自衛隊のスキーと民間のスキー

自衛隊は、わが国に敵が侵攻した場合、厳冬期、極寒でもこれを絶滅しなければならない。
厳冬期の戦闘は過酷な状況下で行われ、敵の弱い所を攻撃する事は、戦闘の常識であるため、厳冬期に長距離移動するための厳しい訓練が求められる。
厳冬期に侵攻された場合に備え、積雪地の部隊は、常日頃スキー技術を高め、敵の弱点や、緊要地形(山、峠、橋、交差点、建物等)を敵より早く占領して、敵を攻撃する訓練をする。
平和な日本国に、敵軍を侵攻させてはならないが、敵がわが国を攻撃、占領した場合、自衛隊はこれをいち早く攻撃し撲滅するが、自衛隊だけでは敵を殲滅することはできない。
戦争は無いのが一番だが、ウクライナのように攻撃された場合は、どうすべきか・・・。国民に目離された軍隊程弱い軍隊はない。自衛隊がいくら頑張っても限界があるが、国民の支持、協力、共に戦うことが大事である。

自衛官、特に陸で活動する自衛隊員で、降雪地の部隊はスキー訓練が必修訓練。スキーは冬季の戦技訓練の一つで、銃剣道、持久走、射撃訓練と同様、力を入れている「訓練」で、普通科(歩兵)部隊は特に重要な科目ですが、特科(砲兵)、施設(工兵)、通信、整備、補給部隊等全ての部隊が冬季になると訓練し、スキーの技能判定が行われる。
技能検定は、走力(スキー)は6Kmを走りそのタイム。そして斜面を滑る技能検定で決まり、上級部隊指導官、部隊指導官、特級、1級〜と受験級により科目が決まっている。

自衛隊のスキーは、基本「ノルディックスキー」で、基本走るスキーであり、直線を滑る様にできていて、ターン(曲げる)をするには、不向きな板、固定具、スキー靴であり、ストックは長い方が疲れないし速く滑れるので、私は脇下の高さ(長さ)を使用していた。個人的には走るときは肩の高さが欲しかったが、竹のストックであり、重さの関係で脇の下で滑っていたが、しかし、斜面を滑り下るときは短い方が制御しやすい。
自衛隊では滑走性能を特に重視しますので、アルペンスキーのようなサイドカーブがなく、スキーの形状は直線で、カービングスキーのように簡単に曲がりません。

