断 魚 渓 の 登 攀

( 1974年11月 )

 
断魚渓    駒背山
  断魚渓は江の川の支流濁川(20.4km)にあります。
 江の川は、広島県山県郡北広島町の阿佐山を水源とし、広島県域では可愛川と呼ばれる中国地方最大の川で、別名「中国太郎」とか「無能な川」と呼ばれていた。
 無能な川とは、河口に平野(農地)が無くただ海に流れ込むためだすが、しかし、水量が豊富で中国山地を越えて日本海に注ぎこむため、中国地方を縦断する交通機関が発達する昭和の初めまで「川の道」として河川交通の要となっており、三次や粕淵、川本などは河の港でした。
 後期中世代の激しい火山活動により噴出した火山砕屑岩類からなり、一旦形成された川原が、陸地の隆起により傾斜が変わり、河川勾配が急になり、流れは弱い部分を削り景観を作っていった。

 断魚渓は濁川が流紋岩を浸食した渓谷で、延長四キロにわたって奇岩怪石が連なり、自然作り出した美しさは、昭和10年12月に国の名勝に指定され、大町桂月などにより広く紹介された。
 峡底には、一枚岩の川床一面に広がる大岩盤「千畳敷」 がある。
 断魚渓では最も広く、畳が千畳敷けそうな広さがあり、岩盤の床を自然に削られてできた水路を水が勢いよく流れる様が、
雨樋を水が流れる様子に似ていることから「岩樋川」とも呼ばれています。
 幅1〜2mの自然の水路流れて神楽淵に落ちる所に断魚の淵があります。
 漢学者野田慎が断魚渓の景観を『断魚渓題詠集』に「断魚渓二十四景」と著し断魚渓の名を世に広めた。
 渓谷には「嫁が淵」「通仙橋」「連理滝」「千畳敷」「神楽淵」「魚切」「箕の腰」深淵など24箇所もの景観美があり断魚渓の渓谷には、比高120mの断崖がある。
   
 植田の登攀  俺

 魚が簡単に遡上できない水流があり、この名で呼ばれています。
 岳友の植田の故郷にある、断魚渓の岩壁を登りたいと言っていた。
 昭和49年11月の金曜日の夕方、紅葉の断魚渓岩壁を登攀するために浜田市内にある事務所を出た。浜田市には、長期の出張で9月から12月末まで滞在している。
 山陰本線の浜田駅から江津駅に、そこから三江北線の因原駅まで前進した。植田とは翌朝に落ち合う予定だが、エンジンのある車を持たない私は前日に移動し、植田は土曜日の朝、出雲から単車で来る。
 寂しい山の駅舎で寝る予定であったが、最終列車の通過後に駅舎は閉じられて外のベンチで寝る予定が、強風と駅前の住民のため眠ることができない。

 真夜中にビバーク地点を求めて駅の周りを探し、ようやく見つけたのがバス停である。バス停は3方向に板壁があり風をさえ切ってくれる。
 見つけだしたベスト・ビバークサイトであるが、なかなか眠ることが出来ない。目だけは閉じて朝が来るのをひたすら待つ。時折トラックが地響きをたて2m程横を通過していくと足が、頭が轢かれるのではと恐怖に駆られる。
 明け方の寒さに耐え出来るだけ寝ていたかっが、バス停に人が来る前に空けなければと、撤収し駅舎に引き返した。ザックにヘルメットとザイルを取り付け、見慣れないニッカボッカ・スタイルに違和感があるのか冷たい視線を浴びながら、出雲から移動してくる植田の到着を待つ。
 断魚渓は植田の故郷に近くにあり、渓谷の断崖絶壁を登攀し自分の垢を擦りつけたいという不順な考えをもっている。
 因原駅から植田の運転する高級(中古)単車90ccの後ろに乗り、国道261号線を5キロ程進む。連続したカーブやトンネルを進むと左手にいわみ荘の駐車場がある。植田の高級オンボロ単車を堂々と真ん中に停める。
 
