四国 剣山から三嶺・天狗峠まで縦走(2009年4月)

  四国の名山を、3名の若者に出会いそして親切に教えて頂き また 支援を頂き感謝しています。

西日本第二の高峰剣山から静寂の三嶺を経て天狗塚を結ぶ縦走を計画・実行した。最後の目的地、「天狗塚」は脚力の限界で立つことが出来なかった。
長大な縦走路は、樹林帯が少なく、大展望を楽しめる快適なコースである。一部ブッシュの中を通過しわかりにくい所もあるがするが、大半を占めるシコクザサは50センチ以下で、なだらかな斜面に広がりその景観は魅力の一つである。
6・7月はコメツツジの開花、10・11月は紅葉。特に稜線のコメツツジの紅葉は美しいという。
危険と思われる箇所は、三嶺の登りにあるクサリ場だけで比較的危険度は少ない。避難小屋も3・4時間前後にあり、有効に活用すると軽量化が図れる。
水場は比較的良好である。見ノ越、西島駅、御神水、頂上ヒュッテ、次郎笈、白髪、三嶺、オカメにあるが細部の位置等の情報は手してほしい。高ノ瀬の岩屋の水場は豊富だが道が無い。
4月11日(土)
自宅から車で移動を開始する。高速道が千円という恩恵を受け、広島から瀬戸大橋を経由して徳島道の井川池田でインターを出た。合計2千円である。池田の町で必要な食料を買い足した。
国道32号線の祖谷口から県道32に入る。別名「祖谷街道は」絶壁の中の道路は狭く、カーブの連続である。途中かずら橋を見学し、京上トンネルから国道(酷道)439に成っても狭い道は変わらない。
久保集落にある三嶺タクシーに立ち寄り、名頃へ下山の予定を西山林道登山口に変更したことを説明し、登山口まで車を上げる。
登山口から見ノ越までタクシーで移動する。舗装されていない山岳道路は急カーブの連続である。大塚製薬の山荘を過ぎると、駐車場の上にある民宿松浦(標高1390m)に着く。

   
 

