高知県の地名と文化・伝統

京の都に中央集権体制が築かれている頃、京から遠く離れた豊後水道に一つの集団があった。
瀬戸内海と太平洋の潮流が渦巻く豊後水道の海峡を押さえ、激流を利用するように海賊の根拠地があった。その島は、愛媛県宇和島市の沖合にある、日振島である。
「平の将門」が関東武者を集めて中央を悩ませる頃、瀬戸内では「藤原の純友」が海賊衆を集めて往来する船団から通行税を徴収し、西国を荒らし回った。
通行税の見返りに航海の水先案内を務めた。この海賊衆は後日朝鮮半島から中国の沿岸部にかけて荒らし回る「倭冦」の祖先であり村上水軍、塩飽水軍の祖先である。
承平2年(932年)高知県高岡郡日高村日下の士豪別府氏が藤原の純友に味方し、天慶3年(940年)12月19日高知県幡多郡に侵入し、放火・略奪をする。
4年(941年)には純友の妻が幡多郡松尾坂で死去し、妻の父栗山将監(定阿)が捕らえられたという。承平・天慶の乱は古代社会の中で、武士を中心とする中世的な社会が地方に発展してくる機縁となった画期的な事変であった。純友は日振島が終焉の地となったが、日振島は本拠地として確固たる島であった。
私の友人の婚約者が高知県出身の姫君である。
突然「高知県の伝統・文化について」という話があった。その藤原の純友を頂点とする「海賊の頭」が集まっては伸び伸びとする地があったという。
今風にいえばリゾート地又は国民休暇村ということであろうか。突然の紹介にとまどいながら話を聞いていくに、なるほどと頷いてしまった。
海賊の本拠地日振島から南に40Km下った所というから離れすぎだと思うが、その友人曰く、引き潮で半日、満ち潮でも1日とかからないという。瀬戸内から流れる引き潮が豊後水道の一番狭い佐田半島にて加速され、広がる地点に島があり、その潮に乗ると半日、太平洋からの満ち潮に遮られても、半島に打ち当たった潮が反転する海流に乗っても1日と掛からないという。
高知県の西端に幡多郡大月町頭集という地区があり、その頭集が海賊の休暇村であったという。その地名を聞いて、山賊の頭、海賊の頭が集う、恐ろしい地名であると思い浮かべながら、その当時の状況はいか程であったろうかと思う。頭集は「かしらつどい」という。
戦国時代まで住民は農耕に漁業にと、その日暮らしをしていたが、家の中には鎧を置き、農耕に出かける田・畑の畦には槍や刀を立て、ゲリラとなり正規軍となり領主の命に服していた。純友の時代もそうであり周辺警護とその地の防衛に当たっていたのである。
海賊どもは、国際社会的団体生活超不適格者の集団で言語道断的行動を正当化し、その地の歴史・文化を超越した独自の言語・動作をもち、その方言が高知・土佐の主流となり現在に至っているとその姫君はいう。
 おおよそ土佐のイゴッソウは、威勢が良く「クヨクヨ・ナヨナヨ的触るともうダメと倒れかかる平均的日本人的」とかけ離れ、言動はハッキリとし、武士的風貌といった感じがする。
 窪川の友人「吉田オンチャ」が歌う、「おいらの舟は300t」は、歌の内容イコール土佐人と言って過言でない。魚屋的、寿司職人的言動イコールである。
 イゴッソウの寿司屋で一杯やり、気分が高揚した後で、オカマの寿司屋に入ってしまったらどんな気分になるであろうか。
  シナを作ってはネチネチ、ナヨナヨと、ネタをを握ってくれる。寿司を取ろうと手を伸ばすと、そっと握り返して、「ウフーン」と言ってくれる。気が付くとオカマ言葉になり「もうダメョーン」となってしまっては、人生観が変わってしまう。

  

