八方から唐松・白馬そして白馬大池へ(2009.8.7〜8.11)
今回、8月8日に八方尾根から入山し、白馬三山そして朝日岳から栂海新道を日本海まで縦走し、14日に自宅に帰りその夜ジュリーのコンサートに行く予定であった。
しかし、台風の接近で断念し白馬大池から栂池高原に下山した。
8月7日〔金〕
自宅で夕食・シャワーを浴びて、自宅を出た。近くの駅まで妻が見送ってくれた。会社に一番近い駅で、乗り込むサラリーマンの中に知人はいないか。誰かに会ったらいやだなぁ。と外を向いていた。
広島駅で在来線から新幹線に移動する間に缶ビールとツマミを買い込む。
京都駅で「さわやか信州号」に乗車する。バスは大阪・京都を夜出て朝に信州の各登山口である扇沢、穂高駅、白馬駅そして栂池に停車する。
バスの集合時間に受付に行くと、梅田からのバスでなく、京都始発のバスで直ぐに乗車するよう指示される。バスに乗り込むと睡眠導入剤(睡眠改善薬)(ドリエル(6錠1050円)第A類医薬品)を2錠飲む。高速道路のインターを通過したことも分からずに眠り、1回目のトイレ休憩も眠たいのでそのまま乗車したまま、2回目の休憩はやっと起きていった。
睡眠導入剤は標高の高い所では要注意という話があります。
8月8日〔土〕
1日目(八方尾根〜唐松山荘〜唐松岳)
その次に目を覚ましたのは扇沢の手前30分である。
なぜ目が覚めたのか、それは中高年登山隊のリーダーが「針ノ木雪渓の雪の状況は」とのミーティングの声であった。そして「7月5日の状況は」と続いた。エッと驚いて聞き入った。今日は8月8日で1ヶ月以前の梅雨時の情報を、皆が寝込んでいるバスの中で披露する男は何者だ。
そのご一行様が下車すると、白馬駅の手前5分くらいの所で目が覚めた。恐るべし睡眠導入剤。よく寝た。ホテル内の待合室に入り、洗面所で顔を洗い朝食を済ませる。歩いて5分ほどの白馬駅に移動する。
白馬駅前で6泊7日1500円の山岳保険に入った。バスの場合は、下車してなお10分ほど歩かなければいけないのでタクシーでゴンドラ駅まで進む。
7時にゴンドラ駅に着く。長い列が出来ている。切符を買うために俺もザックを担いだまま並んだ。ゴンドラの試運転が終わり乗客の列が動き始めた。10kg以上のザックは400円が別に要る。4人乗りだが、前後の乗客の顔ぶれの関係で一人で乗車した。
ゴンドラからリフトに乗り換えると、下の斜面は花盛りである。クワッドリフトを降りたところが黒菱平の湿原を歩き、グラートクワッドリフトで07:50村営八方池山荘に上がった。
山荘の前は沢山の登山者等が準備をしている。トイレや売店もあり、早朝の登山者にとってはありがたい。簡単なストレッチを行い08:00登山開始。
遊歩道を歩く俺は睡眠が十分に取れたためか、倦怠感もない。今朝の足取りは軽い。沢山の観光客を追い越していく。出始めは結構強い俺。ウルトラマンと同じ3分間までの頑張り。
第2ケルン(08:25)を通過して尾根上のゴロゴロした登山道を登っていく。八方山ケルンを過ぎハイマツの斜面を登っていく。
八方池に08:50着くと、雄大な白馬三山のガスのため池に映る景色は期待できない。池に降りずに第3ケルンの所で休憩する。7年前は完璧青空で五竜岳、鹿島槍や白馬三山などが見えたが日射、熱射のため苦しい八方尾根の登りだった。
今日は唐松泊りで時間があるのでしばらく晴れるのを待ったが、稜線のガスは晴れないので諦めて09:05登り始める。登山道の右側に石垣で囲った構造物が現れた。小屋の跡だと何かの本で読んだ記憶がある。
『下ノ樺・上ノ樺』と呼ばれるダケカンバ林に入る。巨木の所が下の樺で、日陰の中をしばし歩くことになる。下の樺と上の樺の間にセンサーがあり登山者をカウンターしていた。俺はセンサーの具合を確かめるため一度通り過ぎ再び登ると数字がそのとおり出ていたので安心した。チェック・マンである。
