夕  張  岳 (1668m)
(1980.7.5〜6 )

 夕張の山々は、日高山脈と共に道内では数少ない非火山性の構造山脈で北海道の背骨に当たる山である。その生い立ちは古く、中生代ジュラ紀頃といわれて多くは変成岩、蛇紋岩から成り立っている。
  この連峰には沢山の山があるが登山の対象になって一般化しているのは数座しかない。
 北海道の山々は沢を登山道として利用しているため、この山域は、谷が厳しく岩登りの技術が必要で未知のルートが数多く残されている。古くから山頂を踏まれて入る山でありながら、まだまだ未開の山域である。
 石狩平野から眺められる尾根型のどっしりした山容は、北方の芦別岳の男性的な鋭峻さとは対称的に、母のおおらかさのようなものを感じさせる。
 芦別岳方面から望むと、広い台地状頂稜部の左端には夕張岳本峰、右側には夕張西岳(前岳)の鋭峰などが見られ、雄大なスケールを持っている。頂上付近一帯は、広いお花畑が展開して登山者を魅了している。
 夕張岳には、蛇紋岩系の山に特有な植物が多くあり、ユウバリソウ、ユウバリコザクラ、ユウバリリンドウ、ユウバリツガザクラ等この山にしか見ることのできない固定種が静かに咲いている。
 平野氏から高山植物の咲き乱れる夕張の山を登らないかと誘いの電話があった。
 競技会が終わった日に(勿論私も参加して8kmを完走し半分位の位置でゴールした。)、愛車サニーに飛びのって、日勝峠を越え日高町を経て夕張市に向かう。
 シューパロ川に掛かる白金大橋を渡ってペンケモユーパロ川沿いの滝ノ沢林道を詰めると、市営ヒュッテに今夜は泊まる。
 例のごとく北は稚内・東京・山形県等から遥々お集まりになる。
 大塚支部長は大阪に出張中であったが空路で夕張入り、次々に到着する仲間との長い夜の宴が始まった。
   

 翌朝6時ヒュッテ出発、全員で冷水沢コースを登ることになる。文字どおり冷たい沢沿いに夕張岳西峰を目指して登っていく、40分ほどで冷沢の休憩所、ここから1Pで尾根コースと合流する。
 渡島半島の高山植物の先生というべき三浦氏の案内で、右ナニナニソウ左云々と進むが、登りの苦しさで数歩もいかないうちに忘れてしまう。
 地図上で等高線がクロスする不思議な地点を通過して気がついた。登山道は中腹を巻きながら北から西峰を進む、頭上にはハング気味に大きな岩がセリ出していた。
 西峰を巻きながら過ぎると、展望は急に開け望岳台であり遠くの峰峰が見える、と案内書にあるがガスのため展望はなかった。
 憩ノ沢を進むと高山植物の群落である。道は高原状となり、湿原帯になると高さは10mに満たない周囲80m位のガマ岩の横を通過する。
 ガマ岩は、この山にしかない高山植物の宝庫となっており、桜井氏の説明を受けつつ進んで行くと、頂上直下の赤い鳥居と祠に到着する。数分の頑張りで頂きに立つことができた。
 10時50分全員登頂

   

 参加中最年少11才の松沢智子さんのメモ帳にはこの日36種類の高山植物が記録されている。
 夕張岳の頂上には1等三角点が置かれていて、頂上で休んでいるうちに視界が開け、頂きからは芦別・十勝連峰の山々等素晴らしい景観であった。
 頂上から見ると夕張岳は屏風状に連なる縦走路のような稜線であり、1Km以上続いている。頂上直下の台地は、広大で冬期には非常に危険な場所となりリング・ワンデリングを起こしそうである。
 市営ヒュッテに下山すると、再会を約束しつつ道内に散っていく。
 私は一人来た道を帰る、釣りの予定で日高の山奥で車の中に寝る。一人でテントを張るのはヒグマに対して、ちょっと失礼になるだろうから、止めておいた。
 翌日はオショロコマ系のヤマメを狙ったが結果は数匹であったが、それなりに充実した日々であった。

   

 @  川名による。ユーパロには、諸説があり意味不明とするのが正しい。
    夕張岳は連山の総称名である。あるという考えとアイヌ語でイ・パル(それの入り口)
    千歳地方への往来の入り口を意味するというのもある。