私が初めて中央の岩壁を登ったのが剣岳のDフェースである。
7月24日 剣沢のキャンプ場にB・Cを設営する。その日の午後、全員で八つ峰Y峰の偵察に出かける。
山陰の片田舎から出てきた私は、剣沢の長大な雪渓に驚きながらも、リーダー黒氏の注意事項に着実に歩くことにする。
休憩のとき、リーダに教わった源次郎の雪渓と壁を見上げながら、いつかは登ることが出来るのかと思いを抱きつつ眺める。長次郎の出合いまで前進する。
長次郎の雪渓を見上げると、天まで続いている。
この急峻な雪渓をアイゼンを着けないで登り下りするのかと驚く。スプーン・カット状の雪渓を登るが、滑らないようにすると、足に力が入らなく不安定になってくる。黒氏のステップ・キックを利かせろ、指示が飛ぶ。
雪渓の上部に広くなったところに来た。
大きな露岩が現れる。熊の岩である。てんでに岩の上に登り、黒氏の指先を目で追い、A・B・C・Dの各岩壁を一生懸命記憶する。Dフェースの取付はどこかと岩壁とルート図と確認するが見いだせないと焦る頃に、黒氏や小藤の説明で何とか理解する。
25日朝 剣の岩峰郡がモルゲンに輝く頃 昨日の残りを使って朝食を準備しながら、他の連中が起床する前に剣岳の写真を取る。
各人が登攀道具と昼食をザックに着けると剣沢を下る。時には、グリセードで飛ばしながら長次郎の出合いまで前進する。
昨日の偵察時より長次郎の雪渓の傾斜が緩く見える。昨日 偵察した熊の岩まで適宜前進する。
今日これから登るDフェースは、八ツ峰第六峰の長次郎雪渓側に、A、B、C、D、Eとアルファベットの名称を付けられた五つの岩壁のうちの一つである。
JCCの古川純一氏によると、この八ツ峰の岩壁群は、日本アルピニズムの初期からの対象とされた。
この岩壁群の中のCフェースは1928年昭和3年の8月28日に旧RCCの水野祥太郎、中村勝郎両氏パーティによって登られている。
その後の記録は戦後であるが、このCフェースのリッジ・ルートは剣稜会が、Aフェースは魚津高校が、Eフェースは剣稜会が、それぞれ初登攀していた。Dフェースのみが未登の岩壁として長次郎谷に君臨していた。
それはなぜだろうか。この岩壁は悪さをもって誇っていたからにほかならない。オーバーハングやスラブが見上げるクライマーを威圧して挑戦を許さなかったのだ。
Y峰の登攀は、黒氏組(伊)と小藤組(角・私)に分かれる。
雪渓を横断し、Dフェースの取り付きが判らないと、ちゅうちょしている私を後目に角、小藤の姿が雪渓の割れ目に消えた。
岩壁との雪渓の隙間に出来た大きなシュルンドの中に消えた。
私は、二人の後を追い飛び込んだ。シュルンドの中に出来た空間は広く、そして深いのに吃驚する。
どんどんと雪の中に下がっていくと、青空は頭の上10m以上あるように思え、進むにつれついに見えなくなった。
シュルンドの奥まで進み、岩が崩れている近くまで詰めると、壁の中に赤いピンがあり上部に小さなスタンスが続いている。上部にハーケンが続いているのが見える。
小藤はザイルの先端を自分の身体にセットすると静かにスターとしていった。私は急いで確保の態勢に入る。
小藤は小さな手がかり、スタンスを探しながら最初のピッチのためか慎重にザイルを伸ばし、雪渓の隙間から上部岩壁に消えていった。ザイルが延びきる直前にザイルが止まり、警笛の音が響く、鋭く「ピッ」そして長く「ピー」
セカンドの私の登るときがきた。
小藤のスタンスとホールドを追っかけて登る、岩は摩擦がすごく快適な登攀である。
10m程登るとシュルンドから太陽のあたる雪渓の上に出る。
ザイルがぐんぐん回収される。凹からフェース状に変わり小藤の待つテラスに到達する。ラストの角の上がってくるのを確保する。3人が立つことが出来た。
次のピッチを角が受け持つ。テラスから5mほど登ると小さなハングをホールドで乗り越すと、2人位しか立てないテラスである。
小藤が登って来ると3人でテラスに立てないために、角の確保で私が10mほどの上部にあるテラスまでW級のルートをトップで登る。この短いピッチを登らせてくれた仲間に感謝しつつ、角と小藤を確保する。
テラス状態のバンドから、我々の攀じる久留米大ルートの先行者がぐずついている。
小藤は、ビレイ点から直上する困難なルートから先行者を抜いてしまおうと登る。
このピッチは昭和44年8月に黒氏と佐古(鳥大生)が開いたピッチである。
最後のハングは、上部岩壁に一連の障害となっている。右側を小藤が乗越していく。完全に先行者の頭を抑えてしまった。
次に続く私は急いで登ることに集中し、小藤の確保のもとにハングをフリーで乗り越す。高度感は素晴らしい。
最後の2ピッチは、スラブ状になり所々にハイマツが見える。
VからU級のピッチを二人の友情で先に登らせてもらい、傾斜が緩くなってきた所にDフェースの頭があり終了する。
Dフェースが終了すると私は、小藤と組んでCフェース剣稜会ルートを登攀する。終始私をトップに立ててくれて感謝する。岩は快適で高度差も180m程度と手ごろで、傾斜もある程度あり上部に登るにつれ、リッジの登攀は快適である。
Dフェースを登った後では遊び感覚となった。だが、楽しい岩登りとはこういう登攀かも知れない。岩登りが出来なくなってきてから登るのには、最適かも知れない。何時かまた登りたいものだ。
今日の登攀は、高度感があり傾斜の急な岩壁であり、アルプス的な氷河(雪渓)の中の快適な岩場の快適な登攀は、先輩二人の確保とアドバイスで素晴らしい青春の思い出になった。
長次郎の雪渓を、グリュセィードで花をくわえて下る。
登攀後はテント・サイドまでのつらい登りが待っている。剣沢の大きな登りは、一日のアルバイトの終末にしては過酷すぎる。
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