山 の 思 い 出

この頁は、俺の山に関する思い出を綴ったものです。
昔の仲間、ゴメンナサイ。

 トレーニング
 冬が近づくと、俺たちは色々なトレーニングを実施した。
 アイゼンに手袋で岩登りのゲレンデを登った。
 スキーのゲレンデは大半がやさしい斜面で、老若男女が楽しめるように作られているが、岩のゲレンデは、極端に難しく、ここが登れれば国内の岩は全て登れるといった具合に、厳しい場面を想定し造られていた。
 俺たちの会が使用していたゲレンデは壁の高さは40m位横幅60mで、ルートは20本ほどあった。
 全体が垂直で、ハング(かぶさって)は1m以上もあった。
 スラブは傾斜があり手がかりのないツルツルの壁である。
 そんな壁で何時もトレーニングしているから、入会当初はハーケンにアブミを使用しハングを乗り切っていたが、最後にはフリーで登っていた。
 ザイルの確保はあったが、吊り上げなどはしなかった。
 当時、RCC等が日本の岩場のグレードをつけていた。
 そしてその岩場の評価(?)を目標の一部として活用していた。
 一番易しいフリーのピッチを1級とし、一番難しいピッチを5級とした。
 フリーで登れないルートが6級(A1〜A3)が最高難度として、ルート全体を捉えて4級+とか、5級−とした。
 傾斜や時間・高度感・難しさを加味して、穂高の屏風青白ハング「○○ルート6級」とした。
 難しいとされた穂高の屏風や滝谷、剣の池ノ谷や奥釣鐘等の壁を俺たち仲間は登っていった。
 そして俺たちは、ゲレンデのトレーニングが中央の大岸壁で通用することを知り、ゲレンデでのトレーニングをやった。
 アイゼンや手袋で登るとなると、アイゼンは結構岩登りに有効だった。
 8本爪のアイゼンはいけないが、「タニ(鋳造アイゼン)の10本爪」や「サレワの12本爪(小生愛用)」は、履いていて普通に岩が攀じれた。
 サレワのアイゼンは、四国在住のOGさんが俺の足型から登山靴を、そしてアイゼンを紹介してくれたのが、使用の始まりだった。
 ドイツ製のサレワのアイゼンを履いて見て思ったのは、軽く使い易いく、急斜面での安定性と、楽に蹴り込める前爪の効果に驚かされた。
 昭和43年(21歳)の秋に初めて手にして、赤土の急斜面で初めて使用した。
 それまでは8本爪のアイゼンだったため岩登りや氷壁には全く役に立たなかった。
 前爪は横で登山靴ではスタンスに使えないような数ミリの横リスに立てた。
 スラブでも小さな岩の窪みや出っ張りを利用できた。
 ところが手袋はいけません。雪の壁でもそうだが、小さなホールドがつかめません。
 滑るし大変怖い思いをしていた。
 雪の壁で微妙な時は手袋を外し攀じたが、凍傷も覚悟であった。
 そんな思いをしながら、冬山を想定しトレーニングに励みました。
 ビバークのトレーニングは、下宿の鉄の階段でやった。
 寝袋もヤッケもつけないで、オバQという頭から被る雨具一枚に夏ズボンでよく冷える鉄の階段に寝た。山陰の冬は冷たい。
 そして余計に冷たい階段は、厳冬期の山以上に冷たかった。
 厳冬期の山となると、しっかり準備し夜を迎える。
 上下の2重のヤッケ、羽毛服、セーター、オバQ、下は駱駝の股引に厚いニッカ・ボッカで、心構えも違う。
 だから下宿でやったトレーニングのほうが辛かった。