垂直な岩場になっており数少ない十勝地方の登攀対象の壁である。
 展望は、足元に広がる十勝平野の雄大な景色は、大穀倉地帯でその昔「十勝の平野には金がなる」といわれた。南を望むと、札内岳を始めとした北日高の山群が天に向かってそそり立ち、驚嘆をもって眺められる。
 五月に登ったときは、日高山脈の山々に氷河の傷跡のカールが指呼できた。十勝平野の先には二ペソつやウペペサンケ。芽室岳から南に延びる日高山脈が山襞も荒々しく聳え立っていた。
 下山していくと、牧場の近くまで下ると周辺を警戒する。アブの姿が見えた時私は走りだし、車の中に飛び込んで、車内を点検する。
 車内にアブがいないことを確認すると一安心。
 今回はアブが飛び回っていたので、落ち着いたの登山はできなかったが、この登山と前回の登山の2回の剣山だった。

 @ アイヌ名
   ”エエンチェンヌプリ”は「頭の尖って突き出ている山」の意
  このページを、改定しているときに、山頂東壁には数本のルートが開かれていると聞いた。