トムラウシ山(2141m)
(1979.8.10〜)

   トムラウシ山は大雪山の旭岳につぐ北海道第二の高峰である。深田氏の日本百名山の本によると、大雪火山群と十勝岳火山群との中間にあって平ヶ岳、忠別岳、化雲岳、トムラウシ二渡る一連の山を戸村牛火山群とある。しかし平ヶ岳や忠別や化雲は、広大な尾根の一突起にしかなが、トムラウシは毅然としてその独自を主張する個性的な山である。と言っている。
  大雪山方向から見ると岩石の殿堂ともいいたい見事な山容をを示し、近づくに従い周囲にはいくつかの山湖をめぐらし、豊富な高山植物との調和が美しい、神々の庭園である。   トムラウシ山の登山路として愛されているクワウンナイ沢は、大雪山の最奥にそそりたつトムラウシ山のお花畑にその源を発し、天人峡温泉に付近で忠別川にそそぐ全長13Kmの沢である。大島亮吉氏の「滝の瀬十三町」で紹介された滑滝は圧巻でありこの瀬を歩けば心は洗われるほどの綺麗な沢である。
  大正時代から狩人や釣人は入っていたらしいが、登山者は少なく今でも出会うことは希であり深山幽谷を楽しむことが出来る。
   某放送の平野氏から、北海道支部の山行は「クワウンナイ沢からトムラウシ山・オプタテシケ山・美瑛岳を経て白金温泉に下山する。」との連絡を受けた。平野氏とは一度も面識がないが、山陰支部員であるが、北海道に転勤したが北海道支部にも加入していない私に突然の嬉しい誘いの連絡であった。すぐに参加の返事を出したのは勿論の事である。
   8月9日
  膨らんだザックを肩にすると、帯広市内の釣具店で、岩魚用の釣具とイタドリの幼虫を購入した。列車で富良野を経由し、旭川駅に降り立つと予約してある大雪荘に宿泊する。
  夕食が終わると新聞紙を広げるとイタドリの木から幼虫を採取することになった。部屋は、メチャクチャになってしまったが後片づけは確実にやったものと認識して飲み酔いつぶれた。
  10日朝宿を後にし、旭沢駅前の天人峡行バス停に集まった。同行する人は、支部長の大塚氏(銀行会長)名誉教授(69歳)平野氏(HBC)松沢氏(銀行)桜井氏(教員)渡島の植物学者三浦氏であり、互いに初対面の人が多かったが、みな相当の経験者ばかりとのこと、早速古い知己のようにとけあい楽しい山登りになる予感がする。
     

  バスは、忠別川沿いに天人峡温泉をめざして進む。温泉から1Km手前で下車すると、左岸に沢の流れ込みがありここがクワウンナイ沢の出合である。忠別川の徒渉を前にして登山の準備にかかる。地下足袋姿になると、水に濡らしたわらじを装着する。膝上までくる水は残雪のため冷たく、悲鳴に近い声が上がる。
 対岸に上陸すると、平野氏を先頭に教授が続き一列になりクワウンナイ沢の左岸を登っていく。教授はカメラの準備で立ち止まり順番が入れ替わったが、徒渉地点から500mほどの所に砂防ダムがあった。
 教授はカメラの操作に手間どるうちに遅れて、しかも先行者を見失ってしまった。そのうちに彼は踏み後を見つけた。それを辿るとまもなく道に出た。その道を行くほどにやがて河原に出た。
  砂地の足跡がみなそろって川上に向かっているので、彼は躊躇することなくそのあとに従った。いくつかの滝を越え、最後に二段のハングした10m余りの滝口まで登ったところで、彼はどうしても登れなくなり、はじめて間違いに気づいた。ひたすらあとを追っているつもりの彼は、地図も調べずにポンクウを、遡行したのだった。
 ポンクワは、クワウンナイ沢の支流で大雪山の支流としては小さく短いが連続した滝と最後に1Kmの美しいナメの遡行で充実感がある。技術的には沢登りの技術が要求される上級者向きの沢である。
  ポンクワの上流からヘッドランプが下って来るではないか、午前中、頼んでおいたパーティのリーダーであった。
 リーダーは教授の教え子であったという偶然も幸いした。「先生は我々のメンバーが付き添って下っています。」この声で一同は上流に走る。教授はすこぶる元気である。
  教授曰くポンクワを急いで登りハングの滝に出合った。これを一人で登らせるほど、パーティは冷酷でなかろうと、ひと休みしていると、教え子が登ってきて、我々が探していることを知った。

   

