テント生活 食事
昭和40年頃の山仲間達との出来事、装具等の思い出を語ってみたい。

 パンの耳
 俺たちの会では、食料担当は角氏がやっていた。
 合宿の1食当たりは、昭和43年頃50円であった。
 その内100円に値上がりしたが、50円当時の話しをしよう。
 まず、パンの耳を貰ってくる。
 買ってきてはいけない。もらうこと。
 「パンの耳を下さい」 と、店の奥さんらしき女性に言う。
 「なんで」 といった顔をされたら、直ぐに 「山に登るためにです」
 断られる先に言えたら成功だ。 間違っても、男の従業員に言うと
 「お前らは、遊びほうけて・・・パンの耳は今日は無い。」 となる。
 そうなったらリーダに怒られる。
 パンの耳を貰って(購入するのでない)くると、1斗缶に詰める作業が始まる。
 まず、耳を2枚準備する。
 1枚の片面(パンの柔らかい面)に、薄く、薄く苺ジャムを塗る、そしてもう1枚を重ねる。
 そして、1斗缶に詰める。
 また、2枚準備して作業は続いていく。
 時々蜂蜜を塗るときもあるが、高いため時々である。
 運よく、パンの耳にジャムやマーガリン、干しブドウがくっついている時がある。
 耳でなく切れっぱなしの部分にだ。
 それは、店の人と仲良くなってきたときに、米袋に入れてあるやつだ。
 山に入りると、岩壁に向かうとき配給を受ける。
 荷揚げの時、壁への登攀の時に、昼食、夜食用として1食当たり2組(4枚)もらう。
 俺と一嬢さんと、穂高の前穂のW峰正面壁の登攀(北条・新村ルート)に向かった。
 食事担当の角氏が、優しく(珍しく)予備として、チューブに入ったジャムを渡してくれた。
 パンに塗ったらトマト味のジャムだった。
 「一さん、トマト味のジャムもいいね」 というと、
 「馬鹿、ケチャップを持って来たんでしょ」 と怒られた。
 「でも、ケチャップもパンに合うよネ」 と褒められた。
 それからは、ジャムの変わりに安価なケチャップも使用した。

 角氏と一さんは、義兄弟(正式には、義姉)になったんで、俺に優しくしたんではなく、将来の姉さんにゴマを擦ったんだろう。