私は出雲にあるスポーツ店の持氏(現スポーツ社長)に紹介され、ある山岳会の門をくぐった。
その会の現役の中心人物を照会され一人で会いに行った。
会う前は、色々な岩場を登っており、経験豊富な人で闘志の固まりと聞いていたので、大柄な熊のような人を想像していた。
指示された時間・場所に出かけ、田舎の道を歩いて行くと、前方から小柄な人が自転車に乗ってザイルを担いでいた。
その時の感想は、「黒氏」は、叔父さんといった感じであった。
(現在はある会社の重役である。)
黒氏は、「今週の土曜日の夜に、寝袋や登山用具を持って出雲市の外れにある知谷橋に来い。」と、言い残すとそのまま行ってしまった。
夜の知谷橋と登山の因果関係が判らず、またそこで何があるのか知らないままに出掛けた。
知谷橋に到着すると数人の人が居たが黒氏の姿がない。
その近くにいた人に訪ねると橋の方向を指差された。
言われたとおりに橋の下に降りていった。
橋の下に数人の若者と「乞食さん」がいて、数人の若者を前に自分の人生哲学を講義している。
話は飛び生活の場面にうつった。
冬になるとここは寒いから大田市の洞窟に移動する。
一日の食事代は、竹の箒を1本作成・販売すると食べられるから止められん。
お前たちも俺の跡を継げ、お前達の大好きなアウトドアが毎日出来るし、素晴らしい世界が待っていると指導している。
社会人2年目の俺は、そのとおりですね。と返事をするしかない。
でも何か変だぞ。酒の影響で頭がおかしくなってきた、大変な所に来たと反省したが、成り行きで騒いでいる連中の輪に入った。
夜遅くになっても、黒氏の姿が見えないから探していると、黒氏は河原で焚き火を囲み数名の人と話し合っている。
その人達は松江CCの人達でその中心人物は「M氏」である。
松江CCは山陰の孤島「隠岐島」のマテンレイの絶壁を登攀しその報告会を開いて入る最中であった。
マテンレイは、二百米の脆い絶壁であり大変な登攀であったらしい。聞く話は、みな摩訶不思議な言葉ばかりであった。
翌朝、知谷橋近くの岩場で岩登りの訓練が始まった。
壁の下部でトラバースをやらされた。1m位の所を右に左に移動するが、ホールド、スタンスを探しながら行き詰まると、指導の声がかかった。
あとで知ったのが、会の先輩(同い年)の角氏であった。
私は、昼過ぎにトンネルを利用したゲレンデに連れたいかれた。
トンネルの内壁登攀をやらされ、見事に墜落して空中にぶら下がったままであった。
惨めなもので牛肉のぶら下がりなら良いが、豚肉である。
その日のトレーニングは、岩場の一番下で水平移動を徹底してやらされ一日の訓練が終わった。
次のトレーニング日は日曜日、一週間後である。
次の日曜日知谷橋のゲレンデに私の姿があった。
四十米の岩壁のやさしいルートを数本登らしてもらいその日の訓練は終わった。
その時黒氏に指示された事は、
「ニンニクを生で食べられること。」と
「酒が飲めて岩が登れること。」の二点であった。
ニンニクは血行を良くするため、凍傷にならないための予防に最適であると説明があったため、下宿でラーメンの中にいれたり、油で揚げる。火で炙る等の調理で食べる訓練をした。
特に「酒」については、特に厳しい訓練を命じら、少し飲めるようになった。
後に知ったが、これは黒氏の趣向に付き合わせるための、個人的な「虐め」に近い「暖かい」指導でであったと現在思っている。
こうして私は、知谷橋で過ごす日々が始まり多くの指導を「黒氏」から受け、沢山の岳友と知り合う事ができた。色々な岩壁を登った。
上の写真は、タイヤを10m程落下させての、確保の訓練
中は、ゲレンデ
下の写真は、アイゼン、手袋を装着しての登攀
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