小さなカール状の扇雪渓で休憩(09:45〜10:00)する。雪渓の脇から急な道となり樹林帯から、開闊地の登りとなりケルンの立つ見晴らしの良い尾根に出た。ここが丸山ケルンで小休止(10:41〜10:50)をとる。
ケルンから上部は冬道と夏道に分かれる。
7年前は天気が良く鹿島・五竜・白馬三山と見渡せ、稜線上の冬道を唐松山荘まで歩いた。今回は不帰や白馬三山にガスがかかり眺望が悪いため夏道を歩き唐松山荘へと進んだ。アップダウンが無いためこちらのほうが楽だった。小屋が近くなって来ると、小屋のビールを楽しみに、水を飲まないように歩く。
12:14に唐松山荘に着く。唐松岳の頂上も見える。ザックを降ろすと生ビールを注文する。ビールは咽喉越しの時に焼きついたような感覚が起こり、最初の一口の一瞬がたまらない。
今日は唐松山荘泊まりのため早々とチェックインをする。寝床は新館のため一度外に出て行かなければならなかった。新館の内部は綺麗で、1スパンに4名(最終的に5名)のようだ。余裕はありそうだ。
寝床を確保すると、カメラを持って外に出る。もう一度ビールを飲もう。今度は景色を眺めながらゆっくりと楽しもう。山荘の前はビール片手の登山者やコーヒーを楽しむ人達で座る場所が無いほどである。建築資材の上まで座っている。展望の良い広場で飲むビールが格別おいしい。
コーヒーを沸かして、昼食のパンを食べる。すばらしい景観の中でのアンパンやブドウパンは最高のスイーツに変身している。
太陽が顔を出している。山頂に向かう人達が蟻のように並んで登っている。
小屋に着いて、「お酒を飲む」と「直ぐに寝る」。これは高山病に非常に悪い。3000m以下だからいいが、何千mの世界になると、寝る・長期滞在する場合は、そこより少しでも高い地点まで登ってくると体が楽だと教わったことがある。そして水やお茶を飲むのがよいそうだ。
天候がよくなってきた。では頂上へのアタック隊を出そう。水とキャンデーそして愛用のデジカメを持って出かけよう。登るほどに視界が良くなってきた。砂礫の斜面にコマクサが咲いている。
山頂に登る途中で女性の一団を追い越した。その一団は、山荘に帰って「深田久弥さんは唐松岳を登っていないから『唐松岳を百名山』に入れなかったんだ。いい山なのに」2695mの唐松岳が百名山ならその先にある、天狗の頭は2812mである。白馬鑓2913mや杓子2812mある。その女性は「自分が登った山は、いい山だから。百名山」と言っている。山の品格や歴史等は関係ない「自分の登った山だから」それも分からない訳でない。「自分の百名山を作ればいいのだ」
山頂の眺めを堪能し、で明日の下る道を確認する。明日の朝ガスで視界が悪くても下ることができるように。
夕食は17時から朝食は5時と一番早い時間である。
夕食が終わり、寝床に帰りラジオで天気予報を聞くと、明日は午後から雨になるという。自宅を出る前に登山靴にウエットプルーフ塗るのを忘れた。
早出に決めて寝床に潜り込むが、布団の重さに閉口する。次からは寝袋を携行しよう。
8月9日〔日〕
2日目(不帰ノ嶮〜天狗池〜村営頂上宿舎)
人の動きで目を覚ました。夜光時計は4時を指している。ザックの入れ直しはヘッドライトとペットボトルだけだ。静かにザックを準備して寝床を離れる。朝の準備(洗面、トイレ等)を完了して、ザックを入り口近くに移動させる。
昨日17時前に着いた人は、まだ寝ているが、小屋全体が蠢いているので寝れないだろう。新館の玄関に出てみると霧雨が降っている。風は無い。大雨にならなければ予定通りに不帰を越えて天狗から村営の白馬頂上宿舎までは前進する予定だ。
小屋の前が霧雨であり御来光を断念していたが、4時半ごろ小屋の東側に回って見ると、信州側は霧雨も無く富士山、中央アルプス八ヶ岳や浅間山等が見える。しばらく待っていると太陽が昇って来た。剣・立山は厚い雲に覆われている。
テレビで今日の長野の天気は午後から雨が来るという。ここ後立山は、富山の天気も気にかける必要があるが、同じ内容だった。