4月12日(日)
5時に目覚ましをかけたが、起きたのは20分後であった。
民宿の前の剣神社の階段が登山口である。社殿(1410m)の前から遠く三嶺が見える。
6時に社殿前を右手に進み、境内の外れからブナ林の中を進む。1450mの祖霊堂神社の建物が稜線上にあり、ゆったりとした道を進んでいた時、鹿が現れリフトのほうに逃げていった。熊に注意の看板があり、またニホンカモシカも生息しているという。
登山リフト下のトンネル(1490m)を潜ると道標がある。右は大回りで、右手は剣山への近道である。左の道に進みジグザグに登ると左手にリフトが見える地点(1600m)を通過する。笹原の道を登ると西島神社(祠)がゴツゴツした岩の中にある。お参りを済ませ、登山道に帰り2分程で明るい西島のキャンプ場の下(1680m)に出た。左手上にリフトの施設や、剣山のヒュッテが遠くに見える。
剣山頂上ヒュッテは1955年に新居熊太(65歳の時)が開いた。登山用リフトは1970年8月に出来た。
キャンプ場の脇を登るとリフトの終点西島駅に着いた。トイレや売店がある。時間(時期)が早いのか閉店中だった。西島から剣山へ向かう。道は二手に分かれ、鳥居の右手は大剣神社の下を通過し、次郎笈へのトラバース道(大剣神社にも行ける)。俺は、鳥居をくぐり大剣神社に向かう。鳥居の直ぐ上に刀掛けへの道が左手分かれる。5分程歩いた直角に折れる登山道に残雪が100m位残っていた。1800mの標識をに通過するとゴツゴツした岩が前方に見え、大剣神社の前に出た。
大剣神社の背後にあるゴツゴツした石灰岩が御神体の御塔石(大剣岩)である。
ペットボトルを持ち、神社から90m下の名水百選剣山御神水(おしきみず。昭和60年4月15日環境庁認定)を汲みに下る。
御神水は、「屋島の合戦に敗れた平家の一族が安徳帝を擁してこの地に逃れ平家再興祈願のため剣神社へ帝の紐剣と共にこの水で?いだお髪を奉納されたといわれ、この水は剣神社の御神体である御塔石の根本より湧き出ており昔より神の水として崇められた。石灰岩質でありミネラル分に富んでおり長時間腐らず病気を治す若がえりの水としても知られている。(東祖谷山村)」とあった。
2リットルを汲み神社に帰る。ザックを担ぎ山頂ヒュッテに向かう。笹原の中にある登山道は雪に埋もれ歩きにくい。
雲海荘前を通過して頂上ヒュッテと宝蔵石神社の前に出る。登山者が2名とヒュッテの方が山の話をしている。今年の4月2日は吹雪で新雪が積もったという。小屋は11月23日頃閉め、正月に一度開くそうである。初日の出などで沢山の宿泊があるという。
ヒュッテの前のベンチで朝食を摂る。
ヒュッテと神社の間の階段を上ると、2分程で笹原の頂上台地(平家の馬場)で旧測候所(2001年3月に閉鎖)の建物が残っている。シコクザサの中の木道を歩くと山頂である。1等三角点は石積みで標柱と土台が支えられ、木道から離れていて触れることが出来なかった。頂上台地は広大で周囲の山々を眺めるにはちょっと難がある。
剣山は太郎笈と呼ばれ、南西に剣山と変わらない高さと大きさの立派な山容を横たえているのが次郎笈である。両山が仲良く並ぶ姿は兄弟の様である。
次郎笈に向かい出発する。頂上台地の端に来て、眺める次郎笈は優美な山容が印象的だ。次郎笈に向かうと西島からの巻き道と合流し、緩やか稜線を歩くと次郎笈峠(9:38)だ。次郎笈の北側の巻き道を前進する。途中にある水場は徳島50選の水場だが、水が流れていなかった。(白髪の小屋で一緒になった登山者が、私の後を通過したときに、青いパイプを動かしたら黒い水が流れ直ぐに綺麗な水に変わったそうだ。)徳島県内の最高所にある水場で、祖谷川の支流深谷の源だ。
次郎笈の西側の合流点で、ザックをデポして、空身で次郎笈を往復する。山頂は吊り尾根で三つの頂からなっている。真ん中の三角点(1929m)に到達する。次郎笈の山頂は剣山に比べると狭いが展望と高度感がこの山の持ち味だという。デポ地に帰り、1767mの稜線まではブッシュから笹尾根の緩やかな稜線。1767mからは急な下り坂になり、180m位下って行くと広い鞍部に着く。鞍部からスーパー林道に20分ほどで下ることが出来る。
