テント生活の出来事
テント火事

 ある年の冬山合宿で、交友のあった山岳会の連中と10名が、俺の所属する出雲山岳会のウィンパー型の大型冬テントで食事が終わって雑談をしていた。
 津山山の会、元MCCやら沢山の連中が集まって食事会となった。
 テントの一番奥に俺が居て両サイドに、並んで楽しく会話をしながら、夕食を食べていた。
 翌日の行動について、確認し合っていた。
 テントの中にいた人の中に見慣れない顔があったが、他の会の連中などは普通に話しているので、違和感がなかった。
 その当時の写真には、松君や須さん、杉さんも写っていた。
 俺は、一番奥で小藤さんと話しながら半分横になっていた。
 突然、目の前をが走った。
 「ドン」音がして、がテントの中を走った。 走ったように見えた。
 とっさに俺は一番手前にあった、寝袋を火の上に覆うように投げつけた。
 そして、「逃げろ」と叫ぶやと、猛然と入り口目指してウサギのごとく背を低くして飛び跳ねた。
 何かを踏んだ気がした。
 冬テンの外に出ると、一番先に出たのは、一番奥の俺と小藤さんだった。
 入り口には将棋倒しの状態で、倒れているものを、次々と起こし全員が無事に避難したのを確認した。
 冬テンの入り口は、1m程の吹流し状態で普段は、人一人がやっと出入りするのが出来る大きさである。
 一番奥の俺が一番先に逃げたのは、卑怯であろうか。
 人を押しのけ一番に逃げたのが知られるのが怖かった。
 普段から冬テンの火事が一番怖い。
 炊事の時は細心の注意が必要と、リーダから聞き、ナイフを使うときはどこを切れ、真ん中を切ると使用できなくなる。 等の話しは聞いていた。
 だがナイフはポケットに入っていて、思いも及ばなかった。
 時間がたち、冷静になると、
 「頬が熱い」  「まつげが無い」  「焦げ臭い」   と被害者が出てきた。
 その被害者二人を市さんが米子の病院まで連れて降りて行った。
 KOBA・OKUだったか。
 顔に火傷したようだった。
 その他に眉毛や、髪が焼けた者など数名の被害が出た。
 米子に降りた人は、軽症と診断され元気に帰ってきた。
 テントの状況を確認する時が来た。
 冬テンの中に入ってみると、ガソリンの匂いが充満している。
 被害は無いように見受けられた。
 食事が終わった状態なので鍋や食器が散乱していたが、普通の状態に戻し就寝出来るように片付けをはじめた。
 ふと思い出し、 「俺、誰かの寝袋か羽毛服を投げたような気がした」 と白状した。
 吉が 「そういえば、テントの中に羽毛が飛んでいる」 叫んだ。
 誰の羽毛かと探していると、青い新品の寝袋が20センチ位焼け焦げていた。
 それを見た吉が また叫んだ。
 「俺のだ、合宿前に買ったばかりのまだ寝ていないやつだ」。
 誰かが、「吉さんの寝袋が、犠牲になって、助かったんだ」 と、吉さんに話しかけてくれた。
 テントの中がガソリン臭く、中に入れないので、小雪が舞っている冬空の下で反省会が始まった。
 「暖房用のガソリンコンロが消えたんで、再点火しようとライターを使った瞬間にボンと爆発した」
 「不完全燃焼のガスが溜まっていて、換気をしないままに点火したら、それに火がついた」
 と、原因が分かった。
 「俺がコンロの上に寝袋を投げた」
 「逃げようとすると、押し倒された」
 「踏まれて、誰かが上を走りすぎた」
 「痛かった」
 「何がなんだか分からなかった」等の話しが出たが、
 俺は絶対に 「一番入り口の私が一番最後に逃げた」 とは、言わなかった
 夜も遅くなり、テントの中に入らなければならなくなった。
 ガソリン臭いため、宿泊が困難と判断し、知り合いのテントに分散宿泊した。
 俺は、出雲山岳会の倉庫兼炊事場として使用していた、夏山用テントに宿泊した。
 寒さと眠気の戦いの中、なんとか一夜が明けた。

 その後、俺は「冬用テント」の事を、何にも考えないでいた。
 そして、数十年たって、初めてあの「冬用テント」大型のウインパーがどうなったか。と、疑問がわいてきた。
 先輩たちが、いつか北アルプスで、ヒマラヤで使う目的で購入したテントが、何時から姿を消したのか。
 そして、思い出した。
 あの「テント火事」が、原因ではないだろうか。
 テントが使用出来ない程のダメージを与えたのではないのか。
 現場には、KUROとTUNOの姿が無かったのでは、無かったように思う。
 ということは、出雲山岳会の中でテントの中にいたのは、杉と二人だけだったのか。
 そうすると俺があの時、会の代表者だったのでは。
 俺の不注意で、指導しなかったのが。
 色々と、思い出した 昨今です。