5時に食堂に入る。食事が終わり食堂から出ようと、窓の外を見ると、立山や剣岳がきれいに見える。愛用のデジカメでパシャリ。
5時45分に雨具の上だけを着て、山荘を後にして唐松岳に向かう。男性2名と女性4名のパーティーが不帰に向かうように話しているので、唐松の山頂に行く間に追い越した。彼らの会話が耳に入ってきた。「唐松山頂からは高度が下がるので高山病や高度の影響が無くなる」とか。さすがに連戦練磨の中高年のご一行様。ほんの少し標高が下がったために楽になるほど影響が出るカナ。
山頂には、登山者が数名。俺は昨日景観を楽しんだので、唐松岳の山頂はそのまま通過してV峰に向かって下っていく。
V峰への道は普通の稜線歩きで、黒部側をU峰の南峰へ向かって進む。
南峰で唐松岳を振り返ると登山者の姿が見えるが、不帰に向かう後続者の姿が見えない。雨がポツポツとやってきたが、強くなりそうにないのでそのままハイマツの中の登山道を前進する。
U峰北峰06:58の看板、周囲の景観や最初の鎖を写すと下りにかかる。鎖はつかまないで下っていくが、雨脚が激しくなってきた。本降りになる前に通過したいと考えて、何回か鎖を利用して進む。途中で天狗の頭から来た登山者に出会う。信州側から富山側に回りこんで一箇所鉄製アングルの橋がかかっているところがあり、ここが一番怖かった。雨で濡れ真ん中に突起があり幅が狭い上に手すりが無い。
アングルの橋を通過して下っていくと次々に上ってくる登山者と出会う。適当に道を譲りたり譲られたりしつつ下っていく。雨がやみ上着の前をはだけて進んでいく。最後のT峰を通過すると最低鞍部(2411)目指して下って行く。
通過して思う不帰の嶮は、登山道が整備されていて、危ないとか難所とかは思わなかった。ガイドブックやテレビでは注意喚起の意味で言われているだけで、本当に怖かった所は槍から南岳を通過して北穂に登る北壁であった。登山者が落とす石が怖かった。
天狗の大下りの登りにかかる。天狗の頭2812mで標高差400mを登り返すのは辛い。還暦を過ぎたおじ様にとっては残酷な登りである。
登る途中で携帯電話のアンテナが3本立ったので休憩(09:50〜10:00)にする。妻に電話すると、「現在地は」と聞いて来たので「天狗の大くだりを登っている」「早いのね」と一言。松江の友人に電話すると、奥様が「主人は仕事が終わったので『南アルプスの塩見岳』に行っている」とのこと。雨具の上着を脱いでザックカバーに入れる。
上から下ってきた30前後の登山者2名が不帰の岩場の状況を聞いてきた。
「朝方は雨があり、濡れていたが雨が上がって1時間以上たっているから」。
還暦のオジサンが一人で通過した場所の状況を聞かないで、若いのだから自信をもって進んで行ってもらいたい。
天狗の頭を目指して進んでいく。途中で小休止(11:00〜11:30)行動食を食べ、長い登りをマイペースであせらず登っていく。足を動かせば何時かは登りつく。ゆっくりである。
天狗の大下りを登りきると、緩やかな稜線に雪が残り、ハイマツの緑と素晴らしい景観。天気の良い日に歩いて見たい。小さな石の登山道を進むと、突然明るくなって驚いた。原因は、肌色の石が広がった地点を歩いていたのだ。
天狗の頭から穏やかな稜線を700m程歩くと自然保護の看板が現れる。右手に回りこみながら雪渓の横を下ると黒い天狗山荘12:27にたどり着いた。
山荘のベンチにザックを下ろすと、シュラカップに汲んで場のパイプの水を汲んで飲む。雪渓の冷たい水がパイプから流れている。おいしい。甘露水である。顔を洗うと冷たい水に汗が混じり口の中に。
ザックから行動食を取り出してお昼にする。
天狗山荘に「泊まってゆっくりとしたら」と悪魔のささやきがある。疲れた身体が予定変更を要求しているが、予定どおりに白馬鑓や杓子を越えて次の小屋に向かって行くためザックを担ぎ上げる。