北欧の猟師や軍隊で発達したスキーを、レルヒ少佐が日本で初めて高田の部隊で指導した。
レルヒ少佐は1本杖、2本杖の両方の技術を会得していたが、日本で伝えたのは杖を1本だけ使うスキー術である。これは、重い雪質の急な斜面である高田の地形から判断した結果です。
ほぼ同時期に札幌で普及した、2本杖のノルウェー式が主流となっていて、1923年に開催された第一回全日本スキー選手権大会では、2本杖のノルウェー式が圧倒し、レルヒ少佐が伝えた1本杖の技術は急速に衰退した。
私が自衛隊のスキーを履いたのが、昭和43年で締め具(金具)は今でも使われている「フィットフェルト式締具」です。靴先(つま先)を八の字締め具に突っ込み革バンドで固定し、踵は革バンドで靴とスキーを半固定します。半固定とは、普通のスキーの様に完全固定ではなく、踵が浮きバクバクで前傾姿勢を取ると転倒する。
私が5師団に転属するとスキーが支給された。スキーの長さは約190cmほどの木製の板で金属のエッジがついていた。
数年すると、先輩達は走るためにエッジを落としていたので、真似をして、私もこっそりエッジを落とした。
金属のエッジを止めているビスを外して、エッジを外してガラスの破片などで、2〜3mm板を削り、金属のエッジをネジで再固定した。
走るときワックスの効きやすくするためエッジ落とすわけですが、エッジを落としすぎると、曲げの時は非常に難しくなるため、手加減が必要でが、走るスキーの競技会になると、エッジの状態を点検され、極端にエッジを落とすと不正スキーとなり使用できません。
走るスキーは、「スキーを下に抑え後方に蹴り、前進させる」という運動を繰り返してスキーを走らせます。
「蹴る」に重点を置きすぎると、板が後方に滑り前進運動になりません。雪面を抑えて後方に蹴る、人蹴りで出来るだけ長い距離を走らせるため、スキーの板に体重(重心)移動を行います。
ストックと併用して進みますが、一つ(一連)の動作で、できるだけ長く滑らせることができれば体力温存ができ、後半まで疲れないで走れる、簡単なようですが、瞬時に繰りかえす難しい技術です。
「スキーを下に抑え後方に蹴る」スキー技術を助けるのが、「ワックス」で、走る(滑らす)ためのワックスと、雪面を抑えて後方に蹴る(止め)ためのワックスがあります。2つのワックスが重要で、滑らすワックスをスキー板の先端と後端に塗り、止めのワックスを滑走面の中央部に塗ります。
止めのワックスが「スキーを下に抑え後方に蹴る」動作を助けます。
ノルディックスキー、アルペンスキーでもワックス選定が難しく、勝敗に響きますので、大きな競技会では「専属のワックスマン」がつきます。
スキーのワックスは、滑走開始や途中、終了点での気温や湿度、雪面状況に応じた何種類もあるワックス選定が非常に大切で、素人の私でも経験した状況でのワックスについて「ワックス手帳」に記載していました。
グリップ(止め)ワックスが決まらず、先輩に聞いていましたが、私も少し上達すると「どのワックスにした?」と後輩隊員が尋ねて来ます。「止めはグリーンとブルーで下にブルーを80cm位」
スキー板を日陰に出し冷やして、暫くしてスキーを雪面に置いて、雪の付き具合を見ます。その具合によってワックスを除去し、別のワックスを塗りなおします。
一応官品(官給品)もありますが・・・駐屯地のスポーツ店内にワックスが陳列されると、自費で購入します。私のみならず、古参の隊員は常時10種類以上のワックスを持っていて、走るコースの気温、雪温、新雪か固められた雪か、天候や標高差を考慮してワックスを選んでいた。