50m程登ると笹原の斜面を進み、だらだらした登りで丸石のピーク(1683.8m)に立った。山頂には一人の若者がいて、剣山から丸石への往復に来たという。三角点から南側の踏み跡を樹林帯の中に入っていく。100m程で西側に折れる。
鹿が針葉樹の皮を食べ、立ち枯れが目立つ。食害を防ぐには鹿の淘汰も考える必要があろう。木の周りに網が廻らされているが、全ての木に廻すことも出来ないだろう。
丸山からは緩やかに下って行くと、二重山稜を三箇所ほど数えると丸石避難小屋が見えてきた。
丸石避難小屋で昼食。小屋の入り口は二重戸で、2m四方の土間があり板場に10数名が泊まれそうである。しかし水場が無い。
小屋から西に50m程進むと、奥祖谷のかずら橋に下る分岐である。
緩やかに藪の中を緩やかに登ると1604mのピークを越え、高ノ瀬避難小屋に着くが、屋根が無く板場も無い。完全な廃屋であるが冬の風除けには使えるだろう。
廃屋を過ぎると次第に踏み跡が無くなり、テープを目印に苔むした岩の上を進んでいく。
登りが急になると稜線への道と左山腹の巻き道ルートがあったそうだ。
倒された道標には丸石2.5k高ノ瀬に250mとある。脚力の弱い私にはつらい登りだった。
登りの途中で同年輩の単独行者が追いつかれた。次郎笈で会った人だった。3人が白髪の小屋を目指していると聞いた。伊勢ノ岩屋の近くにある水場の道を尋ねたが、「道は無い。水がほしいのか」と心配された。「まだ1リットル以上は持っている」と答えると、安心した顔になり「石立山を下る」と言って追い越していった。
高ノ瀬(1740.8m)の山頂に立ち、緩やかに下っていくと、また倒れた道標に「高ノ瀬250m 水場あり」との表示があるが、水場に行く踏み跡が見つからなかった。
丸山よりの分岐からまもなく行者が籠もった伊勢の岩屋とよばれる大きな岩があり、その下に水場があるが、この巻き道は今は通過する人がなく、笹がかぶり、南側に傾斜しているため歩きにくかったそうだ。だが、行者さんが籠もった岩屋は見たかった。出来たら泊まってみたい。
石立山分岐に到着。分岐を過ぎると広い笹原の踏み跡になり進んで行った。1732mのピークはあたりは、踏み跡がはっきりしない。後方に人の話し声が聞こえ始める。
1700.8mのピーク(菅生、平和丸)を超え1692mのピークで、話し声が大きく聞こえる。なだらかな尾根を進み、ブッシュを抜け出る所で、白髪の小屋の屋根が見える。広い笹原を進み、一度深い溝状の笹原を過ぎると再び広い笹原を進むと小屋に着いた。小屋の前にある道標に蒲鉾板大の板があり水場と書かれていた。
中に入ると、丸石の小屋と同じ造りだった。ザックを降ろし、残されていた毛布を借りて寝床の準備をして、水の心配をしていると、後続の3名の登山者が到着した。
年長の男性をリーダーの「L氏」、女性は「お姫さま」、若い男性ヤングの「Y氏」とします。
L氏が「水場の場所が判りますか」と心配してくれた。L氏が「これから行きます。一緒にどうですか」と誘ってくれた。水場は小屋から西側に50m程進み、南側の谷に向かって踏み後が明瞭についている。50m程でガレた急な斜面を下ると沢の音がして右手の林側に水場があった。
急な斜面の為ナップザックがあれば便利だ。
明日の行動分を含めて5リットル担ぎ上げた。三嶺の水場を当てにしたが、水場まで結構下ると聞いて余分に準備した。夕・朝餉に1.5リットル消費し、残りを持って歩く事にした。オカメ岩の水場に立ち寄る事が出来ない程疲れた俺は、大量に持ったお陰で下山して車に乗り込んだとき、1.5リットル以上持っていた。
Y氏が「今晩はカレーライス」といって、貧しい食事の俺に同情して恵んでくれた。そして、朝は、L氏が持ち上げたミルで挽いた美味しいコーヒーを入れてくれ、ガーリックトーストも頂いた。
俺の晩飯は、カレーうどん、ぜんざい。朝食は、山菜おこわとぜんざいと乾燥物だ。
L氏が、ビールを担ぎ上げ俺にも勧めてくれた。俺は泡盛を剣山御神水で割って飲んだ。お姫さまは、モンブラン、キリマンジェロ等に登りたいと夢を語っていた。
L氏やお姫さまと、登山の話で遅くまで話し込んで迷惑をお掛けしました。きっとイビキも掻いただろう。でも、若い登山者達の夢は還暦の俺にとっては、昔の私を思い出しました。楽しかったですよ。

