2010年7月 車中泊の旅
琵琶湖から天橋立、浜坂へ
大津から琵琶湖の湖東を北上し、敦賀市より日本海側を西進し、
加藤文太郎記念図書館に立ち寄った。
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7月17日 13:14 玄宮園から彦根城 12:00~13:30 彦根城を攻める。 本丸に行くにはこの廊下橋の下を(13:32)通過し左手に回る。 そして橋を渡り、本丸に入る。 橋は、籠城時には、落としてしまうのだろう。 幕末における幕府の大老を務めた井伊直弼は、藩主となるまでを この城下で過ごしている。 |
7月18日13:30 飛龍観からの日本三景 「天橋立」 |
7月18日15:50 丹後半島 伊根の舟屋 遊覧船に乗り湾を一周 |
7月18日8:14 豊岡市 「玄 武 洞」 |
7月19日11:28 加藤文太郎のピッケル |
7月19日 牛皮製 加藤文太郎の登山靴 |
7月17日7:40~8:10 大津市 西国13番札所石山寺 瀬田川のそば 紫式部が参籠して『源氏物語』を書きはじめたという 石山寺11:10~11:40 近江八幡市の知人宅を訪問後、安土城址を訪れる。 次の予定が差し迫っているため途中で下城する。 信長様に会えなかった。残念 (熱い一日であり、本丸に登らないうちに敗退) 安土城は、織田信長によって、現在の安土山に 建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記) を初めて持つなど威容を誇った。 建造当時は郭が琵琶湖に接していた |
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城の形式は連郭式平山城。また、現存例の少ない い城築城の技法である「登り石垣」が良好な形で 保存されている。なお、城の北側には玄宮園・ 楽々園という大名庭園が配されており、これらは 「玄宮楽々園」として国の名勝に指定 されている。12:39 彦根城の天守閣 「ひこにゃん」は、お昼寝タイムで会えない。 琵琶湖の眺めが最高 この後、長浜市内で「長浜ラーメン」を探す。 町の人、コンビニの人に聞くが、誰も知らない。 無知な奴らだ。 さざなみ街道を走る。 博多のラーメンが「長浜ラーメン」と知った。 余呉湖を一周し敦賀市に向かう。 |
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道の駅「河野」で泊まる。 若狭湾や越前海岸を一望する高台の道の駅 着いた時は、2台だったのに、数十台に なっていた。 5:20 起床し軽い散歩 手前の車が、我が愛車マツダの「プレマシー」 6:00出発する。 |
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6:50 三方五胡の有料道路の開通前であり、 時間待ちの為、5分程走ると、釣りの人で賑わう 日向灘に行く。 レインボーラインは、季節により通行時間が 変わります。 周囲3.6km 最大水深38m 面積3.45平方km この湖は、湖口が日本海につながっており、 完全な塩水湖で 魚類は海のものばかりで、クロダイ、ボラ、 イワシなど。 |
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7月18日13:00~15:00 14:12 天橋立の橋 小天橋(旋回橋) 船が来ると、水路を開放する。 宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、 全長3.6kmに 及ぶ湾口砂州とされる。 |
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14:31 海上保安官の遊覧ボート 海の事故防止と言いながら、楽しそう。 綺麗な「ねーちゃん」を見つけては、目を細めて 懇切な指導をしていた。 自己ボーシ |
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道の駅「舟屋の里 伊根」 7月19日5:11 熱い夜、窓を少し開けて、宿泊する。 でも、お金が無いので、我慢するしかないよね。 扇風機は五月蠅いので、途中で止める。 サウナ状態 旬の魚が食べられるらしい? |
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19日8:40 城崎温泉の足湯「さとの湯」 大根が4本 城崎温泉駅を出てすぐのところにある外湯が 「さとの湯」。 この「さとの湯」の前に足湯があります。 足湯は10人程度が並んで入ることが出来、 湯船の傍には かえるの置物があり、このかえるの口から お湯が出ています。 |
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7月19日10:41 餘部の鉄橋が解体工事中だった。 この記念すべき日に通りかかった。 コンクリートの橋に変わるそうだ。 1912年(明治45年)3月1日に開通し、2010年 (平成22年)7月16日夜に運用を終了した。 2代目の現橋梁はエクストラドーズドPC橋で、 2007年3月からの架け替え工事を経て、2010年 8月12日に供用が始まった |
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19日11:15~11:50 加藤文太郎記念図書館 浜坂町 偉大なる登山家で、図書館は、山をイメージして 何時までも、後世に語りつがれるだろう。 2階には、加藤文太郎の遺品や資料を展示し、 山に関する図書を所蔵しています。 |
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槍ヶ岳と北鎌尾根 加藤氏の厳格そうな一面が出ている。 凛々しい姿ですね。 美方郡浜坂町(現在の新温泉町)浜坂にて、 加藤岩太郎・よねの四男として生を受ける。 |
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加藤文太郎氏の愛用の飯盒 自衛隊も平成元年頃まで使用していた形だろうか。 当時の登山は、戦後にブームになった大衆的な 登山とは異なり、装備や山行自体に多額の投資が 必要であり、猟師などの山岳ガイドを雇って行く、 高級なスポーツとされていた。 その中で、加藤文太郎は、ありあわせの服装をし、 高価な登山靴も持たなかったため、地下足袋を 履いて山に登る異色の存在であった。単独行で あることと、地下足袋を履いていることが、彼の トレードマークとなった。 |
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単独登山の証として、数多くの写真を残した そうだ。 その当時の登山者では珍しいそうだが、重たい カメラを担いで、単独で冬山を登る体力、気力は 凄いものがある。 複数の同行者が協力し、パーティーを作って 登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、 単独行によって数々の登攀記録を残した。 今日の装具から見ると、劣悪な装備で頑張っ たのでしょう。 |
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19日12:12 浜坂から鳥取市にかけての、山陰海岸 青松白砂です。 都会の裕福な方々にお願いです。 綺麗な海岸を堪能し、お金を落として ゴミを落とさないで下さい。 |