新人の剣岳(1970)

 7月24日北アルプス剣岳(2998m)の剣沢にベース・キャンプを設営すると翌日から仲間達の各岩壁に対する挑戦が始まった。
 ある者は源次郎の岩壁に、ある者は八ツ峰の岩場に向かった。
 今朝は、仲間全員でチンネの岩場に向かう。
 私は朝の冷気に起こされ、テントから抜け出した。
 テント場の朝は剣岳の山頂から始まっている。モルゲンロートに頂が染まり始めると駆け足のように降りてくる。
 別山尾根の中腹にあるテントには太陽の恩恵はまだ受けられそうにない。
 ウインド・ヤッケを着込み、一番若い私は、いつものように昨夜の残り物をベースに誰も食べてくれないオジヤを作りながら、泣いている。
 たった一人でインスタントコーヒーを作り、涙を拭って自分を励まし剣の頂を見つめる。
 剣岳から降りてくる朝の光の作り出す荘厳なセレモニーを楽しむ。
 この素晴らしい出来事を感じるわけでなく、先輩たちは寝込んでいる。
 テントに陽があたると仲間は迷惑そうに起き出してくる。
 私のオジヤを無視し、コック長の角は登攀具の準備をしている。
 冬眠から目覚めた熊のごとくリーダーの叔父さんがねぐらから出てきた。
 叔父さんのリーダーはいつも準備が出来た頃起き出してくる。
 先輩に食べてもらえなかったオジヤを一人で食べる。
 叔父さんを先頭に、テント場から仲間たちは三々五々出発し、剣沢から長次郎の雪渓に入り、熊の岩を目指して登った。
 先日は熊の岩から八峰の各岩場を偵察し、D・Cの岩場を登った。
 今日はチンネの登攀であり、そこを通過して池ノ谷乗越に向かうと雪渓の傾斜が急激に増し、ピッケルを突き刺しのけぞるような斜面を登っていった。
 乗越から暗くてジメジメしている池ノ谷を下り、数百メートル下ったところから突然太陽が燦々と輝く三の窓に飛び出た。
 三の窓は、チンネの大岸壁と小窓王ののしかかるような、二つの岩壁に挟まれた、剣岳の主稜線上のコルで豊かな雪渓が広がり、朝の太陽がチンネの壁に当たり、雪渓の反射とで暖かくまぶしい。
 三の窓の周辺の壁の立派さは、スケールの大きさにあるのではないという人がいる。
 スケールからいうと穂高の屏風岩や谷川岳の衝立岩の方が大きいだろう。
 この岩場は下界的な岩場でなく、頂稜につながる岩壁としてチンネは立派な姿勢を保っている。
 チンネの魅力ある岩壁は、傾斜度平均60度以上、高距200m〜250mといったスケールで、硬い花崗片麻岩によって構成されている。
 取り付きを求めて岩壁の下を移動する。
 上部の大岩壁には登攀者の声が明るく行き交っている。
 今日の登攀は長く楽しい一日を約束している。
 始めて登った剣岳は色々なものを与えてくれた。

 入山の日に、剣御前の小屋の前で始めての剣を凝視する私に、小藤が教えてくれた。
 剣沢を登ってくるのは、日本山岳会の重鎮・槇氏とエベレスト登頂者のヒラリー卿夫妻達であるという。

   
      ヒラリー卿の剣岳の登頂
 昭和四十五年七月、日本山岳会のメンバーと立山と剣岳に登った。
 立山に登ったエドモンド・ヒラリー卿(ニュージーランド)は、雄山頂上の峰本社の前で深々と祈りをささげた後「この山には確かに神がいらっしゃる」と語った。
 かつて全国から参詣者を集めた立山の山岳信仰の場としての長い歴史が、エベレスト登頂に初めて成功(昭和二十八年)した世界的に有名な登山家の心を揺り動かしたのだろう。
 ヒラリー卿は、平成三年にも立山を訪れている。
 雄大な自然と開山千三百年の歴史を持つ立山は、文化、宗教的にも魅力を秘める。












 




 俺達の仲間は、エベレストやアルプスの、本の中でしか知らない人たちに会った。
 こっそりとヒラリー卿をバックに写真を取り合う小心な私たちであった。
 剣が見えるキャンプ場に今回の登山のベースとなるテント設営する。
 初めて見る剣岳は大きく、急な斜面を見せ登る者を威嚇するがごとく威張って見える。
 対面する山や壁が大きく見えたり、目的地まで遠く見えるときは、精神面での山に対する負い目であるという。