この駐車場から北方向を見上げると、頂上付近に露岩の素晴らしい岩山が見える。植田に尋ねると「馬背山」という。
 我々クライマーは、岩を見ると登りたくなる。
 登攀の対象となる壁の価値は、人それぞれであろうが私は、次のように考えている。
 まず、著名な山にある。高さ幅など壁が大きい。斜度。ブッシュがない。標高が高い。高度感。岩が硬い。岩壁の終了点が頂上等の条件が重なるほどいい壁だと思う。
 植田の言う断魚の岩は何処にあるのかと、植田の顔を見ると彼は黙ったまま国道261号線を横切り谷底を覗き込む。私も覗き込むと吸い込まれそうな迫力がある。ルンゼ状の急峻な断崖があった。
 断崖の下に千畳敷の川原が広がり、その対岸の右端に赤い屋根が見える。
 植田が「今晩はあの神社に泊まる」という。神社に泊まるなんて恐れ多いことだが、無料であればと私も大賛成だ。

 
 駒背山  登攀後の俺


 駐車場から川原に降りる道は暗く滑りやすくい。明るい河原の吊り橋を渡る。湿った草むらを上流へと歩く。
 対岸の岩壁は垂直の断崖絶壁で100m程あり、中ほどにオーバーハングもある。しかも取り付きは、水の中か、右側の河原から左上に登らないと壁の中央付近に出ない。これは2日ほどでは登れないぞと落胆した。
 岩壁の名前は「楯巌上(たてかがら) 」ここは24景のひとつで楯のようにそびえ立つ様からこの名前がついている。水面から80m程は切り立った岩壁で圧巻だ。
 絶壁の下に神楽淵がありその先の谷底に千畳敷と呼ばれる岩盤が露出している。その岩盤には自然の節理による水路、岩樋(祝)川が通る。断魚渓という名は神楽淵にある断魚の淵にちなんでおり、鮎の遡上を遮ることから名付けられた。
 神楽淵の階段の上に小さな社「稲荷神社」がある。 松江の小藤さんとS崎さんらが断魚の岩を登ったらしいと聞いたことがあり、どこかを登ったのかとルートを目で追った。
 壁の取付点はと千畳敷を歩いていて、岩壁基部の右側にハーケンを見つけた。しかし、その上のルートが見つけられない。そのハーケンは垂直のつるつるの岩の3m以上も上にある。ホールドも見つけられない。 
 俺は浜田の出張中に岩場のトレーニングをしていなかった。
 簡単な岩でトレーニングするかと、千畳敷の河原を歩いていると下流方向の山の上に岩壁がある。それは駐車場で見た稜線にある岩場である。今日は、あの岩壁に取りついてみるか。 植田の故郷にあり、しかも岩壁は馬背山の頂上にある。見上げる岩壁だから高度感はありそうである。是非登るべしと意見が合った。
 登攀に不要な装具を神社に残し、吊り橋を渡り駐車場に帰り、いわみ荘の横を進むと山道となり、九十九折となり30分程で岩壁の基部に着いた。
 ザイルを結ぶと、最初のピッチは私がトップで登り40mほどザイルを伸ばす。確保用のハーケンを打って植田を登らせる。次のピッチは植田がトップとなりザイルを伸ばして行く。 植田を確保をしながら周辺の山を眺めつつ、断魚渓の渓谷に眼をやると、高度感があり、ついつい嬉しくなった。
 高差200m程下の駐車場に眼をやると数名の人が俺達を眺めている。
 岩松の素晴らしいものがあった。でも俺たちにはそういう趣味はない。山陰の厳しい自然の中でがっちりと岩壁に根を張っている姿は美しく素晴らしい。
 そうこうしているとザイルが止まり、警笛が鳴り登って来いと促している。岩壁の傾斜が緩くなると、植田の姿が眼に入った。岩壁が終わったと教えてくれる。
 馬背山へ到着。頂上で硬い握手をすると、西方には権現山や大平山等の石見の山々が延々と広がり紅葉の錦をまとっている。
 故郷の山を眺める植田にはまたとない登攀の日和と成ったことだろう。眼下に広がる展望はやはり素晴らしい。しばらく馬背山にて眼下に広がる展望を眺めた岩峰から下れる地点を探しつつ稜線を東に移動し、フリーで岩壁の基部に帰り着く。