小屋の前の雪渓の右端を上っていく。斜面を登って稜線に出る。穏やかに下ると鑓温泉に下る分岐を13:23通過して尾根状の斜面を登り、鑓のトラバース道を登る。150m程の登り、鑓の北の肩14:07のような所にザックを降ろす。カメラだけ持って鑓の頂上向った。
三角点標に触れていると、若い二人連れの登山者が登って来た。二人の写真を撮ってあげる。ザックの位置14:20に帰りこれから進む方向を見ると数人の登山者が登ってくる。俺は緩やかな斜面を下り岩場の部分を過ぎるとコマクサの咲いている杓子沢のコルに下った。
コルから8回ほど小さく折れ曲がると頂上に向かう道が見られた。杓子の登りは疲れた体には応える。トラバース道を進み、途中から山頂に上るかその先の下りの前に上ったほうが楽か。登りながら考えつつ登っていく。
疲れてくると、歩くより考え事をしてしまう。杓子から下りにかかる地点から山頂に向かう。ガレた道を登り山頂に立ったが、雨混じりの霧の中ではデジカメを出せなかった。
此の時、防水デジカメ「現場監督」が欲しい病に罹った。帰ったら直ぐに買おう。今回の山行は雨にたたられ必要性を感じた。妻に断らないで買うか、話して買うか(絶対に反対される)
空身で杓子に登って来たが、空身でもずいぶんと体に応えた。
杓子から下ってザックを担ぎあげ歩き始めると、ガスが晴れ一瞬であるが目の前に白馬岳と丸山が。
白馬の頂上と大きな山小屋が現れたがカメラをザックから取り出す元気が無かった。いったん降ろし、また担ぎ上げる元気が出てこないからシャッターチャンスを逃してしまう。
高価な一眼レフデジカメは還暦登山には不向きだ。(買おう、防水デジカメ。雨の高山植物、雷鳥などが写せる防水カメラ)
鞍部の岩に座って休憩(15:30〜15:45)を取る間に地図を見つめる。丸山の頂まで2段登りで180m程登る。
そして下って緩やかな稜線を進むと村営頂上宿舎に着く。地図の上では簡単に登れるが、実際は地獄の登り下りである。
登り始めると30分間は休まない。遅々とした歩み、それでも休まないぞと決めて進む。
立ったまま5分程休んで進む。丸山の頂上付近は泥の道で歩きづらい。大きな石の上にと足を上げるが軸足はズルズル滑る。
丸山からの稜線から見ると左下に20張り程のテントが見える。雨の中のキャンプは辛いぞ。
テント場の横を歩き、宿舎の建物をほぼ半周するとビールの旗を見つけ一段下がった広場に降り立った。
従業員に入り口はと聞くと、一段上にあるという。
地獄の階段30段登り、17:10に山荘の中に入る。
部屋は2階の「鑓」で2段ベッドの下と聞いて喜んだ。部屋に上がると、6人の先客があった。
この時間であり、2段の上は一人もいない。では、この大きな部屋に7・8名かと喜んだ。
直ぐに食事が出来るというので、食堂に降りる。売店で500の缶ビールを購入し、バイキング方式のため、選ぶ品はつまみ類になってしまう。
竹の子の筑前煮が美味しくてお替りをしてしまった。ビールも追加を頼んでしまう。
18時過ぎに寝床に入ってイビキをと、思っていると窓の外は強風でうなり声を上げ、雨もすごい。
ラジオを出して19時の天気予報とニュースを聞くと、「台風8号の後に台風9号が発生し関東地方に」放送した。
自宅を出るときに確認した天気図は、8号は動きが遅く台湾に向かっている。その後方太平洋上に低気圧が停滞している。8号の動きでそちらに引っ張られ、そのうち台風に発達するだろう。と、予測はしていたが、これが関東方向に向かっている。その余波で今晩の風雨になったのだろう。
8月10日〔月〕
翌朝4時に起床する予定だったが、4時には昨夜以上の風の音がしている。今日の予定をどうするか、朝日小屋まで前進できない。
雪倉の非難小屋は入れるか。無理だろう。
では、白馬山荘まで前進するか、思案していた。今日もこの小屋に泊まるか悩んだ。
5時に起床し5時半に食堂に入ると数人の登山者がテレビを見ながら不安そうに話し込んでいる。