   
   

4月13日(月)
4時に目が覚めてしまった。寝袋を片付けて、朝食のアルファ米にお湯を入れて準備していると、ご来光が気になりカメラを持ってうろうろすると、6時出発が7時前になってしまった。
朝食を取ると小屋を後にする。昨日の水場の分岐を通過し、「ふるさと林道高知県、峰越林道へ」の標識を見ながら、ひと頑張りすると白髪山の分岐へ到着した。急な斜面を下り、小さなピークを過ぎると韮生越(にろうごえ)に到着。笹原の中を登っていくと、鹿の食害から守る資材が何箇所も荷揚げされていた。広い斜面がボロボロにされている。大きな露岩を過ぎるとカヤハゲ(東熊山)1720mに到着。ここから見上げる三嶺は急斜面で、200m以上の激しいアルバイトを要求されそう。
傾斜が緩い所でY氏に追いつかれ、先行してもらう。後に続くがドンドン離されていく。傾斜は強まり大きな露岩(岩峰)の横からクサリ場が現れる。木の階段があるが、ボロボロになっていて利用できそうに無い。ジャンダルムのような露岩の上に出ると、呼吸を整え、胸を突く急登のクサリ場が連続し、苦しい急登を進むと三嶺の山頂に立った。1893.4mの三角点に着いた。
頂上は360度さえぎるものがない展望がない素晴らしい山頂である。
三角点に触れる時は、頭の十字に触り十字を2回書き「着たよ」と唱える。これが三角点と俺の会話だ。三角点を選定し測量した人の苦労を思いつつ触れる。
Y氏が記念の写真を撮ってくれた。昨日越えてきた剣山、次郎笈の峰は遥か遠くに見える。あのピークから来たのかと思うと感慨深い。
ピークハンターが名頃から登ってきた。「剣と三嶺、赤石、石鎚、傾と九州まで連続して行く」といって、十分程で下っていった。
山頂からは400m程離れた笹原に三嶺の小屋(3〜40人位宿泊)が見えるが、山頂の一つの景色である池が見えない。西に目を転じると、縦走の最後の目標「天狗塚」が、美しい姿を見せている。剣山系の西の端にあって、芸術的ともいえる三角錐の優美な形を見せている孤高の山が天狗塚である。
三嶺の名前は、山頂部が3つの盛り上がりといわれ、広い頂上付近のうねりは、山名を実感できる。正式には「みうね」と読ませるが、独特の壮快感がある「さんれい」もいい。L氏は「さんれい」と言っていた。
カヤハゲからの斜面をL氏とお姫さまが登ってきた。
L氏から、「三嶺から天狗塚にかけて稜線上にミヤマクマザサの笹原が続き、コメツツジが自生し、6から7月に米粒ほどの白い花を咲かせ、秋は、広葉樹の紅葉が美しく、その紅葉が終わるころ、コメツツジの紅葉が始まり見事ですよ、このミヤマクマザサとコメツツジは国の天然記念物」と教えくれた。
俺は先に出発して行く。
フスベヨリ谷を下り、さおりが原への道標を通過して稜線を進む。
1754mの地点を過ぎ小さな登りになると路肩に平らな岩がある。その岩から三嶺を振り返り写真を撮る。
緩やかな稜線を登り下りつつ笹原の大タオ(1675m)で、また元気なY氏に追いつかれ、二言三言話をして先行してもらった。きれいな斜面である。
西熊山(1815.9m)の山頂でY氏が待っていた。疲れた私は青色吐息である。山頂からオカメの小屋がよく見える。休んでいるとL氏とお姫さまが登ってきた。
彼らは、オカメの小屋で昼食をとるという。俺は数十m程の斜面の上り下りが苦痛に思える。
オカメ岩に向かい斜面を下り始めて直ぐに二人に追い越される。オカメ岩の標識の所にザックを降ろす。行動食を食べていると、頑張り屋のお姫さまが降りてきた。
俺は、「天狗塚はあきらめる。下りの足がどうなるか。限界に近づいている。避難小屋にも下らない。途中で追いつかれるが、天狗峠から西山に下る」と言うと、お姫さまは「パーティだからオカメの小屋に行きます。無理をしないで」と、老人を気遣ってくれる。
おかめ岩避難小屋は稜線から100m。水場はその先100m。標識から小屋の反対方向300mにキャンプ場、水場はその先100m位の地点のようだ。
オカメ岩から八丁小屋や堂床休憩舎を経て光石に。三嶺の近くのさおりが原分岐からの道に合流する地点が、堂床休憩舎であり、放射状に色々なルートが延びている。
オカメ岩から天狗峠に向かい、気合を入れて歩き始めた。
天狗峠への道はブッシュの道で、滑りやすい所に固定ロープが2本あった。中腹で休んでいるところで、又Y氏に追い越された。「天狗塚は中止されたのですか」と言いながら走るように登って消えて行った。
昔の躄峠、25000の地図で天狗峠、山渓の地図で地蔵の頭の道標に登りつく。
山渓の地図でいう天狗峠の分岐点は峠の道標から北西に200mの地点、笹原の中を進む。左に美しい三角錐天狗塚は何時までも眺めてよい山である。右手に穏やかな稜線の先に三嶺への山並と、ユートピアの様だ。
今山行の最終地点に辿り着いた。しばし休んで最後の稜線での景観を楽しみ、写真におさめる。
追い越していったY氏のザックは天狗塚方向に100m位先にデポしてあった。
ようやく下山への気持ちが湧いてきた。西山への道標は北を指しているが、道は北東に着いている。200m程平坦な地形を進み振り返ると天狗塚はもう見えない。登山道を急激に下っていく。道は泥だらけで滑りやすい上に腿までが汚れる状態である。
ダケカンバや針葉樹の登山道を下っても下っても1476mのピークに辿り着かない。疲れた身体が足が、邪魔をしているのか、やっと進んでいる状態である。平坦な地形が現れ、小さく登り返し平坦地に古い道標の様な板がある所が1476mのピークを通過して、穏やかな尾根道となり、クマザサやダケカンバ、桧の人口樹林から振り返る見る稜線は、西熊山からオカメ岩辺りの綺麗な稜線だ。
稜線が見えた地点から5分もしないうちに、L氏とお姫さまに追い越された。天狗塚に行ったY氏に追いつかれた。彼は私をエスコートしてくれた。
鉄の階段を降り西山林道の登山口(1135m)に降り立った。西山集落に下る登山道は、鉄階段を下りた切り通しの左側にある。
愛車の隣にL氏とお姫様が笹の葉でお茶を沸かして、待っていてくれた。
還暦を過ぎた見知らぬ俺を相手にしてくれる優しい登山者が居た。やはり山の人は良い人達だ。
彼らは車の人になった。俺も愛車で久保(600m)に向かい林道を下っていく。
登山口と久保の標高差500mはある。ここに車を上げていて正解だった。三嶺タクシーさんが進めてくれなかったら、俺の脚では20時ごろに成っただろう。
祖谷の山深い民宿の玄関立ったのは18:30であったが、優しい民宿の奥様は、美味しい料理を作ってくれた。
4月14日(火)
翌日は雨の祖谷渓を下り大歩危・小歩危を廻って井川池田インターから自宅に向かった。