 
 楯巌上(たてかがら)横のルンゼ
上部にガードレールあり 画像は2012年頃

 今度は、取り付き点を変えて、植田がトップで垂直な岩壁にザイルを伸ばす。途中でハーケンかボルトを打っている植田の写真がある。アブミに乗りながら打っている。40年たっての植田の話では登攀中に2本くらい打って登ったという。
 アブミ用に打ち、その上にもう一本打っているのがこの写真だろう。
 そして最後のピッチは俺がトップに立って今日の登攀を終了する。
 山道を下り、駐車場に帰ってみると、いわみ荘の人や近所の人が話しかけてくる。一寸した有名人のようで、気分は大変よろしい。
 吊り橋から神楽淵にと歩き、階段を上がって小さな社「稲荷神社」に帰った。川原にある神社の拝殿をお借りして今夜の宿にする。
 ゴザが置かれているので、板場の上に敷き、寝袋を広げ簡単な夕餉の準備に掛かる。食事の内容はインスタントラーメンが主体だ。1泊2日程度の山登りでは、料理らしい料理は準備しない。
 夏・冬の長期合宿ではTが食担となり献立を考え、コックとして腕を振るい鍋奉行を務めてくれて美味しかった。
 高級アルコール「サントリのレッド」が眼の前に鎮座し、酒の肴はスルメや目刺し、ソーセージ、乾きものが並びそれなりに豪華な酒の席になった。
 結婚の話となり何時まで岩や山が登れるかと話しあった。結論が出ない。酒は美味しい。飲むほどに時が経つほどに酔い、断魚の水の音に負けない歌が出る。
 俺と植田とで大山ブルースを作っていて、二人の時はそれを歌う。歌は宴会だけでなく山でも役立つことがある。一つでも多く覚えておくことだ。
 川原を流れる風は心地よく、今日の登攀の成果、反省、そして明日の行動と話が尽きなった。寝袋に入ってもアルミのカップは放さない。
 稲荷神社の前の淵に流れる落ちる音が神楽ように聞こえたのか、それで 「神楽淵」というのか。
 渓谷の中にある神社の朝は遅くやってきた。朝霧が川面を渡る。
 簡単な朝食を食べると、寝袋などを神社に残して登攀具を身に着けて、神社の対岸にあるルンゼ状の岩壁に取り着くため沢を渡る。
 最初のピッチは植田が受け持った。取り付きはツルツルの岩で手がかりもスタンスもない壁に取り着いていく。
 何千年、何万年、数十万年の長い歴史のなかで磨かれた岩肌に植田の身体が張り付き徐々に高度を稼ぐ。最初のハーケンまでの困難な部分を登り、カラビナをセットしザイルをセットした。
 俺は急いでザイルを回収して吊り上げ式に植田の身体を確保する。一呼吸して植田の体が静かに動き、微妙なバランスで高度を稼いでいく。20mほどザイルが流れると、彼の身体は俺の視界から消えて、ザイルがするすると伸びる。
 植田の合図で俺が登る時がきた。ラストの安心感はトップロープのお陰である。
 初登の松江の連中と、今日の植田のリードクライミングに驚きである。
 植田は体力もありバランス感覚が良く、大山の垂直の凍った泥壁をトップで登ってくれた。今回もよくこんなところを登ったものだ。これほどつるつるのスラブ。傾斜のある所は登ったことがない。ちいさなホールドを利用し、やっと最初のハーケンに手が届いた。
 植田はルンゼの中で確保をしている。ここから上部は傾斜も少し落ちて、60度位だろうか、俺がトップになって登る。逆層スラブではあるが、傾斜もゆるく、スタンスもあるのでザイルを伸ばしていく。
 最後、車道に出るあたりは、傾斜があるがガードレールの支柱に手を伸ばし道路に登り切った。植田を確保していると、車両の中の驚きの顔が痛快だった。
 下部の垂直の壁からルンゼの登攀は、岩も堅く浮石ひとつなく快適な岩壁だった。
 神社の荷物を回収し、因原駅まで植田の単車で送ってもらった。

 あれから40数年、久方に断魚渓に立ち寄ってみた。
 渓谷の美しさは変わらない。
 植田に稲荷神社で一杯やらないかとメールした。
 返事は直ぐに帰って来た。今度は少し高いウイスキーでも飲もうか