谷川岳から芝倉沢下降 (1971.5)

  私は、71年5月上旬から7月中旬まで千葉県松戸市に勤務先の教育施設の寮にいた。
 寮から土曜日になると登山道具を肩に、たった一人で上野駅に向かった。
 土曜日の上野駅は、上野発の夜行列車に乗るため駅のホームは沢山の人達で溢れている。上越の山々に向かうホームに私も並ぶ。
 夜行列車に乗り込むと椅子に座れるもの、床に座るもの、ザックの上に座る者等、明日の登山のため睡眠をとろうとするが眠れない人達で一杯となり、列車は走る。
  夜の明けていない土合駅に到着すると、列車から沢山の人が降りていく。地下のホームから改札口に向かう。ホームまでの階段トンネルは登山者とザックで溢れザックだけが、ユッサユッサと登っていくようだ。
 ある本に、この階段を休まず人々を追い越していくのなら、登山が可能という変な説明があったが、その時、この話は本当だと、納得していた。
  駅を出ると湯桧曽川に沿って登っていく、土合橋の上に登山者の鎮魂碑がある。谷川岳でなくなった500名余りの登山者名が記されていた。一つの山での遭難者・死者は世界一であり「魔の山」として恐れられている。
 魔の山は、豪雪・悪天候・急激な天候変化等が主な理由であると共に、一ノ倉沢等の岩場、山が低いことから、日帰り登山・夜行利用・東京に近い等から簡単に登っている点と、単にゲレンデと見ていた者等であろう。
  鎮魂碑を過ぎ、天神平スキー場のロープウェイ駅前を登り登山指導センターにて、小休止。登山届けを出し、飯ごう型の食器にアルファー米(炊飯した米を真空状態で水分を取り除いた米。)と水を入れると昼食の準備が完了する。
 アタックザックを肩に指導センターをでて林道を進むと、左手の樹林帯に西黒尾根の登山道が付けられている。樹林帯の中を一列に並んで登山者の群の中を進んでいく。マチガ沢から登って来る巖剛新道の分岐点までくると、樹林帯を出て稜線らしくなってくる。
  ナイフリッジの稜線、ラクダノコル・ザンゲ岩を過ぎると雪の稜線になり雪壁状の部分が出てきた。アイゼンを着け、ピッケルを握りしめ前進する。右側のマチガ沢と左側の西黒沢には、残雪が豊富にある。稜線歩きを楽しく、スリリングにしている。
  急な雪の尾根から雪壁状態になり、アイゼンとピッケルでジグザグに登り切ると谷川岳の肩に出た。
 肩の小屋を覗いてみると満員であり、そのまま谷川岳に向かう。トマの耳(1963.2m谷川岳山頂)に到着し、マチガ沢に注意しながら雪の稜線をオキの耳そして一ノ倉沢岸壁側に注意しつつノゾキに向かう。
 稜線を歩き、振り返ると、トマの耳オキの耳方向を見ると完全な雪山である。
 ノゾキで一ノ倉の大岩壁を見ると、急峻で壁の一部に雪が着いているだけであるが登山者の姿は見えなかった。
 滝沢スラブの全てと烏帽子岩等が見え素晴らしい天候である。滝沢下部の大きなクレバスを見ると、芝倉沢の下降が心配となる。  一ノ倉沢を右に見ながらヤセ尾根を進むと急な尾根を登り一ノ倉沢岳(1974.2m)の避難小屋に着く。小屋は屋根の一部を見せるだけであった。 先に到着した登山者の中にスキーを担ぎ上げた連中がいた。
 それらのグループは楽しく昼食を採っている。小さな尾根上で昼食にする。寂しいかな単独登山者の私は、わびしい食事である。
  指導センターで準備したアルファー米が私の食事である。水分を含み食べれる状態には成っているが、とても美味しい物ではなかった。次からは味付けと、暖めることにする。しかし、時間的余裕のない時には、背負って歩いているうちに食べられるようになる点は有利である。
 一ノ倉岳から北に延びる堅炭尾根と、茂倉岳との間に広がるカールの様に大きく開けた芝倉沢を下る準備する。上部から見えるゴルジェ風の岩場の地点が心配である。
 クレバス状態になっているのか雪崩のため完全にふさがっているのか。尾根からの斜面を見ると雪崩のため完全にふさがっているように見える。積雪量からして大丈夫だろうと下ることにする。
  明るく広い斜面をどんどん下っていくと、一ノ倉岳からの山スキーの一行がゴルジェの上部で追いつき、怪訝な顔で追い越していく。スキーヤーの滑った跡を歩こうと下る。ゴルジェは、上部では心配したが、急な斜面となっているがゴルジェを下ることが出来た。
  先行したスキーヤーの跡を歩いていくと、湯桧曽川上部の林道に出ると、アイゼンを取る。
 林道は、所々デブリに覆われてはいるが、大半はアスファルトが出ており快適に歩ける。
 堅炭尾根の針峰群は林道から見ると素晴らしい。逆光であり写真は黒いシルエットのみである。幽ノ沢の岩壁群を見ながら下っていく。
  一ノ倉沢まで下ると午前中通過した稜線がなつかしく見える。
  一ノ倉沢に付いてみると、登山者の遺体が発見されて、検視であろうか沢山の人達が詰めかけていた。冬季に遭難した人らしい。
 衝立岩、滝沢等の岩壁が登ってこいと誘っている。自分の技術では、登攀可能であるが、現在出雲の仲間と離れ単独で東京周辺にいるための、登ることが出来ない。
  島大の卒業生早川氏が東京に就職しているらしいが、大山や知谷ゲレンデでの面識があってもザイルを結んだことがない。連絡先もわからず、単独のまま周辺の山々を歩くだけの2ヶ月半になってしまうだろう。
  指導センターに帰り着くと、土合駅に向かいただ下るだけである。
 東京に向かう列車のホームは、地上にあり朝の雑踏からは考えられない静かなホームであった。