 頭集の話を聞く前に、浴びるほど酒を飲み、異常に脳を攪乱し、麻痺し、人事不詳になっておく必要があり、そのため土佐の人は酒を飲むことが習慣となり、土地の気風として、文化として数百年間育まれてきた。
 土佐の酒の席に出てみると、土佐風の乾杯いうものが始まった。これは一つの杯のサシツササレツというごくありふれた飲み方でない。ここ土佐では、全国的な飲み方とは違って返された杯は絶対に飲み干さねばならない、という憲法がある。
 もらった杯になみなみと注がれちょっと口を付けて下に置くことは、出来ない。「さぁ飲んだぞ」、「さあ飲んだ」と続き、数時間後に「本当にまいった。降参だけェ許して下さい。」的発言をあげるまで攻められる。
「べく盃」というものがあり、盆の上に「天狗」と「ひっょとこ」「オカメ」の様な盃があり、天狗は鼻の部分を握って飲み鼻の部分は随分とはいる。オカメはその次である。 六角形の絵ゴマがあり天狗とオカメの絵が書いてあり一座の真ん中で回され、絵ゴマの絵により盃が決まり、その時の独楽の回し棒が指している人がその盃で一気にあおる、というベロベロの気分的神様の強制拷問的システムである。 誰かが独楽を回す。それに追わせて仲居さんが歌い始める。
     ベロベロのオかみさまは、正直なアオかみさまよ、
      おさせの通りにおむきだね、さておむきだね

   

やがて六角の独楽が倒れる。どちらかが上になり、回し棒先の人が飲む。集中的に一人の人だけに向く場合があり、一同に回り終わった頃には相当飲む人も出る。 高知名物「箸拳」というものは、二人のヒトが向かい合って座り三本の箸を隠し持ち、交互に申し合いしながら箸の数を当てる勝負をする。
30代の女性が右手に箸を握りぐっと差しだし、威勢のいい言葉で、「さあやるか、もう一つ勝負するか!」と土地言葉で啖呵をきると、気分がシビレ、背筋がゾクゾクするという。彼女たちが語尾に「−−ちゃ」とか「−−き」という言葉を話すともうゾクゾク、少しちびってしまうくらい快感ものである。「したとデスカ」も可愛いい。
仲居さんがビールをつぎ、酒をつぐ。「どうぞ」一杯「どうも、どうも」一杯「どうぞ」一杯といって話をさせない、しない。相方も「どうも、どうも」で話をしない。頭集の話が出る前に飲んで酔っぱらおうと必死の酒盛りが始まる。

   

この「どうも、どうも」が全世界的七不思議の一つ「超日本的言語として」「文化として」日本的高等会話集の平均的重要な用語として脈々と語り尽くされているのは、土佐の方々のお陰であると言えるのではないかと、気がついた。もう私は吃驚してしまった。阿鼻叫喚の心境であり、南無阿弥陀仏と唱えてしまった。
そうして、酔っぱらった私を正常にしてくれる食べ物が土佐にはあった。アイス・クリンという不思議な食べ物である。
高知の姫君が言うには、「アイス・クリンは、ちょっと変わったアイスクリームで、ソフト・コーンの上にアイスを乗せ、ソウトアイスと普通のアイスクリームの中間というような舌触りで、高知ではアイスクリームでなくて、アイスクリンというんですよ」と言っていた。
高知の姫君として、名前等を秘匿していたが、もうこうなったら話してしまえ。頭集出身で、現在は広島で生活している新妻である。目(アイ)のクリリンとした、姫君であり、アイ・クリリンである、その食べ物と似ている。
彼女の通った後には、実にあっけらかんとした笑いとさわやかさが残っている。エネルギッシュに歩き、飛び回っている、現代女性の時代を写す鏡であり、今後の日本女性のナヨナヨ・クネクネ「モウダメー、イヤーン、それコマルー」的、大和ナデシコ的の女性像の破壊者として一つの文化を推奨していくお嬢さんである。

   
 

時代考証そっちのけ、文化的言動・超法規的発言で国際問題として国連で討議 されれば即発的国際緊張になる状況下で、今後の日本の正しい歴史認識と、文化の再発見に一考察を投げかけた。最も非常識で不正確な文書であり、高知県の方々には申し訳有りません。

1997.2.11 日本国建国記念日を迎えて、超越的思考により日本文化の原点を飲酒酩酊的惰性により文化を語る。