山岳警備隊の警察官と医大の人が相談窓口を開いていた。
今年はトムラウシで多くの登山者が無くなり俺も相当悩んだ。こんな暴風雨の中を出て行くべきか。
大雨の雪渓は下りたくない。小屋に居て台風をやり過ごすのが最良だが、撤退する沢が増水して渡渉が、などと考えた。
決心、今日は白馬山荘から白馬の頂へ。
三国境付近まで行かないで決心することにした。下れれば大池周りで下山。
台風の影響で朝日小屋に行っても前後の動きが取れなくなる。出来れば白馬大池まで下ろう。
06:30に完全装備で小屋を後にした。
ゴアの上下の雨具、防水した麦藁帽子にフードを被せ、ロングスパッツを着けて、ザックカバーを取り付け緊張させ縛り付ける。
手は上着の袖の中に入るようにして保温を考えストックを握り締め、行動食は雨具のポケットに入れた。
小屋を出て登りにかかると、俺の直ぐ後に着いてきた二人連れの登山者が「この道は白馬山荘に行けますか、下から登ってくる登山者は、10m程右の道を登っているが」この手の質問はイヤになる。
ウルップソウの群生地を横目にしながらグイグイ登り稜線上に出た。右に折れ立ち入り禁止のロープ沿いに上っていく。
左からの叩きつけるような大粒の雨に顔を背け歩くと左側から右側のロープ沿いにとなって、冬の大山頂上台地のリングワンデリングを思い出した。
白馬山荘をそのまま通過して登っていくと、左右に分岐している道を右上に登っていく。
白馬の松沢貞逸顕彰碑を確認する。大粒の雨の中で一瞬眺めると直ぐに引き返し山頂に続く道を登っていく。東側の断崖絶壁を少し覗き込んで進むと山頂の展望盤を確認し、三角点に6:55一瞬の挨拶をする。この展望盤は新田次郎の「強力伝」題材になったものだ。
早朝の山頂は多くの登山者であふれ、若い(中高年の)女性登山者がいるはずだが。
山頂で最後の決心をした。あとは三国境まで下り、小蓮華を上り返して小ピークを越えれば白馬大池へ下ろう。
黒部側はなだらかな斜面で、登山道の周りは高山植物が風雨と闘っていた。雷鳥の親子の姿が見えた。
やせた馬の背を通過した。三国境の道標で朝日岳への道を確認したが、俺は白馬大池に下るのだ。三国境を一周し、長野、富山、新潟の周遊を済ませた。三俣蓮華では富山・岐阜・長野もやったことがある。
二重山稜を確認し、小蓮華を目指す。稜線を登りピークに立ったがそのまま通過する。
下っていくと、休んでいる夫婦連れの登山者に出会った。二人とも運動靴でビニールのポンチョを着ている。
ザックは担いでいるが登山をやっていた様には見れない。暴風雨に疲れているようだが、俺はどうしようも出来なかった。
一言「どこまで」と聞けばよかったのに。「こんにちは」と挨拶して下ってしまった。
栂池の売店で、上下500円の雨具が売られ、他の登山者が「あ〜これだ」と確認したので、彼らもその夫婦を見たのだ。
大池へ下り始めると登山道に流れる水は小さな綺麗な流れから段々と水量が増えるとが濁り小川のようになってきた。
右手に見え始めたお花畑がと道が水平になり白馬大池の湖水が見え、数張りのテントが見え白馬大池山荘に着いた。
山荘の玄関にザックを置き、雨具の上を脱ぎ中に入る。食堂の中は大きなザックを持って入った登山者で一杯だ。
床は水で濡れ滑りやすい状態である。
せめて玄関で水気を取り、ザックカバーをつけていれば外に置くくらいの気遣いが欲しいとオジサンは思った。
中で暖かいものを注文。コーヒーを頼む。そして昼飯には早いがラーメンを頼む。
登山者たちは、他の山小屋の弁当を取り出すと食べている。
外のベンチで食べるのならそれも良いだろうが、小屋の中で食べるなら味噌汁を頼むとか何か気遣いが欲しいと。
でも、俺と同じ考えの登山者がいて何か注文しながら弁当を食べていた。
小屋を出発すると相変わらず暴風雨である。大池の東岸の大きな岩の下に水が流れる音がしている。