   翌11日朝は、気分も軽やかに幕営地を出発する。川幅が10m程の沢を15分程進んだ所で函があり右岸に巻き徒渉して登る、どんどん詰めていき右に左に膝から時として腰近くまで濡れながら、沢に竿をだす。岩魚がどんどん釣れる。1m幅の沢から25Cmクラスがバンバンあがる。一行に遅れたり休憩をせずに先行して釣ったりしながら登る。
 大きな岩が現れ、遠い稜線に残雪が見え始める。幕営地から歩き始めて7時間。左手に沢が落ちている。二股という地点で今夜の宿営地に決める。当初はここまでが1日の予定であった。
  釣果は、70匹程になり小生は釣り名人になってしまった。
  私が釣り上げた魚を塩焼きに、楽しい山の宴が始まった。串は付近で採取した生木を差して、北洋相互銀行の会長が自ら焼き上げる。口差のない連中は、生焼きだの焼き過ぎだのと文句を付ける。支部長は笑いつつ酒屋の親父を続ける。                  
 この夜の酒は、会長のジョニ黒である。じつに飽きるほどに食べ、飲み続けた。
 12日早朝、小生は疲れと、飲み過ぎでお店を広げてしまった。この後の登山は苦しかった。そして同行の方々に大変ご迷惑をかけてしまった。
  二股から大きな石の中を飛び跳ねたりしつつ、20分程登ると川幅一杯の行く手を遮る滝が現れ右手を登って滝上にでると、いよいよクワウンナイ沢の圧巻「滝の瀬十三町」の始まりである。
  教授によると[いよいよ有名なナメ滝である。噂には聞いていたが、それは想像に絶する光景であった。10m程のナメが3K近くにわたって、時に滝を作りつつ連続するものである。この山奥に自然は何という造形の美を生みだしたことか。]
 松沢氏は、{突然目の前に開けるナメ地帯に一同興奮する。ほとんど全員がカメラマンとなり忙しい。}と書いている。 息つく暇なくナメ滝が現れ、水はくるぶしを洗い、その流れは静かに岩盤を走ってワラジをはいての感触はたとえようもない。この「滝の瀬十三町」時には急な場所があるため絶対に雨の後には入山できないし、勿論雨の予想があったら入山するのは危険である。途中で逃げ場がない。
  この「滝の瀬十三町」。一枚岩の明るい廊下を登っていくと左岸に幾段もの滝を持つ綺麗な沢が落ちている。銀杏ヶ原から落ちている。 「滝の瀬十三町」に入って1時間半で銀杏ヶ原からの沢の出合いを過ぎると次は傾斜のきついナメとなった、気をゆるめるとどこまで滑るのかわからない。大きな滝が眼の前に現れて「滝の瀬十三町」が終わった。大きな岩の間を縫って登る沢となる。大水がでると大きな岩を流してしまう様な感じがする。

  放物線を描いて落ちる滝が眼の前に現れる。右岸を高巻き沢の上部にでる道をいく。一部垂直に近い岩場が現れるが大きな木を手がかりに登りきると滝の上部の廊下に降り立つ。
  少し登ったところで二股になった沢にぶつかると本流は左岸であるが真ん中の急なガレ場を登って滝を過ぎると流れもゆるやかになり沢も明るく開けて、棚状になった沢の左岸の道を登っていくと高山植物の咲き乱れる源頭の池に到着する。池の端には雪渓が残り綺麗な可愛い池が数個、そして高山植物のお花畑がありまさしくユートピアである。恵まれたキャンプサイトである。
  本沢の遡行は、サブザイルを準備する必要があるし、増水時の入山は不可能である。また、北海道の山と言えばすぐ熊の話になるが、その出没の最も多いのはトムラウシ付近と聴くのでその方面の注意はしておく必要がある。
  当初の計画ではトムラウシからオプタテシケ方向に行く予定であったが、単独ポンクワ沢登り事件のため日程の都合で、化雲岳を回って天人峡温泉に下ることになった。源頭の池からトムラウシ隊とキャンプ設営隊とに分かれ、トムラウシ隊は先行した。源頭の池から1時間以上かかり稜線に出ることが出来た。
  トムラウシ登山隊は、総隊長大塚支部長、登攀隊長松沢氏とシェルパ兼キッチン・ボーイの私の計3名である。稜線の鞍部にザックをデポし、大きな岩の上を○印に導かれて登っていく。途中ナキウサギの声を聞きながら進むが、資料に日本庭園とあるがわからなかった。
 小さな丘を乗り越えると北沼(熊の目)が目に飛び込んできた。サザ波がたち残雪が豊富に残っている。単独の登山者と出合ったがどうも私と同業の方と見られた。
  北沼から大きな石の上を登っていくと、やっと達した「トムラウシ山」の頂上は、大きな岩の積み重なりであった。霧の中の大きな岩に腰をおろしていると、次第に視界が戻ってきた。十勝方面は、大きく崩れたカールの様に見えた。オプタテシケ山の方向はガスに覆われ見る事が出来なかった。展望は概して悪かったが、しかし念願の山の頂きに立った喜びは無限であった。