自衛隊も「アルペンスキー」を練習(訓練)します
アルペンスキーは、「楽しいスキー」で、訓練予定が示されると、予想以上の参加者が集まります。
司令部勤務でしたので、業務の予定で訓練に参加できない状況でも、やりくりして「参加します」となります。私物(民間)のスキーではなく、官給品の走るスキーでの訓練です。
自衛隊のスキーは基本「走るスキー」で、曲げの技術を会得するのは非常に難しい。
まず金具は「フィットフェルト式締具」という「締具」ですので、民間のスキーのような金具ではありません。単にスキー板とスキー靴(防寒靴)を繋ぐ締具です。そして板はサイドカーブという曲線がありませんので、一般のスキーヤーには厄介なものです。
私は北海道に転勤になる前(1975年頃)、オーストリアスキーのスキー教程にベーレンテクニックと呼ばれる「こぶ」を利用した技術があり、小さなこぶを利用した屈身抜重技術を理解したが、これは民間スキーヤーと同じスキー板でだった。
新渡道者(初めて北海道で勤務する者)の必修科目「スキー訓練」が始まった。スキーの装着、方向変換(右向け右)の訓練が終わると、走るスキーとなる。大山で少し訓練をしていたが、クロスカントリーの基本的な事は初めてであり、上手くいかない。
簡単な斜面での技術になると、少しは滑れたが、我流でかなり矯正された。
帯広に転勤すると、屈身抜重でのターンは出来ていたが、伸身抜重で滑るとフォールラインを屈んだ状態で通過するのが難しかった。雪面を押さえることができない。
しかし、訓練、訓練でコツを掴んできた。
私は帯広に転属して3年目に「冬季戦技訓練」参加を命ぜられ、糠平温泉にある訓練施設を拠点にして、スキー訓練を集中してやらされた。
「スキーするのが仕事(?)」
スキーだけしていればいいのですから楽だと思っていたのが、全く逆です。
寒い北海道の中央部の標高750mの高地での訓練です。寒い朝施設から標高差200m程を新雪を踏みしめて登っていきます。国体が行われた斜面ですが、国体後は誰も使っていない斜面です。
そしてスキー場の横に飛び出し、柔軟体操をしていよいよ訓練開始です。教官は白木鬼軍曹。
訓練生の中に佐藤敏ちゃんがいて、これが抜群に上手い人でした。自衛隊スキーで総合滑走をやると、豪快に斜面を滑りジャンプを何回か入れて滑る人でした。(後日、上級スキー指導官のバッジを・・・)
糠平スキー場の端っこの人目につかないスキー場外の、林間のコースで軍装でクロスカントリーのトレーニングをし、そして、新雪の急斜面でウサギを追いかけます。
スキー訓練で「ウサギを捕る」は、転倒して雪だらけ、真っ白になることです。
ゲレンデから楽しそうなの音楽がながれ、リフトに乗ることなど「冬季戦技訓練」の合宿隊員には無縁です。手には軍手、頭は戦闘帽に耳当てです。走るスキーの訓練時は戦闘服の下はTシャツとパンツのみで、走り終わったあとは即座に乾いたTシャツに着替え、パーカー(自衛隊の)を着込んだ。凍傷予防です。
白い毛糸の頭巾で耳を覆います。濡れたシャツや軍手も凍傷の原因ですが、実際、走り終わったあとは、顔は鼻水とつばでグシャグシャです。
防寒用のパーカーを着用し、スキー訓練に励みます。
斜面の技術訓練に入ると、リフトの機械は無縁の世界ですが、訓練も終盤になると、教官から
「回数券(11枚)を買ってこい二組だぞ・・・」
一同喜びましたが、訓練隊員全員の券で、午前中に1回、午後1回使用する分で、あとは黙々と登っては滑るだけです。

「自衛隊スキー」
「自衛隊スキー」は自衛隊だけで使用されている「軍用スキー」で、自衛隊のスキーは難しい?・・・とにかく難しいです。なぜか?
一つのスキー板で「アルペンスキー」と「ノルディックスキー」を兼ねているからです。
オリンピックでさえ、この2種類のスキーは明確に分けて競技されているのに、自衛隊のスキーは一本のスキーで二つの種目をこなす道具・装備でこれをこなします。
スキー板はノルディック用で、靴は軍用で冬の普段履きの柔らかい靴。
「これで雪の急斜面をすべれ。平地も走れ、橇も引け、部隊移動もしろ、小銃や機関銃、無反動砲をもって突撃しろ。」とくるわけですから。要求されるレベルが格段に高い。
「軍用スキー」ですから、スキーで行軍するのはもとより、戦闘訓練もスキーを装着して実施し、小銃や機関銃射撃をしながらスキーで突撃する。
あるいは戦車や装甲車にロープで牽引してもらい部隊移動するジョーリングというのもあります。
自衛隊には当然スキー経験者も入隊してきますが、自衛隊スキーを初めて経験したときの衝撃は非常に大きく、普通の人がイメージする常識的な「スキー」と全く違うからです。
自衛隊の戦技訓練や演習の中で行われているのも、基本的にノルディックスキーです。というよりも実は軍用スキーそのものがノルディックスキーを発展させたといった方が正しいでしょう。
自衛隊では冬季の戦闘靴をスキー靴としてそのまま使います。
同じスキー板でアルペンとノルディックの両方を兼ねる自衛隊独特のスキーです。
自衛隊ではこの一種類のスキー板でゲレンデスキーと平地のスキーの両方を実施するわけです。
これが自衛隊スキーが「最も難しい」とされる理由です。かかとが固定されていないスキーでゲレンデを滑るのは本当に難しい。
スキー板そのもの自衛隊専用の仕様です。竹のストックでグリップ、手革、雪輪、石突きを自分で取り付けていました。もちろん長さは好みで自分で決め、腕力が強い人は長めのものを好んでいたと思います。