池の水はあふれるとこの部分から流れ出ているのだろう。岩を飛び越えるように歩いていくと、池の水が泥水から澄んだ青色に変わっていった。
青々とした湖水を見ながら進む。
ハイマツの中を大きな岩の上を歩き乗鞍岳に登る。頂上台地は広く高いケルンの道標がある。
冬季の積雪や春スキーの目印はこれくらい高くないと埋もれて使用に成らないのだろう。
三角点2436mで下りにかかると、先行の登山者に追いつく。雪渓の斜面に出ると、彼らは何人も一本のロープにぶら下がり始めた。
一人がバランスを崩すと数人が倒れ危険な状態で見られたものでない。まるで「蜘蛛の糸」だ。その横を下り彼らの先にたった。
ダケカンバの道は急な下りで沢を下るようになってきた。相変わらず暴風雨である。
急斜面を真っ直ぐに大きな岩がゴロゴロした岩場を下り、付近から集めた水量が多くなり沢の中を下るようになった。
中高年の登山者が数名で話し込んでいる。
「これは登山道でない。こんな道はない」俺に向かって、「違うでしょ、百m以上もこんな状態で下っている。おかしい」
俺は、「地図ではここは直線的に200m程標高を下げる」と言うと下っていく。
十m程行くと○印を見つけ「標識が在りました」と告げるが、まだ騒いでいる。
防水スプレーを忘れた登山靴の中に水が入り始めた。
大きな岩が数個あり少し平らな部分を通過して下っていると、単独の若い女性が登ってきた。
ダケカンバの林の中であるが相変わらず沢の中を歩いている。
木道に出ると、天狗原の分岐に出た。ここから風吹大池に道が分かれている。
天狗原は湿地ではなく、池のようだ。広大な天狗原は美しく白い石(石灰岩?)や水生植物、花が咲き、これで天候がよければ最高である。
お茶にしようかお弁当を広げようか、夢見るのも、語らうのも最高のロケーションである。こんど還暦前の女房を口説こうと考えるおじさん。
幾分か雨が弱まり、一段低い小さな湿地で休んでいると、大騒ぎの中高年登山者が追いついてきた。
彼らはそのまま私の前に立つと、その姿は最後まで見ることが出来なくなった。
俺はアキレス等をやって以来脚力が弱くなり、特に下りになると登り以上に時間がかかりつらい。
栂池高原のビジターセンターまで帰ってみると、雲間に青空が見えた。
今日ここ栂池に泊まって翌日1000mも登り返す気力も体力も無い。こういうときの決断は本当につらい。
登山中に下山を決意して、途中から晴れてきたらいつも後悔する。
お店のベンチでザックを降ろし、スパッツを外し雨具を取り、ザックカバーを取り除いたとき、ザックカバーに水が溜まり2リットル位流れ出た。
ザックカバーに水抜きが無いのは確認していたが、こんなに入っていたのか。だから下りで随分と苦しい目をしたのか。
栂池高原で宿を取り今日の行動は終わった。
濡れた物を乾かそうとしたら、ほとんど濡れていた。着装していたものは臭くてかなわない。洗面所で水洗いしたがだめだった。
8月11日〔火〕
翌朝5時に目が覚め、テレビをつけると地震発生とテロップが流れ十秒もしないうちにぐらぐらと来た。
松本駅に移動し、今日の行動を考えた。妻籠の観光に行こう。
馬籠は昨年女房と見学した。
「特急しなの」に乗車し、他の乗客が車掌に木曽福島の乗換えを聞いていた。「数分後だが同じホーム」である。
木曾福島駅で下車。数分後の列車に乗ろうとしていると「乗り換え列車は運休します」と突然のアナウンス。
駅員に聞くが列車は1時間以上ないという。俺が乗ろうと考えた列車は、松本駅を「特急しなの」より前に出ている列車だが、木曽福島駅に下車してから、「乗り換えは出来ません」だって。
駅前でタクシーに聞くと、妻籠まで19000円近く、バスは手前まででそこからタクシーで15000円という。
仕方なく、特急しなのに乗り名古屋市内観光「名古屋城」を見て、家に着いたのが20時過ぎだった。
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