   

  稜線の鞍部まで帰るとザックを回収して、化雲岳への道を進む。稜線は広い台地状で、随所に池塘が残り、高山植物が咲き誇り、溶岩の様な奇岩が景観を盛り上げている。
 周囲100m位の池のほとりにテントが設営されている。なんと素晴らしいテントサイトであろうか、ゴツゴツとした北アルプスの稜線も素晴らしいが、この稜線の美しさはこれまた美しいと感じいった。
 13日は霧雨の中、高山植物の中を化雲岳に登り、小化雲岳(ポン・カウン)を経由して天人峡温泉に下る。 山稜の広い原を登っていくと、あたり一面、白、赤、黄、紫といった高山植物の世界である。
 この雄大、おおらかな風景は内地では求められないであろう。歩く稜線から右手の方にヒサゴ沼が時折晴れるガスの向こうに見える。
 いくつかの登り下りを越えガレ場のようになったところで、コマクサが1株踏みつけられないように石で囲ってあった。心易しい山男に守られている乙女といった風である。
  化雲岳の頂きは、山稜高原の一角に高さ3m程の岩があり、その大きな石の下に三角点(1954.4m)がある。頂上はあくまでも石の上であるので、勿論よじ登り万物に私の神々しさをしらしめた。北には半円状に大きくえぐられ千尋の谷底になっている。ここから東に行けば五色岳を経て忠別岳を経て北海道の屋根である、大雪岳に通ずる。
  化雲岳から小化雲岳(1925m)への下りは美しい高原の道であり小化雲岳が近づくと背の低い熊笹の道に変わってきた。わずかに盛り上がった所が頂上であったが、登山道から少し離れていたため頂上に立つこともなく通過していった。
 次第に熊笹が私の背よりも高くなってくる。長いだらだらとした長い尾根を下り、第1公園を通過して下ると大きな針葉樹の林にはいり、滝見台の休憩所で、天人峡温泉の羽衣の滝の全貌を望むと、滝は素晴らしいの一言である。休憩所から温泉までの標高300mを一気に下ると地下足袋の足は痛い。

   

  天人峡温泉に降り立つと、涙壁が見えるとあるホテルで一部屋を借りて、温泉につかり山の汗・汚れをぬぐいさった。4日ぶりの冷たいビールは喉を潤し、早速反省会を開く。 
 支部長、教授両氏の健脚ぶりに敬服した山行であった。身体が自然に催促してくる。このホテルはそれから数年後に涙壁が崩壊して半分くらい壊れたらしい。
  教授は[実に楽しい、良い山行だった。7人がそれぞれ自由に、十分個性を発揮しながらしかも細かい心遣いを働かせながら、しっくりと一体感を持って、神秘的な自然を満喫した。周到な計画に裏付けによることで、やはり練り上げられた山岳人の山行と自賛してよいだろう。もう一度このメンバーでどこかへ行きたいものだと、少なくとも時々は会いたいものだ。]と、言っていただいた。
  バスにより旭川駅に移動すると、道内の各自の家庭に帰っていった。私にとっては、皆さんにご迷惑をおけしてしまい、申し訳ない点と、二股での岩魚での、狂喜乱舞等、色々とあったが、それがまた思い出を強烈にし長いつき合いをして戴いたき嬉しい想い出となった。

   

  トムラウシはアイヌ語で「花の多いところ」だという説がある。
  深田氏が百名山で村上啓司氏の説を紹介している。 「十勝川の上流トムラウシ川から来たもので、トンラウシと呼ぶのが正しいそうである。tonra-usiのトンラは「水垢」を意味し、ウシは「多いところ」を意味する。つまり「水垢の多い川」温泉鉱物のため水がぬらぬらしているのでこの名があるのだと言う。
  北海道のアイヌの山の名には仲々いいのが沢山ある。それを奇妙な宛字にして、元の形をこわしてしまうのを、私はかねてから大変残念に思っている。村上さんの篤学の士によって、アイヌの山名の正しい呼び方を長く保存したいものである。」