 冬季訓練検閲では、必ずスキー行軍から開始される。この年の行軍は約30km以上で標高1000m以上の峠を越えて進むとなった。峠までの距離8km標高差500m近くは雪上車を先行させ行進経路を啓開させ、それ以降は部隊自ら切り開いて進んだ。
 私が訓練検閲の統裁部の安全班(スキー検定特級以上の隊員)として参加し、部隊の中ほどを行進し、ケガ人が出た場合の通報を任務として進んだ。
 小銃は携行しないが無線機、冬季の装具類(防寒具、食料、テント等)一式を背負い、受閲部隊と行動を共にする。
斜面が下りとなると、隊員の転倒が多くなってきた。スキー初級者は登りより下りの方が時間がかかる。まして小銃に背のう等を携行しているので自由が利かない。コースを外れ雪の中に飛び込んでいった。
重装備で新雪の中に倒れると、立ち上がるのが難しいし、体力を消耗する。助け起こされて装備品を点検して行進の列に戻る。倒れる場所は決まって下りのカーブの地点だ。
安全係は検閲部隊の隊員には手を触れないが、ケガをした場合や、危険な場所では注意喚起をしつつ部隊、隊員の行動に目を配りつつ前進する。
演習場内に入ると任務が解かれた。

「民間のスキー」
アルプス地方で発達したゲレンデスキーは、斜面を滑り降りるスキーは回転がしやすい形状になっていて、スキー板にはサイドカーブという曲線が施されており、金属のエッジによって鋭いターンが容易にでき初心者でも楽しめる様になっている。
スキー靴はつま先、かかと部分はもとより脛の部分までしっかり固定され身体の動きが、スキーの操作を容易に出来ます。
私たちがスキー訓練をしていると、へっぴり腰で滑っているのを見て笑っている。
自衛隊のスキー訓練中の様子を見て、一般のスキーヤーは不思議な目で見ている。
トレーン(連なって滑り、スキー板2本までの間隔で滑る)や、ピラミッド(三角に隊形を作り、一番前が右と言えば右に曲がり隊形を崩さない)をやっていると、その後方に連なって滑ろうとする。
停止して直ぐに、斜面を駆け上ると唖然としている。
 私たちのスキーは、滑るときはスキーの上に重心を置くように勤める。連続小回りやターンをするときは、遠心力を利用しそれに耐えるようにしているのであるが…。
滑り降りると、走るように斜面を駆け上がる。とてもじゃないが民間のスキーでは出来ない行動です。
ある時、休憩中にスキーを貸してくださいと言ってきた人がいた。
「民間の人に装備は貸せません、無理ですよ、滑れませんよ…」と言ったが、
「大丈夫です…スキー指導員ですから・・・」と、どうしても納得しない。
スキー靴とスキーを貸してあげたが、緩斜面も滑れない。
まずスキーと靴を固定するビンディングがない。踵が浮き上がり、靴は柔らかい皮でグニャグニャ曲がってします
そんなスキーでも、自衛官は新雪やコブ斜面をガンガン滑っていく。
民間のスキー場内では、武器類をもって訓練しないが、その分武器類の重さを身に付けて滑った。
2000年代に自衛隊スキーをテレマーク技術で滑っている動画を見たが、なんかスムース感がしない。
 
 スキーを初めて履きました 部隊のスキー訓練で 桝水高原スキー場 S43年頃
 
 大山国際スキー場にて   昭和60年頃
 
 部隊スキー指導官検定中  ボケているが私です  昭和57年頃

 自衛隊のスキーの思い出は色々とありますが、少しずつ記載していきます
 何時になるか、体力と根性とタイピングによりますが・・・。