祖谷の谷は神秘的な地である。祖谷渓の深い谷は10キロメートルに及び、長い間外部と隔絶し、平家一族の隠田集落となり、秘境となった。

   
   

【コースタイム】
4月12日(日)
5:20起床―剣神社社殿6:00―リフト下トンネル6:15―1600m6:34―6:46西島神社(祠)6:58―西島のキャンプ場7:00―7:10リフトの終点西島駅7:30―1800m7:44―7:49大剣神社7:53―7:56剣山御神水8:01―8:06大剣神社8:12―8:30頂上ヒュッテ8:51―旧測候所8:55―9:00山頂9:05―西島からの巻き道9:24―9:36次郎笈峠9:38―次郎笈の西側9:52―10:20次郎笈山頂10:29―鞍部11:19―12:02丸石のピーク12:09―12:35丸石避難小屋13:14―かずら橋分岐13:16―13:36高ノ瀬避難小屋13:39―倒された道標(13:55)―14:36高ノ瀬―道標「高ノ瀬水場」14:46―石立山分岐15:08―1700.8m16:45―17:18白髪の小屋
4月13日(月)
起床4:00―白髪の小屋6:50―嶺越林道6:58―白髪山分岐7:09―7:39韮生越―7:58カヤハゲ(東熊山)1720m―9:38三嶺山頂10:15―さおりが原分岐10:25―大タオ11:23―12:20西熊山―12:59オカメ岩13:07―地蔵の頭14:09―14:20天狗峠14:35―1476mのピーク15:54―17:00西山林道の登山口17:25
【還暦を過ぎ、アキレス腱を切って2年半、ザックの重さ17Kgでした。】