大山の遭難に遭遇した俺の行動を通して山家に送る

遭       難

  元谷沢の女
 ある秋の日の夜、元谷小屋において久松山岳会の松尾氏と若い会員と3名で酒を飲んでいた。
 翌日の行動について松尾氏は、若い会員を連れて天狗沢の登攀を考えていた。
 予定のない私は、彼らの行動の邪魔をしないことで、天狗沢の単独登攀をすることにした。
 早朝、小屋を出発し天狗沢の取り付きに向かって昇っていく。落石で埋まったいつもの道を昇っていく。
 屏風岩側で彼らは安全ベルトを装着し登攀の七つ道具を準備すると天狗の取付きに向かう。
 秋も遅くなると天狗沢の雪渓(大山の天狗沢の下部の雪は10月頃まで残る)もかなり小さくなってはいるが、でも、まだ大きな固まりとして残っていた。残雪は泥の化粧をして大きな固まりとして残り、3m位の高さを誇っている。
 その雪の固まりの中を右に左に歩くと取り付きになった。夏の取付点より10m以上も低い。
 彼らはここでザイルを結ぶと松尾氏がトップで進む。10m程上のテラスを目指してピッチを伸ばす。
 私は、若い会員に付き添う形でその横を適当に登る。足場の位置手がかりを指導しつつ登り、松尾氏の待つテラスにたどり着く。
 ここはかなり広くて5名くらいは集まることの出来る。
 ここが、夏と冬の取付点であるが、今回は既に1ピッチ登っている。
 沢の中央の1m位の階段状の様な地形の所を登っていくが、常に濡れていて、これが冬季のブルーアイスとなると思うと楽しくなってくる。
 しばらく登り、溝のようになった所を進んでいくと、F1の終わりになる。F1は2級から3級くらいだが、確保のためのハーケンが打てないというか効かない。
 そもそも大山の岩場では、ハーケンの効く岩壁等は、北壁では滝沢、中ノ沢の下部と烏帽子岩だけである。
 大山寺の周辺では金門、外輪山というべき船上山から甲ヶ山周辺と烏ヶ山等の限られた部分であり、全体として泥壁と浮き石、煉瓦状の岩の積み重ね、または、空中に浮いた様な石であり、引けば落ち、押さえるようにして垂直な壁を登ることは、国内の岩場・壁では体験出来ない素晴らしい壁である。
 大山の壁といえば大屏風岩の名が上がるが、夏になって壁が落ち着いても落石、浮石の処理の技術を要求される。
 技術とは、生命の保証のない度胸だけである。「男度胸一つで効きもしないハーケンに身を託すことが出来る人のみ許される。」
 特に、主脈縦走路をはさんだ北壁、南壁、東壁は先程述べたような状態であり、夏に登れる部分は天狗沢、大屏風岩、中ノ沢、滝沢、別山だけである。
 夏のルートは、それら全てを合わせても10本もない。
 各沢のルートは、取付は色々と採れたとしても上部では必ず1本になってしまう。何故なら泥壁のためルンゼの中に入って行かなければいけないためである。
 厳冬期は、雪崩のため取り付けるルートも少なくなる。取り付けるのは、墓場尾根、天狗沢、大屏風岩、小屏風、別山とこれまた少ない。大屏風岩には8本くらいのルートはある。
 そのような、不安定な状況の中で登っている山陰の登山者が穂高の滝谷などは安定した岩と喜んでいる。
 棚状のF1を登り、ガレ状の回廊を登りきる。
 天狗沢の中でも一番堅いF2を松尾氏が登っていく。
 ザイルを結ばなくて怖くないかって。結ぶ方が怖い。
 もし、トップが落ちると、止めようが無く、ただ黙って引きずられ二人とも落ちていく、心中ルートである。
 不倫のカップルならいいが、男同士の汚い心中などごめん被りたい。
 松尾氏のザイルの走る・墜ちる方向から逃れ、身体を極めて安全な場所に置き、F2の下で順番を待っていると、屏風の頭付近からクライマーが騒ぎ出した。
 大屏風の連中は叫くだけで、いっこうに状況が判らない。ようやく、状況が読めてきた。
 
 左のV字状の鋭い谷が元谷沢。右の大きい黒壁が大屏風岩。
中の白い壁が天狗沢

 元谷沢に女性が迷い込み、動けなくなっている。そのまま、待っているようにと、呼びかけている。
 我々は、F2を乗り越し、ガラ場の斜面を登りきり、縦走路に飛び出した。
 天狗の頭で、完登のお祝いの写真を撮ると、縦走路を駆け下り、天狗沢の隣の元谷沢の上部に移動する。
 元谷沢の上部から私と松尾氏の二人で掛け下る。
 お花畑を蹴散らせグングンと斜面を掛け下ると、斜面の傾斜が一段と増す所で震えている女性を発見した。
 松尾氏が自分のザイルを女性の身体に巻いている間に、私は、松尾氏のザイルと私のザイルを連結する。
 私は斜面を駆け上っていく。80m程ザイルを伸ばし終わると、引き上げにかかる。
 支点は無い。傾斜の落ちたガレ場の所で引き上げているところに、松尾氏の新人が降りてきた。二人で引き上げ、松尾氏は女性に付き添っている。
 160m位引き上げたところで、大屏風岩を登っていたクライマーがようやくたどり着き、4名で引き上げ、縦走路まで連れ戻した。
 女性に聞いてみると、大山の頂上で、登山者に「縦走路から、直接宝珠尾根に降りられるから時間の短縮になる。」と聞いて、ここを下ったらしい。
 ここを下ると宝珠尾根でなく元谷に降りられる。しかも無事でなく、もちろん元気でなく、死者として早く人生から降りられる。

 あとは、大屏風岩の人たちに任せて、我々は縦走し、先程 女性の話していた宝珠尾根の下りにかかる所で、休憩していると、女性を伴って大屏風岩の連中が降りてきた。ここから下るんだと教える、と私は掛け下っていった。
 女性は若く美しく可憐で、我々が見る女性・元谷小屋に来る女性には見られないタイプの人であった。 
 松尾氏と大屏風岩の連中が居なければ、私の人生は代わっていただろう。
 「山は危ない止めます。」 「岩登りは直ぐに止めます。」と、言ったであろう。